「過去の瑕痕・1」
時沢を通じて、御堂征二郎から「夏休みの宿題」を言い渡された後。
武士たちは作戦前のブリーフィングを、継の部屋で行った。
メンバーは、継、ハジメ、翠、葵、武士、そして時沢の6人だ。
継の部屋は長方形の十畳程のフローリングで、壁の両方に所狭しとパソコン、モニター、サーバ、キーボードがそれぞれ複数台並び、金属パイプで組まれた棚に設置されている。
部屋の奥には張り出す形で大型のサーバが置いてあり、奥の方のスペースは、普段、継が篭って作業する為の半個室のような独立空間になっていた。
ブリーフィングは、その独立空間の手前にあるパソコンを継が操作しながら、囲むように各々椅子や机に座っている他のメンバーに、まずは詳細な情報を持っている継が概要を説明するところから始まった、
「十一年前の記事だ」
継の慣れた手つきのマウス操作で、大型モニターに古いニュース記事が表示される。
『CACCで邦人一家族誘拐 独立派組織による犯行か』
ニュース記事の写真には四十代の男女と、笑顔が愛らしい少女の顔写真、名前が掲載されていた。
少女の写真の下には『斉藤紅子ちゃん(10)』の文字。
「CACCはContinental Asian central confederation、アジア大陸中央国家連合の略で、前大戦後に華那共和国を中心に周辺国が統合された、新興の国家連合体のこと。そこの不勉強な弟以外、全員知ってると思うけど」
「ちょ、待てって兄貴。決めつけはよくねえと思うぜ」
「違うのか?」
「きっと武士も知らなかったと思う」
「巻き添えっ!?」
御堂兄弟の軽口からの不意打ちに、動揺する武士。
「そんな筈ないでしょう。普通に世の中に興味を持っている人なら常識だよ。ね? 武士」
葵の純真無垢な問いかけに、
「う、うん……中学で、習うよね」
「うわ。これきっと、受験勉強の丸暗記だけだにゃん」
「む……」
辛うじて答えた武士の内心を、翠に適確に指摘される。
それに言い返すことのできなかった武士は、葵の視線の温度が若干下がり、またハジメが批難対象の分散に成功してほくそ笑んでいることに気づき、不勉強を恥じつつも理不尽を感じる。
「まあ、普通の学生なんて誰でもそんなものだよ。ハジメは問題だと思うけど」
継は抑揚のないしゃべり方で呟く。
武士は、その無表情な言い方に、ふと僅かな寂しさに似た感覚を覚える。
あれ、と思うが兄弟の会話が続き、その疑問は口にはされず流されてしまう。
「うるさいな。俺は実行部隊なんだ。頭使うことは、兄貴とか上に任せてるんだよ」
「御堂組の次期当主がそれだけでいいわけないだろ」
「そんなの決まった話じゃねーだろ」
「決まったわけじゃないって、他に誰が」
「はいはい。そのお話はまた後で。継さん、続けてください」
穏やかながら、静かな凄みも感じさせる時沢の言葉に、兄弟は言い合いを中断する。
「……簡単に説明すると、戦後、アジア大陸のほとんどが華那共和国に支配された。建前上は、連合された十五以上の各国家から選出された評議会による民主制を謳ってるけど。まあ誰が見ても建前オンリー。実際の評議会は、旧華那共和国の独裁が継続してる」
「当然、評議会に反発する集団は出てくるってわけだねん」
翠の言葉に、継は頷く。
「十一年前の邦人家族の誘拐事件。これはCACC内の独立派の一つが起こした。当時、CACCと日本は国交正常化ニ十周年を迎えて、相互の観光客増数を目標に国レベルで大キャンペーン中だった。この斉藤一家も、ごく普通の中産階級の一般家庭で、たまたま、安くなっている海外旅行パックでCACCを選んだだけ。平和ボケしていた日本人を攫うことは、激しいゲリラ戦やスパイ合戦を繰り返してきた武闘系の独立派には、まあ楽な仕事だっただろうね」
「なんで、独立派の人たちはこの家族を……? だって、関係ないでしょう? 日本は」
武士は素直に感じた疑問を口にする。
