148:エレナの素性
「……コホン。では、そのお話をする前に一つ伺いましょう」
咳払いと共に、改めて話を続けるエレナ。誤魔化したな。
「異邦人であるリューイチさんは知らなくて当然ですが、レミアさんはミネルヴァ聖教の現教皇の名前は御存じでしょうか?」
「現教皇と言えば、ヴェーゼル・フォン・アザマンディアス猊下ですね。私自身、直接お会いした事はありませんが、名前だけならば世界中の信徒が知るところでしょう」
「それを踏まえた上で、改めて名乗らせて頂きますね。私の正式な名前はエレファルーナ・フォン・アザマンディアスと申します。ヴェーゼルは父にあたります」
教皇と同一のネーム……か。想像以上の大物だな。まさか、教皇の娘とは。
「ちょっと待ってください。教皇猊下の娘――次期教皇と言えば、いつも猊下と行動を共にしておられるはずですが」
「あれは父が用意した影武者です。これから、私が本物の次期教皇である証拠をお見せします」
エレナがスッとその場に立つと、手を組み合わせて何やら祈り始めた。
「……アンティナート、発現。アプリーレ、第一門……開放」
彼女を包み込む鮮やかな緑色の法力が、呪文と共にくすんだ色となっていく。
まるで緑に黒を落としたかのようなその汚れた色は、聖なる力に邪悪なものが混じったかのようにも見える。
色の変化と共に彼女を包む法力はさらに力を増していくが、表情は苦しげなものへと変わっていく。
「これが、歴代の教皇の資質を持つ者にのみ伝わる秘術『アンティナート』です。これを扱える事が、本物である証拠となります。影武者には決して使えません」
「……とは言われても、正直良く分からんな。解説を頼んでいいか?」
「よし、アタシが引き受けてやろうじゃないか。エレナは今ので疲労しただろうから、休みながら話に加わってくれないか」
苦しげな表情が物語っていた通り、じわりと汗がにじみ、呼吸も荒くなっていた。
俺を召喚した時ほどではないにしろ、たったあれだけの事でここまで負担がかかるものなのか。
「アンティナートとは、簡単に言えば歴代教皇の力を保管しておくための倉庫みたいなものだと思って欲しい。次世代に相応しき者が現れた時、自動的に当代の力の大半がアンティナートへ取り込まれ、次世代へと移るのさ。そして、また新たな世代が現れた際、同じようにしてアンティナートは受け継がれる」
「って事は、それを幾度となく繰り返せば、アンティナートには歴代教皇の力がどんどん宿っていく……?」
「あぁ。ミネルヴァ聖教は歴史も長いし教皇の代替わりも多いからね。確か、エレナの代で二百六十六代目を数えたかな」
……まるで、この世界におけるキリスト教のポジションみたいだな。
「では、エレナは自身の力の他に、二百六十五人分もの教皇の力を扱えるという事ですか!?」
「……理論上はね。ただし、それだけの力の開放には到底エレナの身体が耐えきれない」
「そういやさっき何か苦しそうだったな。たった一人分を上乗せするだけでも負担が物凄いという事か?」
「いや、それは相性の問題だね。歴代教皇と言っても、実に様々な人物が居る。アンティナートに宿る力には、そう言った元々の力の主の影響が残っているんだ。例えば、悪意を抱えていた者の力だと、その法力の色は穢れてくすみ、発現と同時に吐き気を催すような気持ち悪さを覚える事だろう」
教皇にそんな奴が居るのかよ……。いや、教会が腐っているというのもお約束ではあるが。
「その、悪意を抱えている者と言うのが、他ならぬ私の父なのです。あの男は、教皇であるが故の権力と金に溺れ、欲望のままに動く俗物へと堕ちてしまったのです」
「聖人とすら称されているあの教皇猊下が欲に溺れた俗物……? エレナの言葉でなければ、即座に否定していたかもしれませんね」
「あの男は、表面的には民にとって理想の教皇を演じていますからね。私も正直、身内でなければと思いました。そういう部分を見なくて済みましたし」
「では、そんな立場のエレナが今ここに居るという事は……」
「出奔しました。逃げ出さなければ私もあぁなると感じましたので。まだ、まともな感性が残っているうちに離れたかったのです」
父親の思想に染まる前に脱出できたという事か。ジークの陥った状況とよく似ているな。
