182:取り除かれた闇
「良く分からない事になってる?」
「えぇ、何と言うかモヤがかかったような感じで記憶が薄れているというか」
自分でも良く分からずスッキリしないのか、こめかみを抑えるハル。
「あぁ、それはおそらく副作用だろうね」
ずっと俺が聞き役に徹していたが、リチェルカーレが話に参加してきた。
「……副作用?」
「さっきキミの変身を解除した時、ついでに闇の力も吹っ飛ばしておいたんだけど、その力が精神に作用していた場合、影響がね……」
「つまり、洗脳状態を解いた事で洗脳中の記憶がぶっ飛んでしまったという事でいいのか?」
頷くリチェルカーレ。言われてみればこれまた良くあるパターンだな。
敵に捕えられても情報を渡さないよう、精神操作されている者の状態を解くとその間の記憶を失ってしまうというやつ。
これでは相手側もすぐに情報が得られないため、敵はその間に撤退したり、次に向けた行動に移る事が出来る。
「けど、そんなのはアタシの知ったこっちゃない。えい」
「はぅっ!?」
ズブッとハルの額に刺さる指。リチェルカーレの人差し指が、第一関節辺りまで入り込んでしまった。
「記憶ってのはちゃんとここに蓄えられてる。失ったように感じられても、それは実際の所ただ封印されているだけに過ぎない」
「あっ、あっ、あっ……」
おいおい、ハルの奴なんかヤバい事になってないか……? 表情が虚ろだぞ。
昔、何処かのマンガで見たような光景だが、これはもしかして脳を直接いじってるのか?
「はっ!? 思い出したわっ!」
リチェルカーレが指をスポンと抜くと同時、額の穴が瞬く間に塞がり、ハルの目が輝きを取り戻した。
「そうよ。あの時、シンと名乗ったあの男が私の頭に手を乗せて――」
・・・・・
「君に素晴らしき闇の力を授けよう。偽りの勇者の力で塗り潰された、本当の君の力を引き出すんだ」
偽りの勇者の力――それは、元々異邦人が持つ才能を塗り潰されて与えられる出来合いのものでしかない。
そして、その力は召喚した者達の願いに比例して与えられる。故に、願いがささやかであれば勇者の力もささやかなものとなる。
ハルが与えられた力は『国内の治安を維持する』レベルのものであり、勇者としては実はそう大した事が無いものだった。
彼女は闇の力を与えられた事で自覚する。自身がもし普通に召喚されていたら発揮していたハズの能力が、既に己の中に芽生えている事に。
無意識に力の使い方を自覚し、同時にその力を使ってみたい衝動に駆られる。これもまた、闇の力によって増幅された好奇心だった。
「君の中に芽生えた能力は自覚できたかい? 早速それを見せてくれるかな」
ハルの得た能力は『変身』。ライトノベルのせいで変わってしまった環境。周りから変にいじられる状況から脱したい。
いっその事、自分そのものを別物に変えてしまいたい。そんな彼女の深層心理を反映して目覚めたものだった。
彼女は既にこの時点で、闇の力の影響によって『シンの言葉に対して逆らう』という選択肢が脳内からすっかり消え去っていた。
「我らの目的は『世界の混乱』だ。君の能力は、まさに混乱を引き起こすに相応しい能力だ。存分に役立ててくれ」
能力を見たシンが、早速その能力をフルに活かせる内容の『指令』を発する。それが、潜入だ。
今の彼女にとってシンから下された指令は、得たばかりの能力を早速試せる絶好の機会として感じられた。
しかし、ここから彼女は本格的に道を踏み外して行く事になってしまった……。
・・・・・
「最初はとある小国の政治家の秘書となって、周りと戦争を行う方向へと仕向けたわ。それからも、いろんな陣営を転々としてた」
「ちょっと待て。今までの潜入任務って、トータルでどれくらいの時間に渡って行っていたんだ?」
「そうね。最初は三年くらいかな。次が八年で、その次が五年……で、今回は三十三年ね。エルフは気が長いから、思考を曲げていくのに苦労したわ」
おいおいマジかよ。およそ五十年にも渡って潜入任務をしてたって事か。
にしては、姿が若々しいな。召喚された時の、学生の状態を維持しているかのようだ。
「……って、私そんなに長い間潜入任務やってたの!?」
「自分で言ったんだろ。自覚が無かったのか」
「全く無かったわ。たった今自分で口にして驚いたわ。私、そんなにずっと……疑問も持たずに?」
年単位の潜入なんて、そりゃあ普通の精神状態で出来るような事じゃない。
心が壊れている状態に陥るか、洗脳でも施しておかないと、最後まで保たないだろう。
「で、姿が若いままなのは何故だ? まさか、変身している間は成長が止まるとかそういうパターンか?」
「言われてみればそうね。どうして私は召喚された当時のままの姿なの……?」
教えてリチェルカーレ先生……とばかりに、俺達二人が視線を向けると、待ってましたとばかりに解説を始めてくれた。
「勇者召喚は基本的に召喚時の姿のまま固定されるんだよ」
「「そーなの!?」」
衝撃の事実。勇者召喚されていない俺はともかく、勇者召喚された当人も驚いている。
「ミネルヴァ様に聞いた話だけど、勇者召喚された人間が元の世界に帰る際、向こうでは一秒も経っていないらしいよ。あくまでも向こうの世界の一瞬を切り取って、こちらでその一瞬を引き延ばしているとか」
「一瞬の引き延ばしか……まるで夢みたいだな。夢の中で何年もの時を過ごしていたけど、実際は数時間しか睡眠していなかったって例を思い出したよ」
「上手い例えだね。勇者召喚は、いわば向こうの世界の人間が一瞬の間にこちらの世界で長期間過ごす夢を見ているようなものだ。幾年過ごしても一瞬だから肉体が成長しないんだよ」
「ちょっと待って、それじゃ困るわ。私は向こうの世界を捨ててこっちへ移りたいのよ。向こうの一瞬を切り取った……なんて話じゃ、私が向こうに戻ることが前提じゃない」
「その点は安心していいよ。こちらの世界が気に入って永住を希望する者は、必ず何人か居るからね。そういう場合はちゃんと『こちらの世界の住人』になれるようにしてもらえるよ」
ホッとため息をつくハル。そんなにル・マリオンへ永住したいのか……。
ライトノベルの件以外にも様々な『嫌』が溜まりに溜まって、爆発してしまったんだろう。
自分の場合は既に向こうの肉体が死んでいるから、早くも永住は確定しているのだが。
(……向こうの事で、気になる事は少々残ってはいるけどな)




