"生まれたての仔馬のように"
ゆっくりと瞳を開けていく胴着をその身に纏っている女性。
宝石のような青く透き通る美しい瞳にどきりとさせられてしまうシルヴィア達は目を丸くしてしまうが、イリスは彼女達とは全く違うことを考えていた。
彼女は美しい。
凛としたその姿勢も、程よく鍛えられたその身体も、優しく微笑む表情も。
ただただ"美しい"と言葉にできるほどの輝きを放っていることは間違いない。
だが彼女の姿に、イリスは全く違った印象を受けていた。
彼女が瞳を開けた時点で、稲妻のような衝撃が全身を駆け巡った。
びりびりと伝わるほどの覇気を目の前の女性が放っているのを理解できたイリスは、彼女の強さを性格に感じ取っていた。
凄い。
一言イリスは思う。
彼女の強さは、並みのものでは断じてない。
プラチナランク冒険者だろうが、彼女と対すれば子供のようにあしらってしまう。
"充填法"どころではない力強さをその身に宿していると、彼女に感じていた。
それはあのエリーザベト以上の強さを持つとイリスは確信する。
しかし、アルトが後世にかつての言の葉を残したとは思えない。それは彼の仲間達が成した事が無駄になってしまうかもしれない危険性を秘めている。
そして覇闘術には制限があると彼は語り、体得したファルもそれを肯定した。
抑えられた技術を極めていったとしても、それほどの高みにはいけない。
恐らくは、彼女自身がその高みにまで上り詰めてしまったのだろう。
イリスと同じように自然とその力に気付き、体得して努力し続けたのだろうか。
エリーザベトは女王としての責務の為に修練をしなくなったと聞いていたが、彼女はきっとその間も研鑽を積み重ねていったのだとイリスは思っていた。
……この方が、"粉砕"のフェリエさん。
深い優しさと目を奪われる美しさの奥底に、凄まじい強さが隠しきれず溢れている。
静かに流れる清流のようでありながら、天まで聳える大樹のような雄大さを感じる。
この魔法が衰退した世界に、これほどの強さを持つ人がいただなんて……。
今まで出逢ってきた人達の中で、間違いなく最高の強さを持つ女性だ。
彼女の秘めた強さに、まるで圧倒されるかのように見つめ続けるイリス。
そんな中、フェリエは頭を上げていく娘に対し、静かに話していった。
「……さて。お話したいことがとても多いですが、まずは貴女のお話を聞きましょう」
「はい」
フェリエの言葉にファルは短く答えると、横に置いていた包みを解き持ち出した書物を母の正面に差し出すと、これまでのことを話し始めていった。
彼女の身に何が起こり、何を体験したのかを。
何を感じ、大切な仲間達と旅をしていることを。
その全てを事細かに、何よりも丁寧に話していった。
彼女が話し終えた後フェリエは問題の経典を手に取り、静かに開いて確認していく。
何百年間も白紙だったと言い伝えられているものが、その姿を変貌したかのように変化させたことに彼女は一切驚く様子を見せなかった。
衝撃的な内容であることは間違いない。嘘のような本当の話を娘がする間も眉ひとつ動かさず、視線を反らすことすらせずに聞いていた彼女に驚いてしまうシルヴィア達。
実際にそんな内容を聞けば、一言信じられないといった答えが返ってくるだろう。
正直なところ、それが一般的な受け答えとなってもおかしくないと言えてしまうような内容であり、それを信じろと言葉にすることの方が非常識だと糾弾する者すらいるのではないだろうか。
そういった現実的にはありえない話を続ける娘に対し、フェリエは一言そうですかと静かに答え、瞳を再び瞑りながら静かに話し始めていった。
「貴女が経典を持ち出したと聞き、始めは耳を疑いました。
時間が経った今でも理解の及ばぬ行動をしていると認識していました。
ですがそれもアルト様のご意思であるのならば、私からは何も言う事はありません」
「……怒ら……ないの?」
「経典を持ち出したことについては初めから怒ってなどいません。
確かに去年と一昨年の子供達は儀式を行なえませんでしたが、それは経典さえ無事であればいつでもできることですし、十歳でなければ儀式が行えないことなどないと私は思っていました」
今から二ヶ月ほど前、帰省したパストラとメラニアにフェリエがした頼みごとは、娘の安否確認を含む捜索のようなものだった。当然それには経典を所持しているのかの確認も含まれるが、それはついででしかなかったと彼女は優しい笑顔で娘に答えていく。
確かに彼女は覇闘術師範代となる技術も知識もそしてそれなりの心の強さも持ち合わせているが、格闘しかまともに使えないことに、母としても覇闘術を継承している者としても心配をし続けていたようだ。
碌にダガーも使えないのでは、冒険者として活躍することも厳しい。
格闘術のみで冒険を続けていれば、世界で悪目立ちもしてしまうだろう。
しっかりした武具を用意しなければ格闘すら満足に扱えないことは彼女も理解しているはずだが、世界でも最高の装備であるミスリルを格闘武具として一式を揃えるとなるば、相当の資金が必要になる。ましてや格闘に使える武具など、ほとんどが特注品だ。
何よりも心の強さとは言っても彼女は泣き虫なので、厳しい世界で日々辛い想いをしているのではないかと、母としては毎日心配だったとフェリエは娘に話していった。
