190:メイド長の望むもの
「……手配は済みましたよ。全く、面倒な事を丸投げしてくれますね」
「済まないね。キミじゃないとこのスピードで事を済ませるのはまず無理だからね」
とある宿屋の一室で一服していたリチェルカーレのもとへ現れたのは、漆黒に身を包むメイド長だった。
何の前触れも無く空間から染み出すように現れたメイド長だったが、直前に出現を察していたリチェルカーレは驚きもしない。
既に空間という概念を把握しており、メイド長を良く知る彼女にとって、こうして突然現れる事くらい何事でもなかった。
「当然です。この件に関しては、高くつきますよ……」
「だったら望むものを与えようじゃないか。キミはアタシに、何を望む?」
「……!!」
リチェルカーレの言葉と同時、メイド長がリチェルカーレに向けて鋭い突きを放つ。
喉に向けて放たれたものであったが、リチェルカーレはわずかに首を横へずらして回避。
「うん、やっぱそうくると思った。いいよ、久しぶりに相手をしようじゃないか」
メイド長が自身の命を狙ってきた事にも驚く事無く、指を軽く鳴らす。
その合図と共に、彼女達の居た空間が瞬く間に別物へと塗り替えられていく。
一面の星空と果てしなく続く水面――リチェルカーレの領域だ。
「あそこでキミと戦うと世界が滅ぶ。アタシの領域内で構わないね?」
「問題ありません。私の領域は『この世の全て』と言っても過言ではありませんので」
そう宣言するや否や、メイド長が次々のその場に出現していく。
一人二人……十人二十人……百人……千人……一万人……メイド長の増殖が止まらない。
やがて、メイド長達はリチェルカーレの周りを完全に埋め尽くしてしまった。
「貴方は既にご存じでしょうが、私は自らの願いのために自身をこの世界と一体化させました」
「ふふふ、『アタシ達』はみんな違った形で不死の存在へと至っているけど、キミはその中でも一際異彩を放っているね」
概念上の存在――メイド長こと、フォル・エンデットの至った領域である。
彼女は既に人の領域を脱しており、この世界と一体化し、一つの『概念』として君臨している。
そのため、彼女という存在は世界そのものに溶け込んでいると言っても過言ではない。
故に、彼女は自らを『何処にでも存在し、何処にも存在しないもの』と称している。
彼女はその気になればいつでも何処でも何人でも世界に出現し、同時に活動を行う事が出来る。
世界そのものである彼女にとって『メイド長』は、世界で活動するための分体に過ぎない。
彼女が突然出現したり突然消えたりするのも、その度に分体を構築したり破棄したりしているが故の事。
また、彼女が姿を現していない間は『彼女という概念』が薄れてしまうため、大抵の人間の中から存在の認識が消える。
そのため、大半の者達が『メイド長』という存在が居た事は何となく記憶していても、名前や容姿を思い出せない。
「……元々は違う目的で得たこの力ですが、貴方を倒すにも有用そうですね」
フォル・エンデットは世界そのもの。故に、世界の中であれば己の分体を無尽蔵に生み出す事も出来る。
リチェルカーレの視界を埋め尽くすほどに出現した彼女の群れは、まさにそれを体現した形だ。
「残念ながら、数の暴力でどうにか出来る程アタシは甘くないよ」
リチェルカーレは両手を組み合わせ、花弁のように指を広げて魔力を集中。
空や水面が見えない程に埋め尽くされたフォル・エンデットの群れに向けて解き放つ。
手の中で魔力光が輝くと同時、正面に向けて暴風の如き光の奔流が荒れ狂う。
数えきれないほどのフォル・エンデットが巻き込まれたが、残るフォル・エンデットは全く意に介さない。
再び隙間を埋め尽くすが、リチェルカーレが再びフォル・エンデットの群れを薙ぎ払う。
「無駄ですよ。いくら消し飛ばされようが、私には何のダメージもありません」
しかし、その言葉を無視してもう一度放たれる砲撃。
「……愚かな。そろそろ、こちらからも行かせて頂きますよ」
無数のフォル・エンデットから放たれる、闇の魔力による槍。視界を埋め尽くすほどの数から放たれるそれは、まさに闇の豪雨。
中心に居るリチェルカーレは障壁を展開したかと思うと、着弾する闇の槍を片っ端から光の槍に変換して打ち返していく。
「くっ、やはり小細工では通じませんか……こうなれば」
