2-3. 魔女狩り1
白い崖と碧い海。
初夏の日差しが照りつける中、飛び交うカモメ達の鳴き声を掻き分けながら、大型の帆船がゆっくり港へ入ってくる。
桟橋では日に焼けた荷役人夫達が、接岸準備で慌ただしく走り回っていた。
大型商船のすぐ脇を出港していくのは、海軍の戦列艦だ。
決して狭くない港湾は、大小多様な船舶で溢れ返っていた。
擦れ合うようにして交差する大型艦の足下を、小さな漁船が巧みな操船ですり抜けていく。
港湾都市フローマス。
帝国経済圏でも五指に入るハブ港湾だ。
世界中からかき集められた富のおよそ半分が、この港を中継して帝都をはじめとする各都市へと運ばれる。
帝国島の南端に位置し、旧王国連合領とは海峡を挟んで向き合っていた。
気象に恵まれていれば、王国側の港まで半日程度の航海で辿り着ける。
フローマス湾には二つの河川が注ぎ込んでおり、丁度Y字を描くようにして水域が市街地を三つのブロックに区切っていた。
そのうち東地区は、いわゆる貧民街と呼ばれるエリア。
隣接する南街区から橋を一本渡っただけで、同じ都市とは思えないほど街の雰囲気がガラリと変わる。
今にも崩れそうな木造平屋がぎっしりとひしめき合い、整備されていない道が複雑に入り組んでいた。
治安レベルは最悪。
東街区に迷い込んだ不慣れな旅人が、身ぐるみ剥がされたという逸話には事欠かない。
「見たまえ、コリン! この混沌ぶりを! 素晴らしいと思わないかい? まさにフローマスの魅力は、この街区にこそ濃縮されていると言えるね!」
「はあ、そうですか」
コリンと呼ばれた青年が、騎乗したまま気のない相槌を打つ。
コーヒー色をした髪の、二十代前半の中央事務官だ。
身に付けている青いコートが、軍務省作戦局の所属であることを示している。
いわゆるエリート貴族軍人なのだが、覇気がないのは生まれ付きだから仕方がない。
一方でコリンと馬を並べる女性は、どこまでも上機嫌だった。
名はフレデリカ。
身体も小柄で童顔なせいで、子供にしか見えない。
しかし、これでもコリンにとっては作戦局の先輩であり、上官でもあった。
金の縁取りをした青いコートが、赤毛と勝ち気な表情にやたらと似合っている。
「さっき入手した手配書の参考人も、きっとこの辺りに潜伏しているはずだよ。地元騎士団を出し抜いて、あっと驚かせてやろう」
フレデリカ先輩がどうしてそこまで自信に満ちあふれているのか、コリンとしては理解に苦しむ。
明らかにコリン達は目立ちすぎていた。
今はまだ地元住人達もこちらを警戒しているようだが、油断は出来ない。
少しでも隙あれば、金目のものを狙ってくると思って良いだろう。
「……それで、先輩。この道は東街区のどの辺なんですか?」
「むぐっ」
無秩序な街並みを見渡していたコリンの問いに、先輩が言葉を詰まらせた。
「コリン、君はこのボクが、まさか道に迷ったとでも疑っているのかい? 失敬だね! そんな初歩的なミスをするはずないだろう」
「で、迷ったんですよね?」
問いを重ねるコリンに、先輩が目をそらす。
そして懐から地図を取り出すと、ごにょごにょと小声で呟いた。
「どうやらこの辺りは、無計画な都市開発に地図の更新が追いついていないようだ。全く怪しからん話だよね。今度領主の息子に会ったら、文句を言ってやる」
例え地図が不正確でも、最初から道筋を追っておけば大まかな現在位置ぐらい分かったはずだ。
あまりの自信満々な様子に、先輩を信じて地図を預けたのが失敗だった。
ただでさえ狭い街路は、不法露店やゴミ山などに占拠されており、場所によっては完全に道を塞いでいる。
おかげで街区全体が迷路のようだった。
こんなことなら、フローマス伯爵のカントリーハウスに寄るべきだったと後悔する。
当主代行に頼めば、土地勘のある案内役ぐらい付けてくれただろう。
もちろん悔やんだところで、現状が改善される訳ではない。
とにかくこのまま進むのは危険すぎた。
馬首を巡らせながら、どちらに行けば大通りに戻れるのか記憶をたぐる。
「何だい、その諦めきった顔は! 別に砂漠の真ん中で遭難した訳じゃない。道ならその辺りの住民に聞けば良いさ。いや、決して迷ってはいないけど、確認は必要だね」
「確かに普通ならそうするんですけど、でもこの辺りって移民街ですよね? 帝国語って通じるんですか?」
さっきから帝国語の看板を見掛けていない。
遠巻きにこちらを観察する住人達のヒソヒソ声も、王国語のように聞こえる。
コリンの不安そうな表情に、先輩はきょとんとした顔をしてみせた。
「? 君はもしかして、王国語だと何か問題でもあるのかい?」
「すいませんね、どうせ俺は王国語そんなに得意じゃありませんよ」
気まずそうに唇をとがらせたコリンに、先輩が勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
道に迷った原因が誰にあるのか、この先輩は一瞬で忘れてくれたらしい。
この上なく嬉しそうにコリンを責め立ててくる。
「呆れた! これは心底驚いた! パブリックスクールと士官学校で、王国語は必修科目だったはずだろう? 帝国の教育システムに問題があるのかい? それとも君だけが特殊なのかな? 仕方ない。ここはこのボクが、王国語コミュニケーションの手本を見せてあげるとしよう」
コリンの王国語スキルは知っているはずなのに、ひどい言われようだ。
颯爽とコートを翻した先輩が、周囲を見渡して声を掛けるターゲットに目星を付ける。
先輩が選んだのは、住人達の中でもフードを目深く被り、こそこそと路地裏に消えようとしていたひとりの若者だった。
『おい、そこの君。止まりたまえ!』
騎馬したままの上から目線。
人にものを頼む態度ではない。
ところがフレデリカ先輩の場合、それが様になるのだから困る。
凛とした先輩の声に、フードの若者の動きがビクリと止まった。
『どうした? それでは顔も見えないだろう? こちらを向きたまえ』
フードに表情を隠し、背を向けたままの若者を先輩が叱責する。
いきなり上級貴族に声を掛けられて、緊張でもしているのだろうか。
様子がおかしい。
見兼ねたコリンが、下馬してフードの若者に近づこうとする。
先輩に任せておくよりは、片言しか話せない自分の方がまだマシそうだという判断だった。
剣の間合いに一歩足を踏み入れたその瞬間、若者の振り向き様に放った閃光が爆音と共に炸裂した。




