2-1. 回想(帝歴261年冬)
帝国と王国連合の戦争が始まって、既に八十年近くが経過している。
小休止を挟む度に、参戦国の顔触れや敵味方は目まぐるしく入れ替わり、開戦時の大義名分などはどこかへと消えてしまった。
根底にあるのは、帝国に代表される海洋勢力と、それに抵抗する大陸勢力との経済戦争だ。
一進一退の争いを続けてきた二者だったが、近年のパラーバランスは帝国優勢へと傾きつつある。
勢いに乗る帝国は、数十年振りに王国連合の盟主国領内へと軍を侵攻させた。
城塞都市ローアン。
盟主国の王都目前まで迫った帝国軍ではあったが、一つの地方都市がその進撃を足止めした。
当初三ヶ月で陥落すると見込まれた城塞都市は、予想に反して一年以上の強硬な抵抗を見せる。
その間、帝国軍の司令官が交代すること三回。
全て王国側の仕組んだ暗殺作戦が原因だった。
現在の師団司令官代行は四人目となる。
彼の名は、ウィリアム・ヘイウッド。
フローマス伯ヘイウッド家の長子としてエリートコースを進んできた、折り紙付きの帝国軍人だ。
階級は少佐。
二十九歳。
本来であれば少将級のポストである師団司令官としては、異例の若さだった。
「いい夜だ。そうは思わんか、軍曹」
「全くです、少佐。月明かりどころか、星ひとつ見えない。例え陽が出ていたとしても、この吹雪なら目先の灯りすら見えんでしょうな」
近年稀に見る、記録的な猛吹雪。
肌を刺す冷気と雪の飛礫が、若き司令官とその副官のフードを激しく叩く。
騎馬がぶるると唸り声を上げ、白い息を荒々しく吐いた。
兵士達が首を竦めて極寒に耐える中、馬上で堂々と背筋を伸ばしたウィルの表情はどこまでも晴れ晴れとしている。
ウィルが直接率いるのは、実父であるフローマス伯爵から預かってきた歩兵連隊二千名。
さらに他家が所有する二個歩兵連隊と法兵連隊及び竜騎兵連隊が、吹雪に晒されながらも所定位置で待機中。
予備兵力を含めて合計一万名近い帝国軍一個師団が、今やウィルの指揮下にあった。
対する城塞都市ローアンの守備兵力は僅か二千強。
残りは素人同然の市民兵ばかり。
しかも長期の包囲戦により、精神的にも肉体的にも彼らは極限まで追い込まれていた。
兵力差は圧倒的。
それでもなお、ウィルは非情なまでに一切の手心を加えない。
伝令兵と何事か言葉を交わしていた軍曹が、ウィルへ報告する。
「少佐、内通者からの合図を確認。城門は予定通り、我らの手に落ちました」
「上出来だ、軍曹。当初のプランから変更はなし。この戦には随分と投資したからな。そろそろ回収させてもらうとしよう」
「了解です、少佐」
オーケストラ指揮者のような優雅な仕種で、ウィルが腕を頭上へ掲げた。
一瞬、吹雪が収まる。
それはただの偶然。
しかしその光景は、ウィルの手刀が雪雲を切り裂いたかのようだった。
「武運を祈る! 全ては、女王陛下のために!」
ウィルの手を振り下ろされるのと同時に、信号方弾が放たれた。
稜線に伏せていた兵士達が、迷彩用の白いフードを脱ぎ捨て一斉に立ち上がる。
「女王陛下万歳!」
「女王陛下万歳ッッ!」
抜剣する刃滑りの音と鬨の声が、一万名の軍勢へ波紋のように広がっていく。
城塞都市ローアン側からも照明法術が次々と打ち上げられ、強烈な青白い光が帝国軍の全容を照らし出した。
警鐘が鳴り響き、慌てて反撃に転じるローアン守備軍。
しかしその反応はあまりに鈍い。
ローアン守備軍の組織的な斉射が始まる頃には、既に帝国軍の先鋒は城壁まで二百メートルという距離まで接近していた。
帝国竜騎士の馬上槍から放たれた法撃や攻城級法術が、幾重にも張り巡らされた城塞都市ローアンの防壁法術に衝突。
オーロラのような輝きを放ちながら、防壁法術が砕けていく。
飛び交う弓矢と攻性法術。
幾人かの帝国兵士が雪上に力尽きていくが、帝国軍は意に介さない。
脱落者を踏みつけて進むような勢いで攻め続けた。
そして、城門が内側から開かれる。
後は文字通り圧倒的な展開だった。
城塞都市に広がる戦火が、天を覆う雪雲を赤く染め上げる。
交戦開始から、わずか十数分しか経過していなかった。




