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見習い従者とメイドくん  作者: arty
第1話:ガーデンパラソルとメイドくん
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3-5. 階下の世界2

 ヘイウッド邸の朝食室。

 テラスからは星空の下に広がる夜の庭園を見渡せた。

 白と水色を基調とした涼やかな内装で、大食堂で食事をするより肩が凝らない。

 そのためヘイウッド邸では、身内だけの食事は専ら朝食室だけで済ませてしまうという。


 夕食の席に着いているのは、シェリー嬢、フレデリカ先輩、コリンの三名だけ確かにこの人数なら、食堂を使うには大袈裟すぎるだろう。

 本来は地元の有力者達を集めて夕食会を催す予定だったらしいが、先輩が事前に断っておいたらしい。

 今回はショーター家の令嬢としてではなく、あくまで軍務省事務官として訪れているというのが建前上の理由。

 本音のところは、社交界的な付き合いが面倒だったと見える。

 その点はコリンも全くの同意だった。


「堅苦しいのは苦手でね」


「そうか。それはこちらも楽で助かる」


 兎のテリーヌ。

 レタスのコンソメスープ。

 カレイのムニエル。

 仔羊のゆで脚、ケッパーソース添え。

 フレッシュサラダ。

 カシスのシャーベット。

 カスタードタルト。

 出されたコースメニューは、舌が肥えているはずのコリンでさえ感嘆する美味しさだった。

 さすがは貿易事業で有名なフローマス伯爵家。

 大味な帝国料理と違って、異国の技法を取り入れた料理はコリン達を楽しませてくれた。


 デザートの小皿も下げられて、食後の紅茶が淹れられる。

 コリンの給仕には、唯一メイド服を着ていない女性使用人が付いてくれた。

 メイド達の管理責任者であるハウスキーパーだ。

 一方、フレデリカ先輩の給仕には、背筋をピンと伸ばした初老の男性が付いている。

 彼が接客責任者のバトラー。

 そしてシェリー嬢の背後には、シャルロがくっついていた。


「シャルロちゃん、給仕もしているんだね?」


「あは。実はそうなのデスよ」


 見知った顔に声を掛けてみると、シャルロは照れたように笑みをこぼした。

 ホスト役を務めるシェリー嬢が、露骨にむすっとした表情を見せる。


 もちろん朝食室には、給仕役以外のメイド達も忙しなく出入りしていた。

 料理や食べ終えた食器を運ぶのは、彼女らの役割だ。


 容姿端麗な少女ばかりという使用人の構成に、フレデリカ先輩がふとした疑問を口にする。


「それにしてもこの屋敷のメイド達は、若い子ばかりだね。何か理由でもあるのかい?」


 良い質問だ。

 実はコリンもずっと気になっていた。

 ヘイウッド邸のメイドは、明らかに美少女だけしか雇われていない。

 普通はもう少し、年配のメイドも見掛けるものだ。

 ところがこの屋敷では、最年長のハウスキーパーでさえ二十代後半ぐらいに見える。


「理由というほどのことでもない。先代当主のお爺様が、早々に引退してしまったからな。昔から仕えていた者達は、お爺様のいる別邸へ移ってしまった」


 澄ました顔でシェリー嬢が答える。

 礼儀作法に身を固めた彼女は、玄関ホールで騒いでいた金髪少女とは別人のようだった。

 堂々とした立ち振る舞いからは、コリンよりも貴族らしいオーラが出ている。


 フレデリカ先輩が、にやりと笑みを浮かべながら話題を続けた。


「今は社交シーズンだし、男性使用人の大半はタウンハウスかな? これは男手が足りなくて大変だろうね?」


「む、当家のサービスに何か不足でも?」


「いやいや、とんでもない! サービスの品質には文句の付けようがないよ! ただね、今更ながらボクは、とんでもない失態を犯したことに気付いてしまったんだ。どうかシェリー殿には許してほしい」


 やけに演技掛かった先輩の台詞回しに、コリンは思わず身構えてしまう。

 これはやばい。

 明らかに何か企んでいる顔だ。

 警戒するなと言われる方が無理な話だった。


「失態? 私は何も気付かなかったぞ?」


「使用人だよ! 他家の屋敷に滞在するのなら、自分の身の回りの世話をさせる使用人ぐらい随伴させるのが常識! すっかり失念していたね! いやあ、何とお詫びすれば良いものか」


