204:ハルVS魔物
先んじて砂漠の中心へ向かったハルは、明らかに空気が変わった事を感じ取った。
結界の中に篭っていた瘴気は全て吸収されたはずなのに、この先にはまだ濃密な瘴気が集まっている。
この瘴気の集まりこそ、空間の穴を通じてこちらの世界へやってきた魔族達に違いない……と。
(でも、変よね……。どうして大人しくその場に留まっているのかしら)
ハルには魔族との交戦経験はない。故に魔族がどのような生態であるかは全く分かっていない。
しかし、色々聞いた話を合わせ『結界が解けたと分かった瞬間にでも大暴れしそうなもの』というイメージを抱いていた。
もしそうであれば、早々に近場で陣取っている人間達に向かって進撃しているはずだ。だが、未だ魔族の姿は見ない。
(……統率されている? だとしたら、誰に?)
考えを巡らせつつ、通り道に立ち塞がるモンスター達を斬り飛ばしながら先を急ぐ。
今の彼女にとっては、討伐報酬などはどうでもいいのか、散らばったモンスターの残骸も気にしない。
仕留め損ねた敵が居ても、しつこく食らいついてこないのならば、もう無視して走り続ける。
やがて濃密な瘴気の発生源が見えてきた。そこだけ紫色の瘴気が地上に留まっており、近付くのを躊躇わせる。
幸いにもこの戦いに駆り出された者達には防御魔術が施されているため、健康的な面での害はない。
ただし、瘴気というものが感じさせる精神的な不快感ばかりは、個々の感情で何とか対応していくしかない。
そして、その不快感をさらに増大させるものが、魔界独特の異形を有する魔族――もとい、魔物。
この世界においてはまずあり得ない、まるで様々な生物を不器用に混ぜ合わせたかのような想像を絶する姿。
形自体は異形ではなくとも、そのフォルムから圧倒的な力を感じさせ、見た者に死を予感させる姿。
(これが……魔族!)
ハルの視界には、そんなおぞましい者達がの群れが目一杯に映っていた。
そのことごとくが彼女を見据えている。ようやく獲物がやってきたとばかりに歓喜の声が上がる。
思わず耳を塞ぎたくなる圧倒的音量。ハルは不快感を軽減するために自身の障壁を重ねる。
その念の入れようが功を奏した。何であれ魔物が放つ音が『ただの音』であるはずがない。
彼らにとっては歓喜の雄叫びであると同時に、それは音波による最初の攻撃でもある。
並の存在であったのならば、その声を耳にしただけで戦意を削がれその場に倒れてしまう事だろう。
様々な虫を切っては繋ぎ合わせたかのような、暴力的なフォルムの魔物が先陣を切る。
あちこちに開く口から音を立てつつ、多数の足をガサガサ動かして迫る様子は、それだけで吐き気を催す。
ハルの方を向いた口の一つからは粘り気のある糸が放たれるが、着弾する前に炎を投げて燃やす。
糸を伝って全身に炎が回り悲鳴をあげる虫の魔物だが、砂漠を転がりまわる事で消化を試みる。
しかし、ハルもその程度の攻撃で倒せるとは思っておらず、すぐさま巨大な火球を作り出して追撃をかける。
まずは一体……とは思ったハルだが、火球の上から稲妻が降り注ぎ、魔術を打ち消されてしまう。
『一人で先走ってくるからどのような愚か者かと思ったが、中々に骨があるようだな』
虫の魔物をかばうように立ち塞がったのは、身長にして三メートル程の人型タイプの魔物だった。
全身が爬虫類のような鱗に覆われ、背中に大きな翼を有するその姿は、どちらかというと悪魔を連想させる。
顔も人間の名残を残すような造形をしており、言葉を話す知性を持つに相応しい見た目をしていた。
「……人間の言葉が分かるの?」
『当然だ。我をそこの下等生物如きとは同じと思うな』
「あら。仲間に対して随分と酷い言い草ね」
『笑わせるな。力が全ての魔族に仲間意識などあるものか』
「その割には私の魔術からかばったじゃないの」
『あのままでは我も巻き込まれると判断した。あくまでも己に迫る攻撃を撃ち消しただけだ』
(あくまでも……か。悪魔っぽい見た目でそれを言うなんて、ふふ)
『何が可笑しい、小娘よ。だが、この状況で笑える豪胆さは称賛してやろう』
意外にも魔物は、目の前で笑ったハルに対して怒るどころか称賛の言葉を贈った。
器の小さい存在であれば、目の前で笑われたりしたら「俺を侮辱するのか」などと怒ってもおかしくない。
しかし、この魔物はハルの笑いを『余裕』だと解釈し、この状況でも笑えるだけの手練と判断した。
『ならば、最初から全力で行くぞ! 他の奴らは手を出すなよ!?』
