163:エルフの里へ
――アルヴィース・グリームニル。
かつて存在した、魔導師史上最大最強の存在にして伝説と謳われる女性、賢者ローゼステリア。
彼女の下には数多の弟子志望が集ったが、その中でも彼女に連なる最強の一角まで育った十二人の弟子達が存在する。
アルヴィースはその中の一人だった。その実力たるや、歴代でも間違いなく五指に入るであろうものだった。
ローゼステリアは数百年前に隆盛を誇った存在である。彼女を含め、弟子達の大半は人間だった。
故に長い年月と共に歴史から姿を消し、伝説として語られるのみとなったが、アルヴィースだけは違っていた。
十二人の中で唯一のエルフ。長命種であるが故に、今の時代においても当時の姿のままで生きている。
・・・・・
俺はそんな感じの説明を聞かされた。どうやらアルヴィース・グリームニルなる存在は相当な大物らしい。
伝説の渦中に居た存在であり、今もなおその圧倒的な実力は健在。数多の魔導師からは魔導の最終到達点として目標視されているらしい。
エルフの中では当然の事、他種族からも英雄視されており、もし表に出てきたのなら何処の国でも国賓扱い間違いなしとの事だ。
「師匠は魔術の到達点の一つとして、自身が属性そのものとなる事で魔術に適応する秘術を編み出しました」
「そうか。それで炎の魔術を無効化したんだな。リチェルカーレ自身が炎となって……」
ラウェンは炎の魔術を解除し、敬愛する師匠の説明へとシフトした。さすがに相手を焼きながらのトークは難しいのだろうか。
今思えば、コンクレンツ帝国の時も同じ事だったんだな。自分自身の属性を相手の魔術と同一化して無効化してたのか。
「言うのは簡単ですが、秘術の習得難易度は至難極まりないものです。弟子の私でも未だに完全な習得には至っておりませんのに」
俺自身が炎になる事だ……って感じか。多少ばかり魔術の心得を教わった程度の俺には、やり方すら全く想像が及ばない世界だな。
一体どうすれば自分の身体をそういった属性そのものに変えられるのだろうか。俺の中の少年の心が疼く。いつかは学びたいところだ。
「そもそも、師匠は自身の秘術を表には出していないはず……。一体どうやって? まさか、独学?」
ラウェンが天を仰ぎながらぶつくさとつぶやいているが、少しすると口を閉じてこちらに向き直った。
「……興味が湧きました。森を焼こうとした挑発行為は腹立たしくはありますが、師匠を知る口ぶりや、師匠の秘術をマスターしている事など、気になる事の方が多くなりました」
「そう言ってもらえるとありがたい。森を焼こうとしたのはトップに手っ取り早く出て来てもらうための苦肉の策だったんだ。すまないね」
「お互い水に流しましょう。今思えば、私も自らの術で草原を荒らしてしまいました。木々はもちろんの事、草花もエルフにとっては大切な存在だと言うのに……」
「草花の事が気にかかるかい? それなら、エレナ。君にお願いしようか」
エレナが頷くと、水の魔術と炎の魔術で大荒れとなった草原……だった場所に立つ。
「アンティナート……アプリーレ。法力開放! 癒しの力をこの大地に!」
彼女が力を開放すると、目に見えて法力が揺らめくのが見える。癒しの力のはずなのに、畏怖すら感じる膨大な力だ。
その力を杖に収束させて大地へと突き刺す。ドクン、と大地が一つ脈打つような感覚と共に、荒れた地から次々と草花が芽吹く。
瞬く間に再生する草原。いや、元々の状態以上に成長を遂げる。草原の一角だけ、倍以上に成長して周りから浮いてしまった。
「なんと。エルフにも癒し手はおりますが、これ程の力を見たのは初めてです……」
・・・・・
ラウェンに連れてこられたエルフの集落は、俺が想像で描いていたものとほぼ同じだった。
森の木々そのものを改造した家、あるいは木々の隙間に組まれた家。横のみならず縦にも広がる集落。
高いところにある家へ上るためのハシゴが無いが、やはりあぁいうのは魔術が前提なのだろう。
「お招きしておいて何なのですが、エルフは排他的な一面があります。皆様に向ける目が冷たいのはご容赦ください」
「長老会議では別の里から来たキミが一番排他的で、周りが強くその影響を受けていると聞いたらしいけど?」
「人間達の間ではそのような話になっていたのですか。残念ながら、余所者である私は先住者達からは良い目で見られてはいませんよ」