「何だそんなことか。問題ない、気にしないでほしい」


「あは。舞台裏では大問題だったデスけどね」


 鷹揚に頷いたシェリー嬢の背後で、シャルロがわずかに苦笑をこぼす。

 客人が自前の使用人を一人も連れてこないとは、全くの想定外。

 キッチンでは大量の賄い料理を余らせるという事件が発生していた。

 今もバックヤードでは、人数を多めに見積もってしまったメイド長が、キッチンメイドに責められて逆ギレしているところだ。


 もちろん上流社会の空間であるこの食卓には、そんな裏方の苦労は伝わってこない。

 事情を知っているバトラーやハウスキーパーも、涼しい顔をしたものだ。

 そしてようやく、フレデリカ先輩が本題を切り出した。


「そこでひとつ提案なんだけど、うちのコリンを使用人として引き取ってはもらえないかな?」


「何を言い出しちゃってるの、この人ーーーーッ?」


 驚いたのはコリンだ。

 フレデリカ先輩に振り回されるのはいつものことだが、今回もまた意表を突いてきた。


 だがしかし、と頭を冷やす。

 普通に考えればヘイウッド邸は、受け入れを拒否するはず。

 ここはシェリー嬢の常識に期待だった。


「心遣いはありがたいが、遠慮しておこう。正直、迷惑だ」


「期待通りの回答をありがとう! でも何故だろう、目前で断られると何だか切ない気持ちになるね!」


 ところがフレデリカ先輩は、素直に引かなかった。

 なおもしつこくシェリー嬢に食い下がる。


「もちろんコリンが屋敷の仕事で役に立つなんて思っていないよ? でもここは一つ、コリンに経験を積ませるために協力してもらえないだろうか。提案と言うよりは、これはボクからのお願いだ」


「む、そのような言い回しをされると断りづらいな」


 下手に出る作戦に切り替えた先輩に、シェリー嬢が顔をしかめる。

 これでもフレデリカ先輩やコリンは、公爵家の一員だ。

 客人を歓迎する立場のホスト役としては、無下に断れないのだろう。

 シェリー嬢の決意が、ぐらりと揺らいだ気がした。


「そこは悩まなくていいから! 俺は家事とかしたことないし、むしろ足手まといになっちゃうからね! ズバッと断っちゃって!」


 大慌てで軌道修正に掛かるコリン。

 使用人に格下げなど、とんでもない話だ。

 とてもやっていける自信がない。

 そんなコリンに、フレデリカ先輩が冷たい目線を送った。


「コリン、君は将来、公爵位を継いで人の上に立つ人間だ。庶民生活を知らずに、領民の気持ちを理解できるのかい? 使用人を経験しておくことは、きっと将来の糧になるよ。

 ここは進んでやらせて下さいと頼むところだろう?」


「うぐっ」


「それに作戦局の任務では、貴族身分が邪魔になることが少なくないからね。今の君では見識が狭すぎて、身分を隠そうとしてもすぐにボロが出る。少しは労働者階級に馴染んで、その空気を身に付けることだ」


「畜生! それっぽい理由を思い付きやがったな!」


 正直なところ、先輩の理屈に反論することが出来ない。

 箱庭育ちで庶民感覚が欠けている自覚もある。

 それにしても先輩の思い付きは唐突すぎた。

 せめて心の整理をする時間が欲しいところだ。


 コリンが内心で葛藤していると、後ろに控えるシャルロと目が合った。

 それが運命の分岐点だった。


「あは。使用人も意外と楽しいかも知れないのデスよ? わたしとしては、コリン様と一緒に働けるのは、ちょっと嬉しいかなって思ったりもしちゃうのデス」


 シャルロの天使のような笑顔に、コリンの心が大きく傾く。

 考えてみれば別に、本気で労働者階級に落とされる訳でもない。

 所詮は社会勉強。

 期間限定と思えば気負う必要もなさそうだった。


 どうせやらされるのなら、機会は前向きに捕らえるべきだろう。

 先輩の思い付きに乗せられるのは癪だが、それでもコリンは決意を固めた。


「分かりました。やります。使用人になってやりますよ」


「わ! 本当なのデスか! それならわたしは、コリン様の先輩になるデスね!」


 無邪気に喜ぶシャルロの姿を眺められただけでも、決断して良かったと思える。

 後はシェリー嬢の判断次第だ。

 シェリー嬢が意見を求めるように、バトラーとハウスキーパーを見やった。


「宜しいのではないでしょうか。かつては貴族の子弟が、他家で使用人職の経験を積むことは一般的でした。両家の友好関係にも悪くない話かと思います」


「そうですわね。ひとまず試用期間を設けましょうか。続けるかどうかは、またその後に考えてはいかがですか? 仕事の案内はメイド長に担当させますわ」


「ということだ。フレデリカ殿の好きにしたらいい」


 シェリー嬢が投げやりに了承の意を示す。

 いかにも渋々といった様子が滲み出ている。

 フレデリカ先輩の背後に控えるルーンベリー公爵家のことを考えれば、最初から選択肢などなかったのだろう。

 それにコリンのスリス公爵家の存在も、無視できなかったはずだ。


 普段のコリンは、自分の出自に無頓着だったりする。

 ただ、こうした交渉ごとの際には家柄の力を肌で感じた。


「ありがたい! シェリー殿、感謝するよ」


 破顔したフレデリカ先輩が握手を求める。

 渋面を作ったシェリー嬢がそれに応じた。


 帝国には二つの国民が居るという、有名な一節が頭に浮かぶ。

 階上の世界と、階下の世界。

 コリンは階級社会という階段を、ゆっくりと下り始めた。

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