197:結界の破壊
「それでは今回の作戦について説明させて頂きます。私は今回の作戦立案総指揮を担当させて頂く、エルフの里長ラウェン・ゼルフヴェルトと申します」
最長老に代わって壇上に現れたのはエルフのラウェンだった。
実際の作戦立案は彼女ではないのだが、封印を今まで守ってきた者として表に立ってもらう事となった。
男の冒険者達からは歓声があがるが、その男達と親しい女冒険者から容赦なくしばかれていた。
「まずは分かりやすく状況を見て頂きましょうか。不可視状態を解除します」
ラウェンが杖を一振りすると、俺達の前に開けていた広大な砂漠が一瞬にして紫色に染まった。
左右を見渡せば果てまで続いており、上を見上げてもかなりの高さまで紫色が見える。
「間近だと分かりづらいですが、この結界はドーム状になっております。最初は穴を塞ぐ程度の大きさですが、徐々に溢れ出す瘴気に押し広げられるようにして、数百年が経過した今では砂漠の横断に支障が生じるほどになっています」
確かに、こんなデカいものが砂漠に陣取っていたら……しかも、不可視の状態で、触れたら無意識に方向を転換させられる仕様。
そんな状態でまともに砂漠を横断など出来るものではないな。空路はともかく、陸路に関しては絶望的だ。
「幸か不幸か、この結界の影響で砂漠の向こうにある大国『フーシャン』の侵略が阻止されているとも言えますが、それを考慮してもなおデメリットの方が大きいです」
砂漠の向こうの大国――『フーシャン』か。今思えば、この地方以外に関する知識がほとんどないな。
異邦人だから知識がないのは当然ではあるのだが、この世界だと遠くにある地方や国の話題はあまり出回らないんだろうか。
空間転移や飛行は限られた者の特権のようだし、普通の人々にとっては他の地方へ行くのは遠すぎるという事か?
「故に、思い切って結界を破壊します! 同時に、上空に待機している魔導師の方に闇の魔術で溢れる瘴気を吸引して頂きます」
冒険者達からは「んな無茶な!」「無謀だ!」と声が上がる。普通に考えればそうだろう。
紫色の壁に見えるほどに濃密な瘴気が溢れだしたら、この場に居る冒険者達は間違いなく全滅する。
だが、俺は知っている。瘴気を吸引するのはリチェルカーレだ。失敗は絶対にない。
「ただ、それでも結界を破壊した瞬間に拡散する瘴気までは対応が出来ません。その瘴気はこの方に防いで頂きます」
ラウェンの横に現れたのはエレナだ。彼女なら、確かに拡散した瘴気を防ぐ事が出来るレベルの結界を展開できるな。
さすがにツェントラールの神官長をやっていただけあってか冒険者達の認知度は高く、あちこちから彼女の名が挙げられている。
だが、彼女が冒険者としての活動を始めた――しかも俺達と一緒に――と言う事はまだ知られていないようだ。
「ツェントラール神官長のエレナです。皆様の事は守らせて頂きますが、近隣一帯のモンスターは瘴気に呑まれてしまいます。それにより狂暴化したモンスターを討って頂くのが、皆様の主な仕事となります」
「加えて、結界の中に出現しているであろう魔族達との戦いも想定しています。最低でも全ての瘴気を吸引し、空間の穴を塞ぐまでの時間を稼いで頂きたいと思っています」
ここへきて、ようやく冒険者達は今回の緊急依頼の恐ろしさを認識する事となった。
結界を破壊する事で瘴気が拡散すれば、元々は大人しかったモンスター達が狂暴化して力を増す。
砂漠の横断に支障が出るほど巨大な結界の破壊ともなると、影響範囲はとてつもなく広い。
そうなれば、瘴気で狂うモンスターの数も決して少ないものではない。
冒険者達を緊急招集し、各領地から軍を終結させなければならない程の規模となる。
その上で、並のモンスター達よりも遥かに強敵の魔族までが待ち構えている。
地方の国が統一され、多くの戦力を用意できる今でなければこなす事が出来ない内容だ。
故にこそ、ファーミンもこのタイミングで結界を破壊し、昔から残っていた負の遺産を解消しようと試みたに違いない。
