143:聖女の資質
竜一達の城内突入を見送った死者の王は、見晴らしの良い位置に陣取り、外の様子を窺っていた。
(一切の非無き者は襲われる事なく逃げ出せる……か、我ながら何とも無茶な事を言ったものだ)
人間であれば、必ずと言って良い程に心の何処かに邪な気持ちを抱えている。
意識している範囲はもちろん、意識していなくても無意識に顔を出す事があるその感情は、完全な排除が極めて難しい。
故にこそ、極稀に現れる一切の汚れ無き者は聖人・聖女として崇められ、信仰の対象になったりもするのだが。
・・・・・
まず最初に王城内からゾロゾロと出てきたのは、外の事態を対処するために駆り出された城内の残留兵達だった。
竜一達と鉢合わせしなかった事は運が良かったのか悪かったのか、彼らは現場を見た瞬間に一気に気が重くなってしまった。
「うげぇ……。恐ろしい数のゾンビが徘徊してる。あれが全部、元々は俺達の同僚だったってか」
「確かに、あの鎧はうちの騎士団だな……。何だよ、相手はネクロマンサーか?」
「外の部隊には俺の知り合いも居たんだが、まさかこの中に……」
元々が同胞達である事。そして、不死の存在相手に白兵戦では分が悪い事などもあって、なかなか動く事が出来ない騎士達。
そんな状況に颯爽と躍り出たのは魔導師団達だった。魔術ならば、ゾンビを物理的に焼き尽くすなどで対処が可能だ。
「ふん、騎士団は大人しく見ていろ。我々魔導師団が、ゾンビなど焼き尽くしてやる!」
一斉に球状の炎が飛び、あるいは放射される。ゾンビ達は成す術もなく炎に包まれるが、魔導師達はある事を見落としていた。
炎に包まれたゾンビ達が、自分達に向けられた殺意――つまり悪意を感じ取り、一斉にターゲットとして魔導師達をロックオンしたのだ。
いくら炎の魔術と言えど一瞬で焼き尽くせるほどの威力でさえなければ、それまでの間ゾンビ達は問題なく動く事が出来る。
「う、うわあぁぁぁぁ! 燃えるゾンビが突撃してくるぞ!」
「それだけじゃねぇ! 上半身だけの奴らが別のゾンビに投げられて飛んで来やがる!」
「手が! 手が這い上がってくる……!」
瞬く間に炎に包まれてしまう魔導師達。そして、哀れにもそれに巻き込まれる騎士団達……。
ゾンビ達が燃え尽きるよりも先に、外へ出てきていた者達を焼き尽くしてしまった。
さらに、運よく原形を残して命を落とした者達はゾンビとして蘇り、死者の王の新たな手駒となってしまった。
◆
一方、別の出入り口に姿を見せたのはこの城の使用人達と思われる一団だった。
先頭を走っていた十数人のメイド達が、逃げ道を塞ぐように陣取っているゾンビ達を見て思わず恐怖に顔を歪める。
「きゃあぁぁぁぁぁ! なにこれ!?」
「ゾ、ゾンビよっ! 既にお城は敵の手に落ちているんだわ!」
「そんな! これじゃ逃げられないじゃない!」
ゾンビ達はメイド達の出現に目もくれず、騒ぐ声にも反応せず、ゆったりと敷地内を歩いていた。
だが、直後に起きたある出来事が、彼らの気を一斉に惹きつけてしまう事となった。
「ほら、出番よ。ピュルテ!」
「きゃっ!?」
釣り目で人当たりのキツそうなメイドが、肩辺りまで広がる茶髪が可愛らしい小さなメイドを突き飛ばした。
ピュルテと呼ばれた少女は踏ん張る事が出来ず、そのまま床に倒れ込んでしまう。それを見て、釣り目のメイドは満足げに笑う。
「前々から気に入らなかったけど、良い機会だわ! せいぜい私達が逃げる間の囮になりなさい!」
彼女だけでなく、他からもピュルテに対して暴言や野次が飛び交う。
何も口に出していない者達も若干数居るが、擁護する訳でもなく推移を見守るだけだ。
ピュルテはそれらに対し、特に何も言い返す事はせず、黙って言葉を聞いている。
「そう、それよ! 余裕のつもり!? ゾンビに食われてみっともなく悲鳴でもあげてみなさいよ!」
反応が無い事がますます気に食わないのか、さらに語気を強める。
そんな彼女の期待に応えるかのように、ゾンビ達は一斉にこちらを向いて歩き始めた。
間もなくピュルテの無惨なショーが拝めるのだと、釣り目のメイドは歓喜する。
……しかし、ゾンビ達はその期待を裏切った。
「ちょ、ちょっと! なんでよ!? どうしてその子を無視するの……!?」
あろう事か、地面に倒れたピュルテを完全に無視し、それを避けながらメイド達に向かってゾンビ達が歩いてきた。
「う、嘘でしょ……。こっちに来てる!」
このタイミングになってようやく自分達がターゲットになっているのだと気付き、決死の抵抗を試みる。
しかし彼女達が手に持っているのはとっさに手にした日用品がほとんどだ。トレイや食器などを投げても、ゾンビには全く効果が無い。
箒など棒状のものを手にしているメイド達がそれを振り回してみるが、痛覚の無いゾンビには当たった所でダメージは無い。
当然そんなものでゾンビの歩みを止められるはずもなく、ついには釣り目のメイドが手をつかまれてしまい、その場に引きずり倒されてしまう。
ようやく餌にありつけたとばかりに次々とのしかかってくるゾンビ達。仕留めた獲物に群がる獣達の如く、貪欲にその肉体を貪り始める。
腹を裂かれれば中身までも貪られ、手足に噛みつかれればそのままもぎ取られ、声をあげようとすれば口内にまで手を突っ込まれ、徹底的にその身を破壊される。
その間にも他のメイド達が同じような形で犠牲となっていき、ある程度まで食われた所で次々に同胞と化していく。
同胞と化した瞬間にゾンビ達には仲間意識が芽生えるのか、それ以上その者達が貪られる事は無かった。
ピュルテ以外の存在が全てゾンビと化すと、目的を見失ったように徘徊を始めるが、また新たな獲物が現れるとそちらへ向かって行く。
◆
(えっ、何? 何が起こっているの……? みんなが……!)
