183:母は全て知っていた
「それで、キミはどうするんだい?」
「え? どうする……って」
「この後の話さ。何処か、行くあてでもあるのかと聞いているんだよ」
言われてみて、ハルはようやく気が付いた。
今まではエルフの女性として里に潜んでいたが、今は既に人間としての正体がばれてしまっている。
思考を誘導して騙すという悪事をした負い目もあるし、一刻も早く里から離れるべき……そう考えた時の事。
「ちょっと待って頂けるかしら? その子はエルフの里を混乱に陥れた犯人よ。女王として、その罪は裁かねばならないわ」
表情を凍らせるハル。彼女はすっかり忘れていた。この場にエルフの女王が居る事を……。
女王は国において絶対的な存在であるため、裁判などを経ずとも、鶴の一声でハルの処遇を決定出来てしまう。
ハルは人生の終わりを悟った。同胞にすらあれだけの仕打ちが出来るのだ。他種族に対しては、それこそ一切の加減などないだろう。
「……いいわ。好きにして」
覚悟を決めたような物言いだったが、それは『諦め』とも取れるものだった。
内心では罰に対する恐怖が渦巻いている。彼女はこれから何をされるのか見当もつかなかった。
既に元の世界への未練は捨てているとは言え、それは別に『死にたい』と言う事ではない。
「そう。それならば、村を去る前にきちんと『母親』に挨拶してから行きなさい」
「母親……って、もしかして……」
「貴方が成り代わっていた子、ポワールだったかしら? 娘が突然失踪したら、母親はどう思うかしらね」
エルフは排他的な種族だ。いきなり全く見知らぬエルフに変身して里を訪れても、入り込めるかどうかは怪しい。
それならば里の誰かに成り代わるのが手っ取り早い。しかし、ハルにはわざわざ誰かを殺して成り代わるという非道は出来なかった。
だが、運は彼女に向いていた。里の外で、偶然にもモンスターにやられ瀕死の重傷を負った女性エルフを発見したのだ。
(そう、彼女がポワールだった。病弱な母のために薬草を取りに森へ出たという、無茶をやらかした女性……)
彼女から薬草と共に母への想いを受け取ったハルは、彼女を埋葬した後、その姿を借りてエルフの里へ潜入する。
元々のポワールとの言動の違いを悟られないため、動ける程度の怪我の演出と記憶喪失を装って。
以降、母親に対しては献身的でありつつ、里の中では反体制組織を作るために皆の思考誘導をしていった。
「で、ですが私は『邪悪なる勇者達』としての力を失っていて、変身は……」
「それはキミが元々持っていた力だよ。勇者の力を与えられた際に封印されていたものが、闇の力を与えられた事によって解放された。そして今はその闇の力も無い……。キミは今、本当の意味で『自身の力』を手にしたんだよ」
リチェルカーレの言葉を聞いてハルは自覚する。己の中に、まだ馴染み深い力の感覚が残っている。
これならば変身できる。そう確信した彼女は目を閉じ、あの時出会ったエルフ――ポワールの姿を思い浮かべる。
年月を経てもハッキリと浮かぶその姿、その声、そして想い。そんな彼女を自分自身に重ねてイメージ。
「……ふぅ。こんな感じかしらね」
光に包まれると同時、その姿は紛う事なきエルフの女性へと変わっていた。
この女性こそが、ポワールと呼ばれる女性。ハルが先程まで変身していた者である。
(どうしてだろう。潜入していた時は何でもなかったのに、今はあの人――母さんに会うのが怖い)
・・・・・
かつてない緊張と共に、一人『自宅』へと戻ってきたハル扮するポワール。
「た、ただいま~」
奥の部屋で静養している母親の元へ向かうと、そこにはいつもと変わらぬ姿があった。
エルフは若い期間が非常に長いため、母親と言っても娘とあまり変わらないような若々しい姿の女性だ。
ただ、健康そうな女性と比べると若干痩せ気味で、顔色も少々ばかり悪いと言う事が見て取れた。
「おかえりなさい。集会はどうだった? 話を聞かせてくれると嬉しいな」
シャリテ――それがポワールの母親の名前だった。常に柔和な笑顔を絶やさぬ、心穏やかな人。
病床にありながらも決して弱き所やつらく苦しい所を見せず、周りを温かくしてくれる雰囲気があった。
そのためか、任務と割り切っていたハズのハルも、時と共に本気でシャリテの事を母と思うように。
