122:絶望の中に差す希望の光
憎悪を発露した途端、私の中に抑え込まれていた闇が溢れ出す……。闇は周囲の瘴気を取り込み、その力を飛躍的に増大させていく。
その代わり、全くもって身体のコントロールが効かない。醜く獣のように吼える自身の姿を、心の内から覗き込むという不可思議な光景。
これが、負の力の発現か……。今の私の身体を操っているのは、そういった力そのものという事なのだろうか。
「オォォォォォォォォォォォォ……! ガアァァッ! グゥオォォォォォォォォッ!!」
外の私が執拗にモーヴェを痛めつけている光景が見える。私がしたかったのは、果たしてこういう事だったのだろうか。
負の力は完全に私の身体を取り込み、続いて心まで浸食しようと、徐々に思考を犯し始めていく……。
私が王子によって命を絶たれた日。死者の王に思い残す事はないかを尋ねられ、一旦は家族が無事であるならば思い残す事はないと答えた。
しかし、モーヴェのような存在を残したまま逝ってしまっては、残された家族も安心して暮らす事など出来ないだろう。
そう思って、私はモーヴェを討つため改めて戦線に加わった訳だが、いざ奴と対峙した時、自分の考えが甘かった事を痛感する。
モーヴェは既に魔に堕ちており、家族も当の昔、奴と密約を交わした直後に手にかけられていた。
奴が憎い。そして、それ以上にあのような奴を信じて取引に応じてしまった、愚かな私自身が何よりも憎い!
溢れ出る憎しみが止まらない。敵、自分、そしてさらなる憎しみをぶつける相手は居ないか……。
『力が、欲しいか……?』
力……。欲しい……。もっと、この憎しみを……おぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……。
我に、力を……。
◆
『いけませんっ!』
ベチィッ! とスピオンの頬に手痛い平手打ちが決まる。
何の前触れもなく突然に放たれたそれは、モーヴェに馬乗りになっていた彼を容易く吹き飛ばし転倒させた。
「はっ!? 動く! 動かせる……」
スピオンは、今の一発で身体のコントロールが戻っている事に気付く。
そして同時に、自身を叩いたその存在にも……。
「う、嘘だろう……? まさか、君はジュモーナ……なのか?」
『はい。ジュモーナにございます』
白く美しいロングスカートのワンピースドレスを身に纏い、様になったカーテシーで優雅に一礼する女性。
ただ、普通の女性と異なっているのは、その姿が若干透けて見える事くらいだろうか。
「一体、何がどうなって……」
『説明は後です。まずはあの男を……フィリア!』
『わかりましたわ!』
地面から数多の光の鎖が出現し、化け物となったモーヴェに絡みついていく。
その鎖はまるで劇薬のようにモーヴェの身体を溶かしつつ、動きを止めるだけでなくダメージをも与えている。
『ぐあぁぁぁっ! こ、これは光か……! や、やめろぉ!』
魔の者にとって光は天敵。故に、触れているだけでも致命的なダメージとなる。
「フィリアまで……!? 私は、夢でも見ているのか」
『夢ではありませんわ、お父様。確かに、私とお母様はここにおりますわ』
透かした身体を少し空中に浮かべつつドヤァと胸を張る、ジュモーナにそっくりな少女。
彼女こそ、スピオンが失ったと思っていた家族……娘であり、ジュモーナはスピオンの妻にあたる。
『……言ったであろう。力を与える事も可能であると』
「力……?」
そんな二人の背後から、今度は死者の王が現れる。
王は竜一の方を助けに行きつつも、常に配下であるスピオンにも気を配っていた。
『あら、王様。この度は御配慮頂きましてありがとうございます』
『再びお父様と巡り合う事が出来たのも、王のおかげですわ』
女性二人は驚く事もなく、王に挨拶している。その口ぶりからして、既に面識があるようにも感じられる。
それでスピオンは悟る。死者の王は、王の名の通り死者に関する事であれば不可能な事はないレベルの極まった使い手。
家族が既に亡くなっているというのであれば、その魂を探し出して連れてくる事など造作もないのであろう。
「王……。我が家族の魂を連れてきてくださったのですね。ありがとうございます」
既に故人となってしまっている事に関してはどうしようもないが、こうして再び巡り合えただけでも救いだとスピオンは思う。
『あらあら。泣いてしまうだなんて。よしよし、死者となってまでよく頑張りましたね……あなた』
『全く、お父様ったら泣き虫なんですのね……ふふふ』
ジュモーナがスピオンの頭を撫で、フィリアが背後から抱き着く……が、
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁっ! なんだ!? 身体が、焼ける……!!!」
光の鎖に絡みつかれたモーヴェと同じように、スピオンの頭と背中が煙を吹いて焼け爛れる。
『こらこら。気持ちは分かるが慌てるでない。今のお主達は水と油……このままでは触れ合う事もままならぬ』
『そ、そう言えばそうでしたね……』
『王様! 早く例のアレをお願い致しますわ!』