それは国際情勢などに特に興味を持ってこなかった高校生としては素朴な感想だったが、ある意味「おめでたい」思考回路からの発言であり、普段は武士に対して甘々である葵も、わずかに顔をしかめた。
翠はしかたないよね、という笑みを浮かべて、武士の疑問に答える。
「武ちん、関係なくないんだよ。日本は華那共和国が実質的に支配するCACCを、正式に国家と認めて国交を結んだ。独立派にとってそれは、絶対に許せないことなんだよねん」
「そんな、だってそれは国の判断で、普通の一般の人達には関係のないことでしょう」
「そう考える方が、本当は異常だと思わない? 武士」
葵の抑えたトーンの言葉に、武士は水を掛けられたような感覚を覚える。
「普通の一般の人達って、何かな? 武士。国ってさ、その一般の人達の集まりだよね。その『国』が決めたことって、本当に武士の言う『一般の人』とは関係のないことかな?」
「う……」
武士には返す言葉もなかった。
新聞やテレビ、ネットに踊る国際的な事件や出来事のニュース。
それを、自分と地続きの事として考えたことなど、武士は一度もなかった。
刃朗衆で、国内外を含む政争に接してきた経験や知識を持つ葵や翠、そして日本の政治の裏で戦ってきた御堂組の継とは、そもそも立ち位置が違ったのだ。
「その言い方は、酷だろ」
ハジメが葵と武士の会話に割って入る。
「そこまで考えて生きてる普通の中高生なんて、どんだけいるんだって話だよ。そもそもそんな教育を受けてきてねえんだよ、俺たちは」
「ハジメがそっち方面に疎いのは、マズい話だと思うけど」
容赦のない継の発言で断罪され、ハジメは言葉を詰まらせる。
「まあ、話を戻しましょう。継さん」
ずれ始めた話題を再び元に戻すよう、時沢が促す。
継は素直に頷き、説明を続ける。
「当時、独立派がCACC内でデモやテロを起こしても、情報が国外に漏れることは、ほとんどなかった。当然、連合評議会が彼らと交渉を持つなんてこともない。業を煮やした独立派が、外国の一般旅行者を狙って国際社会に訴えたかったという側面もあったってわけ」
継は話しながら、マウスを操作してニュースサイトのページを進める。
ディスプレイには、斉藤一家を誘拐した独立派の要求が箇条書きで記されていた。
「斉藤一家の解放と交換に出された彼らの要求は、評議会側に囚われていた仲間の解放と、自分たちの国のCACCからの独立。そして日本に対しての要求は、日本がCACCを国家として認めないことだった」
「占領国家の独立派の要求としては、ありふれたものだねー。ま、当然のように、そんな要求、歯牙にもかけられるわけないよねん」
「だけど、邦人誘拐自体には意味があった。斉藤一家誘拐は、日本のメディアやネットに取り上げられ、時のトップニュースになった」
継と翠の会話で説明が続く。
当時のトップニュースになったというが、当時5歳だった武士の記憶にはまったくない。
世代はほとんど同じである葵や翠もさすがに同様のはずだ。
後から事件を必要な知識として入れてたのだろう。
「独立派の目的は、日本の世論に訴えること。もともとたかが一家族の誘拐で、情勢そのものに大きな影響を与えられるとは彼らも考えてなかった。けど、親CACCに偏っていた当時の日本政権に対して世論の反発が強まれば、CACCへの国際的な対応が少しでも厳しくなると考えた。そして彼らの読み通り、日本の世論は大きく揺れる」
「じゃあ、日本の皆はCACCの実情を知って、この家族を助ける為に……」
「動かなかった」
冷たく、継は武士の言葉をぶった切る。
「え……?」
「日本の世論は、戦後から時間をかけてようやく上手くいこうとしているCACCとの国際関係に水を差すとして、テロリズムに巻き込まれたこの家族の方を非難した。海外旅行でそんな事件に巻き込まれるなんて、自己責任だ、と」
「そんな……」
「そうなるように、世論が誘導されたんだろ」
ハジメが吐き捨てると、継は少し眉を上げて、感心したようにハジメを見る。