魔力の込められた拳がハルに向けて振り下ろされる。しかし、ハルはその場から跳躍して拳をかわす。
魔物はそれを把握した上でなお、拳を止める事無くそのまま地面へと打ち付け、多量の砂を巻き上がらせる。
上へと飛んだハルに対する目くらましだ。魔物は砂の中を飛びあがり、跳躍したハルへ追いすがる。
「風よ!」
『効かんなぁ!』
高く舞い上がった砂塵に巻き込まれないよう風の魔術で砂を散らそうとするが、砂の中から魔物が姿を現す。
身体の所々に傷を負ってはいるが、魔物を殺すために放たれた術ではなかったためか、受けたダメージ自体は少ない。
流血しながらも魔物は再び拳を握って構え、ハルの頭上を取ったと同時に勢いよく振り下ろした。
「ぐぅっ……!」
受ける直前に前方へ魔術障壁を展開したが、衝撃そのものは殺しきれず、ハルは砂へと叩き落されてしまう。
「痛たたたたた……最悪。全身砂まみれじゃないの……って!」
彼女の目に映る悪夢。浮いている魔物が両手に魔力を練り上げ、こちらに向けて魔力弾を放つ姿。
今度は力を出し惜しみせず、全身を包む形で障壁を展開し、受け止める覚悟を決める。
二発だけかと思いきや、両手でそれぞれ一発投げた直後に再び弾を作り出し、さらに追加で放ってくる。
一撃受け止めるだけで地震でも起きたかのような衝撃が走るが、それが幾度となく続く。
魔物は一気に勝負を決めるつもりなのか、己の魔力を使い尽くすのも辞さない覚悟で弾を撃ち続ける。
彼は理解していたのだ。これが最初で最後のチャンスであり、この機を逃すともう――
『このまま消し飛ばしてや――ぐ!? あ……あぁ……な、なにが起きた!?』
ちょうど彼の顔の真ん中を通るようにして縦の切れ目が入り、それがそのまま胴体部分まで広がっていく。
彼自身は認識できていないが、端から見たら縦に真っ二つとなった魔物の姿が見えた事だろう。
『な、何故だ……。何故、無事でいられる……?』
風の魔術が行使されたのか、砂塵が一気に吹き飛ばされると、そこには剣を振りぬいた姿勢のハルが五体満足で立っていた。
多少の疲労の色こそあるものの致命的なダメージは負っておらず、まだまだ戦えそうな余裕を感じさせる。
「馬鹿ね。グミ撃ちは失敗フラグなのよ。最初の数発以降、てんで見当違いの場所に着弾してたわよ」
数発がハルに着弾し砂塵を巻き起こした後も魔物は攻撃を続けていたが、それは実におざなりなものだった。
魔物は目で相手を追っていたため、ハルが見えなくなった後はとにかく巻き起こる砂塵に向けて弾を撃ち続けていた。
最初こそガードを続けていたハルだが、途中から着弾が逸れ始めた事で、魔物はこちらが見えていないという事に気が付いた。
砂塵に紛れる形で密かに着弾地点から移動したが、魔物側はそれに気付かず同じ場所へ攻撃を続けてしまった。
そうなるともう魔物は隙だらけである。ハルは魔物を一撃で葬り去るための闘気を剣に込めていく。
ハルは砂塵の中であっても魔物の気配を感じて位置を特定出来るため、向こうとは違って確実に当てられる。
(相手が馬鹿で助かったわ。叩きつけた後、余裕をもって私が起き上がるのを待つような相手だったら一筋縄ではいかなかったかも……)
先程ほぼ全身が埋まるような形で砂の中へ叩き落とされたハルは、ありとあらゆる部分に砂が侵入してしまっていた。
剣を収納し、服をバサバサとはためかせると、その瞬間にドサーッと大量の砂が零れ落ちる。それでもなお、体には重みが残る。
(下着の中にまで入り込んでるじゃない……あぁもう!)
下品だとは自覚しつつも、内に砂を抱え込んだまま続ける気にもならないので、上下共に下着を少しずらして可能な限り砂を排出。
(あー最悪。さっさと片付けてお風呂に入りたいわ)
しかし、そう思うハルの気持ちとは裏腹に控えていた魔物達は雄叫びを挙げて盛り上がっていた。
『ヒャッハッハ! まさかヤツがぶっ倒されるとはな。あの人間、なかなかやるぜ』
『人間ってのは極上の御馳走らしいじゃねぇか。次は俺がやってやる……』
『いや俺だ。もうこうなりゃ序列とか順番とか関係ねぇ。ここは人間界なんだ、魔界のルールなんぞ知るか!』
『グギャッギャッギャ!』
先程の魔物は彼らにとって上位にあたる存在だったのか、今までは大人しく見守っていた他の魔物達。
しかし、もうその魔物は存在しない。故に彼らの枷が無くなった。魔物達はここぞとばかり一斉に動き出す……。




