149:閑話 天国から地獄へ、地獄から天国へ
『――最後に、今この演説に耳を傾けてくれている信徒の皆様に感謝の意を捧げます。精霊姫ミネルヴァ様の名の下に、幸あらん事を!』
ミネルヴァ聖教の総本山・レリジオーネ。
その地の象徴とも言える大聖堂で、今まさに現教皇ヴェーゼルによる演説が行われていた。
バルコニーに立つ教皇からは、広大なる敷地を埋め尽くさんばかりの膨大な人数の信徒を見る事が出来る。
地元の者はもちろん、演説を聞くためだけに遥か彼方からやってきている者もおり、その中には明らかに人間と異なる姿をした者達が居る。
美しい容姿と長い耳を有するエルフ。小柄だがガッシリとした体格のドワーフ。耳や手足に獣の特徴を持つ獣人。
他にも独特な姿をしている者達が混じっているが、皆が皆一様にしてその場に跪いて最後まで教皇の演説を聞いていた。
最後の一言が放たれると同時、信徒達がその場で一斉に立ち上がり、一斉に歓声を上げ始める……!
◆
「はっはっはっはっ! 実に愉快だ……。これだから演説と言うのは面白い!」
バルコニーから引っ込んだ教皇は、ソファーに腰を下ろし、ワインを片手に大笑いしていた。
その姿は、とてもではないが数多の人々から崇敬の念を抱かれる人物とは思えない。
「民衆達がこの私の言葉で一喜一憂している。異邦人の表現では『ちょろい』と言うのだったかな? 実に動かしやすい! 人間とは何と単純なのだ!」
その顔に浮かぶのは、大衆に向けていた時のような微笑みではなく、悪意すら滲ませる壮絶な笑みだった。
「なぁ、そうは思わんか? 愛しき『我が娘』よ……」
「はい。『お父様』の仰る通りでございます」
彼の対面に座る者が答える。美しい金髪を腰辺りまで伸ばし、白いドレスを纏った……まるで女神のように美しい女性だ。
彼女は教皇ヴェーゼルの娘であり、次期教皇でもあるエレファルーナ――と、人々から認識されている存在である。
「人々の象徴に相応しき美しさ、その立ち居振る舞い、愚民共を容易に動かす事が出来る話術……。かなり理想の『女神』に近付いてきているな」
「ありがとうございます。これも全て『お父様』のご指導と愛によるもの。これに慢心する事無く、今後も精進を続けます」
「殊勝な心掛けだ。では本日の『修練』と『調整』に移ろうか。我が娘として、次期教皇として相応しい力を身に付けてもらわねばな」
教皇は立ち上がり、娘の手を引き立ち上がらせると、その腰に手を回して別の個室へと入っていく。
そして間もなく、大聖堂と言う神聖なる場所には相応しくない嬌声が響き渡った……。
・・・・・
大聖堂はそこいらの城とは比べ物にならないほど巨大な建造物であり、聖堂を守るように三つの巨塔が立ち並んでいる。
聖堂の中央後方に位置する塔は教皇の領域とされ、高さも三つの塔の中で最も高い。全てを見渡せる最上部が教皇の私室とされている。
一方で聖堂の前方左右に位置する塔は教皇の親族がおり、現在は右が教皇の妻、左が教皇の娘の領域とされている。
「ふふ、ふふふふふ……。もうすぐ、もうすぐだわ……」
左の塔の最上部。教皇による『修練』を終えた娘がお腹をさすりながら、一人怪しげな笑みを浮かべていた。
「この調子なら、ミネルヴァ聖教が私のものになる日はそう遠くない。そうなれば、あの男も、あの男に与する者達も、全て……」
彼女は教皇の実の娘などではない。本当の娘は既に幾年も前に出奔しており、後継者は消失していた。
だが、そのような事を表沙汰に出来る訳もなく、やむを得ず身寄りの無い孤児などから、娘に似た者を拾ってきた。
拾われた娘は容姿こそ似ていれど、当然知識も教養もなく、ましてや次期教皇に相応しき力など全く無い。
そのため、教会によって、修練と称した娘にとっての地獄が始まる事となった。
力の許容量が小さいならば広げれば良いと、無理やり過剰な法力を注入され強制的に限界を伸ばされた。
身体的な負担はもちろん大きく、血管内に熱湯を循環させるが如き想像を絶する激痛が彼女を襲う。
様々な法術を知識として叩き込まれた後は、病人や怪我人をあてがわれて実戦訓練。
時には彼女自身を様々な手段で害して、自己治癒の練習をさせる事もあった。
総合的な実習として、モンスターや死刑囚などを対戦相手として戦わされる事もあった。
ある程度成長してくると、教皇の娘として共に外遊し、次世代の人々の象徴たる存在として印象付けが行われた。
また、調整と称して禁術や薬物なども用いられるようになり、表沙汰には出来ない非合法な手段でさらに能力強化が図られる。
さらに娘が年頃になってくると、教皇は直々の修練と称して性的な行為を強要するようにもなってきた。
「最初は教皇様に引き取られるなんて天国だと思った。でも、まもなくそれは間違いだったと気付いた……果て無き地獄に突入してしまった」
当然、自らの意思で死ぬ事なんて出来ようはずもない。彼女の周りには常に幾人もの神官が張り付いていた。
大聖堂に勤める者達ゆえ、戦闘能力はもちろん治癒能力も抜群だ。隙を突いて自らの喉を突いた事もあったが瞬時に治療された。
そして、過ちを犯した罰として壮絶な拷問を受けた事もあった。偽者とは言え、とても少女にするような事ではなかった。
「……けど、地獄の果てに私は再び天国を手に入れようとしている」
近年になって充分な教養を備え、大聖堂においても最強格の力を手にするようになり、世界が大きく変わった。
教皇ならぬ次期教皇の立場ですらも、大小様々存在する国々の代表達に対して上から意見する事が出来る程の権力を有していた。
人々が自身の言葉で動く。物を要求すればすぐにもらえる。権力の心地良さは、彼女から地獄の苦しみを忘れさせた。
苦痛極まりない修練の数々も、禁術や薬物による調整も、教皇による性的行為も、今の彼女にはぬるま湯のように感じられた。
市井の人々では想像も出来ないような途方もない権力と莫大な富が『たかがそれだけの事』をするだけで手に入るのだ。
もしあのまま孤児として育ち続けていたらどれだけみすぼらしい暮らしをする羽目になったのかと、もしもを想像して嘆くくらいだ。
「最初は激しく憎悪したものだけど、今では感謝すらしているわ……ありがとう、本物の娘さん。出来れば、二度と表には出てこないでね」
出奔した娘のせいで地獄を見せられた。だが、そのおかげで世界において最高とも言える立場を手に入れた。
今更になってこれを失う事の方こそ、今の彼女にとっては地獄だった。故に、本物が二度と表に出てこないのならそれで良かった。
「でも、もし表に出てこようものなら、私からこの立場を奪おうとでもしようものなら……私は決して許しはしない」
本物が表舞台に出てきて名乗りを上げたその時、彼女は女神の皮をかぶった悪鬼羅刹となりてその命を奪りに行く事だろう。




