173:封印したもの
『その、汚い手を……退けなさい』
『なにっ!?』
アルヴィさんが自らの顔を鷲掴みするディスターヴの腕を両手で握り込む。
同時に肉の焼けるような音がし、それに何か嫌な予感がしたのか、ディスターヴは慌てて腕を引っ込める。
しかし、引っ込めた腕は半ばから千切られていた。残った部分はアルヴィさんの手の内だ。
『やはり、魔族には抜群の効果のようですね』
アルヴィさんが立ち上がり、握り込んでいたディスターヴの腕を捨てる。
と同時に溶けて黒いゲル状の液体となり、土へと染み込んでいく。
『ちっ、聖性か……』
瘴気を糧にして生きる魔族にとって、相反する力である聖性は猛毒って訳だ。エレナもフィーラーにやってたな。
聖性の強さにもよるのだろうが、少なくともアルヴィさんの力は握り込んだ相手の腕を溶かす程か……。
『聖性を得る修練をしておいて正解でしたね』
まばゆく発光するアルヴィさん。彼女の視界に映るボロボロの手や足が瞬く間に癒されていく。
『自己治癒能力……それもかなり高レベルな。そうか、それがあるから先程の攻撃も受ける前提で動けたのだな。だが、それならば俺も――』
千切れた腕をもう片方の腕で押さえ、魔力を込めるが……何も起こらない。
『魔族は高い再生能力を有すると聞きます。何も対策をしていないとでも?』
『腕を奪った時に罠を仕込んでいたか。だが、ちょうどいい。片腕くらいハンデとして受け入れてやろう!』
ディスターヴが先程までとは比べ物にならない魔力を放つ。
『こちらの世界へ渡る関係で力を抑え込まれてはいるが、その中での全力を見せてやる』
力を抑え込む……そうか。弱っていなくても、そうすれば結界を超えられるのか。
『そういう事でしたら、私も全力で行きましょうか。幸い、憂いも無くなりましたし』
アルヴィさんも負けじと魔力を放出する。先程までの戦いが、明らかなる手加減だったと発覚する。
もしかして味方諸共にこの場から消し飛ばしたのは、全力で戦えるようにするため……?
・・・・・
結果から言えば、アルヴィさんの辛勝で終わった。現在の時点で俺達と一緒に居るんだから、勝ったのは当然の結果だな。
やはり聖性を宿した身体はディスターヴにとって猛毒だったらしく、相手に攻撃を当てても、相手の攻撃を受けてもダメージを受ける。
だが、そんなダメージを無視してでもアルヴィさんに少なからずの攻撃を通し、満身創痍の状態にまで追い込んだ。
『くくっ、最後の最後に良い戦いが出来た。後は使命を果たして散るのみだ』
『使命……まさか、さっき言っていた『つまらん任務』とかいう?』
『ご名答。本来ならば術式を組む所だが、もう一つ簡単なやり方があってな』
仰向けに倒れたディスターヴの身体から魔力が溢れる。先程の『全力』を上回る圧倒的なオーラ。
まさか、ここへきて抑え込まれている力とやらを解放したのか……?
『それは、命そのものを力として使う事……そうすれば、くくく……』
『貴方、まさか……!』
『もう遅い! 後は俺が死ねば発動する! ふははははは! はーっはっはっはっは!』
ディスターヴの身体がひび割れていくと共に砕け散り、同時に辺り一帯を揺るがす大爆発を巻き起こす。
とっさにバリアを張るアルヴィさん。二人の戦いでただでさえ荒れていた大地が、トドメとばかりに崩壊していく。
そして、衝撃が収まった時……奴が倒れていた所には十メートルほどの黒い穴が口を開けていた。
『やられた……っ!』
……悔しそうに歯噛みするアルヴィさんの思考が伝わってくる。
ディスターヴがやらかしたのは、自らの命を燃やす事で莫大な魔力を生み出し、その力で空間に穴を開ける事。
この影響で魔界の瘴気がル・マリオンに流れ込むのに加え、力の弱い者であればこちらへやってくる事も可能になってしまった。
幸いにも強大な力を持つ者を阻む結界までは壊せなかったらしいが、放置できる問題でもない。
『英雄様!』
『ご無事ですか!?』
『先程の大爆発は一体……』
力無くその場にうなだれていると、遠くの方から多数の者達が走ってくるのが見えた。
エルフの女性と犬の獣人の男性、ドワーフの男性を先頭に、様々な種族が入り混じった集団だ。
『さ、先程は窮地を救って頂きましてありがとうございました! エルフ族の至宝と対面できるなんて幸せです!』
