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000-1:プロローグ~現世~

 二十一世紀初頭、中東シリア。


 世界は既に戦争とは無縁になって久しいはずだった。

 しかし、そんな平和だと思われている世界の中にも戦争を続けている国は確かに存在する。

 シリアの場合は政府軍と反体制派による『内戦』であるが、その影響は決して国内のみには留まっておらず、世界全体に様々な影響をもたらしている。


 故に、世界も他人事と見過ごせない――そんな内戦の只中に、今一人の日本人男性の姿があった……。




 刑部竜一。


 彼は日本出身の戦場カメラマンであり、齢三十六にして両手の指では数えられない程数多くの戦場を渡り歩き、貴重な現地の情報を少なからず世界へと発信してきた。

 此度の内戦についても同様で、彼をはじめとした戦場カメラマンが居るからこそ世界は真実を知る事が出来ている。

 こうして周知する事で「何か出来る事はないか」と動き出す個人の有志、団体……ひいては国も現れる。


 何よりも大事な事は『知ってもらう』事。そして、それにより『世界を変える』事。そのために、彼らは今日も最前線を行く。


 戦場が仕事現場という事もあり、当然ながら危険な目に遭った事もあるが、彼はその程度で辞めてしまうような軽い気持ちでこの職業をしているわけではない。

 痩せ型の肉体ではあるがその身は筋肉で固められており、また現場で戦う者達から武器弾薬の扱いや近接戦闘などを学び、いざという時にも何とか動けるくらいには自身を鍛えているつもりである。