「なんだよ。ちょっと考えりゃ分かるだろ。当時もネットはあっただろうけど、今ほど影響なかったんじゃね? テレビやら新聞やらだけ抑えれば、そんくらいできたんだろ」
「あんた……バカだと思ってたけど」
翠も感心したような顔でハジメを見ている。
「なんだと?」
「少しはマシなバカだったのねん」
「そこはバカそのものを否定しろよ!」
翠のからかいにムキになって叫ぶハジメ。
「でもそんな誘導、誰が……」
「日本政府に決まってるだろ。当時の政府はCACCにベタベタだったっつーんだから」
武士の疑問に、何を分かりきったことを、とハジメが答えるが、
「やっぱりハジメはバカだね」
継が即座に口を挟んだ。
「……違うのかよ」
「正確にはね。当時、平和な国際関係の為に斉藤一家を見殺しにしても仕方がない、と世論誘導したのは他でもない。御堂組だよ、ハジメ」
継の言葉に小さくない衝撃をハジメは受ける。
確かに、御堂組は古くから政界だけでなく、マスコミへも大きな影響力を持っていた。
それはハジメも知っている。しかし。
「御堂組が……? ジジイが、この家族見殺しにしろって指示を出したのかよ」
「そうだね。そういうことになるね」
トップが下した指示に違いないだろう。
だが、一般人を抗争の世界に巻き込むことを極端に嫌う祖父が、そのような指示を出すとはハジメには信じられなかった。
だが、ハジメの問いかけを継はなんの引っ掛かりもなく肯定する。
「ハジメはバカなだけじゃないね。甘いんだね。御堂組の目的は、刃朗衆……九色刃の力をもって、日本の平和を守ること。たった三人の命を守るために、強大な軍事力を持つ隣国との関係を壊すなんて、できるわけないでしょう」
「そんなっ……!」
傍らで聞いていた武士が、継の話す、その正しいのだろうが冷酷な論理に反論しようとする。
「それはちょっと、自虐的すぎるんじゃないのかな?」
しかし、横合いからの翠の言葉にそれは遮られた。
「自虐的……」
「継君はあれだね。自分のいる組織だから、わざとキツイ言い方しちゃうんだろーね」
「君付けは気持ち悪い。やめて」
「翠さん、どういうこと?」
「当時の刃朗衆が、御堂組の指示で斉藤一家の救出に動いたはず。私も小さい頃に聞いただけの話だけど」
武士の質問には、葵が答えた。
「刃朗衆が……?」
「うん。御堂組の戦闘員と一緒に」
「続きは私が話しましょう」
時沢が口を挟んだ。
十一年前の話だ。葵や翠は詳しくないだろうと、説明を受け継ぐ。
「日本の世論がCACC憎しで凝り固まってしまうわけにはいきませんでした。時の政権は総選挙も近くて、世論が燃え上がれば無視するわけにもいかない背景もありました。世論に押され日本が強硬な姿勢を見せれば、両国関係は悪化し、危険な状態に陥るかもしれない。御堂組は、反CACCの雰囲気が過剰にならないように、確かに持っているマスコミへの影響力を駆使して、世論誘導しました。しかし、それを指示した組長は、斉藤一家の命を軽んじた訳ではありませんでした」
時沢は淡々と語る。
十一年前といえば、時沢も今の武士たちと年齢はほとんど変わらないだろう。
しかし、若くして御堂組当主の懐刀とも呼ばれる彼は、当時から現場に関わっており、正確に当時の事を覚えていた。
「情勢的に国防軍を動かすわけにはいきませんでしたから、刃朗衆と御堂組の実行部隊をもって、秘密裏に一家の救出作戦を指示しました。当時、十五歳だった私も、作戦に参加し、CACCに潜入しました」
「えっ……?」
「マジで!?」
時沢の言葉に、継とハジメの両方が声を上げて驚いた。
「つか……兄貴も知らなかったのかよ?」
「初めて聞いた、時沢さん」
「言ってませんでしたからね。組長が今回の朱焔杖奪還に私も参加するように言って下さった時、私はようやく当時の失敗の償いができると、嬉しく思いました」
時沢は、顔の傷を撫でながら少しだけ遠い目をして話している。
「失敗の償い……?」
「ええ、私も参加した十一年前の斉藤一家救出作戦は、失敗しました」