スピオンは一人だけ頭にクエスチョンマークを浮かべているが、三人は何やら事前に相談していたらしく、知らぬ所で話を進めている。
フィリアに急かされるようにして取り出したのは、白を基調として作られ、先端に翼を広げた天使のような意匠がある杖だった。
しかし、その杖には黒い触手のようなものが絡みついており、先端の天使像も半分ほどが侵食されているかような不気味さを醸し出していた。
『スピオンよ、これを受け取るがいい』
「こ、この杖は……?」
『聖と魔の橋渡しをするべく、我が作り出した杖だ。そして、これも受け取るがいい』
杖と一緒に渡されたのは、聖書だった。しかし、杖と同じように表紙部分が半分ほど黒く浸食されている。
何気なく手に取ってみると、その瞬間にジュモーナとフィリアを包み込むようにして光の柱が立ち上り、上空を漂う雲を撃ち貫いた。
『……ここに契約は成った。スピオンよ、お主はたった今より精霊術師となったのだ』
「精霊術師……? 馬鹿な。今の私は死者であり魔に属する者。精霊といえば正反対……聖なる神の眷属ではないか。使役できるハズが」
『先程言ったであろう。その杖は聖と魔の橋渡しをするべく作った杖だと。それがあれば、魔の者でも精霊と交歓できる』
「むぅ。王が仰るのであれば不可能ではないのでしょう。ですが、その契約が成ったという精霊は一体何処に?」
『? ……目の前にいるではないか』
王が指し示すのは、スピオンの妻であるジュモーナと、娘であるフィリア。
二人とも祈るようにして腕を組み、背中から天使の翼のようなものを広げてスピオンを見つめている。
「ま、まさか……」
『そのまさかですよ、あなた。私達は、迫る死を前にして精霊に転生を果たしたのです』
意味が分からない――と言わんばかりに呆けるスピオン。死が迫る事と精霊になる事が結びつかない。
すると、フィリアが鎖に絡まれてもがき苦しみ、ゲル状の生物と化しつつあるモーヴェを指し示して言った。
『お父様が裏切り者扱いされて失踪してから、あの男が色々な意味で私達を狙っている事に気付いたのですわ』
『このままでは殺されるか、殺されなくても辱めを受けてしまう……。しかし、当時の私達にはあの男を倒せるだけの力が無かったのです』
『そこでお母様が神官達に伝わる伝説の秘法、精霊化に思い当たったのですわ。高位の神官であったお母様ならではの秘策!』
精霊化とは、文字通り自らを精霊へと造り替える秘法である。精霊になれば、その身は裏界に属する事になり、ル・マリオンを去る事になる。
自殺ではスピオンを悲しませる事になってしまうし、その後も骸をモーヴェによって好き勝手される可能性が残ってしまう。
だが、精霊化ならば己の存在を造り替えこそするものの、死ぬ訳ではない。加えて、モーヴェが追跡不可能な形で逃げる事が出来る。
『問題は、精霊化した後で再びあなたの許へ戻ってこれるかどうかが問題でしたが……それは王のおかげで』
竜一の『最悪な予想』を聞いた直後、既に故人になっている可能性を考え、王は何気なくスピオンの妻子の魂を探してみたのだ。
するとばっちりヒットする魂が見つかり、呼び寄せてみたところ、精霊となった二人が発見されたという流れである。
精霊はいわば肉体を持たない精神体。死者の王による『魂の捜索』とは精神体の捜索でもあるため、精霊である二人を見つける事が叶った。
『で、話を聞いてみたらお父様はお父様で一回亡くなってアンデッドと化しているって……びっくりしましたわ』
「いや、それはこちらのセリフなのだが……」
『聖なる者と魔の者は相反する者同士。まさか、愛する家族がそんな形で引き裂かれるとは、運命とは残酷なものだと思ったものです。しかし!』
ジュモーナがスピオンと手を重ねる。スピオンは先程の事を思い出して手を引っ込めそうになるが、ジュモーナが無理矢理手を握った。
しかし、今度は何事もなく手を重ねる事が出来ている。死者の王のアイテムにより、聖と魔の相反を乗り越える事が出来たのだ。
フィリアが再び後ろから抱き着くが、背中が焼ける事はない。背中に娘の温かみを感じ、スピオンは冷たい死者の身体が温まる感覚を抱く。
「お、おぉぉぉ……。またこうして、愛する者達をこの手に抱けるとは……」
左右の手それぞれで妻子を抱くスピオン。形は変われども、また家族で共に居る事が出来るようになったという事実に再び涙する。
『さぁ、後はアレを消し去って新たな船出と参りましょうか』
『私達三人が揃えば無敵ですわ!』
「……あぁ。我が家の力、見せつけてやろう」
既にゲル状となって消滅しかけていたモーヴェが、ダメ押しで巨大な光の柱に包み込まれ、完全に消滅する。
その柱はやがて屋敷そのものまで包み込むように広がっていき、悪しき者は浄化、正しき者には癒しを与え――一瞬で状況を終わらせた。
ハイタッチで喜ぶ三人。貴族とは思えぬ軽いしぐさであるが、それが端的に彼らの関係性を表していると言えた。
『(家族の絆は無敵……というやつであるな。はてさて、『彼女』の方はどうする事やら)』
死者の王は自らが救い導いた家族達を満足気に眺めつつも、いま心の中に浮かべていたのは別の者の姿であった。