まだその場では父親及び、その旗下の者達を相手取るには無謀だったろう。
「そうか、さっき苦しんだのはそんな父親の力を使ったからだったんだな。だが、何故わざわざ忌み嫌う父の力を使うんだ?」
歴代二百六十五人の教皇の力が宿っているのであれば、その時々で適した教皇の力を使えば良いはずだ。それをやらぬという事は、何かしらの制約があるのだろう。
「アンティナートには制限があってね。力自体は宿っていても、その力を使うには『対象に関する深い理解』が必要となる」
「そりゃあそうか。いくら先祖とは言え、良く知りもしない人間の力を使うなんて出来るはずがないからな」
「そもそも、歴代教皇は全てが直系の先祖ではありません。時には資質ありと判断された者が身内以外に現れる事もありますし、歴史的資料が乏しく足跡を辿る事が困難な者も居ます」
あー、確かにさっき『次世代に相応しき者が現れた時』って言ってたな。必ずしも親から子へ受け継がれるという訳では無いんだな。
それもまた俺達の世界の宗教みたいだ。ただ、あっちでは謎の力による資質判断ではなく、投票で選ぶ形式だが……。
「故に、非常に不本意ではありますが、私はまだ父と祖父の力くらいしか発現する事が出来ないのです」
「その先の歴代教皇については、何も学ばなかったのですか?」
「父はアンティナートを宿していた身です。力の発現する条件も知っているので、私へ受け継がれた際に余計な力を発現しないようにその手の情報はすべて隠していました」
「出奔した後、神官として学ぶ過程でそういったものを目にする機会は……」
「父は自らに絶対の信仰を集めようとしています。故に、名声ある先代達の情報を封殺、あるいは誹謗中傷してそちらへ意識が向かないようにしています」
「そこいらの教会なら、上層部から『不適切な書物を回収する』とか言われたら逆らえないからねぇ。命令に逆らう者は信徒にあらず、無惨な末路を辿る事になる」
なるほどな。当代より優れた功績の教皇の存在が明るみになれば、信仰が分散してしまう可能性がある。
そう言ったものを潰しているという訳か。歴代教皇の出身地や、特別に恩がある地区は既に対処されていると見ていいだろう。
教会が世界的に幅を利かせている大権力と言うのもまたお約束だな。いずれは俺達とも衝突する事になりそうだ。
「……で、本題だ。あの時までそれを使わなかったのは何故だ? 王が言っていたな、最初から本気を出していればニヒテン村の犠牲も出なかったと」
「全ては私の心の弱さが原因です。あの教皇の娘である事が忌々しかった。一人の神官として、全て忘れてやり直したかった。アンティナートの存在は、嫌でも私の立場を思い起こさせるものですから……」
「貴方はそんな事で多くの人々を救えるはずの力を封印していたと――」
『レミア。言っておくけどアンタに言う資格は無いからね。ずっと私から目を反らし続けて力を封じて……似たようなもんでしょ』
辛辣だな、シルヴァリアス……。だが、確かにレミアも最初から本来の力を使えていれば、余計な犠牲を出さずに済んだ場面もあっただろう。
パートナーから投げられた猛毒の剛速球が直撃したレミアは言葉を続けられなくなってしまい、深く沈んでしまった……。
「出さなくてもいい犠牲を出してしまった事は、生涯をかけて懺悔を続けます。私が再び力を使う決意をしたのは、現教皇を討つためです」
「大きく出たな。その後は自分が教皇になって人々を導くつもりか?」
「いえ、私は教皇にはなりません。ミネルヴァ聖教そのものを終わらせます。欲にまみれて歪んでしまった宗教を再び元に戻すのは不可能でしょう」
確かに、腐りきってしまったものを元に戻すという事は至難……と言うか、無理だな。飲食物で考えると分かりやすい。
それならばいっそ、新しいものに交換してしまった方が早い。となると、エレナの考えている事は……。
「……もしそれで人々が拠り所を失うというのであれば、その時は私が新たな拠り所となりましょう」
想像以上に市井における宗教のウエイトは重い。それこそ、無くなったらもうどうしようもない程の依存者も居る。
そう言った者達の拠り所を破壊しておきながらそのまま放置するのは、エレナとしては見過ごせないのだろう。
当然の帰結だな。個人的な感想を言わせてもらえば……面白い事になってきた。