釣り目のメイドに転ばされた際に足を痛めたのか、倒れたまま状況の推移を見守るピュルテ。
何故か自分を完全に無視し、他のメイド達に手をかけている光景を目にして、彼女は悲しみに暮れた。
(どうして? 私が犠牲になれば、みんな助かったのに……)
『では、我がその疑問に答えて差し上げよう』
いつの間にか彼女の横に出現していた、死神とでも形容すべき不気味な衣装を纏った骸骨。
「し、死神……さん? わ、私が犠牲になりますから、どうか城の人達は……」
『お嬢さん。君はあの者達から自分達だけが助かるための生贄として突き飛ばされたのだぞ? 恨んだり憎しんだりはしないのか?』
「あの人達はただゾンビが怖かっただけです。助かるために最善を尽くす事は、何も悪い事ではありません」
『……そのために、君が無惨に殺される事になったとしてもか?』
「はい。誰かのために死ぬ事が出来たのであれば、それは充分な成果でしょう。未練はありません」
一切躊躇う事無くそう言い切ったピュルテに、骸骨――死者の王もさすがに絶句する。
(……狂っている。どういう経緯を経ればそんな思考に至るというのだ? だが、面白い存在だ)
王は屈みこんでピュルテを抱き起こし、足の治療をしてから目を合わせて語り始める。
『ゾンビ達は闇の存在であるため、聖なる者を嫌う。君はまさにそれだ』
「聖なる者……私が?」
『本来、聖性とは上位存在が有していたり、神官を志す者が厳しい修行の果てに得るものだが、稀に潜在的な形で有している者も居る』
竜一を召喚したミネルヴァや、帝国で姿を見た精霊などが、ここで言う『上位存在』に該当する。
厳しい修行の果てに得た者は言わずもがなエレナであり、彼女の弟子となったアニスやクラルもやがてその領域に至るだろう。
『心に一切の邪心が無い……それこそが天然の聖性を宿す者。聖人、聖女と呼ばれる者だ』
「邪心が、無い……? 聖女……? そんな、私は……」
『皮肉なものだな。仲間のために犠牲になろうと身を挺したのに、その精神がゾンビに嫌われるとは』
ゾンビ達に対して恐怖の一つでも抱いていれば良かった。メイド達に対して恨み辛みの一つでも抱いていれば良かった。
それだけで、邪念を察知したゾンビ達は喜んで襲ってくるだろう。しかし、ピュルテには一切それが無かった。
『物は試しだ。そこに居るゾンビに触れてみるがいい』
そう言って死者の王が指し示したのは、さっきピュルテを突き飛ばした釣り目のメイドだった。
無惨に腹は裂かれ、臓物を垂らしながら千切れかけた腕をぶらぶらさせている。目は虚ろで、口も顎が外れたように大きく開いている。
あまりの惨状にピュルテも「ひっ」と声を漏らしたが、恐怖より憐憫が勝ったのか、可哀想なものを見るような顔となった。
『ギャアァァァァァァァァ……』
死者の王に促されるようにしてメイドのゾンビに触れると、その箇所が焼かれたように煙を噴き出し、ゾンビが唸り声をあげた。
『こういう事だ。死した者達にとって君は猛毒、いくら身を晒そうとも決して食おうなどとは思わぬよ』
メイドゾンビの悲鳴を合図としてか、ピュルテの周りがサークル状に避けられて大きなスペースが出てきてしまった。
『さて、いつまでも遊んでいる訳にもいかんな。そろそろ行かねば――』
「え? あ、その……」
そう言って、死者の王は強引にピュルテを抱きかかえると、ゾンビ達を全て闇の中へ沈め、最後に自身も闇の中へと沈んでいった。