「うん、それなんだけどね……。大事な話があるんだ」
言いづらそうに口を開く娘を察してか、母は急かす事無く続きを待つ。
「いいわ。ゆっくり話して。私は、何処にも行かないから。と言うか、行けないけど……」
「ふ、ふふっ」
病弱な事をネタにする母親に、思わずハルも笑いが零れてしまう。
そのおかげもあってか緊張感がほぐれ、伝えるべき言葉がすらすらと出るようになった。
「私ね、本国へ行きたい。ラウェンさんの伝手で、本国の高度な魔術知識などを学びたいの」
「本国……イースラントね。そう言えば、ラウェンさんは本国から派遣されてきた方だったわね」
「そうよ。本国になら、母さんの病気を治せるほどの凄い魔術があるかもしれない……」
「ポワール、貴方って子は……」
右手を引かれたポワールは思わずバランスを崩し、シャリテに向かって倒れ込んでしまう。
しかし、シャリテはそのままポワールを抱きしめるようにし、言葉を続けた。
「私の事は良いのよ。貴方がしたいと思った事を、悔いのないようにやってきなさい」
「……はい」
軽く背中を叩いてからポワールを解放すると、恥ずかし気に『行ってきます』とつぶやいて部屋から去っていった。
「……行かせてしまっても良かったのかしら?」
誰もいなくなったはずの室内から響く声。
「この声、まさか……」
窓の外から、風と共に綺麗な花びらが多量に舞い込む。と同時、そこへ人影が浮かび上がってくる。
「お久しぶりね、シャリテ。王宮近衛隊を脱退して以来だから、数百年ぶりかしら?」
「……おひいさま!?」
「今はわたくしが女王を継いだわ。御覧なさい」
姿を現したのはエルフの女王レジーナ。額の『証』を見せてドヤッと胸を張る。
実はシャリテ、かつては王族を守護する立場にあり、まだ王女だった頃のレジーナとも関係が深かった。
「お、おひいさまが女王に……。では、女王は……」
「安心なさい。お母様は隠居してのんびり暮らしているわ」
かつての主君の崩御を想像してしまったのか、シャリテの顔が青ざめた。
しかし、イースラントの王位継承は死ぬ前に行われる。故に、前女王はまだ健在である。
「それよりも問題は貴方よ。貴方自身は分かっていると思うけど、それは病気などではないでしょう」
「……おひいさまが幼い頃でしたから、もはや覚えておられないと思いましたが」
「目の前でわたくしをかばったのよ。覚えていない訳が無いでしょう。ハッキリと覚えているわ。敵の魔族によって、呪いが刻まれる所を……」
シャリテはその時の影響で身体を蝕まれ、五体を満足に動かせなくなってしまった事で近衛隊を引退した。
その後は戦いとは無縁の穏やかな暮らしを求め、各地を彷徨った果てにこの里へたどり着いた。
やがて出会いもあり、ポワールを産むに至ったが、父親であった人物は呪いの伝染により既に死亡している。
「この呪いの影響で、夫も亡くなってしまったわ。もしかしてポワールも……そう思っていたけど」
「わたくしに言われるまでもなく、既に知っていたのでしょう? さっきのあの子が、実はポワールではないと」
「えぇ。記憶喪失を装った所で、本能レベルの部分までは誤魔化せないわ。些細な違和感で充分だったわ」
「にもかかわらず、咎めるでもなく追及するでもなく、今の今まで娘のフリを許していたのは何故か聞いても良いかしら?」
「だって、あの子……。悪意が全くなかったんですもの。私にはわかるわ。あの子、ポワールの思いを背負ってるわ」
シャリテは現場を直接見た訳ではないものの、娘が既に故人である事は察していた。
里の外の森は時に死人が出る事もある危険な場所。娘は、そんな場所へ度々薬草を取りに行っていたのだ。
大怪我と共に記憶喪失で帰ってきた娘を見た瞬間、不思議と彼女はそれを感じ取ってしまった。
「……母は強し、という事ね。やはり、貴方はあの頃から変わっていないわ」
レジーナはシャリテの額に人差し指を添えると同時、己の額の『証』を光らせた。
直後、シャリテの中で蠢いていた禍々しき呪いの力が消え去ってしまった。
「女王になって、やっと恩返しが出来た気がするわ。穏やかに生きるも、再び戻ってくるも、お好きになさい」
かつて自身をかばってくれた恩人を呪いから解放し、女王は来た時と同じように花吹雪と共に姿を消した。
「おひいさま……」




