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この青く美しい空の下で  作者: しんた
第十六章 普通の家族に
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"普通の家族に"

「こちらは準備万端ですわ」

「こちらも問題ない」

「こっちも準備できたよー」

「こちらも問題ありません」

「こっちも問題ないよ」


 ブッフェルス製ホワイトレザーのボンサックを右手に持ち、仲間達へと向き直るイリス。その瞳は透き通り、まるですべてを見通しているかのような光を宿していた。

 仲間達をひとりひとり真っ直ぐ見つめ、全員同時に強く頷いていく。

 そんな彼らを頼もしく思えるイリスは静かに言葉にする。


「行きましょうか」


 その言葉にしっかりと頷きながら了承していく仲間達。

 厩舎横に置いてある馬車から放牧地へと向かい、エステルに挨拶をしていく。

 彼女もどこかそれを察しているのだろう。とてもそわそわとしているようだ。

 柵越しに鼻先を伸ばしていく彼女を強く抱きしめながら、優しく丁寧に撫でていくイリスは頬を寄せて愛おしい妹へ言葉にした。


「……それじゃあ、いってきます、エステル。いい子にしててね」


 イリスの言葉を察したのだろうか。

 とても落ち着きなく尻尾を左右に振るエステル。

 その気持ちが痛いほどよく分かるイリスはぎゅっと妹を強く抱きしめるも、連れて行くことはできない彼女に申し訳なく思ってしまう。

 小さく、誰に耳にも届かないほど小さくごめんねと呟いた彼女は、愛おしそうにひと撫でしてエステルから離れていく。


 そんな彼女に声に出して鳴くエステル。

 だが、イリスは振り返らない。背中を向けたままとても辛そうな表情を表す。


 徐々に離れていくイリスに彼女はいななく。

 普段は決して見せないその姿にイリスの足はぴたりと止まり、踵を返してエステルを強く抱きしめてしまう。

 妹へ言葉にしていくも、その声は震え、悲痛な面持ちになりながら話していった。


「ごめんね、エステル。貴女を連れて行くことはできないの……。いい子で待ってて」


 小さく鳴いたエステル。

 それはまるでイリスの言葉に反応しているかのようだった。

 再び離れるイリスにエステルはいななき、イリスは今にも泣き出しそうな顔をしてしまうが、彼女の足が止まることはなかった。



 厩舎が民家で隠れてしまうほど離れたが、遠くまで響くエステルの声に耐えきれずシルヴィアが話した。


「……これで……良かったの、ですわよね……」

「そうだな。エステルを連れて行けば、どうしてもかなりの危険を伴う。いくらイリスの魔法で保護したとしても、もしもを考えれば連れて行くのが正しいとは思えない」

「それに、エステルの食事ができないことも考えられるよ。草木が生えていない場所を通らざるを得ない可能性を考慮すれば、連れて行かない方がいいと俺も思うんだ」

「とても辛いですが、戻る要因となることは可能な限り避けるべきだと思います。

 そのために昨夜お話を一杯したので、きっと分かってくれると思っています……」



 言葉が続かないイリス。

 こんなに辛い別れとなるとは思っていなかった。

 それでも連れて行くことはできないと、辛い決断をしなければならなかった。


 とても辛そうなイリスへファルとネヴィアが話す。


「……大丈夫。ここは母さん達もいて、とても安全だから」

「……そう、ですね。エステルと少しでもお別れするのはとても寂しいですが、一番辛いのはきっとエステルですものね……」


 街門までそう遠くない道を話しながら歩くイリス達。

 街の外へと続く扉まで来ると、来た時と同じようにカミロが出迎えた。


「話はある程度聞いている。正直付いて行ってやりたいくらいだが、俺じゃ邪魔になるだろうからな。悔しいが、ここで待たせてもらう」

「ありがと、カミロさん。……母さん達も、ここまでありがとね」

「いいのですよ。送り出すことくらいはさせて下さい。とはいえ、二十日ほどでまた戻るのですから、気負うことなくゆっくりと歩いていきなさい。

 ファル、貴女には頼もしい仲間達がいるのですから、共に力を合わせればどんなことでもできると私は信じています」

「うん。そうだね、母さん」

「無理をしてはいけないよ。アルト様の教えを心に、常に冷静に進みなさい」

「うん。ありがと、父さん」


 二人に抱き付くファル。

 そんな娘に少しだけ驚いた表情を見せる二人だったが、すぐに優しい瞳に戻り、強く抱きしめていく。


 離れたファルの頭を丁寧にひと撫でし、イリス達に向き直ってフェリエは話した。


「どうか、ご無事で目的を達成されますよう、このセルナから祈っています」

