どうして"こんな所"にいるんですか
運命の太陽の日。
この日、正午までのわずかな時間に全てが決まるだろう。
気合を入れ直しながら起きていくイリス。
今日は本当に忙しい日になる。
1階へ降りると既にレスティが朝食の準備を済ませてくれていた。
テーブルに並んだ食べ物を前に涙ぐんでしまいそうになる。
「今日はいっぱい運動すると思ったから、消化に良いものを作ってみたわ」
「……ありがとう、おばあちゃん」
「うふふ、さあ食べましょう」
「うんっ」
イリスは朝食を取っていく。
食べすぎは良くないが、それでもしっかりと食べなくてはいけない。
途中で倒れるだなんて、絶対にしてはいけないのだから。
ゆっくりと良く噛んで、しっかりと食べていく。
流石に朝のお茶は程ほどにして、イリスは早めに家を出発していった。
イリスがいける場所には限りがある。
ロットの行き場所を全て知っている訳ではないからだ。
それでも少女は王都を駆けて行く。ギルド、噴水広場、周囲にある店、雑貨屋、素材屋、食材屋、服屋、武器屋、鍛冶屋、そして図書館。
だが、どこにもロットの姿を見つける事は出来なかった。
時間は無常にも過ぎていき、そろそろ正午の鐘が鳴りそうな程、切迫していた。
じわじわと焦りの色でいっぱいになりそうになるイリスは、それでも挫ける事無くロットを探していく。図書館から出て噴水広場とは逆の道を見つめるイリス。この先にもうじきネヴィアが来るだろう。
もしかしたら、もう教会にいるのかもしれない。でも今は会えない。会う訳にはいかない。ネヴィアに会ってもイリスには何も出来ない事を理解しているからだ。
それじゃきっとだめなんだ。今、自分に出来ることは、ネヴィアさんに会う事じゃない。今、自分に出来る精一杯の事をしなさい、イリス!
噴水広場に向き直ったイリスは広場まで駆けていく。
すぐに尽きる体力を恨めしく思いながら歩いていると、イリスは一つの事を思い出していた。
もしかしたら、あの場所にいるかもしれない。
そう思いながら噴水広場をギルド通りに向かって走っていく。
目的地の場所は目と鼻の先。流石にイリスでも休まず走って行ける距離だった。
大きな建物の前で息を整えるイリスは、木製で両開きの扉に手をかけ、ゆっくりと力を込めていった。
がやがやと今日も賑やかな館内は、多くの人で溢れ返っていた。
この時間帯はもう空く頃だとミレイやロットに聞いた事があるが、それでも10人ほどの冒険者が掲示板を眺めているようだ。受付の所には今は誰もいないらしく、早歩きで受付まで進むイリス。右端の受付にいたのはシーナさんだった。
徒ならぬイリスの表情を見たシーナは、驚きで目を丸くしながらイリスへと話しかけてきた。
「イリスさん? どうかされたんですか?」
「こんにちは、シーナさん。実はロットさんを探しているんです」
「……ロットさん、ですか?」
「どこにいるかご存知ないですか?」
言葉に詰まるシーナの対応で、流石のイリスにも分かったようだ。
もしかしたら必死であった為に、神経が少々鋭くなっていたのかもしれない。だがイリスは勝手な行動を取らず、シーナの言葉を待っていく。
その真っ直ぐな瞳に根負けをしたように彼女は、本当は誰にも言わないで欲しいと言われていたのですが、と言葉にしていった。
こつこつと木製の階段を下がっていくイリス。
徐々に視界が広がっていき、とても大きな場所へと出た。
ギルド地下訓練場。その壁際にあるベンチに腰をかける一人の男性。
この施設に他には誰もいないようだった。イリスはその男性に近づいていき、美しい白銀の鎧を身に纏ったその人物へ話しかけていった。
「こんにちは、ロットさん」
「……やぁ、イリスちゃん」
その瞳はもう全てを諦めたかのような気配が感じられ、その男性は疲れ果てたような表情で少女を見つめて答えていく。昨日のイリスであったら胸が痛んだ事だっただろう。
だが今のイリスの心は、そんなことでは揺らがない。もう我侭を通すと決めたからだ。その決意の表情を見て取れたらしく、ロットはイリスの瞳から視線をずらしてしまう。
こんなに弱いロットを見たのは初めてではあるが、今はそんな事を言っている場合でもない。
イリスはロットへと話を続けていった。
「どうしてこんな所にいるんですか?」
「……身体を動かしていたんだ。最近訓練もしていなかったし、たまには鍛えておかないといざと言う時に危ないからね」
そのロットの答えにイリスは悲しく思うも、話を続けていく。
「いいんですか、ロットさん。ネヴィアさん、結婚しちゃうんですよ?」
「……俺にはもう何も出来ないんだよ、イリスちゃん」
「どうしてですか?」
「どうしてって、昨日も言ったよね。もうどうしようもないんだよ」
「わかりません、私には。ロットさんはネヴィアさんの事を、大切に想っていたんじゃないんですか?」
「……誰よりも大切に想っているよ」
「なら――」
「でも、だからこそ、ネヴィアの幸せを願うんだ」
イリスの言葉を遮りながら答えるロット。
いつもの優しく笑顔が素敵な兄は、そこにはいなかった。
その表情は、今まで見た事もない悲しみで満ちた顔をしていた。
今にも泣き出しそうなその顔に、胸にズキンと痛みが走る。
痛みを無視しながら、イリスはロットの言葉を聞いていく。
「誰よりも大切なネヴィアだからこそ、何よりも一番に彼女の幸せを俺は想っているんだ。俺が結婚式に行ってしまうと、彼女の幸せを壊してしまうかもしれない。だから行けないんだよ」
