164:メイドさんが転んだ
「……あの、ちょっとよろしいでしょうか?」
「なんだ? 遠慮しなくていいぞ」
スゥが小さく挙手をして、申し訳なさそうにぼそっとつぶやく。
「何だか皆様方、分かったような感じで話を進めておられますが……どういう事なのでしょうか?」
そういや皆に説明していなかったな。この手の問題は縁がないと分かりづらそうだ。
俺は向こうの世界に居た頃、幸か不幸か日本国内で良くその手の話題を耳にしていたから察せたが。
「そうですね。細かく説明させて頂きますので、私の部屋へご案内いたします。続きはそちらで」
ラウェンの先導で里の奥へと進む。しかし、そこで――
「きゃっ!?」
セリンがコケた。両手を前に突き出しそのまま地面に倒れ伏す……それは見事なコケ方だった。
「……大丈夫か?」
「も、申し訳ありません」
手を引いて起こしてやる。初めて会った頃のようなドジそうな一面が再び顔を出したか。
久しぶりに再会した時は何処か雰囲気が変わったようにも感じられたが……。
◆
一方その頃。竜一達から離れた高い木の上に、一人の男エルフが陣取っていた。
「……何という事だ。あの女、よりにもよって人間を里へ招き入れたぞ」
『業腹だが、やむを得ぬだろう。あの魔導師、冗談抜きに森を焼き尽くせる力がある。敵対するのは得策ではない』
「人間共に余計な事を喋らなければ良いのだがな……」
口元と右耳に小さな魔法陣を展開しつつ、遠く離れた何者かと会話をしている。
遠くの者と会話できる魔術は世間的には割と高度な部類に入るが、魔術の素養が高いエルフ達にとっては基礎レベル。
決して里の者達の実力が低いわけではない。聖性云々を抜きにしても、人間でいう高位の魔術師に並ぶ。
『もし喋ったとしても、その時は我らで始末すれば良いだけだ』
「敵対するのは得策ではないのではなかったか?」
『上手いやり方ではないというだけだ。例え力を持つ魔導師だろうと、やりようはいくらでもある』
「了解した。では俺は引き続き監視を続け――ぐあっ!?」
『どうした!?』
通話先の者には見えぬ事であるが、男の右目を抉るようにして何か鋭いものが深く突き立っていた。
唐突に片方の視界が消えた男は同時に襲い来る耐え難い激痛に苦しむが、それでも何とか刺さったものを抜き取る。
「これは……果物ナイフ……」
『ナイフだと!? 一体誰がそのような……』
通話先の者が声を荒らげるが、男は冷静に言葉を返した。
「すまん。想像以上に傷が深いようだ。俺はもう、ダメだろ……う」
ナイフの刃全体が血に染まっている。これはつまり、根元まで突き刺さった事を意味する。
エルフの男は、眼を抉られるどころか脳に至る程の致命傷を負わされていた。
そんな身で相手に自身が何で攻撃されたかを伝え、別れの言葉まで述べられたのは、もはや意地だろう。
『……同志よ、すまぬ』
謝罪の言葉と共に魔法陣が消失し、同時に男の命も消失した。
◆
エルフの里を歩く一行……その最後尾。
「とりあえず監視は潰しましたが、油断は出来ません。貴方も何か気づいたら、対応をお願いします」
セリンは隣を歩くスゥのみに届く声量でつぶやいた。意図を察し、監視のいた方に目をやりつつ黙って頷くスゥ。
彼女が先程盛大にコケたのは皆の目を欺くブラフ。彼女はその際、密かに果物ナイフを投擲していた。
最大限のレベルで常に周囲を警戒していた彼女は、当然遠方からの監視に気付いており、頃合いを見計らって処理を試みた。
(他の皆様は気付いていなかった……? いえ、少なくともリチェルカーレ様は気付いていたはず。もしかして、対処を私に委ねた?)