もしかしたら、時沢の辛い過去を話させてしまうのではないかと思いながらも、武士は彼の言葉を拾って問いかける。
この話は、きちんと正面から聞かなければならない。
直感的に武士は感じて、背筋を伸ばした。
それに応えるように、時沢は顔を上げて武士を正面から見つめる。
「独立派のテロリスト達は相当な覚悟を持った集団でした。我々は、独立派の組織を壊滅に追い込むことには成功しましたが、その過程で一家の両親の命を守ることはできませんでした。よりにもよって、当時十歳の娘さんの目の前で、お二人は命を落としました。銃撃戦のさ中の流れ弾です。どちらの撃った弾なのかは、今でも分かりません」
「そんな……」
「もしかしたら……まだ未熟だった、自分の銃が紅子ちゃんの両親を殺したのかもしれませんね」
御堂征二郎の教育方針は、苛烈だった。
才能があると感じた人物には、それが例え未成年の少年だろうと、自分の孫だろうと、第一線に送り込んでいた。
時沢も、幼い頃から征二郎に見いだされ、重要な作戦にまだ年若い頃から送り込まれたのだ。
時沢の苦い過去の述懐に、武士たちは発する言葉もなかった。
「紅子ちゃんは、テロリストの生き残りに連れ去られました。我々も後を追いましたが、勝手の違う他国で派手に動くこともできず、結局見つけることができませんでした。紅子ちゃんが、紅華と華那国式の名前でマフィアに攫われ育てられていたことを知ったのは、数年経ってからのことでした」
淡々と話しているように思える時沢だったが、彼自身無意識なのだろう。話している間中、ずっと顔に残る傷を撫でていた。
作戦の時についた傷なのだろうか。武士は一人の男が古傷を晒しながら語る姿に、自分の想像を遥かに超えるだろう彼の心情を思い、言葉を紡ぐことができない。
「ここからは、表の社会には出ることがない画像だ」
継がブラウザを終了させ、別の画像ファイルを開いた。
ディスプレイには、古い華那国のスラム街で、汚れた服装に身を包む今の武士たちとおよそ歳は変わらないであろう少女が立っている写真が映し出される。
前のニュースサイトにあった愛らしい笑顔の少女の面影はあるが、その瞳には燃えるような鋭い眼光が宿っているようだった。
表情は厳しく、荒んでいる。
「彼女は『華那マフィア』と呼ばれるアンダーグラウンドの住人に育てられた。見た目は悪くない若い女だ。マフィアが彼女を育てた理由は、まあ、想像がつくよね」
継が時沢の後を継いで、説明を続ける。
極めて後味の悪いであろう話を。
「御堂組は、前の作戦の失敗を取り戻そうとCACCの情報を探っていたんだ。彼女だけでも助けようと。この写真を御堂組が入手した時、当然、マフィアの手から救い出す作戦は立てられた。そうだよね? 時沢さん」
「はい。ですが、横槍が入りました」
「横槍?」
怪訝な顔でハジメが聞く。
「CACCの連合評議会が秘密裏に抱える特殊工作組織。通称『麒麟』が彼女をマフィアの手から攫ったのです。朱焔杖の人体実験の対象として」
「……ここで九色刃が出てくるのかよ」
「はい。朱焔杖を手に入れていた『麒麟』が、適合率の高いであろう対象として、日本人で、かつ既に失踪者扱いとなっていて行方不明になっても問題にならない彼女に目をつけたのです」
「ちょっと待て」
ハジメが手を上げて時沢の話を止める。
「そもそも、なんで朱焔杖がCACCの手に渡ったんだ? 九色刃は刃朗衆が管理してたんだろ? そういや、七年前に奪われたとか言ってたよな?」
そう言うと、ハジメは翠を葵に向き直る。
翠はその視線を受け止めると、口を開いた。
「そうだね。その辺のことは、あたしらが話すよ。朱焔杖は確かに刃朗衆が管理していた。だけど、日本に潜入してきた『麒麟』に奪われたんだ」
続いて、葵も口を開く。
心に残る、過去の瑕跡をなぞるように。
「朱焔杖と、契約済みだった管理者の灯太……翠姉と私にとっては、弟みたいなあの子と一緒に」