招待状がロットに届いたのは、参列して欲しいという意味ではない。言葉ではそう書かれてはいるが、意味合いは全く違うものとなる。
あれは王族から、ネヴィアには結婚相手がいるのだからもう彼女とは関わるな、という意味である。
一介の冒険者風情が一国の王女と釣り合うと思うな、とまで言われてしまっている様に思えたロットが、結婚式に行ける訳が無い。ましてや最愛の女性の結婚式など、見ただけで心が壊れてしまう。
結婚式に行ける筈など、どこにあるというのだろうか。
だがロットは、口では納得している様に振舞っているが、それでもネヴィアの事が忘れられずに、まるで逃げ込むようにこんな場所に来ていた。
身体を鍛えるだの、訓練していないだの、いざと言う時が危ないだなどと、御託の良い言い訳を捏ね繰り回して、結局の所、ロットは彼女から眼を背けて逃げ出したのだ。
だからこそこんな所で訓練をする事も出来ずに、ただただ椅子に座りながら呆けてしまっていた。それにロットは気が付いている。いや、誰よりも分かっていた。自分の不甲斐なさに。
大切な人すら幸せにする事が出来ない、情けなく無力な自分自身に、強い嫌悪感を抱いてしまってした。
そんな諦めるわけでも、取り戻したいわけでもない中途半端な気持ちのロットに、イリスが我侭を通していく。
これで他の人が悲しむ事になろうとも、例えそれで王国を敵に回したとしても、断じてイリスには容認する事など出来る訳がないのだから。
イリスが望むのは、ロットとネヴィアの幸せ、ただそれだけだ。
「違います、ロットさん。そんな事、行かない理由にはなりません。ロットさんはネヴィアさんの幸せの為と言うけれど、それじゃ大切な事が半分しかありません」
「……半分?」
その言葉に思わずイリスを見上げてしまうロットは、その言葉の意味を理解しようとするも、その応えに辿り着く事は出来ないでいた。恐らく今のロットには辿り着けない答えだと判断し、イリスがその言葉の先を話していく。
「そうです、半分です。それはロットさんの想いと気持ちだけしかありません。
そこには同じくらい大切な、ネヴィアさんの想いと気持ちが入ってないんですよ。
ネヴィアさんの幸せを本気で願う気持ちがあるのなら、ネヴィアさんが一番想っている人と結婚するのが良いに決まっています!」
少女はロットの瞳を真っ直ぐ見つめながら、質問をし直していく。
「もう一度言います。ロットさん、どうしてこんな所にいるんですか?」
「…………でも、俺は……」
「――自分の気持ちに嘘をつかないで!!」
広い空間に、少女の声が強く響いていった。
* *
正午の鐘が鳴り、ゆっくりと教会の扉が開いていった。
純白の美しいドレスと穢れのないヴェールを身に纏った女性。その横には父親が連れ添っており、豪華な赤い絨毯を敷き詰められたウェディングアイルを、一歩ずつゆっくりと進んでいった。
その女性は透き通るような肌に、輝くような金糸のような髪、黄金の瞳のとても美しい人だった。それはまさに巷で言われている"白い妖精"そのものに思え、参列者から感嘆の声を漏らしてしまうほど清廉な女性がそこにはいた。
先に見える祭壇で、とても優しそうな眼差しの男性が待っている。
身体は少々細く、170センルほどはある身長の男性としては、かなり華奢と言えるかもしれない。薄い栗毛で細い髪は顔を動かすだけでさらさらと動き、穏やかな薄茶色の瞳がそれをより一層際立てていた。
とても優しそうな、穏やかに微笑む男性だった。
一歩、また一歩と祭壇へと向かっていく美しき花嫁。連れそう父親は祭壇手前で止まり、最愛の愛娘を見送っていく。こつこつと小さく響く女性の足音が教会に響いていきながら、男性の横まで辿り着き真横に並んでいった。
祭壇にはローレン司祭が待っており、二人を優しく見つめて言葉を述べていく。
「お集まりの皆様。本日はエミーリオ・ヴァレンテさんと、ネヴィア・フェア・フィルベルグさんお二人の為にお集まり頂き、有難う御座います。本日はお二人の新たな旅立ちの日に立ち会える事を嬉しく思い、また心より祝福させて頂きます。ですがもし、この結婚に異議のある方は、今この場で申し出るか、若しくは永遠に黙して下さい」
穏やかな司祭の声が、静かな教会内に響いていく。
「エミーリオ・ヴァレンテさん。貴方は妻となるネヴィア・フェア・フィルベルグさんを、健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、彼女を愛し、慈しみ、敬い、助け、その命の限り守る事を誓いますか?」
「はい」
少しだけ間を置いてローレン司祭はネヴィアを見つめ、言葉を続けていく。
「ネヴィア・フェア・フィルベルグさん。貴女は夫となるエミーリオ・ヴァレンテさんを、健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、彼女を愛し、慈しみ、敬い、助け、その命の限り守る事を誓いますか?」
「……」
言葉が出ない花嫁。その瞳は深く暗い悲しみの色で満ちており、どこか無気力に感じられてしまう。
教会内がざわつく中、彼女はゆっくりと瞳を閉じていった。それでも、その言葉だけは口にすることなど出来る筈がなかった。
「――ネヴィア!!」
突然の叫びに花嫁は目を大きく見開いて、その声の方向へと向き直る。
ウェディングアイルの向こう、教会の入り口の場所に、
ひとりの白銀の騎士が立っていた。
誰よりも大好きだからこそ、その人と結ばれる事ではなく、大切な人の幸せを願う。これは美徳の一つであり、最高で純粋な"祈り"でもあると私は思います。




