135:第二の男
その場に居合わせた一同は、莫大な法力によって完全に浄化された清浄なる世界の輝きに目を奪われ、言葉を失いしばらく立ち尽くしていた。
瘴気に包まれていた時とは目に見えて違う空気すらもが煌めくその光景は、まるで巨悪が討たれ平和が訪れた世界のようですらある。
一つ呼吸をする度に身体を駆け抜ける爽快感。一つ呼吸をする度に身も心も癒される感覚。それは、例えるなら世界中が治癒魔法で包まれているかのような……。
「はっ!? それで……どうなったんだ?」
『良く見ていろ。今から奴を解き放つ』
「いいのか……?」
癒しに身を委ねていた竜一が我に返る。そして、死者の王が結界を砕いた途端、フィーラーが吠える。
『ふははははは! 余裕のつもりか! 我を解放すれば、再び瘴気を……瘴気……しょう……?』
かと思えば、急に黙り込む。
『……? 一片たりとも我を再構築する瘴気が集まらぬ、馬鹿な!? 本当に国中の瘴気を消し去ったとでも言うのか!』
『諦めるのだな。貴様はもう、詰みだ』
『ふざけるな! 我はまだ終われぬ! 我にはまだ使命が、それに……ホイヘルの奴にも負けられん!』
「あー、やっぱあんただったか、ホイヘルの対戦相手ってのは。安心しろ、ホイヘルなら既に俺達が始末したぞ」
『なんだと!? 奴はアレでも我がライバルとして認めるに相応しい実力者だぞ、それを――』
(実力者……か。確かに奴は、レミアが力を取り戻すまでは複数人がかりでも苦戦した相手だったな。そんな奴ですら『魔界から逃げ出してきた魔物』だと言うのだから、本当の魔族ってのは一体どんな強さなんだ?)
竜一がエリーティでの戦いを思い出す。あの時の彼は、完全に周りの存在におんぶにだっこであったと言える。
国を救うためにと召喚された存在でありながら、実際に自分がどれだけその過程に貢献しているのか。そんな事をふと考えてしまったが、フィーラーの叫びで我に返る。
『業腹だが、ここは退く!』
『やめておけ。言ったであろう。貴様はもう詰みだと』
『戯言を! 今更止めようとしてももう遅ギャアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァ!!!』
フィーラーが飛び去ろうとした瞬間、緑の光が一点に集中し、彼を輝きの中へと呑み込んだ。
『愚か者め。近隣一帯は既に法力によって満たされている。瘴気生命体である貴様がこの空間で生きていられるなどと思うな』
「消滅するまでにタイムラグがあったのは、王の結界で包まれていた部分はまだ普通の空気だったからか……」
『然り。喋っている間にも徐々に法力が侵食してきている事にも気付かず……敵ながら、何という間抜けな結末だ』
間抜けとは言うが、仮に敵が途中で法力の侵食に気が付いたとしても意味は無かった。
既に結界の外は国全域に渡って法力で覆われていたため、逃げ出そうとした所で同じように消滅するのみ。
エレナが円結界の術を完全に発動した時点で、既にフィーラーは詰んでしまっていたという事になる。
・・・・・
「良く分からんが……終わった、という事で良いのだろうか?」
「あ、あぁ。たぶんな。正直言って、俺っちには何が起こったのかサッパリわからないんだが」
状況についていけていなかったジークとステレットが、ようやくつぶやきを漏らす。
彼らの背後では、若い二人と同じ考えだったのか老騎士二人が腕を組みウンウンと頷いている。
『この子の事も含め、その辺はまた後程に話すとしよう。それよりもそこの者、いつまで隠れているつもりだ?』
王が壁に向かって短剣を投擲する。突き刺さると同時に景色が歪み、そこに今まで居なかったハズの者が姿を現す。
「ほぅ。私の隠形を破るとは……。アンデッドでありながら法力に満ちた空間で平然としていましたし、どうやら貴方はただのリッチでは無いようですね」
異世界には不釣り合いな紺のスーツ姿に、黒い撫で付け髪と眼鏡。その姿はまさに敏腕サラリーマン。
竜一は見た瞬間に確信を抱く。この男こそ、大公やフィーラーの背後で糸を引いていた異邦人――黒幕であると。
「ラスボスがやけにあっさり終わったと思ったら、やっぱ真ボスが居たか。はじめまして、先輩。俺は刑部竜一、あんたと同じ異邦人だ」
竜一は先んじて声をかける事にした。
「私が異邦人であると、良く分かりましたね……。いや、同じ異邦人なら何となく察せられますか。真ボスとは、上手い事言ってくれますね」
男は眼鏡を指でクイッと動かし、一瞬だけ眼鏡を光らせて言葉を続ける。
「はて、刑部竜一……? 聞き覚えがある名前ですね。確か近年にメディア露出が多くなった戦場カメラマンがそんな――」
