191:神殿建設の件
エルフの里を出てヒワールへ戻った後、大討伐の決行が決まった。
戦力の結集や事前準備に一週間ほどを要するとの事で、皆にしばしの休みが与えられた。
そんな中、エレナとレミアは国境沿いの町ジダールへと戻ってきていた……が。
二人が目にしたのは、想像を絶する光景だった。
「おお女神様! 丁度良い所に……ご覧くださいこの神殿の威容を!」
エレナはここを発つ際、自分に縋ってくる信者達をその場から遠ざけるために神殿の建設を告げて焚きつけていた。
信者達は当然、女神からの指示として忠実にそれに従い、実際に神殿を作る事にしたわけだが……。
「……は、はは。も、物凄い神殿ですね。あと、女神様呼びは恥ずかしいのでやめてください」
彼女が驚いたのは、その神殿のあまりにも気合が入った作りっぷりである。彼女としては小田舎の小さな神殿位を想像していた。
しかし、目の前にそびえているのは大都市にあるような巨大で豪奢なものだった。よく見ると、神殿にはまだ建設用の足場が残されている。
「素晴らしいでしょう! ただ、これで完成ではありませんぞ。この神殿はその後何年何十年……いや、百年単位での拡張を構想しております」
竜一がこの場に居たのであれば、間違いなくサグラダ・ファミリアを思い浮かべていた事だろう。
建物の大きさといい、装飾といい、規模としては間違いなくそのレベルに匹敵する。
「私達が離れていたのはそんなに長い期間ではないはず。そんな短期間で、よくこのような神殿が作れましたね……」
「実は元々建っていた『炎の神殿』を流用したのです。加えて、建築に長けたドワーフ達と、魔術によるサポートのおかげです」
レミアの抱いた疑問もあっさり解決。ル・マリオンには『魔術』という、竜一の世界には無かった反則的な力がある。
魔術を駆使すれば形状変化はもちろんの事、素材を生成する事だって出来る。技術次第でありとあらゆる工程を短縮可能だ。
「魔術の可能性は無限大なのですね……。私はこちらの方面には疎いもので、その辺に詳しくなくて」
「人それぞれ得手不得手があるのは仕方がない事です。だからこそ、人々は助け合うのです」
レミアは素直に感心した。彼女は正直、最初のイメージでは『エレナに心酔する変な集団』という印象を抱いていた。
しかし、元々は宗教の中に身を置く敬虔な信徒達。基本的には清廉な考え方を持っているのだろうと、レミアは目の前の彼を見直した。
「……我々は、そんな大切で当たり前の事をつい最近まで忘れておりました」
だが、その直後……彼は突然懺悔を始めた。
八柱教は、名の通り八属性を象徴する八柱の精霊を信仰している宗教であり、一つの絶対的な対象を置く他の宗教とは異なり、八つの対象が並んで象徴とされる事が特徴として挙げられる。
その特徴が『多数の部族が混在し長達が共同で国を動かす』というファーミンの理念に合っているためか、国内ではミネルヴァ聖教よりも八柱教の方が多く信仰されている。
「確かに八柱教は定期的に各々の精霊を信仰する派閥の長が集まって定例会議を行っています。しかし、その実態はとても協調路線とは言えない真逆のものです。いずれの長も、自身の派閥が一番である。自身の信仰する精霊こそが一番世界の創世に貢献しているなどと言った主張で……」
だが、その実態は八柱教というマンションの中にそれぞれの属性の精霊を信仰する小さな宗教が間借りしているだけに過ぎず、ファーミンの理念に通じる部分は既に失われていた。
いずれの派閥も『自身の信仰する精霊が一番だ』と主張し始め、他の七派閥よりも上の立場へ立とうと動き出している。
「……それでは他の宗教と何も変わらないではないですか。八柱並んで象徴である事が他とは違う点ではなかったのですか」
「その通りです。しかし、長達は金と権力という『欲』の力に負けてしまったのです」
