"美味しい保存食"
処暑が過ぎたこの日、不思議と暑さも落ち着いたように思える街道を進むイリス達。
涼しさを感じるようになっているのは気のせいなのかもしれないが、どこか涼しげな風が馬車へと入ってくるように思えていた。それは徐々に北へと進んでいるからなのだろうか。
現在エステルが歩いている場所は、エグランダ出立から一日が経過した辺りになる。
朝食を食べ終えたイリス達は、ファルの故郷へゆっくりと向かっていた。
随分と道が荒々しくなっていくのは、あまりこちらへの経路が使われていないせいなのだろうか。少々でこぼことした道を、がたごとと音を立てながら馬車は進み続ける。
この馬車はイリスの保護魔法により護られているので、そうそう壊れる心配はない。
寧ろ、相当の攻撃を当てられたとしても無事でいられるだけの強度を誇る為、破壊することはおろか、傷ひとつ付けられるとも思えないほど強靭な保護加工がされていた。
今までは"真の言の葉"による"保存"がかけられていたが、ルンドブラード以降は"願いの力"での強力な保護に変えているので、あのザグデュスの閃光であろうと完璧に守り通すだけの強度を誇るとイリスは言葉にしていた。
実際にそれほどの強大な存在とは出遭いたくもないと思えてしまう仲間達だったが、これから向かう先にどんな魔物がいるかも分からない以上油断などできない。
最大限の警戒をしつつ、最悪の展開を想定しながら進む方がいいと先輩達は言葉にし、後輩達もそれに強く頷いていった。
だがそれは、今歩いているこの場所に対してのものではない。
ファル達猫人種の故郷でも人の出入りはないわけでもないそうで、数は相当少ないが、稀にエグランダの商人が食料品や交易品を運んでくることがあるらしい。
子供向けのお菓子や、エグランダで栽培された果物類も多数取引されるその馬車を、心待ちにしている者も多いという。
外の世界を知らぬ子供達にとっては、素敵なものが沢山詰まった夢の馬車なんだよと、ファルはとても楽しそうな表情を浮かべながら話していた。
かく言うファルも、子供の頃からとても楽しみにしていた馬車だったそうで、冒険に出た今でもそれは変わらず、未だに強く印象付いているんだよと言葉にした。
残念ながらそういった馬車が訪れるのは一、二ヶ月に一度だそうで、心待ちにしても中々に来てもらえないもどかしさを感じていたと彼女は続けて話した。
「まぁ、そういった馬車が危険を承知で商売に来ているんだよって大人から教えてもらってたし、大人になってエグランダまでの道を初めて知った時にやっと納得できたんだよ」
子供にとっては集落が世界の全てなので、そういった現実を知る機会は少ないんだよねと、ファルはとても残念そうに言葉にした。
エグランダから続くこの道は、商人も冒険者もそれほど訪れることがない道となる。
彼女達の集落までは五日で行ける距離ではあるが、なにぶん行く必要があまりない。
集落自体に用事がある者は、それこそ出身者や商人くらいしかいないんだよねと彼女はイリス達に教えていく。
乗合馬車もない為、故郷へ戻る際は徒歩で向かうか、馬車を特別に雇う必要がある。
しかし、後者はそれなりにお金がかかることになってしまう。
運良くエグランダでそちらへと向かう商人が見つかればいいが、いない場合は往復代の料金と、馬車の護衛となる冒険者を数人雇う必要が出てくる。
当然護衛ひとりでは危険な為、複数人雇う料金ともなればそれなりに高額となる。
そういった理由から集落へと戻る際、またエグランダへと出る場合は、徒歩での移動が主になるんだよとファルは話していった。
「覇闘術をしっかり学んだ人なら問題なく行き来できるんだけど、すべての猫人種が体得しているわけじゃないからね。戦えない人が街に出るのも一苦労なんだよ」
「利便性という意味では気になるところですが、皆さんは不便に思わないのかしら」
「んー。基本的に自給自足が出来ちゃってる集落だし、特に不便だと思ったことはないかなー。確かにエグランダに比べれば足りないものも多いんだけどさ、住めば都なんて言うくらいだし、それほど気になったりはしなかったかなぁ。
それにさ、便利さを求めたらキリがないじゃない? だからきっと、それほど多くを求めたり、望んだりしてないんじゃないかなって思うよ」
それを素朴と思うのか、それとも不便だと思うのかは意見が分かれるとは思うが、故郷に住む者達は特に気にしてるそぶりもないと、彼女は明るく笑いながら話していた。
この考えは猫人種に限ってのことではなく、ヴァン達白虎族でも同じような感性をもっていると彼は言葉にする。特に贅沢を求める傾向が薄い彼らの種族は、非常にのんびりとした暮らしをしながら穏やかな日々を過ごしているそうだ。
イリス達もそういった暮らしを好んでいるので、そういった場所に拠点を造らせてもらうのもいいかもしれませんわねとシルヴィアはとても楽しそうに話していた。
残念ながらそれを叶えるにはかなり難しいと言える立場にいる彼女達にとって、ある種の夢のようなものとして彼女は発言していたのかもしれない。決して叶うことのないとも言えてしまうようなことを言葉にしていたのを承知の上で、彼女は口にしていた。
そんな姉の言葉は、ネヴィアの心を強く締め付けてしまう。
シルヴィアは仲間達との拠点の話をしているつもりだし彼女もそれをしっかりと理解してはいたが、それがどこか自由に生きたいと姉が言葉にしているように感じていた。
