2-2. メイド長1
カントリーハウスとは、地方領主が所領に有する屋敷のことを指す。
ヘイウッド邸もその一つだ。
旧家のカントリーハウスには、戦乱の時代に建てられた歴史が刻まれている。
実際に城塞として機能するカントリーハウスも少なくない。
一方でフローマス伯爵を当主とするヘイウッド家は、どちらかと言えば新興貴族に分類される。
ヘイウッド家のカントリーハウスを見れば、ひと目で平和な時代に設計されたことが分かるだろう。
防御力よりも、住み易さ優先。
スージーは自らの職場でもあるこのカントリーハウスが好きだった。
白塗りの壁に、青い屋根。
張り出したバルコニーの下は、テラスになっている。
古典的な装飾を廃した、シンプルな造りだ。
屋根裏や半地下まで含めると、四階建てということになる。
中央棟を挟んで、東と西に翼棟が並ぶ。
新しい時代にふさわしい、立派なカントリーハウスだ。
女王陛下をお泊めすることになっても、決して恥ずかしくはないだろう。
そのヘイウッド邸では、来客の準備がいよいよ大詰めを迎えようとしていた。
「おい! スージー、どういうことだよ!」
大声で名前を呼ばれて、やれやれとスージーは振り返った。
一応はこれでも、この屋敷のメイド長ということになっている。
すらりとした長身に、栗色の長い髪。
髪型に強い拘りがある訳でもないが、一房だけはワンサイドアップにまとめていた。
「だから、リリに伝えさせたでしょう? あたしに怒ったところで、新しい情報は出てこないわよ?」
「人数も分からないのに、どうやって料理すりゃいいんだよ!」
「いや、まあ。そりゃそーなんだけどね」
ファースト・キッチンメイドが怒り心頭なのも当たり前だ。
その点はスージーだって理解している。
今晩から長期滞在する予定の来賓は二名。
しかし、彼女らが引き連れてくるはずの召使いの人数が分からない。
ぎりぎりまで追加の連絡を待ってみたが、その期待は空振りに終わった。
分からないことが分かったと、キッチンに遣いを走らせたのがつい先刻のこと。
そうしたらキッチンの主であるファースト・キッチンメイド様が、自ら怒鳴り込んで来たという顛末だった。
「頭に血が上るのは分かるけどさ、包丁を持ったまま屋敷内を歩かないでくれる? お客様が見たら、何事かと思うわよ」
「うるせーな。あまりにびっくりな報告だったもんで、慌ててキッチンを飛び出て来ちまったんだ」
指摘されてようやく包丁に気が付いたのか、三泊眼のキッチンメイドはバツが悪そうに鼻の頭を掻いた。
今回の来客対応のため、昨夜から他のアポイントを全てお断りしていたのが功を奏した。
そうでなければ、危うく不名誉な評判が立つところだった。
「常識的に考えて、お供の使用人はお客様と同じ人数か、多く見積もっても二倍ってところかしら。過去の最高記録は何人だっけ?」
「八人ぐらい連れてきた馬鹿がいた気がする」
「あー、いたわねー。そんなやつ。それじゃ最悪のケースに備えて、ゲスト付き使用人の料理は二十人分を用意しておいて」
「マジかよ!」
「マジよ、マジ。足りないよりは余らせた方がマシだって」
「あたいは料理を余らせるなんて許さないからな。お供の使用人が少なかったら、明日の朝食も昼食も、同じメニューが並ぶことを覚悟するんだな」
捨て台詞を吐いたキッチンメイドは、肩を怒らせながら台所へ戻っていった。
とんでもないゴロツキだ。
あれで料理の腕が確かでなければ、クビにしているところだった。
もっともメイド長の職権はキッチン部門に及ばないので、スージーに人事権はなかったりする。
「スージーくんっ。客室のシーツは新調してきたよっ。次は何を手伝ったらいいかな!」
客室の用意をしていたメイド達が、新たな指示を仰ぐために大階段を降りてきた。
ヘイウッド邸ではメイド服のデザインによって、何を担当するメイドなのか一目で分かる。
いつもなら担当違いのメイド達も、今日は掃除や片付けに駆り出されていた。
何しろ来客準備は総力戦だ。
「お疲れさん。じゃあ悪いんだけど、こっちの掃除を手伝ってくれる? もう一度、ホールを磨き上げたいのよ。何しろお客様が最初に目にするのは、この階段ホールだからね」
「ほいきた!」
快諾するランドリーメイド。
しかし、そうではないメイドも紛れ込んでいた。
「ええ~? もう十分に綺麗じゃん。これ以上磨いたところで、大して変わらないって」
だらけた声を上げたのは、スージーの実妹であるリリだ。
帝国において児童労働は珍しくない。
ヘイウッド邸でもリリを含めて、三人のジュニアスタッフが採用されていた。
