131:父よあなたは弱かった
「良かった……。二人とも何とか生きてます!」
近衛騎士の二人が階下に落ちると同時に駆け出したエレナは、躊躇わずに自身も階下へと飛び降りてしまった。
さすがは神官。ヤバいと感じた瞬間には既に動いている。それくらいの勢いがなければ戦いの場で命を救う事など出来ないという事か。
間もなくして階下からの生存報告を聞いた俺達は、皆と頷きあって一斉に瓦礫で埋もれた階下へと飛び降りた。
俺も瓦礫の上に横たわる二人を発見して状態を確認する。双方とも生きているのが不思議なくらいの重傷を負っている……。
「ヴェッテさんは、腹部を右側から中程にかけてをざっくりと斬り裂かれています。信じられませんが、背骨で刃が止まっていました」
フェデルによる斬撃は、例え友であろうと敵対した以上はその命すらも刈り取るつもりで放った本気の一撃だったようだ。
確かに、俺が見てもアレは並の人間であれば背骨があろうと関係なく両断してしまえる程の鋭い一閃に思えた。
「おそらくは、その一瞬のみ全ての守りをそこへと集中させていたのでしょう。背骨全体……ではなく、斬撃を受けるであろうごくわずかなその部分のみに。強化を一点に絞り極限まで突き詰める事で、歴戦の騎士による決死の攻撃すらも止める最硬の盾を作り出した……そんな所でしょうか」
「……んな無茶な。言っちゃ悪いが、それがマジなら師匠は狂ってるぜ」
エレナの状況説明をもとに、レミアが戦闘を見ていた限りで考えられる事を語ってみせる。
彼女が言うヴェッテの『守り』というのは、ステレットが師匠に対してすら思わず「狂ってる」と言ってしまう程にとんでもないものだ。
重傷を負ってでも絶対に死なないために、たった一部分のみの守りを極限にまで追求するなどまさに狂気の沙汰だ。
相手の狙いが少しでもずれていたら一巻の終わりだ。気を纏っていない肉体など、熱を宿したナイフでバターを切るように容易いぞ。
「ヴェッテとフェデルはそれこそ幼子の頃から付き合いがあると聞く。もはや完全に以心伝心が成っておるのだろう」
敵が友であった相手ならば、もしかしたら土壇場で手心を加えてくるかもしれない――などと考えてしまってもおかしくはない。
しかし、友などとという領域を超えるレベルで相手への理解を完全なものとしていたからこそ、この状況でも確実に殺すための一撃を放ってくると確信出来た……いや、出来てしまった。
だからこそ、ヴェッテは躊躇いなくその一瞬に全てを賭ける事を決断できた。そして、フェデルも見事その期待に応えてくれた。二人の思いが見事に重なったからこそ、この奇跡は成されたのだ。
もしフェデルの斬撃が浅かったら、刃は硬い背骨にまで届かず、振り抜きを止められる事もない。普通に腹を斬り裂かれ、ヴェッテは臓物を撒き散らして無残に死んでいただろう。
「敵対する立場になってしまいながらも、決して揺らがなかった信頼……。人間関係の極みと言うものを見せられましたね」
「竹馬の友……というやつか。こればかりは重ねた年月がものを言う世界だな。俺にとっても、遥か先の高みだ」
実際の年齢で考えてみても、俺はまだ三十代半ば。五十から六十に達しているであろう老騎士二人と比べれば、半分ほどの人生しか歩んでいない。
彼らの決死の戦いを前に、修行や特訓ではどうにもならない領域がある事を酷く思い知らされる俺とレミアであった。
一方で、ヴェッテの応急処置を終えたエレナが、今度はフェデルの様子を確認する。
「フェデルさんは全身の鎧がぐしゃぐしゃになるほどの酷い状態です。しかし、心臓や脳などの致命的な部分に関してはダメージが少ないようです」
確か斬撃を入れた瞬間にヴェッテによって床に叩き付けられ、そのまま床を突き破って階下に落とされたんだったな……。
手足があらぬ方向に曲がっているだけでなく砕けているのが目に見えて分かる。質素な鎧が仇となったのか、全身へのダメージは大きそうだ。
「ヴェッテ殿と同じく、全身の多くを犠牲にしてでも急所の守りを優先したと言った所でしょうか。躊躇いなく実行できる辺り、さすがは歴戦の戦士です」
