188:約束、野望、覇道
「同意を頂きましてありがとうございました。では、これにて――」
深き一礼と共に、黒一色の服を纏う女はその場へ溶け込むようにして消えた。
そう、消えた。ドアから出て立ち去って行くとかではなく、文字通りに『消えた』のだ。
「な、なんだったんだ。あの者は……」
「ツェントラールのメイド長と言っておりましたが」
冷や汗を流しつつ、メイド長が消えた場所を凝視し続けるのはジーク・ギーレン。
ダーテ王国改めリザーレ領の領主となった元王子だ。隣には側近のヴェッテ・ラーンが控えている。
「問題はそこではない。あの者の雰囲気というかオーラと言うか、まるでリチェルカーレ殿のそれではないか」
「それはワシも感じておりました。故に、あの者の「竜一殿達と知り合い」だという言葉も信じられるに至った訳ですが」
「有無を言わさぬ迫力があったからな。もし首を縦に振っていなかったら、一体我々はどうなっていたのだろうな」
「恐ろしいお方だ。しっかりと覚えておかねばな、ツェントラールのメイド長の……その……。んん? あれは一体誰だったか」
「しっかりしろヴェッテ。先程自己紹介を受けたばかりだろう。あの者はメイド長の……メイド長の……おかしいな。何故、思い出せぬ」
二人の頭の中には、はっきりとツェントラールから来たという『メイド長』の姿が映し出されている。
しかし、顔に焦点を絞ると穴が開けられたかのように全くイメージする事が出来ず。名前も全く浮かんでこなかった。
つい先程会ったという事はハッキリ覚えているのに、詳細な部分を思い返そうとすると、それがかなわない。
「……いや、そもそも誰と会ったのだ? ファーミンの大討伐に我が軍も力を貸す事に同意した事は覚えているが」
「別に誰でも良いではありませんか。我らが『友』に力を貸すのは当然の事。さぁ、期日までに準備を進めましょうぞ」
「友……か。そうか。そうだな……」
そして、時間と共に誰と会ったのかすらも記憶の中から消えていき、確かな『約束』だけがそこに残った。
・・・・・
「ありがとうございます。貴方様のご協力を得られるとあらば、竜一様も大層お喜びになる事でしょう」
黒一色の服に、黒い長い髪。まるで闇の化身にも思える女性が、一礼と共にその場から姿を消した。
その様子を見ていた者は揃って唾を飲み込み、緊張の只中から解放されたことを自覚する。
「い、一体何者だったんだ……あの女は……」
「ツェントラールのメイド長で、竜一さまとお知り合いのようでしたが」
「竜一か……。どうやら彼らは色々と派手にやってるようだな」
ジョン=ウーは、かつて拳を交え、その後は共に戦った竜一に思いを馳せる。
彼にとってはほぼ対等の立場で、かつ拮抗した実力で戦う事の出来る好敵手だった。
後に再戦の約束もしている。雌伏の時には思いすらしなかった熱い感情。
「楽しそうですね。ジョン=ウー様」
「わかるかい、シンイン。これからまた何かとんでもない事が起こりそうな予感がするんだ」
「……という事は、今回の派兵に同行するのですね」
「当然だろう。こんな事、他人に任せてじっとなどして居られるか」
かつて国を支配していたホイヘルが有していたエリーティ軍は、ゾンビパンデミックにより壊滅している。
そのため、改めて徴兵を行い新生エリーティ軍を結成したのだが、元々国民の数が少ないためかその規模も知れたもの。
現時点での最強戦力も歌劇団の面々という頼りなさだが、ジョン=ウーはそれでも満足気だった。
彼にとっては、初めての『自分自身による軍隊』なのだ。始まったばかり故に、可能性は無限大と言える。
奇抜なスタイルが目を惹く歌劇団の如く、他の領地の軍隊とは違う独自色の軍隊を造り上げる野望に心を燃やした。
彼の側近となった少女・シンインは、そんな野望を語り目を輝かせるジョン=ウーを頼もしく感じるのだった。
「待っていろ、竜一。新しく生まれ変わったエリーティと、この僕を見せてやる……」
・・・・・
「賢明なご判断に感謝致します。では当日、現地にてお待ちしております」
漆黒に身を包む大人びた女性が、深い一礼と共にその場から音もなく消え去った。
消えてから数秒ほど経過して、その場に集っていた一同が深い溜息をつく。
「……アレは一体何なのだ? リチェルカーレ殿から教えられた空間転移ともまた違うようだが」
「独自技術と呼ぶほかないでしょうな。あのように、空間に溶け込むようにして消える形は他に見た事が無い」
コンクレンツ帝国皇帝ヘーゲ改め、コンクレンツ領の領主ヘーゲ。
彼の興味は、メイド長から伝えられた話よりも、メイド長が姿を消したその術に向いていた。
魔導師団長のベルナルドも、一魔導師としてその部分には興味津々だった。
「陛下……いえ、領主様。魔術談議はその辺りにして、あの者の話を受けて宜しかったのですか?」
「……断るという選択肢を選べると思うか?」
「え……?」
生真面目なサーラが脱線気味の話を修正しようとするが、領主からは思わぬ返事が返ってくる。
ツェントラールというワードからリチェルカーレの息がかかっていると感じ取った領主は、一つ返事で話を承諾した。
リチェルカーレにトラウマを刻まれている彼にとっては、彼女が絡む案件を断る勇気など微塵も無かった。
「魔導師団からは師団長一同を、騎士団からはヘルファーに何団かを率いて行ってもらおうと思っている」
「いくらモンスターの大討伐とは言え、魔導師団長全員が出るんですか!? 一部隊もあれば足りる案件かと思いますが……」
エリーティから戻ってきて魔導師団の副団長に復帰していたサージェが、思わず立ち上がる。
彼女の知る限りでは、緊急依頼として出されるモンスターの大討伐は師団の一つも向かわせれば充分なレベルだった。
「お前はあの時、決戦の場に居合わせなかったからか、認識が軽いようだな……」
ベルナルドに言われて彼女が周りを見回すと、領主や団長はもちろん、黙って会議を聞いていた部隊長達も表情を険しくしている。
誰一人として今回持ち込まれた案件を軽視してはいない。史上稀にみる大事件に挑むかのように、汗を滲ませていた。
「今回の案件は、我が国をあっさりと壊滅させるような者達が、わざわざ地方の国々やギルドに緊急依頼として出してきたものだ。そこから難易度を察しろ」
サージェは『壊滅後の国の状態』を見せられはしたが、一体どのような所業が行われたのかは全く知らなかった。
ホイヘルの戦いに同行して彼らの非常識な戦いぶりを見せられはしたが、それと自国の壊滅がどうしても結び付けられない。
「……今回の案件は地方の国全体と冒険者達が一つとなって戦う必要がある。それ程と心得よ」
誰一人として領主の決定に口を挟まない。領主の決定が決して言い過ぎだとは思っていないのだ。
かつては他国だったが、今や同じ国内の新たな領地となった場所へ、最低限の自衛戦力だけを残して救援に向かう。
形だけでの救援ではなく全力での救援。もちろんこれは単なる善意ではなく、未だ消えぬヘーゲの野心だった
(そう、これはチャンスでもあるのだ。ここで成果を挙げれば、統一後の国で優位に立てる!)
一度は覇道を志した男。一旦は消えたと思われていた彼の覇道が、形を変えて芽吹いていた。