次々と消されて行くフォル・エンデット。空間内から全てのフォル・エンデットが消え去るまでにそう時間はかからなかった。
視界が開けたリチェルカーレの領域は、彼女自身が放った魔術の奔流により大きく抉られ、美しい景色の下側は壊滅的な状態に陥っていた。
美しき星空に照らされた水面は、大きく抉れて土や岩が丸出しとなり、そこへ水が流れ込んでいる……。
「やれやれ、この領域は思い出の景色なんだけどね……酷い状態だよ」
「壊したのは他ならぬ貴方自身でしょう。自業自得です」
溜息をつくリチェルカーレ。そこへ再び姿を見せるフォル・エンデット。
現れたのは一人のみ。彼女は眼前に小さな闇の球体を作り出すと、再び姿を消した。
「……これは」
リチェルカーレが気付くも、時既に遅し。
「闇よ、全てを喰らい尽くせ」
一瞬にして領域全体が漆黒に染められる。
「領域諸共、貴方を侵食します。さよなら、お姉様」
「お姉様……か、そう呼んでくれたのはいつぶりだろうね、可愛い妹よ」
闇に呑まれつつも、フォル・エンデットの言葉にそう返すリチェルカーレ。
今まさにその姿が掻き消えようかというその時、フォル・エンデットに激痛が走る。
「■■■■■ーーーーー!!!!!」
世界そのものが慟哭するようなおぞましいおたけびと共に、一人のフォル・エンデットが出現する。そして――
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!」
海老反り状態でお尻を抑えて悶絶。
「あっはっは! いくら概念存在と化しても、思いっきりお尻をつねられるのは痛いだろう!」
「や、やめ……っ! い、痛い痛い痛い痛い痛い!」
闇を切り裂き現れるリチェルカーレ。その右手が、何もない中空をつまみ上げると、再びフォル・エンデットが悲鳴を上げる。
さらにそれをねじる。ついには地面に倒れてしまい、水面に身体を濡らしながら大仰に転げまわった。
「な、何故私のお尻をつねる事が出来るのです……。私の実体は、既に存在しないのに……」
「つねられたくなければ存在そのものを完全に消す事だね。概念としてであっても、存在さえしていればアタシには関係ない」
「何を言っているのかよく分からないです……」
リチェルカーレは倒れたフォル・エンデットを仰向けにすると、その上に跨った。
「ついでに今、キミの存在をこの個体に固定した。他の個体を出現させる事も、概念に還る事も許さない」
「そ、そんな事が……。うぅっ、ホントに出来なくなってる……」
「さーて、楽しいおしおきタイムだ。お姉様に逆らった悪い妹を徹底的にしつけ直してあげよう!」
まずは一発、爽快な音と共にビンタ。本来であれば、打撃など通じないはずの分体に、思いっきりダメージが通る。
続けざまにもう一発、もう一発。しばらく繰り返された往復ビンタにより、フォル・エンデットの顔が腫れあがってしまった。
続いて左脇にフォル・エンデットを抱え、スカートをめくりあげて下着を下ろし……
「ま、まさか……。そ、それだけは……ひぃん!?」
「おしおきと言えば尻叩きが相場だろう? キミが謝るまで叩くのを止めない」
お尻へ叩きつけられた手のひらから衝撃が全身へと伝わり、しびれるような痛みと共に快楽が駆け抜けていく。
痛みとは別の何かで駄目になってしまうと悟ったフォル・エンデットは、わずか三発目でギブアップを宣言する事となる。
「……ご、ごめんなさい、姉様」
「わかればよろしい。それにしても、素のキミを見たのはいつ以来だろう」
「はっ!? わ、私とした事が何という不覚な……」
フォル・エンデットのメイド長としての態度は作りものであり、素はリチェルカーレの前で見せたこちら。
リチェルカーレほか、ごく身近な者達にしか見せた事のない一面で、その姿を知る者は実に少ない。
「キミが全力勝負でアタシに勝とうなどとは、まだ百年は早い」
「では、百年後にまた勝負を……」
「百年後と言わず、いつでも受けてあげるとも。ただし、今後はルールを用意しての勝負が良さそうだね」
そうやって縛りを設けなければ、万に一つもフォル・エンデットに勝ち目はない。
今回の戦いで、フォル・エンデット自身がそれを痛感させられていた……。
「全く、厚いにも程がある壁ですね……貴方という存在は」
「アタシも常々そう思っているよ。母様に対して、ね」