そんなつもりはなかったとしても、心ではそう言葉にしていたような気がしたネヴィアにとって、やはり姉には女王という役職は窮屈に思えてしまうのではないだろうかと思えてならなかった。
それを尋ねたとしても、姉は笑顔で『そんなことありませんわよ』と答えるだろう。
本当にそれは、本心からの言葉なのだろうかと彼女は考える。
姉は王女の責務からそう言葉にしているだけなのではないだろうか。
本当は自由に生きたいと思っているのではないだろうか。
女王ともなれば忙しい日々が続くことは、母の姿を見ていれば明らかだ。
街へと向かうことすら難しくなる。当然、冒険のようなことなどできない。
そんな日々を姉は過ごしていけるのだろうか。
それを姉は、息苦しく思うのではないだろうか。
旅に出てからというもの、王城にいる時よりも遙かに活き活きしている姉の姿に、どうしても自由に生きてもらいたいという気持ちが強くなっているのを感じるネヴィアだった。
* *
日も傾き、野営の準備に入っていくイリス達。
十メートラほどエステルは離れた場所にある草を食べているが、"警報"をかけ直してあるので、何か異常を感じればこちらへと戻ってくるだろう。
"願いの力"による強力な保護もしているので問題ないだろうと思っていたイリスは、夕食の準備をしながら干し肉の熟成も同時に調理していた。
これはエグランダ出発前に購入し、厩舎で干し肉にしたものとなる。
仲間達に試食してもらってる間に夕食の仕上げをしているイリスだったが、どうやらそれを食したシルヴィア達は凍りついているようだ。
イリスが仲間達の様子に気が付いたのは、料理が完成した後のこととなるが、彼女が作った干し肉はクラカダイルで作ったものとは比較にならないほどの味だったらしい。
あまりの美味しさに言葉を失っている仲間達へとイリスが尋ねると、言葉に詰まりながら一同は答えていった。
「これほどまで美味しいだなんて、ブッフェルスとは本当に美味しいのですね……」
「こんなに美味しい干し肉が食べられるなんて、俺は思ってなかったよ……」
「むぅ。これは、本当に美味いな。噛めば噛むほど美味さが出てくるようだ」
「それも保存食として常備できるのですよね。これほどのお味を長期保存できるなんて、本当に凄いですイリスちゃん」
「…………」
驚き、目を丸くしながら感想を述べていく一同だったが、ファルのみ言葉にならず、瞳を閉じて涙を流しながら干し肉を噛み締めるように味わっていた。
調理を終えたイリスも試食してみるが、その味に納得した様子で言葉にしていった。
「……正直なところ、熟成期間の短さがはっきりと出てしまっていますね。
やはり"乾燥"だけの干し肉は、ここまでが限界なんでしょうか……。
ですが香辛料もしっかりと効いていますから、あとはこのままじっくりと熟成させていけばかなり美味しくなるので、完成まではもう少しといったところでしょうね」
イリスの言葉に耳を疑ってしまう一同は、ぽかんと呆けていた。
これだけの美味さを感じる干し肉が、未だ完成ではないと彼女は言う。
その言葉に信じられない気持ちが溢れてしまう仲間達は、小さく尋ねていった。
「……これほどの美味しさでも、未だ完成ではないのですか、イリスちゃん」
「え? はい。そうですね。でもこれは、まだお肉を乾燥させただけですからね。
熟成は全くしていませんが、干し肉という意味では完成と言えるかもしれませんね」
「……これ以上のお肉が作れるのかい、イリスには……」
「母から教わっているので、作り方は知っています。作るのは初めてですけどね。
もうひとつのお肉の方は"願いの力"を使って温度、湿度、風を一定に保っている状態なので、こっちが上手く成功すれば、とても美味しいものができると思いますよ」
「馬車の中に置かれている、あれのことか?」
「はい、そうです。現在はそのまま熟成中となりますので、それなりに時間はかかりますが、ファルさんの集落へと付く手前辺りで皆さんで食べてみようと思ってます」
「パストラ姉とメラニア姉にあげたお肉も、この美味しいお肉と同じものなの?」
「はい。同じものですよ。でも熟成されていないので美味しさが足りません。
お二人にお渡しするには熟成不足で、少々申し訳なさも感じてしまうのですが……」
これだけ美味しいのに、まだまだ足りないと言葉にするイリス。
折角美味しいものをと考えていたが、やはり時間が足りない現状でできるものとしては物足りないものだった。
彼女からすれば、完成させてから渡したかったと思っていたが、それには時間をかけなければならないので、残念ながらそれは叶わなかったと悔しそうに話していた。
保存食として渡したパンも焼けば美味しく食べられる状態となっている為、きっと喜んでくれるはずだと思っていたが、干し肉に関しては満足していないようだ。
しかし、一週間後に故郷へ向かうと彼女達は言っていたので、集落に置いて保管して貰えれば彼女達にも食べてもらえると思えた。
それでも熟成期間は短いと言えるが、今よりはそれなりに美味しくなるはずだ。
保存にも適するように"願いの力"を込めるつもりなので、きっと喜んでくれるとイリスは思っているようだ。
そんなことを考えていたイリスではあったが、あまりに美味しい干し肉にエグランダにいるパストラとメラニアが凍り付いているのを、彼女が知ることはなかったようだ。