「はい。ありがとうございます。

 馬車に置いてある食料は、街の皆さんで食べてください。

 熟成肉の方には魔法がかけてあるままなので、それが切れた頃が食べ頃になります。

 ……ですが、正直いつ効果が切れるかも分からないんですけどね」


 苦笑いをしながら答えるイリス。

 徐々に開かれる街門を進み、扉の外へと来ると振り返り、手を振っていく。

 ゆっくりと閉じられていく扉の先を見つめながら、徐々に見えなくなる娘に手を振り続け、扉が閉じられると手を上げたまま固まってしまうフェリエとヴィクトル。



「……行ってしまったね」

「……そう、ね……」


 とても寂しそうに呟く二人。

 付いて行ってあげられないのは本当に辛いが、フェリエであったとしても恐らくは邪魔になってしまうだろう。それだけの強さを娘は既に手にしてしまった。

 唯一不安だった精神(こころ)の弱さが解消された今、強さという一点においてフェリエを超えたことは確実だと思えた。

 であれば、笑顔で送り出すことが、親としての務めなのかもしれない。

 そんなことをフェリエは強く感じていたようだ。


 心配する気持ちが拭い去れることはない。

 見当も付かないような場所へと娘達は向かうのだから。

 どんなに強くとも、どんなに頼もしい仲間がいようとも、時としてそれは一瞬の内に崩れ去ってしまう可能性もゼロではない。


 この世界は理不尽で、不条理なのだから。



「だがまぁ、今回は見送ることが出来て良かったじゃないか。

 前回は俺も知らない間に出て行ってしまったからなぁ」


 二人の近くへ戻ってきたカミロは、どこか寂しげに話した。


 猫人種の身体能力であれば、街門を越えるなど問題にもならない。

 石壁の隙間を使えば、どんな場所からでも街の外に出ることなど容易い。

 一体どこから街の外へ出たのか、ではなく、どこからでも出られてしまう。


 ファルが人知れずにセルナを飛び出したあの日、何かがあったのだろうことくらいは理解していたカミロだったが、それを二人に尋ねることはなかった。

 聞いたところで彼女が出て行ってしまった事実は変わらないし、実際に聞いたとしても、どうにもできなかっただろうと彼は考えていた。


 なら、ファルが無事でいてくれることを願うしかないじゃないか。

 あの日に想ったことを、再び思い返すカミロ。


 だが今度は違う。

 今回はしっかりと両親に話をして、見送られながら旅立っていった。


 本来、旅立ちとはこうあるべきだ。

 それができなかった前回とは明らかに違う。

 それに――。


「良かったじゃないか。

 あの子がフェリエに抱き付くなんて、初めて見たよ。

 ファルが懐くのは、パストラとメラニアのふたりだけだと思ってたからなぁ」


 カミロの言葉にフェリエ達が返すことはなかった。

 ただ、とても優しく微笑んでいたのがとても印象的で、あぁ、ようやく普通の家族になれたんだなと彼は静かに思いながら、まるで自分のことのように喜んでいた。





 とても感慨深そうに、ファルは街門に右手を当てていく。

 扉の向こうにいる両親を想いながら、穏やかな声色でイリス達へ言葉にした。


「……ありがとう、みんな。

 みんながいてくれたから、あたしはここに戻って来られた。

 みんながいてくれたから、あたしは母さんの想いを知ることができた。

 みんなと一緒じゃなかったら、あたしは今でも誤解したままだったんだ。

 本当にありがとう。みんなと出逢えたことを、アルト様に感謝したいよ」


 仲間達に振り返った彼女の目尻には想いが溢れていたが、それを流すことなく笑顔で答えていた。

 この街に戻るまでは考えもしていなかった感情が込み上げてくるファル。

 戻って来れて本当に良かったと心から思いながら、仲間達のところへ戻っていった。



 涼しげな秋風を感じられる朝、暖かい日差しの降り注ぐ明るくも浅い森を進むイリス達。周囲に魔物の気配もなく、穏やかに進んでいけそうだ。

 木々の香りが鼻をくすぐり、草を踏み締める音がどこか心地良く感じる。

 こんな日はお昼寝に限りますねと、春ではない秋の日に同じような言葉をあのひとにしたことを思い出しながらくすりと笑うイリス。

 それを尋ねていく仲間達に、昔のことを思い出しただけですよと笑顔で答えた。

 見通しのいい浅い森を警戒しながらも話しつつ進み、楽しげに一行は歩いていく。



 ようやく、ようやくだ。

 大切な想いを伝えられる。

 大切なことを伝えられる。


 逢いに行こう、レティシア様に。

 もう一度。



 そんなことを考えながらも、大切な仲間達と歩き続けていくイリスだった。

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