「あー、もう疲れたー。休憩したーい」
「へえー。あたしの指示に逆らうなんて、あんたも偉くなったもんね。こいつは再教育が必要かしら?」
ゆらりと、スージーから殺気が立ち上る。
怠け癖というものは伝染する。
諸悪は根元から絶つべきだ。
怒りのあまり、笑みがこみ上げてくるのを自覚した。
姉の只ならぬ様子に気づいたリリが、恐怖のあまり「ひっ」
と息を飲むがもう遅い。
失言の報いは、その身体に刻んでやらなければならない。
「待って、姉ちゃん! 暴力反対!」
「あら、これは暴力じゃないわよ? 躾ってやつだから。誤解しないでね?」
リリが腰を浮かすよりも、スージーの踏み込みは速かった。
「ひゃあうッ」
「ちィ!」
槍みたいな構えで突かれた長箒の一撃を、紙一重で避けるリリ。
舌打ちしたのはスージーだ。
毎日のようにお仕置きを繰り返すうち、この妹は耐性を身に付けつつある。
まるでゴキブリのようだ。
早く根絶しないと。
「あんた、ちょこまかと避けるんじゃないわよ」
「直撃したら、骨折どころじゃ済みそうにないじゃん! せめて凶器は止めてよね!」
「はあ? なに言ってんの? 箒は凶器じゃなくて掃除道具でしょ?」
「正論だけど! でも、箒を振り回してる人に言われたくはなかった!」
もちろんいつまでも長引かせるつもりはない。
さっさと止めの一撃を送り込もうとしたところで、スージーはその動きを止めた。
カーペットの上を走る足音と、ドアノブが回る音。
スージーの予測した通り、大階段の先にある扉が内側から開け放たれた。
「シャルロはどこだーーーーっ」
現れたのは、絵に描いたような金髪美少女だった。
あまりの可愛さに、思わず感嘆の息が漏れる。
少女の名はシェリー・ヘイウッド。
フローマス伯爵の末娘であり、ヘイウッド家の幼き当主代行だった。
つまりはスージー達にとって、ご主人様に相当する。
ストレートの金髪と、少し吊り目な翠の瞳は、いかにも貴族のお嬢様といった顔立ち。
シェリー嬢の美しさを見ているだけで、スージーは幸せな気持ちになってくる。
リリごときを相手に荒んでいた心が、洗われていくようだ。
「はあ、あんたにもお嬢様の百分の一ぐらい可愛げがあったらねえ」
「そんな溜息付かれても! というか、あたしだって可愛い方だよねっ?」
「あんたの顔って、何となくあたしに似てるから萎えるのよね。パクりなの? 止めてくれない?」
「妹なんだから仕方ないじゃん!」
そんな妹のことは放っておく。
今はシェリー嬢の相手をする方が大切だ。
ダブルスタンダード。
それがスージーの基本方針だった。
「シャルロちゃんなら、メッセンジャーの仕事で外出しています。それよりお嬢様、お勉強の方は宜しいのですか?」
「うむ。ダンスのレッスンは中止だ。私は自由だぞ!」
言われてみると、ダンスの講師が来ていない。
実は街の方では騒ぎが発生しており、あちこちで騎士団が検問を実施。
渋滞に巻き込まれた講師は立ち往生という事情があったのだが、その連絡はまだスージーに届いていなかった。
「それでシャルロを探していたのだが、外出しているのか。どうにかならないのか?」
シャルロというのは、シェリー嬢がご執心のジュニアスタッフだ。
美少女が揃うヘイウッド邸の使用人でも、別次元の愛らしさを誇っている。
シェリー嬢が心奪われるのも当然だ。
シェリー嬢の願いは何とかしてやりたい。
スージーは優しく微笑んだ。
「分かりました。それでは至急、シャルロを呼んで来させましょう」
「本当かっ? そんなことが出来るのかっ?」
「もちろんです。リリ、あんたちょっと街まで行って、シャルロちゃん探してきなさいよ。辻馬車を使ってもいいから」
「無茶振り来たーーーーッ」
驚愕のあまり、リリが青ざめる。
「無理に決まってんじゃん! この広い港湾都市のどこにいるのかも分からないのに!」
「そんなことないわよ。シャルロちゃんなら大抵は、移民街の青空市場に寄るじゃない? そこを待ち伏せすれば会えるって」
「あそこの市場も結構広いからね! あの人ごみから探し出すとか、不可能すぎる!」
「はー。使えないわね、あんた」
頭を振ると、スージーはお嬢様に向き直った。
苦渋の表情を浮かべて一礼する。
「申し訳ありません、お嬢様。どうやらリリには荷が重かったようです」
「あたしのせいッ?」
一瞬でも期待してしまっただけに、シェリー嬢の落胆は大きかった。
たちまち碧眼が潤んで、大粒の涙が溢れ出す。
両手をぶんぶん振りながら、駄々をこね始めた。
「うあーーーーん! やだやだ! 私はシャルロと遊ぶのだ!」
「ぶふッ。幼児退行したお嬢様も超絶可愛いっ」