「へぇ、ご存知とは光栄な事だ。もしかして、あんたも近い時代から召喚されたのか?」
「その反応、まさか本人? にしては容姿が……。いや、そもそも貴方は戦地で子供をかばって亡くなったハズでは」
「俺の死のニュースを知ってるって事は、少なくとも俺よりも後の時間軸から来たという事か?」
「そのようですね。どうやら、貴方より未来の地球から、貴方より過去のこの世界へ導かれたようです」
時間軸を無視した召喚が可能――。以前竜一が立てた推測は当たっていたという事になる。
「しかし、その姿は一体……。まさか、俗に言う『異世界転生』というものですか?」
「そうじゃない。俺はつい最近召喚された身だ。まだこっちでそんなに長く生きちゃいない。この姿は召喚時の特典みたいなものだ。むしろ、あんたこそ随分若く見えるが、その姿はどうしたんだ?」
竜一はこの些細なやり取りの間に確信を得ていた。男の顔に何処か見覚えがあったのだ。そして、その顔から正体も導き出せた。
「……どういう事です?」
「あんた。医学者の浜那珂蓮弥教授だな」
「っ! ……良く分かりましたね。まさか、初見で見抜かれるとは思っていませんでしたよ」
――浜那珂蓮弥。
元々の世界では医学者であり、近年に細胞学の分野で歴史に残る大発見をしてノーベル生理学・医学賞を受賞した経歴をもつ。
彼とその共同研究者による発見は、特に医学界における再生医療と創薬の分野において飛躍的な発展が期待されている。
竜一の知る限りでは五十代半ばを超えた男性であったが、今目の前に居る教授の姿はどう見積もっても二十代後半くらいだった。
「ちなみにこの姿は我が研究の成果です。夢の若返りも、この世界ならば可能となったのですよ」
「正直者だな。知らぬ存ぜぬで通す事も出来ただろうに、素直に認めるとは……」
「自身の名を呼ばれて否定するという事は、自身の存在そのものを否定するのと同じですからね。それは出来ません」
浜那珂教授は再び眼鏡を指でクイッと動かし、言ってやったぞとばかりにキメ顔を見せる。
竜一もその顔に釣られるようにしてニヤリと笑む。彼は正直、そういう考え方は嫌いではなかった。
その当時の浜那珂教授に関する資料を思い返す竜一。特集を組むために作った、彼の若い頃の経歴を載せた記事には姿もしっかり映っていた。
いま目の前にいる彼の姿は、まさにその写真の姿とそっくりだった。それを思い出すきっかけになったのは、大公の屋敷にあった研究室。
「大公の屋敷で行われていた実験。あれほど高度なものとなると、求められる知識も相当なハズだ。あんたの顔を見た途端、若き頃の浜那珂教授の顔を思い出したんだよ。見事に一致だ」
「私の若き頃の顔が浮かぶ辺り、貴方もなかなかに通ですね……。いやはや、驚きですよ」
「これでも戦場に専念する前は普通のジャーナリストだったんでな。ノーベル賞を獲るような学者のデータは若い頃の分も含めて調査済みだ」
「恐ろしいものですね、ジャーナリストとは。賞を得て有名になってからというもの、日々それを痛感させられていましたよ」
「だったら、ジャーナリストの恐ろしさついでにコレの恐ろしさも味わっておくか?」
竜一は一瞬で銃を召喚し、ためらいなく教授に向けて何発も発砲する。
同じ異邦人同士だからと親しげに会話はしても、根底の部分で相手は『敵』なのだという事を感じ取っていた。
「物騒ですね。しかし、貴方も薄々感づいているでしょう。この世界において、近代兵器などある一定以上の領域の相手には通じないという事を」
発砲音と同時、パシパシパシと軽く放られたボールをキャッチするかの如く受け止められる銃弾。
金属の塊であるハズの銃弾が拳の中で音を立てる事無く握り潰され、手を開くと同時に無残な形となって床に落ちて音を立てる。
「逸らないで頂きたい。さすがに勇気と無謀を取り違える程私はおろかではありませんよ」
右手を前に突き出して、さらに動こうとする竜一を止める教授。
『リューイチ!』
その瞬間だった。死者の王が背後から竜一の手をつかんで思いっきり引っ張った。
進もうとしていた彼は勢い良く引き戻され、直後――銀色の光が先程まで彼の立っていた場所を覆い尽くした。
レミアが竜一へ警告する間もなく、不意打ち気味にアルギュロス・キューマを放ったのだ。
死者の王による強力な障壁展開で今度は吹き飛ばされる事無くその場に留まる事が出来ているが、結界の外は暴風が吹き荒れている。
半分近くが崩壊していた王城だが、さらに崩壊は進み、コンクレンツ帝国の皇城の如く階上は全て消し飛んでしまった。




