201:最前線の攻防
「さて、これくらいでいいだろう」
地上からは視認できない程の上空。雲の波間に静止するリチェルカーレの姿があった。
彼女は頭上にある巨大な球体――まるで紫の雲が中で蠢いているような、不気味なそれに目をやり一言つぶやいた。
同時に右手を握り込むと、その仕草に合わせて数百メートルはある球体が瞬く間にに掌大へと収縮する。
紫色だった球体は漆黒へと染まっており、彼女の右掌の上でフワフワと漂っている。
その黒さたるや光すらも吸収する程で、まるでその場だけ塗料で黒く塗りつぶされたかのような違和感がある。
砂漠を覆っていた膨大な瘴気を極限まで凝縮したのだ。瘴気を糧とする魔族すら身に余るだろう。
コンクレンツ帝国で瘴気を吸収した際は、敵を威圧する意味もあったが故に、大きい状態のままでそれを維持していた。
しかし、その気になればここまで圧縮が可能。今回は特に大きく留めておく意味も無いため、早々に収縮した。
眼下の冒険者達は既に意識を目の前のモンスター達に向けている。現時点でこちらを注目している者などほとんど居ない。
「今これを地面に落としたら、それだけでル・マリオンが終わる……。考えただけで恐ろしいね」
人類どころか世界そのものを終わらせられる程の力を秘めた球体。彼女はそんな恐ろしいものを空間の中へと収納する。
空間の中へ収納したものはいつでも取り出して使う事が可能。つまり、彼女はいつかこれを『何らかの形で使う』ために残しておくのだ。
「この世界でこれほどのまとまった力の塊を得られる機会は珍しい。良い土産になりそうだ」
モンスター大討伐が始まってからの『目的の一つ』を達成した彼女は、魔力を用いて地上の様子へと目を向ける。
「へぇ、面白い事になってるじゃないか。今回の騒動の裏には、やっぱり『居た』みたいだね」
・・・・・
冒険者組の最前線は破竹の勢いでモンスターの群れを倒しつつ先へ進んでいたが、その勢いが急に止まった。
今倒した集団の次に控えていた集団が、これまでのモンスターとは毛色の違う面子であったからだ。
「おいおい、急にグレードが上がったな……。こんな辺境に居る奴らじゃねぇぞ」
一人の冒険者のつぶやきに、経験の浅い冒険者達の多くが唾を飲んだ。
彼らの前に立ち塞がったモンスター達とは、基本的に一体をパーティ単位で討伐するような相手だったからだ。
異邦人らがその場に居たならば、間違いなくそれらを見た瞬間に名前が浮かぶであろう存在――。
体長十メートルはあろうかという巨大な四足歩行獣。馬のような牛のような顔に、巨大な二本角を有する怪物。
身長にして三メートルは超えようかという、二足歩行の牛頭の怪物。手には尋常ならぬ重さを感じさせる金属の塊……人では到底扱えぬ巨大な斧。
そして、それらをさらに超える大きさの一つ目巨人。彼らが手に持つ棍棒は、まるで大木そのものを武器にしているかのよう。
「辺境云々以前に、どいつもこいつも地上に居ちゃいけない奴らだ。こいつらは……ダンジョンの深層モンスターだ」
心当たりのある者達はいずれもベテラン冒険者だった。故に戦闘経験もあり、まだ軽口も叩ける。
だが、経験の浅い者達にとっては見た事もなモンスター達ばかりだ。それでもひとつだけ分かる事があった。
モンスター達から放たれている尋常じゃない殺気。そして、対峙する者達を震わせる程の気の当たり。
「経験の無い奴らは下がれ! 後続に居る腕の経つ者達に声を掛けるんだ!」
いま対峙している敵は、駆け出しの冒険者達でどうにか出来るような相手ではない。
モンスターの一体一体が、ベテラン冒険者達で徒党を組んでやっとどうにかなるような強敵達。
一つの判断ミスが全体の壊滅を招くほどの厳しい戦いが今まさに始まり――
「危ねぇ! 避けろッ!」
一つ目巨人の眼が光り、砂漠を抉るようにして光線が放たれる。その光線が捕える先は、この場から退いた冒険者達だ。
警告に気付いた一同は横っ飛びで光線の軌道から逃れるが、沢山の荷物を背負っていた一人が出遅れてしまった。