金と権力は、良くも悪くも状況を大きく変える。自身の生活はもちろん、人々からの扱い、果ては国からの待遇。
一度味を占めたらもう戻れない甘い甘い底なし沼だ。その沼は決して満足する事を許さない。さらなる欲がその者達を突き動かす。
やがて、そのためにはどのような事でもするようになる。それを延々と繰り返した果てに待つのは……身の破滅だ。
「そんな状況なのにもかかわらず、個別の宗教として分離しないのは、やはり『八柱教』としてでないと影響力の大きさが消えるからでしょうね」
「仰る通りです。八柱教としての規模はミネルヴァ聖教に次ぎます。それに伴う権力や、入ってくるお金の量は無視できないものがあります」
八柱教はそれらの財を均等に分配していたが、やがて定例会議でその比率を巡って争うようになっていった。
これがもし個別の宗教になってしまうと、均等に分配して得られた財にすら遠く及ばない程度の財しか得られなくなってしまう。
当然、及ぼす影響力も失われる。国に口出しをするどころか、町行く人々にさえ足を止めて話を聞いてもらえないだろう。
「現にいま、ジダールを拠点とする『炎の教徒』が壊滅しているというのに、他の派閥は一切何も干渉してきていません。これは、派閥が一つ減る事で自分達の得られる富が増すからです」
「富のために同胞を見捨てるとは……。まさに、ファーミンの掲げる理念とは真逆。ファーミンの人々はその実態を知らないという事でしょうか」
「知らないでしょうね。定例会議の様子などは一般の方々が拝聴できるものではありませんし、我々もつい最近までは代表に心酔しておりましたから……」
代表とは、エレナに叩きのめされた神官の事である。彼こそがジダールの『炎の教徒』を取り仕切る者であった。
気絶した神官は町中で炎の魔術を行使したとして憲兵に引き渡されたが、牢の中で捕まる前と何ら変わりない主張を続けている。
一方でエレナは心酔するようになった人々の懇願もあり、神官から町を守ったとして術の行使はお咎めなしとされた。
「……不思議ですね。そんな代表に毒されていた我々が、女神様の威光を目の当たりにした瞬間、ハッと目が覚めたようになりましたから」
「お願いですから女神様呼びは止めてください。私はただの人間でエレナです。本当の女神様に失礼極まりないですよ」
信者の告白を聞いたレミアが思い出すのは、ダーテでリチェルカーレが口にしていたエレナの『性質』だった。
自覚無しに聖性の強い気を放って周りに居る人間を酔わせている――その説明も、エレナがミネルヴァ聖教の次期教皇だったとなれば納得がいく。
欲に目がくらんだ父・教皇を見限って出奔したとはいえ、その身には既に教皇に必要な資質を受け継いでしまっている。
(おそらくはこの信者もその影響を受けたのでしょうね。エレナがもしその力を意識して使い始めたとしたら、恐ろしい事になりそうですね)
当のエレナは必死に『女神様』呼びを否定している。彼女自身、精霊姫ミネルヴァ――いわば女神と称される存在を信仰している。
そんな身でありながら自身が女神と呼ばれるなどあってはならない。だが、エレナに心酔する者達にとって精霊姫の事など知った事ではない。
いずれ神殿の規模がさらに大きくなり、信徒の数が増した時、彼女はより女神としての地位を盤石なものとするだろう。
「今はまだ建物だけですが、いずれは女神様の本尊も作りたいですな……。そして、神殿の背後には天を突くような巨像を……!」
「……うぅ、話を聞いてくれません」
一人気合を入れる信者と、しょぼくれるエレナ。彼女の想像以上に、焚きつけられた信者達は勢い良く突き進んでしまっているようだ。
新たな宗教組織の立ち上げを宣言してしまったのは彼女自身だったが、既に事態は彼女が制御できる範囲を超えつつあった……。