 加えて偉大なる先達らの教訓を取り入れ、同じ失敗は二度と繰り返さないように心がけている。


 また、最も大事なのは『生きて帰る事』とし、同胞達が命を落とす瞬間を何度も目撃しながらも「自身はそうなってたまるものか」と、必死で今日までを生き抜いてきた。

 それは、今回の取材も例外ではない……と思っていた。しかし『予想外の事態』と言うのは、常に起こり得るものである。




 竜一は政府軍に付き従う従軍記者として、戦場の最前線でカメラを構えていた。

 眼前に居る兵士が銃を構え、壁からわずかに身を出して発砲する様子が克明に記録される。

 その直後、先程まで兵士が身を出していた場所を目視できない銃弾が通り過ぎていく。


 音と、銃弾が掠った事による衝撃で削れた壁がその威力を物語る。


「リュウイチ! そろそろこの壁ももたない、離れるんだ!」


 兵士に背を押されるようにして、分厚い壁に隠れるようにして少しずつ、かつ急ぎでその場を後にする。

 わずかな行動の差が生死を分かつ戦場。それは、たった一秒足らずの判断の遅れであっても許されない。


 そういう意味では、竜一が密着していた兵士はベテランであったのか、実に正しい状況判断ができていた。

 何せ、先程まで居た場所が一斉射撃により音を立てて崩壊してしまったのだ。

 もし離れるのが少しでも遅れていたら、二人仲良く蜂の巣だっただろう。



 安堵のため息。だが、その直後に竜一は見てしまう――瓦礫の山の前で泣き叫ぶ幼い少女の姿。


 少女はへたり込んだような姿勢のまま、何事かを叫び続けている。

 視線の先を追うと、正視するのを躊躇うほどに損壊した『かつては人間であったもの』が転がっていた。


 少女はかろうじて形が残っていた『手』に触れ、ゆさゆさと揺り動かしている。

 叫んでいるのは現地の言葉であったが、それが「ママ!」という母親を呼ぶ声である事が、竜一には理解できた。



 戦場においては、呆れるほどよく見られる光景である。

 一番被害を受けているのは政府軍でも反体制派でもない、どちらにも属さず、戦いにすら参加していない一般庶民なのだ。

 そんな庶民達が戦争で苦しむ姿をありのまま映し、世界に戦争の悲惨さと愚かさを伝えるのも、戦場カメラマンの使命の一つである。


 泣き叫ぶ少女を発見した直後、その少女のさらに奥の建物の陰にキラリと光る何かが見えた。

 それは銃口の輝き。明らかに目の前で泣き叫ぶ少女を狙っている。


 大声で泣き叫ぶ事は、つまり自らの居場所を知らせているも同然。かつ、周りに瓦礫しかない開けた場所。

 的としてはあまりにも狙いやすい、さらには子供故に周りへの警戒心もなく隙だらけの状態だ。


 敵勢力にとっては、自勢力と異なる立場であるというだけで老若男女問わず『その存在自体を許せない』という過激な思考をもつ者たちも存在する。

 目の前で起きようとしているのは、十中八九そういう者達による罪無き一般庶民――しかも、年端もいかぬ子供の殺害である。


 それを認識した瞬間、うかつにも彼はその場を飛び出そうとしてしまった。

 このような光景を見たのは決して初めてではなかったが、今まではその全てが事態を認識したと同時に終わっていた。

 しかし、今回はまだ始まってすらいない。もしかしたら悲劇的な運命を変えられるかもしれない。


 そんな気持ちが衝動となり彼を突き動かす事となったのだが、幸か不幸かそれは同伴する兵士により止められた。


「待つんだリュウイチ!」

「止めないでくれ! 今ならあの子を……」


 と、兵士を振り切ろうとした直後――何処からか銃声が響いた。


「焦るな。まずは脅威を排除してからだ」


 兵士から優しく諭すように言われ、竜一はハッとなる。

 今のは同胞達による遠距離狙撃の音だ。

 竜一でも気付いた陰で光る銃口に、歴戦の兵士達が気付かぬハズがない。


 そして、銃口が何を狙っていたのかも……。




 銃声が響いてから間もなく、建物の陰から一人の男がフラフラと歩み出てくる。

 その男こそ少女を狙っていた狙撃者であり、たった今こちらの狙撃を受けた男だった。

 よく見ると男の額には綺麗に赤い穴が開けられており、この時点で既に男は死んでいると言えるだろう。


 実際、歩み出てきたのが精一杯の足掻きだったのか、すぐに崩れ落ちて二度と動かなくなった。

 そんな男の様子を竜一が眺めている合間にも、仲間である兵士達が散開し、付近の状況を確認し始める。

 しばらく辺りを見回した後、敵勢力の姿は無いと判断され、竜一にも動く許可が出される事となった。


 もちろん、真っ先に向かったのは狙撃されそうになっていた少女の許である。

 周りで起きていた騒動になど全く気付かず、ひたすらに『ママ』を呼び続けていた。


『……大丈夫かい?』


 身を屈め、少女と同じ目線になって優しく語りかける竜一。


『おじさん、だれ?』


 一応は現地の言葉を使って語り掛けたのが功を奏したのか、すぐに言葉を返してくれた。


『君を助けに来たんだよ。こんな所に居ては危ない。おじさんと一緒に行こう』


 そっと手を差し伸べるが、何かしらの攻撃的な挙動とでも思ったのか、あるいは文化の違いによる認識の差か、少女はその仕草にビクッと怯えを見せる。

 しかし、その手が眼前で止まった事に安心したのか、上目遣いで意味を問うかのようにボーッとこちらをみつめてくる。


『うん、わかっ――』

「ダメだリュウイチ! その子は……」


 少女が竜一の手を取ろうとした瞬間、兵士が割って入り、唐突に少女の衣類に手をかけ力の限り引き裂いた。


「何を……!?」


 少女を手にかけようとしていた狙撃手を始末したと思いきや、今度は仲間の兵士が少女を手にかけようとしている。

 何がどうなっているんだと混乱しかけた竜一だったが、すぐさま正気に戻った……いや、戻らされたと言うべきか。

 破られた上着の下に、妙にゴテゴテした物――爆弾が貼り付けられたシャツを着用していたのだ。


 ……そう、この少女もまたテロリストの一員であった。



 最も警戒を抱かれにくい子供という存在。


 何も知らぬ大人達が不用心に近づいた所で、あるいは子供の方から大人達に近づいた所で爆弾を作動させるという、あまりにも卑劣な手段。

 子供の中でも年長の子は、洗脳とも言える教育により自らの意思でテロを決行する場合があるが、この少女のような年少の子の場合は、知らずに爆弾を持たされ、外部から操作されている場合がほとんどである。