彼女がそう思いを巡らせた時だった。当のリチェルカーレがこちらへと振り向き、パチリとウインクしてみせた。
(恐ろしい人です……。メイド長と同類の匂いがします)
接する時間はまだ短いながらも、他の者一線を画す彼女の恐ろしさを感じ取るセリンだった。
◆
俺達は巨大な樹の中をくり抜かれて作られた螺旋階段を上り、ラウェンの部屋にまでやってきた。
外からこの樹を見た時は、セコイアデンドロンが可愛く見える程の圧倒的巨大さとその迫力に息を呑んだ。
さすが異世界。かつて見たハイムケーレンなどと同様、あちらではまず見られない巨大さだ。
「ここは本国と通信する場所でもあります。会話が外に漏れる事はないでしょう」
「そういう場所を選ぶのは良い判断だ。けど念には念を入れておこう」
リチェルカーレが指を鳴らすと、部屋中に彼女の魔力が満ちるのが分かった。
「防音をさらに強化し、盗聴や盗撮などの魔術を破砕する結界を上乗せしたよ」
確かに、外から見えない聞こえないという状態にしていても、中に仕込まれていたら意味がない。
要人のサミット開催前においても、会議室などはもちろん、談話する場すら徹底して検査を行うからな……。
戦いは既にこの場から始まっているといっても過言ではない。単に分かりやすく表に出ないだけだ。
「……ありがとうございます。そして、対面した際は高圧的な態度をとり申し訳ありません」
ラウェンが杖を置き、俺達に向けてしっかりと頭を下げた。
やはりそんな事だろうと思った。おそらくはそれが『協力する対価』なのだろう。
「里の者達は、本国から来た私に対しては非協力的でした。本国とは異なる辺境で暮らさざるを得ぬ不満が、長い年月をかけて蓄積していたようです」
「本国のエルフ達は同胞であっても本国の外に住まう者達を見下しているからね。エルフ同士での戦争も過去に幾度となく起きているよ」
「特にこの地は瘴気汚染の間近。闇の力をその身に宿すダークエルフに対する嫌悪感と同等のものを、この地の者達に抱いていたと聞いています」
ダークエルフも存在するのか……うむ。褐色の美女美少女達もアリだな。
「ダークエルフはあくまでも『闇属性』に長けたエルフであって、瘴気で汚染されたという訳ではないのですが……」
「残念ながら一部のエルフ達は闇の力をそのように見てしまっております。光の適性が強い事からくる反目の意識が根強いようです」
「私も光側に身を置く立場の神官ですが、闇側に対してそのように見た事はないですよ。誰かが思想を植え付けたのでしょうか」
エレナの言っている事は正しい。人は割と単純に思想を植え付けられてしまうものだ。
本国のエルフ達の闇に対する差別意識、辺境のエルフ達による本国のエルフ達に対する不満。
こう言った思考が急激に広がっていくような時は、必ず陰に思考を誘導する者が居る。
「さっき、ここが本国と通信する場所と言ってたね。アルヴィと通信する事は可能かい?」
「もちろんです。私にとっての本国との通信とは、言うなれば師匠との定時連絡の事ですから」
「だったら、繋いだ際に『ドロモスの森の事を覚えているか?』って聞いてみなよ。普段とは違う師匠の一面が見られると思うよ」
「……? わかりました。お尋ねしてみます」
ラウェンが部屋の隅にある装置に手を触れ、何やらカタカタと操作し始める。
すると、装置の上に魔力で作られた球体が展開し、ザザッとノイズが走り……人の顔が映し出された。
白いローブをかぶった美しい女性だ。耳は見えないが、さっきの話からして、この人が例の『師匠』なのだろう。
『あらあら。定時連絡以外で繋いでくるなんて珍しいわね。どうしたの、ラウェン? もしかして、国が恋しくなりましたか?』
「唐突に申し訳ありません。師匠、お尋ねしますが……ドロモスの森の事を覚えておられますか?」
何と言うかいかにも『保護者』って感じのおっとりした口調だな。そのにこやかな笑みは、まるで娘を愛でる母。
ラウェンもそんな扱いに慣れたものなのか、師匠の言葉をスルーして早速リチェルカーレの言っていた事をぶち込んだぞ。
『ドロモス……。あ、貴方! 一体それを何処で!?』
にこやかな笑みから一転、くわっと目を見開いて叫ぶラウェンの師匠。魔力の球体にドアップで映るくらい顔を近づけてくる。
球体の画面に顔が映るものだから、顔が変に広がって見えて、申し訳ないが笑いそうになる。せっかくの美女が……。
「え? あ……。じ、実はこの方が……」
師匠の迫力に圧倒されたラウェン。リチェルカーレと選手交代する。
「や、久しぶりだねアルヴィ。元気してたかい?」
『その口調、その姿……。ま、まさか……? ヒィィィィィィィッ!』
「し、師匠おぉぉぉぉぉぉーーー!?」
おいおい、画面の向こうで師匠が倒れたぞ。ムンクの叫びみたいな顔になってる……。