家を飛び出したことについても話してくれさえすれば止めたりはしないし、経典の件もその時の気持ちをしっかりと伝えてくれていれば持っていくのにも問題はなかったとフェリエは話し、ファルを驚愕させた。
だが、何も告げずに街を飛び出したことに、言いようのない寂しさを感じたようだ。
その時の心情を想い起こしながら娘へと話していくフェリエは、その声色を変わることなく道場内に優しく響かせていくが、どこか物悲しさを秘めた音を感じてしまう。
「猫人種は自由であるべきです。アルト様がそうお言葉を残されているように、私達はそうあるべきで、そう在り続けるべきだと私は思っています。
それがたとえ猫人種にとって大切な経典であろうと、しっかりとそのことについて貴女が話してくれていれば私達は納得し、覇闘術継承者としてそれを認めていました。
貴女が逃げるようにこのセルナを飛び出してしまった日、私達はとても悲しい想いをしたのを昨日の事のように覚えています。まるでもう二度と戻ってくることはない。貴女がそう言っているように思えてしまいました」
「……母さん」
「ですが、それも全て杞憂に終わったようです。
貴女は無事にセルナへと戻り、経典も持ち帰るどころかとても大切な使命をアルト様から託されたようにも感じられ、私は貴女を心から誇りに思っています。
ここに怒るような度量の狭さなど、私は持ち合わせてはいないつもりですよ」
「……があざん……」
その瞳にいっぱいの涙を溜めながら、今にも号泣してしまいそうなファル。
母から大切にされていないと感じたことなど、これまで一度たりともない。
だが、普段からそういった想いを言葉にすることのなかった母に、感情が身体の奥底から止め処なく溢れてくるのを抑えることができなくなってしまっているようだ。
自分はこれほどまで愛されているのだと実感しながら母の愛情を噛み締めるように耳を傾けていたファルに、優しい眼差しで微笑みながらフェリエは話を続けていった。
「ですが、ダンジョンに落ちたという一点については、とても褒められたものではありません。猫人種としても、覇闘術師範代としても非常に良くないと断言できます」
「……え゛!? か、かあさん? な、何を言って……」
「普段からマイペースな子だとは思っていましたが、まさか貴女がそこまでのんびりした子だったとは。これはもう一年ほどここで修行を積んで貰おうかしら。
今度も付っきりで面倒を見てあげますから、心配しないでください。貴女の弛んだ精神を叩き直して、どこに行っても恥ずかしくない冒険者に鍛えてあげますからね」
「かかかかあさん、あたあたあたしはもう十分強いから、修行はいらないと思うなー」
顔面蒼白でがたがたと震えながら、引きつる口調で必死に訴えるように言葉にする娘に母は、とてもそうは思えないわねと満面の笑みで即答していった。
「あぁ! そうだ! 子供達と追いかけっこする約束があるんだった!」
急に立ち上がり、その場を後にしようとするファルだったが、足は生まれたての子馬のようにぷるぷるとしていた。
くるりと母に背を向け、両手両足を同時に出しながらその場を離れていく彼女に、フェリエは呼び止めるように言葉にして娘を軽く跳ね上げさせてしまう。
「ファル」
「ひゃいッ!?」
涙目で振り返る娘に、フェリエは悲しい顔をしながら言葉にしていった。
「お願いですから、もう二度と何も言わずにセルナを出て行かないでくださいね」
「……母さん」
これまで見たことのない母の姿に、ファルはようやく自分が何をしてしまったのかを理解することができたようだ。
どうしようもなく申し訳なさが込み上げてきた彼女は座り直し、しっかりと母を見据えて答えた。
「ごめんなさい、母さん。もう二度と、何も言わずに飛び出したりはしません」
「ありがとう、ファル。……おかえりなさい」
「うん。ただいま、母さん」
満面の笑みで挨拶する娘に先程とは違った笑顔で話すフェリエは、覇闘術継承者としてではなく、母親の表情になっていた。
これまで以上に素敵な優しい笑顔を娘に向ける彼女は、ファルに話していった。
「さあ、子供達を待たせているのでしょう?
あの子達は随分と貴女を待っていたのですよ。たくさん遊んであげてくださいね」
「うん! ちょっと遊んでくるね!」
満面の笑みで応えるフェリエは、立ち上がるイリス達を呼び止めた。
「少しお話したいこともありますので、もうしばらくこちらにいて下さいませんか?」
「はい。わかりました」
「母さん?」
「母親として、娘がお世話になっている方々へご挨拶をするだけです。貴女は子供達と遊んであげてください。毎日大変だったのですよ。お姉ちゃんはいつ戻るのかと」
「そっか。じゃあイリス達には悪いけど、先に遊んで待ってるねー」
ひらひらと手を振る彼女に手を振り替えしていく女性達。
素敵な笑顔でその場を離れていく彼女は、すべての杞憂がなくなったかのような清々しい表情をしていた。
そんなファルに、彼女の憂いが何事もなく納まったことに安堵しながらも、イリス達はフェリエの近くへと向かい、ファルがいた辺りに座り直していった。
仔鹿ではなく、仔馬である点は誤字ではありません。