事情を把握し、具体的にやるべき事を知った冒険者達の大半は、もうすぐ起きる一大決戦に備えて腹を括った。
しかし、一部の冒険者はあまりにも無謀な依頼に乗っかってしまったと恐れを抱いて逃亡してしまった。
別に弱小冒険者程度ならばが数人居ても居なくても変わらないだろうが、それでも自発的に緊急依頼を受諾してきた事には違いない。
にもかかわらず、依頼をほっぽり出して逃げ出すような者達は、業界において絶望的なまでの信頼を失う事になるだろう。
「それでは、早速始めましょうか……。アプリーレ! そして、結界……展開!」
エレナが力を一つ開放し、杖を掲げて大気が震えるほどの法力を解き放つ。
第三者から見れば、エレナが緑色の炎で焼かれているかのように映るであろう非常に濃密な力。
エレナの力を知らない冒険者達は驚愕し、中には力にあてられて震えている者すら居る。
そんな法力を惜しげもなく使って作られた結界は、元々の結界を包み込むほどに巨大。
間近で見ると光の壁にしか見えないが、少し離れた位置から見れば天を衝く光の柱が見える事だろう。
これならば、内側で結界を破壊した所で、瘴気が外側へと漏れ出す事はない。
「では元々の結界を破壊します。■■■■■、■■■■■■■■■!」
人間には聞き取れない独自の言語だろうか。何を言っているかは分からないが、それが結界に干渉する呪文なのだろう。
徐々に瘴気を包む結界へとヒビが入っていき、十秒も経たないうちに全体へ広がり、勢いよく砕け散った。
溢れ出す瘴気がエレナの結界へと迫るが、そこはさすがエレナ。結界はちゃんと溢れ出す瘴気を内へ押し返した。
「瘴気の対処、お願いします!」
ラウェンが天空に向かって叫ぶ。上空にはリチェルカーレが待機しており、開始の合図を送ったのだ。
普通ならばとても聞こえる距離ではないが、リチェルカーレが聴覚を強化している事に加え、ラウェンの方も発声を強化している。
俺の世界だと様々な道具が必要になるような事であっても、魔術があればそれだけで全部補う事が出来てしまう。
「み、見ろ! 空になんかスゲェものがある! 瘴気がアレに吸い込まれて行ってるぞ!」
「ここからじゃ全く見えないけど、本当に上空に誰か居るんだな……」
何かに気付いた冒険者達が指し示すのは、結界の真上に当たる上空だ。
上空にはいつの間にか巨大な紫色の球体が出来上がっており、解き放たれた瘴気は次々そこへ吸い込まれていく。
あれはリチェルカーレがコンクレンツで使った闇の魔術だな。瘴気を吸収する性質があるとか言ってたやつ。
見る見るうちに目の前に広がる瘴気の密度が薄くなり、数分もしないうちに視界が開けてきた。
そこには、おびただしい数のモンスターが……居なかった。ただ単に、だだっ広い砂漠が広がっているだけだ。
だが、その砂漠の様子がおかしい。何というか、砂が紫色に染まっている。瘴気が浸み込んでいるのか?
位置的に、元々の結界の内側だった場所だろうか。数百年の年月を経るうち完全に砂と結合してしまったと考えるべきか。
砂と一体化してしまっては、もはや瘴気――つまり、気体を吸収するための魔術では対応が出来ないのかもしれない。
リチェルカーレにしては珍しい凡ミス……いや、彼女がそんなミスをするハズがない。ならば、これは意図的なものだな。
砂をよく見ると、まるで浸み込んだ水のように、瘴気の染みがじわじわと広がっている気がする。
大気中では気体のような性質を持っていたが、生物や物体に浸み込んだ後は水のような性質に変化するというのか。
おそらくだが、固体にも変化するのだろう。これだけ変化して、固体にならないとかはあり得ないだろうしな。
「砂の浸食は私が何とかします! 皆様は瘴気で汚染され、凶暴化したモンスター達をお願いします!」
エレナの掛け声にハッとなる冒険者達。そうだ、俺達の仕事はまさにここから始まるんだ。
瘴気の汚染によって凶暴化し、未だ見えぬ彼方からこちらへ向けて駆けてくる怒涛のモンスターの群れを叩き潰すという仕事がな。