思わず鼻血が溢れそうになる。
そんな姉を、ドン引きした表情で妹のリリが見上げた。
本来なら幼さを増したお嬢様をいつまでも愛でていたかったが、メイド長としての自覚が邪魔をする。
気は進まないが仕方ない。
子供のことは、子供に任せるのが一番だ。
スージーは咳払いをひとつすると、妹のリリに命じた。
「リリ、お嬢様の遊び相手になってあげなさい。こっちの仕事はしなくていいから」
「いやっほーう! さすが姉ちゃん! 話が分かってるう!」
ぱあっと表情を輝かせるリリ。
憎たらしくて、殴りたくなる。
しかし、リリのような脳天気な遊び相手こそ、落ち込んだシェリー嬢には必要だった。
「ほらほら、シェリーちゃん! 姉ちゃんの気が変わらないうちに遊びに行こう!」
「ぐす。でもシャルロがいないのだろう?」
「シャルロちゃんが居ないからこそ出来ることもあるわよ! シャルロちゃん攻略の作戦会議とかね!」
「作戦?」
「もうね、シャルロちゃんがシェリーちゃんにめろめろになっちゃうやつ!」
「本当かそれはっ! めろめろか!」
泣いたカラスがもう笑った。
リリに乗せられて、シェリー嬢がむふーーと鼻息荒く興奮する。
ピンク色の妄想を膨らませているらしい。
リリがシェリー嬢の手を引っ張って、キッチンへと向かっていく。
おそらく同世代のジュニアスタッフであるメリッサも誘うつもりなのだろう。
シェリー嬢を見送って、スージーはやれやれと肩を回した。
お嬢様の相手も大事だが、来客準備も進めなければいけない。
責任ある立場の辛いところだ。
「それじゃ、あたし達は仕事を続けましょうか」
「へーい」
部下のメイド達が気の抜けた返事をする。
そのうちの一人、パーラーメイドがつつつとスージーに寄り添ってきた。
耳打ちするような近さで、そっと囁く。
「ところでお姉さま」
「何よ?」
本来ならパーラーメイドは接客担当だ。
実用一点張りのハウスメイドとは、制服のデザインからして全く違う。
フリルやレースに彩られたメイド服は、完全に鑑賞用。
大きく開いた胸元からは、おっぱいが溢れそうになっていた。
ちなみにお姉さまなどと呼んではくるが、リリと違って血の繋がりはない。
「今晩から滞在される、お客様のことですわ。お姉さまなら、色々とご存じなのでしょう?」
ヘイウッド家のメイドも、所詮は女の子だ。
噂話には目がない。
当然、彼女らを監督する立場にあるスージーにとっては、好ましい傾向ではなかった。
だから自然と返事も素っ気なくなる。
「ちゃんと説明してあるでしょう? ルーンベリ公爵家のご令嬢と、スリス公爵家の御曹司だって。序列としてはフローマス伯爵家より格上なんだから、失礼のないようにね」
「聞きたいのはそんなことではありませんわ。どんな方なのか、お姉さまは調べていらっしゃるんでしょう?」
それはそうだ。
来賓として迎える以上、相手のことを知らなければ高品質なサービス提供は出来ない。
貴族名鑑の最新版だけではなく、帝都の専門業者から情報は取り寄せていた。
「ご令嬢の方は、社交界でもかなりの変人として有名ね。公爵家に女子として生まれながら、軍務省に勤めてるぐらいだから。ウィル様とも同窓らしいわよ?」
「ご令嬢はどうでもいいですの! それより殿方ですわ! ハンサムですのっ? もちろん超お金持ちですわよね!」
パーラーメイドが目を輝かせて、ずいずいと迫ってくる。
暑苦しいことこの上ない。
「そっちはあまり分からないのよ。良くも悪くも普通なんじゃない? 士官学校を卒業してそんなに経ってないみたいだし、情報不足ね」
「でも若いんですわよねっ? 未婚ですの?」
まあ、パーラーメイドの考えていることは手に取るように分かる。
その手のロマンス小説は、実はスージーだって愛読していた。
問題はそれを、フィクションだと割り切れるかどうかだ。
「あんた、また無謀なこと考えてるわね? 止めときなさい、傷付くだけよ?」
「止めませんわ! 玉の輿ですの! わたくし達が労働者階級から抜け出すには、これしかありませんわ!」
「トラブルだけは勘弁してよね」
スージーは呆れたように嘆息する。
正直なところスージーには、パーラーメイドほど熱意も興味もなかった。
仕事だから持て成しもする。
しかし、プライベートでまで貴族連中に関わりたいとは思えない。
その手のトラブルは、もう懲り懲りだった。
「コリン・イングラム……か」
公爵家の御曹司とかいう来賓の名を反芻する。
何とも冴えない響きだった。
それ以上の感想も思い浮かばず、スージーはいつも通りに最高のサービスを提供するだけだと再認識した。




