178:悪あがきの代償
「うぅ……こ、ここは……?」
目覚めたハルは、自身が寝転がされ、その身をロープでぐるぐる巻きにされている事に気が付いた。
「え、嘘……なんで……」
さらに、景色が先程逃亡を図ったハズの場所に戻っている事に気付く。
今のハルには、空間の中から引きずり出されて地面に叩きつけられる過程の記憶が無かった。
そのため、まさか自分の空間転移による逃亡が阻止されたなどとは思いもしない。
(まさか、転移の宝石が発動しなかった……?)
ハルを含む『邪悪なる勇者達』の一員に等しく支給されている魔術道具の一つ、転移の宝石。
序列上位の魔導師が作ったもので、内に空間転移の術を封じており、外から魔力を込める事で発動できる。
ただし使用は一度限り。ダーテ王国において、ガードンこと浜那珂蓮弥もこれを用いて逃亡を図った。
(いや、あの方が作ったアイテムで失敗作などあり得ない! たぶん私が焦ったから起動しなかったんだ……。今度こそ!)
胸元へ忍ばせた宝石へ向けて魔力を集中させる。本来ならば、一定量の魔力を注いだ時点で術は起動を開始する。
しかし、集中させたはずの魔力は宝石へ流れ込む事は無く、己の身体の中を一巡するだけに終わってしまう。
それはつまり宝石が機能しない事を意味しており、内に封じられている術式がそこにはもう存在しない事を示していた。
(そうか。私は……)
自分は敵に銃を突き付けられた状態で宝石を起動させた――。ここに至って、彼女は少し前の行動をようやく思い出す。
縛られていた己の身に向けていた目線を外へ向けると、そこには先程まで彼女の対決していた男の姿や、他にも様々な者達が……
「……って、なに呑気にお茶してんのよ!」
彼女が目にしたのは、すっかりくつろぎムードで一服している敵対者様御一行だった。
「おぉ、やっと気付いたか。どうだ? 一緒にくつろぐか?」
ティーカップを片手に、シュークリームのようなものを口に放り込みつつ声を掛ける竜一。
しかし、ハルは答えない。と言うより、状況についていけてなかった。
「くつろぐ前に一つ。まずはエルフの里を混乱させてくれた不届き者には罰を与えないといけないね」
リチェルカーレが立ち上がり、ハルの前までやってきて屈み、顔を覗き込むようにしてニヤリと笑む。
傍から見れば可愛らしい少女の微笑みにしか思えないが、真正面からそれを見据えたハルには死刑宣告だと感じられた。
「……あの時大人しくしていれば知らないフリをしてやろうと思ったんだけど、悪あがきをしてしまったからね」
そっとハルの額に人差し指を突き立てる。指先に魔力の光が集中したかと思うと、ハルの身体が一瞬にして爆散した。
「うわ。いきなり殺ってしまうとか、初っ端から凄まじい罰を与えたな……」
「勘違いしないでくれるかい。アタシはただ、この子の『変身』を解いただけだよ」
爆散の勢いでモワモワと立ち込めていた煙が晴れると、そこに居たのは赤髪の魔法使いではなく、見知らぬセーラー服の少女だった。
背中に三つ編みの黒髪を伸ばし、丸い眼鏡をかけた如何にも文学少女と言った感じで、その表情には怯えの色が見て取れる。
「う、嘘!? この変身までも見破られるなんて、そんな……」
「随分と気弱になったね。それが本性かい?」
ビクゥッと目に見えて身体を震わせるハル。先程の強気な態度から一転、まるで蛇に睨まれた蛙の状態。
(おそらく、変身する事で意図的に人格をスイッチしていたんだろうな。まずはイメージから入るってタイプは居る)
竜一の指摘が示す通り、まさにハルはその典型だった。
「ご、ごめんなさい。何でもしますから、許して……」
「へぇ。『何でも』と言ったね? だったら異種族の相手もする風俗店で――へぶっ」
「エロオヤジか、お前は」
竜一がリチェルカーレの脳天にチョップ。彼女に代わって竜一が話を聞く。
◆
「見た所、君も日本人のようだが……本名を聞いていいか。ちなみに俺は刑部竜一と言う」
「おさかべ……何だか聞き覚えのある響きですね」
「俺としてはあまり聞かない苗字だと思うんだが、知り合いでも居るのか?」
「いえ。最近、テレビで見かけるようになった戦場カメラマンの方もそんな名前だったようなと思って」
どうやらメディアの出演で印象に残っていたようだ。こんな若い子にまで関心を持ってもらえたとは嬉しい限りだ。
とは言え、今の俺はこんな姿だから当人とは結びつかないだろう。さすがにこればかりは仕方がないな。
「最近、テレビで……?」
ちょっと待てよ。彼女が言う『最近テレビで見かけるようになった』とは、俺が本格的にメディア出演を始めた当時の事を言っているのだろう。
だとすれば、今の俺からしたら結構前の出来事だ。確かに俺は一時期、取材の資金稼ぎをするために多くメディアに出ていた。
しかし、既に充分な備蓄を得た俺は、数年前から戦地に居た。この子はおそらく、過去の時間軸から飛ばされてきたという事になる。
「あ、ごめんなさい。話が逸れてしまいましたね。私の名前は――」
俺が死んだ後の世界と言う『未来』からやってきた浜那珂教授とは逆パターンだな。
少なくとも異邦人は俺の少し前後の時間軸から召喚されている事が分かった。後は噂の『オダノブナガ』の件だな。
これがもし本人であるならば、ル・マリオンと地球間では数百年単位の時間軸を無視できる事になる。
「――影宮晴秘です」
ん? なんか聞いた事のあるような響きだな。初めて聞いた名前の気がしない。
「困惑が見て取れます。やはり、同じ国の人なら名前を聞いた途端にそういう顔になりますよね……」
ハル――改め影宮晴秘もこちらの反応を察していたような顔。
「よく言われるんです。晴秘と言う名前なのに、あのキャラクターと真逆で根暗だって。苗字も影宮で何か暗いって。別にライトノベルを意識して名付けられた訳じゃないのに。と言うか私の生まれた時ってまだその作品無かったし、一体どうやって由来にするの……?」
急に饒舌になり始めた。どうやら自身の名前に関して、色々と不愉快な思いをしてきたようで、言葉が止まらない。
「あの作品『憂鬱』ってタイトルに付いてるけど、憂鬱なのはこっちよ、全く……。いい風評被害だわ」
憂鬱という単語を聞いて思い至った。確か当時凄く話題になっていたライトノベル作品があったな。
言われてみれば名前の響きが良く似ている。その事で散々からかわれてきたのだろう、呪詛の如きぼやきが止まらない。
当人には当人の個性があるのに、何故かそれを否定して創作物のイメージを押し付けてくるのは迷惑だよな。
「落ち着け。話ならいくらでも聞いてやる。ここで全て吐き出してしまえ。ついでに、今に至る経緯も教えてくれると助かる」
「……わかりました。どうせもう戻れませんし、こうなったからにはとことん付き合って頂きますよ」