 故に、先程の態度も演技などではなく素。本当に母親を殺され、泣き叫んでいたのだ。その身に、よりにもよって母親を殺した者達の手で爆弾が付けられているとも知らずに。


 つまり、少女の母親は少女をこの場所へ固定し、大声で泣き叫ばせる――人々の関心を集めさせより多くの者を引き付けられる状況を作り出すためだけに殺されたのだ。


「そこまでするかよ……くそったれが!」

「愚痴る前に逃げろ! 異国の地でミンチになりたいのか!?」

「……その子はどうなる!?」


 あまりの非道に声を荒らげる竜一だったが、そんな暇はない。少女の爆弾はいつ爆発するかもわからないのだ。

 自らの意志で動いている訳ではない以上、少女自身が起爆の権限を持っているとは思えない。遠隔操作か時間制限か……。

 無理矢理兵士に手を引かれる竜一だったが、それを振り切り再び少女の許へ戻る。


「許せるか……許せるかよこんなの!」


 今この瞬間に爆発していないのなら助けられる可能性があると考え、竜一は少女のシャツから無理矢理に爆弾を引きちぎり、力の限り放り投げた。


「ばっ……おま……」



 ――だが、それは悪手極まりない行動だった。


 爆弾はシャツに張り付けられる事によってスイッチが押された状態になっていたのだ。

 スイッチが押された段階ではまだ発動には至らず、押されたスイッチが元に戻る事で初めて発動する、いわば圧力解除式のもの。

 テロリストは予測していたのだ。この爆弾に気付いた第三者が、哀れな子供を救うべく爆弾を取り除く可能性を。


 そのため、そもそもこの爆弾には遠隔操作の機構も時限装置も付けられてなど居なかったのだ。

 不幸にもその『可能性』となってしまった竜一。唯一の幸運は、何故か一瞬では爆発しなかったという点だろう。

 反射的に少女へと覆いかぶさり、自身の身を以て護る事が出来るくらいには時間の余裕があった。


 最後の最後で選んだのは、自身が最も大事としていた目標『生きて帰る事』ではなく『未来ある子供の命』だった。




「リュウイチ! 何故こんな無茶を……」


 竜一は倒れていた。正面だけ見ると何ともないように見えるが、背面は既に手遅れと断言できる程に激しく損傷しており、もはや命も風前の灯火だった。

 爆発が収まっていの一番に駆けつけた兵士は、一番多く竜一と共に行動し、今さっきもパートナーのように連れたって行動していた男だった。故に彼の事を良く知っていた。

 戦場カメラマンの中でも良識がある方で、兵士の言う事も素直に聞いてくれる。現場の経験も豊富で、生きて帰る事を何よりの目標としていたため、決して無茶をしない男という印象だった。


 それが、今回に限って何故――?


 だが、兵士の問いかけに答えられるだけの力が、竜一にはもう無かった。かろうじて口は動くものの、声にならない。

 兵士の顔を見て、少し頷くような仕草を見せた後、視線が緩やかに動き、別の兵士に抱かかえられている少女の姿を確認する。


「大丈夫だ、あの子は無事だ。お前が……救ったんだ!」


 らしくない行動をした理由に関しては言葉で聞けなかったが、何となく察する事は出来た。

 そこに「理由など無い」というのが、彼が言おうとしていた答えなのだろう、と。

 目の前でまさに失われようとしている命がある。そんな命が、自分の手の届く範囲にあるのだ。ならば手を伸ばすに決まっている。


 おかしいのは、冷静に任務と命を天秤にかけた上で、任務の方を優先できてしまう自分達なのだ。そう兵士は自嘲する。


 現場における『ありのままの世界』を撮影するのがカメラマンの仕事であり、劇を見守るかのように舞台と演者には干渉せず、演者から見ても『居ないものとして扱われる』のが普通のカメラマンだ。

 しかし、彼らは自身の取材をもって世界を変えようとしている存在――戦場カメラマンであり、普通のカメラマンとは違って同じ舞台に立ち、演者達とも密接に関わりあっている。

 ならばこそ、世界の運命を変える前に『まず目の前の一人の運命を変えてみせよう』と動いてしまう事もあるのだろう。


「……けどよ。お前の運命まで変わっちまったじゃねぇか」


 苦笑いの仕草。しかし、うっすらと浮かぶ涙は隠さない。確かに幼き少女の死という運命を変え、生という新たな運命へと導く事が出来た。

 だが、その代償として今度は竜一の生という運命を変え、死という運命に導かれてしまった。竜一の辿るその運命を悲しむ者達が、少なくともここにこれだけ居てくれる。

 兵士達にとって、わずかな期間とは言え共に戦場を駆け抜けた竜一は、確かに大事な『戦友』であったのだ。


 少女の無事を見てわずかに微笑を見せた竜一の目は、そのままそっと閉じられ、二度と開く事は無かった――。

勇気を出して投稿を始めました。未熟者なりに頑張っていきます。

後々に気になった部分を改稿したりするかもしれません。


よろしくお願いします。



○2018/12/27

プロローグが長めで文もギチギチ感があるため、人気作品のスタイルを見習って行間の調整と文量の分割をしました。

以降のプロローグは元々の世界における話を『現世』、死んで異世界に行くまでの間を『狭間』と称する二部制になります。

内容に関しては何も変わっておりませんので、既に初期のプロローグをお読みの方はスルーでもかまいません。


○2020/09/26

一行ずつ開けるスタイルはやっぱこの作品に合わないなと思い、再修正しました。

近年の投稿で書いているような、長文になりそうな場合は三行ごとに一行開けるくらいのやり方に変えました。

近いうちに同じようになっている序盤の部分も再修正します。ご迷惑をおかけします。

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― 新着の感想 ―
少女に爆弾を仕掛けるとは信じられませんね!(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`) 悲しい現実ですが、人としての尊厳や人権が決して当たり前ではない日常を生きている住民も世界にはたくさんいるんで…
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