そう言えば、森で自分達に対する攻撃を緩めた時も、門番のエルフが遠くから睨みつけているのが見えたな。
アレは俺達を睨みつけていると同時にラウェンの事も睨みつけていたのだろう。リーダーとして従いつつも不満がある感じだ。
新たに里のトップになったとは言え、やはり先住者達にとっては元々から居たトップこそが至上の存在なんだろうな。
「前の長はこの里で生まれ育った者です。本国出身のエルフがいきなり派遣されてきて、いきなり従えなどと言われても納得がいかないでしょう。私に従っているように見えて、裏では若者に上に立たれる事を嫌っている諸先輩方は少なくありません」
オフィスとかでもよくある問題だな。地方の支社へ本社の社員が赴任してきて大きい顔をされるのが気にくわないというやつだ。
ましてやそれが若者であればなおさらだ。地方で緩い仕事をしつつ高額の給料を手にしていた年配方からすれば目の上のタンコブでしかない。
そういう世代は『正しい在り方』よりも『自身の利』を優先する。そして、もしそれが汚されるならば、どんな汚い手も使う。
「……そもそも、何故余所者が長として派遣されてきたんだ?」
「既に知っていると思いますが、この里は結界の維持管理をするためにあります。しかし、近年この里にはそれが出来る条件を満たす者が育っていなかったのです」
知識人が居ないのかと思ったが、当時から書物で知識は受け継ぎ、それらを頭に入れているエルフ達は幾人もいるという。
ただ、新たな世代にそれらを行使できる素養のある者が居ない。ならば教育者が悪いのかといえば、そうでもない。
育て方の良し悪しの問題ではなく、封印の地より少しずつ染み出す瘴気による汚染が新たな世代を蝕んでいるのが原因らしい。
「既に瘴気によってこの国の汚染が始まっています。今はまだ人間に影響は少ないでしょうが、エルフは数ある種族の中で最も感度が高いのです」
「その感度の高さ故、趣味の悪い金持ちの間では奴隷エルフをモンスターや死刑囚達に襲わせてその様子を鑑賞する裏イベントをやっていたりするんだよ」
今このタイミングでどうでもいい豆知識をありがとうなリチェルカーレさんよ。とりあえずそれは覚えておこう。
ダーテの貴族の悪質な趣味を思えば、確かにそういうイベントがあってもおかしくはないが、論ずるのは今じゃない。
「そのため、胎内に居る時から瘴気の影響を受けてしまい、汚された身で生まれてしまうのです。それでは、結界の維持に必要な聖性を宿す事が出来ません」
「聖性を身に宿すためには清らかである事が必須。確かにそれは、瘴気に汚染されてしまった身体では不可能ですね。瘴気を宿す肉体に聖性は毒ですから」
「その通りです。法力の治療で体内から瘴気を消し去る事は出来ますが、聖性は『一度でも汚染された事のある肉体』を拒みます。この性質が非常に厄介なのです」
一度でも瘴気に汚された経験のある中古お断りとは、聖性ってのはまるで処女信仰みたいな力だな……。
事故や災害などで後天的に資質を失ったのならともかく、生まれた時から資質がないってのはやりきれないだろう。
つまり、今のエルフの里に生まれた者達は皆そういう者達ばかりで、結界の維持が出来ないという事なのか。
「結界は瘴気を阻む聖なる力で維持されています。故に、聖性を宿す者が定期的に力を注ぎ続けなければならないのです」
「里のエルフ達が全員ダメだと言うなら、今はラウェン一人でやってるって事か?」
「いえ。私一人では全然力が足りないので、皆様の力を借りています。借りた力に私が聖性を加えて使っています」
なるほど……。エルフの里に横たわっている問題が見えてきたような気がするぞ。
どうやら度し難き馬鹿共は、ラウェンではなく里のエルフ達のようだ。
俺達の世界でも根深く存在するような問題は、何処の世界でも同じようにあるらしい。
「エルフのプライドの高さは有名だが、どうやらこの里の者達はそれを勘違いしているようだね」
「はい。本来は『自らを精霊に最も近い者として誇るならばこそ、常に余裕であれ』という懐の深さと広き心を説いた教えなのですが……」
「他の種族を下に見て高圧的に振舞う事こそを余裕と思い込んでいる……と。これはこれは、本国に知られたら粛清ものだね」
閉鎖社会は人々の認識を歪ませる。本国を離れ小さな集落を形成したからこそ起きた問題だろうな。
最初から一人でも本国の管理者を置いて、本国のルールの下で活動させるべきだったのだ。