『邪悪な者どもを一瞬にして消し去ったのみならず、同時に我らを安全な所まで転移させるその御業に惚れ惚れ致します』
『救援として賢者様の弟子が派遣されると聞いていましたが、いやはやさすがですな……』
次々にアルヴィさんへ礼を述べる人達。どうやらこの人達は先程まで地上で戦っていた人達らしい。
ありがたい事に、あのとき何が起こったのかを丁寧に説明してくれている。傍観者としては非常に助かるな。
味方ごと薙ぎ払ったのかと思っていたあの魔術は、実に器用な複合魔術の賜物だったという事だ。
『にしてもこの大きな穴は凄いですね。一体、どれ程凄まじい戦いだったと言うのですか』
『あっ、その穴は――』
不用意に穴へ近づいた犬獣人をアルヴィさんが止めるが、一歩遅かった。
『え? うっ、うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
犬獣人が穴の中に消えた。足を滑らせて転落したとかではなく、まるで掃除機にでも吸われるかのように引きずり込まれた。
『ラッカさん!?』
『ラッカアァァァァァァ!』
『貴方達まで行ってしまっては二の舞です! こらえてください!』
ラッカ――それが犬獣人の名前なのだろう。彼の名を呼び、穴へと駆け込もうとする二人。
しかし、アルヴィさんの魔術によって足を拘束されてその場に転ばせられた。
『それは魔界に通じる空間の穴です! 呑み込まれてしまってはひとたまりもありません』
『魔界!? それじゃあ、ラッカさんは……』
『今頃は魔界へと流れ着いている事でしょう。しかし、魔界は瘴気に満ちた世界。こちらの世界の者からすれば、空気そのものが猛毒――』
『で、ではラッカの奴は……』
アルヴィさんが首を横に振る。さすがに言葉にするのははばかられたか。
『この穴からは瘴気が流れ込み、時には今のラッカさんのように穴に落ちた者がこちらへやってきます。放置すればこちらの世界も汚れます』
『で、でもそれじゃあラッカさんは……!』
『ポルッカ……こらえろ。俺達じゃあ魔界へは行けない。だが、この穴を放置する訳にもいかない』
『……ゴジャさん』
ポルッカと呼ばれたエルフを諭すドワーフのゴジャ。ポルッカの肩に手を置くゴジャの手が小さく震えている。
冷静に意見を述べつつも、本音を言うならば彼も親友を助けに行きたいのだろう。
『英雄様、お願いします。穴を対処できると言うなら、この通りだ』
頭を下げるゴジャ。それにつられるようにしてポルッカも頭を下げる。
『わかりました。ですが、今の私に出来るのはこの穴を覆い、隔離する結界を作るのみ……根本的な対処は出来ません』
アルヴィが疲労困憊の身を押して魔法陣を敷き、穴を包み込むようにして透明の球体を造り上げる。
直後、穴の中から勢いよく何かが飛び出してきて球体の壁面に激突。そのまま崩れ落ちるようにして再び穴の中へと落ちていった。
『今、見て頂いたようにあぁやって魔界の者がやってきてしまいます。それに――』
穴から紫色じみた煙のようなものが少しずつ漏れ出している。色合いからしてあれが魔界から漏れ出た瘴気なのだろう。
球体で囲まれているからか、拡散せず溜まっており視認がしやすい。これがこの先ずっと噴出し続けるとしたら、確かに大問題だな。
『……我々は、一体どうすれば良いのですか?』
『私が回復したら改めて結界を張り直します。その時まで、どうか結界を維持して頂ければ……。聖性を宿す力を結界に注げば、強度が増します』
『で、でしたらそれは私が……いえ、此度の戦いに参加したエルフ達の術者達でやらせてください!』
『だったら我々は監視と防衛だな。異常が起きれば知らせに走り、不届き者が近づけば追い払う役目を請け負おうではないか』
ポルッカが立候補する。遅れてやってきたエルフ達の仲間にも事情を説明し、結界の維持という役割を請け負った。
ゴジャも共にやってきた同種族の仲間達や、同じくともに戦っていた獣人達に話の内容を伝え、今後の方針を決めていく。
『ラッカの奴があぁなっちまったのは残念だが、俺達が何もしない訳にもいかないからな……』
獣人達は結界を維持するエルフや警護するドワーフ達のために物資を運んだり、伝令の役割を担う事にしたようだ。
最初はドワーフ達が走ろうとしていたが、獣人達の方が圧倒的にフットワークが軽いため、適材適所の人材配置となった。
……それから、約一か月の時が流れる。