「師匠といいフェデルのおっさんといい、ほんと狂気じみてんな……。真似出来ねぇ……つか、したくねぇ……」
近衛騎士二人の荒業は、相手への信頼と同時、死んだら終わりという極限の緊張感によって成されたものだ。
死んでも蘇る事が出来る俺に、そんな状況下において極限の緊張感を抱く事が出来るのだろうか。
リチェルカーレによると、単に『死なない』程度ではどうにも出来ないような相手も居るらしいし、慢心は禁物だ。
「ヴェッテさんとフェデルさんはこのまま私が治療しておきますので、皆さんは先に王の所へ向かってください」
この場はエレナに任せ、俺達は再び上に登って王の私室へと踏み込む事にした。
・・・・・
扉を開いたそこに広がっていたのは、一言で言えば酒池肉林の宴だった……。
大きなソファーに丸々と太ったパンツ一丁の男が鎮座し、両腕に抱えられるようにして女性がもたれかかっている。
女性達が男の口元に食事や酒を運び、男は鼻の下を伸ばしながら次々と与えられるそれを堪能していた。
「いや、何と言うかこれは……」
周りにも沢山セクシーな格好をした女性がおり、男に向けて艶めかしいダンスを披露したり、歌ったり演奏したりして場を盛り上げている。
余談だが、酒池肉林という単語から肉欲の宴をイメージしてしまいそうになるが、実際はそんな意味は含まれていないらしい。
にもかかわらず、目の前の宴を見てその単語が浮かんでしまう辺り、如何に間違った印象のままで言葉が広がっているかが良く分かるな。
「ほーっほっほっほっ! もっと飲んでくださいませ王様! もっと騒ぎましょう王様! この世の全ては貴方のものでございますぞ!」
そんな女性達によって盛り上がる宴の中、一人だけ小太りで小柄な中年男性が両手にワインボトルを持って男を囃し立てていた。
王……って、アレがか? あの肉ダルマがこの国の王で、ジークの親父でもあると? 言っては悪いが、初見の時点で印象は最悪だな。
「父上! これは一体どういう事ですかっ!!!」
ジークが床を強く踏みつけると共に叫ぶ。そこでようやく、室内の一同がこちらに気付いたようだった。
「おぉ、これはこれは、王子ではございませんか。ささっ、王と共に宴を堪能下さいませ」
「ふざけるな! テュラン大臣、繰り返すがこれはどういう事だ!?」
「どういう事も何も、宴ですよ。王たる者、贅を尽くした暮らしを営むのは当然でしょう。王が豊かである事を示さねば、他国からも侮られますからな」
小柄な男――テュランと呼ばれた大臣が語る事も一理はある。相手に対する示威の意味でも、国が豊かである事を示すためにあえて贅沢するのだ。
国の頂点たる者がみすぼらしい暮らしをしていては、国全体が貧乏国だと舐められる事になってしまう。そのため、ある程度の余裕は見せておく必要がある。
しかし、ダーテ王のそれは、もはや豊かである事を通り越して底なしの欲望の沼に堕ちてしまった末路に見える。こんな姿を見て誰が羨むだろうか。
「父上! 貴方自身はどう考えておられるのですか!?」
「えぇい、うるさい! 余はやりたい時にやりたい事をやりたいだけやるのだ! 王たる者、この世の全てが余の物であり、全てが思い通りである!」
「立派でございますぞ、王よ! 王たる者、決して誰にも縛られない唯一無二の存在でなければなりません! 全ては王の思うままに!」
王が息子に対して吠え、それを大臣が全力で擁護する。なるほど、構図が分かってきたぞ……。
「父上……いえ、ゲシュルクト。既に貴方は欲望に呑み込まれてしまっているのですな。何と弱い、そして何と無様な姿であろうか。息子として出来るのは、もはやこれ以上生き恥を晒さぬように貴方を討つ事だけだ」
「余を討つ……だと? 誰に向かってものを言っている! 余は貴様の父であるぞ! 王に遠く及ばぬ未熟者の王子風情が何を意気がっておるか! テュラン、やってしまえ!」
「仰せのままに。さぁて皆さん、出番ですよ」
テュランがパンパンッと手を叩くと、宴に参加していた女性達が一斉にこちらへと向き直り、武器を構えた。
どうやら護衛も兼ねていたらしいな……。さすがに王の私室に守りが無いという事はあり得ないか。




