134:エレナ、その力の一端
「王、知ってるか。誘拐は犯罪なんだぞ……」
『人聞きの悪い事を言うな。理由は後で説明する。それより今は、アレであろう』
フィーラーをビシィと指さして決め顔。顔は骸骨だが、付き合ううちに何となくどんな表情をしているのか察せるようになってきたぞ。
席を外していた際も何らかの方法で密かに監視を続けていたらしく、王は驚くほど的確に状況を把握していた。
もはやフィーラーは言葉を発する気も無いのが、結界の中でわずかに残った黒いモヤをゆらゆらと揺らしているのみだ。
『そういう事ならば話は早い。此度の鍵となるのはお主だ、エレナよ』
「わ、私ですか!? あっ、こんにちは……うふふ」
まさか自分に話が及ぶとは思っていなかったのか、結界を維持したままエレナが驚く。
しかし、王の抱えていた少女と目が合うとすぐさま笑顔に切り替え、軽く手を振って挨拶する。
対して少女の側は軽く会釈するのみ。気にはなるが、今はフィーラーの事が先だな。
『何を驚く事がある。瘴気を滅するのに最も適した力は法力。ここに居る中で最も強いのがお主であろう。ならば、お主が相応しい』
「と、とは言いましても一体どうすれば……」
『簡単な話だ。奴の身体となり得る瘴気を全て消し飛ばす、それだけだ』
「全ての瘴気って……この世界に一体どれだけの瘴気があると――」
「……いや、この世界全てじゃないぞ」
そう。俺は覚えているぞ。レミアに消し飛ばされた時、確かに奴は言った。
「『我はいわばダーテ王国を覆う瘴気そのもの』……つまり、奴の影響力が及ぶ範囲はこの王国内のみ。奴の能力の限界か、制限が掛けられているのかは知らないが、国外の瘴気は奴の対象外と見ていいだろう」
『それは間違いなかろう。コンクレンツ帝国に漂う瘴気は我が主が根こそぎ吸い上げたからな。もしそれも奴の一部だとするならば、今頃無事では済まぬだろう』
根こそぎ……あの黒い玉の事か。リチェルカーレが居たらフィーラーも手っ取り早く消せるんだがな……。
本当のピンチならすぐにでも現れるだろうし、このタイミングでもなお現れないという事は、現状は彼女が居なくても対処できるレベルという事か。
『さて、エレナよ。早速だが、円結界を展開してもらおう。可能な限り大きく、全力でな。その間、我が代わって奴を拘束しておこう……』
王が手をかざすと、フィーラーを隔離する結界ごと包み込むようにして、より大きな結界が現れる。
同時に元々エレナが作り出していた結界が割れて出番を終える。どうやら円結界とやらの展開に集中するようだ。
「……わかりました。やってみます」
エレナが杖を床に立てると、そこから淡い緑色の法力が溢れ出し、円が広がるようにしてその範囲を拡大させていく。
なるほど、文字通り円結界だな。結界は室内を飛び出し、さらに面積を広げていく。開けた所から外を見てみるが、もう円周の端が見えない。
いったいどこまで広げたんだ? まさかとは思うが、フィーラーが広がっているこのダーテ王国を丸々包み込むつもりか……。
『ふむ、やはり神官としては規格外のようだな。そろそろ三分の二に達しようかという頃合いだ』
「う、くっ……。どうやらこの辺りが限界のようです。これ以上は、維持が……」
エレナが片膝をつく。あんなに疲れた姿を見るのは、俺が召喚されて初めて姿を見た時以来だな。
『限界? 我は先程『全力で』と言ったはずだが?』
「ですから、私はもうこれ以上は……」
『ふははははは! この期に及んで往生際の悪い娘だ。まだ我を誤魔化せるとでも思っているのか』
「い、意味が分かりません……!」
『ならば、わかりやすいように言ってやろう』
限界を主張するエレナと、その主張を否定する王。俺は二人の事を未だ詳しく知らないから、どちらが正しいのかは分からない。
だが、直感で俺はエレナの必死さが駄々っ子のように見えてしまった。戦地で見たから知っている。本当に限界に達した人間はあんな元気に言葉を返せない。
彼女の言葉は、まるで踏み込まれたくない場所を感情に任せて守ろうとしているかのような、そんな弱い女性の部分を感じさせるものだった。
『――アンティナート』
「!!」
エレナの表情が凍り付く。余程の禁句だったのだろうか。
「……どうして、それを?」
『さぁて、どうしてだろうな?』
「ふざけないでください! それは、それは、門外不出の……!」
『ふん、自白してしまうとはまだまだ若いな小娘よ。お主は何故門外不出であるハズのものを知っている? 当事者しか知らぬ事だぞ?』
「っ!」
『本当にそれを知らぬ者なら、そのような反応はせぬ。残念ながら、駆け引きは下手のようだな』
ギリッと歯を食いしばるエレナ。こんなに追い詰められた表情をした彼女を見るのは初めてだ。
『一国の命運がかかっているのだぞ。お主のワガママで滅ぼすつもりか。そうやって、また守れたはずのモノを失うのだな』
王の容赦のない攻めは続く。「また」とはどういう事だ……。王は何を知っている?