光線はその者を直撃し、遺体すら残さず消し飛んでしまう。防御障壁なしに攻撃を受けてしまえば、即死は免れない。
先程まで普通に会話していた仲間が消し飛ばされた事で、間一髪で回避できた者達が恐怖で立ち止まってしまった。
しかし、それは敵にとって『狙いやすい的』が沢山ある事を意味する。それを察したベテラン冒険者達はすぐに動いた。
「止まるな! 絶対にそっちへは撃たせねぇ! お前らの行動が全員の命運を左右するんだ! 行けぇぇ!」
再び単眼を光らせた巨人の横っ面をひっ叩くように、近くにいた冒険者からハンマーが投擲される。
無理矢理に顔の向きを変えられた事により、発射された光線は巨人の同胞達に直撃してしまう。
さすがに近しい実力を持つだけあって、光線は筋肉の塊のようなモンスター達の肉体にすら大穴を開けた。
「崩れた! 今だ、一気に畳みかけるぞ!」
場を仕切っていた冒険者の合図に合わせ、様子を伺っていた他の冒険者達が一斉に動き出す。
動かない間、密かに準備していたのか魔術師がすぐさまモンスター達の足元を氷結させる。
例え筋肉の塊のような存在と言えどわずかばかりの拘束は免れず、その隙を突いて他の魔術師達が一斉にモンスターを撃つ。
一撃で倒せない威力であっても、顔面を燃やす事で呼吸を阻害し仲間達が反撃されないように邪魔する事は出来る。
とは言え、苦しみでなりふり構わず暴れるモンスターへ近付くのは危険が大きい。人間では、腕の一振りですら絶命しかねない。
「気ぃ張れよ! 素の状態で食らったらひとたまりもねぇ……」
だがそこは冒険者、各々が闘気や魔力あるいは法力と言ったそれぞれの力でしっかり防御をする。
この場に居る冒険者達のレベルなら、鋼の如き筋肉による殴打でも、多少の痛みと共に吹っ飛ぶ程度に抑えられる。
それでも、真上から叩き付けられる巨大な斧に対しては、重厚な大盾を構えて受け止めなければならなかった。
「ぐうっ!? さすがの怪力だな。足が埋まってしまったぞ」
「盾ごと真っ二つにされなかっただけマシだと思え。さっさと脱出しろ、次が来るぞ」
「へいへい。鎧やズボンに砂が入りまくってしまったじゃないか……萎えるな」
重戦士が大盾で斧を受け止めた瞬間、身軽な剣士が斧の柄を斬り、先端を地面へと落としていた。
武器の破損に戸惑うモンスターだったが、その隙を逃さず弓兵達が目などの急所を射る。
そして、屈強な上半身と比べ細めな足へ向けて幾度も剣や斧が叩き付けられ、姿勢を崩していく。
ほとんどの者達が『この場で出会ったばかり』という関係性ながら、巧みな連携で個の不利を覆す。
それこそがベテラン冒険者たる所以。命がかかる最前線、急場においては見知らぬ者同士でも連携が必須なのだ。
出来なければ死ぬ。死ぬくらいならば誰とでも組む。そんな経験を繰り返した果てに、今の彼らがある。
「今の我らは通常ではあり得ない複数パーティの連合軍。普段は対応不可能な戦況ですら覆してみせる」
気が付けば、冒険者達をヒヤリとさせた数多の強敵モンスター達は砂漠に身を横たえていた。
一部の者達が警戒を続ける中、身軽な者達が討伐証明となる部位や素材となる部位を拾い上げていく。
もしモンスターにまだ動く気配があれば確実にトドメを刺し、この場の安全を確保する。
だが、この世には『絶対』などと言うものは存在せず――
倒れ伏しているモンスターの腹を突き破り、中から別の蛇状モンスターが飛び出してくる。
さすがに体内に寄生していたモンスターは想定外だったのか、不意を突かれた冒険者が驚きに顔を歪める。
回避も間に合わない。迎撃も間に合わない。この集団における最初の犠牲者が……
「させないっ!」
何処からか飛んできた光の槍が蛇状モンスターの口を貫き、そのまま地面へと縫い付ける。
「た、助かった……。キ、キミは一体……」
間一髪危機を逃れた冒険者は、安堵感からか尻餅をついて倒れてしまう。
自身を助けてくれた者にお礼を言おうとして顔を上げるが、目の前に居たのは初めて見る存在。
「私はハル。タシュエヴ近郊で活動していたAランク冒険者よ」