『そもそも、お主が最初から本気を出していれば、ニヒテン村の無駄な犠牲も出ていなかったのだ。あの地獄の光景を思い出すがいい』
エレナに言ったつもりだったのだろうが、俺もあの村の光景を思い返していた。
元々の世界でも見た事のないような、一人一人に対して念入りな悪意をもって徹底的に暴力の限りを尽くされた人々。
兵器による事務的な数減らしのための殲滅では見られないような、ドス黒い不快なものを感じる現場だった。
「うぅぅぅぅ……。ア、アプリーレ!」
空いた右手を胸元に当ててその言葉を口にした瞬間、彼女の内から湧き上がる法力が目に見えて増した。
彼女を象徴するような鮮やかで薄い緑色だった力がくすんだような色になり、エレナの表情にも苦しさが浮かぶ。
「くぅ、やはりおぞましい……。これが、こんな汚れたものが神官の力であるなどと、私は……」
呪詛めいた言葉を吐きつつも、エレナの杖から伝わる力は勢いを増し、外へ外へとさらなる力が流れ込んでいる。
「何かに接触……。これは、別の結界?」
『ほほぅ。やはりこの国は結界に覆われていたか。どうやら奴は何者かによってこの王国内に隔離されていたようだな』
開けた空間から様子を見ていた俺もそれに気が付いた。広がっていた円結界が突然何かにぶつかるような音が響いてきた。
それが別の結界とやらか。王が言うように、フィーラーは何者かがこの国に閉じ込めていたとも解釈できるな。
「……突き破りますか?」
「フィーラーを閉じ込めていたであろう結界を壊しちゃっていいのか?」
「どのみちフィーラーは滅します。それに、瘴気を閉じ込めていたせいで王国内の空気は淀んでいます。外の新鮮な空気を取り入れないと……」
容赦のない一言が飛び出した。やはり神官、邪悪なるものに対してはシビアという事か。
『結界を突き破る……。お主にそれが出来るのか?』
「やります。もう一つ解放すれば、何とか……。っ、アプリーレ!」
再び同じ言葉をつぶやくと、エレナから間欠泉の如く法力が湧き上がる。美しき金の髪が緑色に染まって見える程の、極めて濃厚な力のオーラだ。
長い髪を逆立たせてなびかせるほどの凄まじい力は、本来癒しや守りが主体であるはずの法力を恐ろしいと感じさせる程のものだった。
その直後、遠方でガラスが割れるような音が響いた。目には見えないが、結界を砕いた音なのだろう。固形化した魔力って、割れるとあんな音がするんだな。
「……破壊しました!」
『よし、国を覆う結界を破壊した以上、円結界の範囲は既に国を覆い尽くすに達した。そのくらいで良いだろう。後は――』
「これで終止符を打ちます! 全ての者に慈悲の光を!」
空間全体に緑色の力が広がっていく……と言うより、世界全体が緑色に染まってしまった感じだ。
特濃の法力が結界内を満たす。何かに触れているような感触はないが、不思議と落ち着いた気持ちになれる。
地味に痛んでいた箇所がすっかり治まり、強行軍による疲労感も立っているだけで癒されていく。
どうやら展開している法力には治癒の効果があるらしい。これはあれだ、超広範囲のベホ〇ズンとでも言った感じか。
(これが本当の『癒し空間』ってやつだな……。しっかり睡眠をとった後のような心地よさだ)
数秒もしないうちに光は消え去り、再び映し出された世界は――輝いていた。
法力によって淀んだ瘴気の全てが取り払われた世界というのは、こんなにも美しかったのか……。




