"当然のこと"
「……まさか……こんなことが、本当に……」
「でもパストラ姉、これが経典じゃない可能性だってあるんじゃ、ないかなー……」
自信がなさそうに話すメラニアが考えるように、彼女達がその目にしている本を自分達の知っているそれとは別だと、否定してしまう気持ちも分からなくはない。
彼女達の知る経典とは、彼女達が生まれるずっと以前から何も書かれていないと先人達に教わっている。
当然それを彼女達も見ているし、本当に読めもしない本であったことは間違いない。
いくら可愛い妹から本に文字が出現したと言われても、首を傾げてしまうのが至って普通の反応ではないだろうか。
"白の書"とアルト達が呼んでいた書物に込められた想いを知るイリスも、驚きながらページを捲って読み進めている彼女達へ、その本が確かに経典と呼ばれていたものであると肯定していく。
彼女がそう断言できるのは、ファルと同じくしてその想いを直接見聞きしたからに他ならない。
本を読みながらも必死で冷静さを保とうとしていたパストラではあったが、流石にこれは彼女をもってしても、驚愕の表情を露にしてしまう出来事だったようだ。
それだけの意味を持つ内容が、彼女の眼前に書かれている。
夕食後、ヴァンとロット達の部屋で様々な話をするために訪れたイリス達とパストラ、メラニア。そこでとんでもない事実を二人は目の当たりにしていた。
経典とは、ファル達猫人種にとって、非常に重要かつ大切な書物である。
ほんの数年前、それこそファルが持ち出す前には確かに白紙で何も書かれていなかったはずの書物には、驚愕の内容が書かれていた。
嘗ての世界で何があったのか、何の為にこの書物を残したのか、覇闘術の真の目的、そして今現在でもミスリルランク冒険者として伝説の存在となっているアルトと仲間達がダンジョンを踏破したこと、そしてこの白の書に施されたものについても。
それら全てを事細かに記されていた。
瞬きもできずに読み進める彼女達が、一言呟くように信じられないと言葉にしてしまったのも仕方のないことだと言えるだろう。
それだけ凄まじい内容ではあるし、伝説上の存在であるアルトがこれほどまでに文字として残している書物の類は、パストラも聞いたことがない。更には彼女達の扱う覇闘術が持つ真の意味を知り、ファルの言葉が正しかったのだと思い知らされた。
それはまるで妹が、アルトの意思を継ぐ者のように思えてならなかった。彼の残している言葉を借りるのであれば、"適格者"と呼ばれた存在だからそう思えるのだろうか。
本当の意味でファルは、猫人種の中でも特別な存在なのかもしれない。
そんなことをパストラは考え続けながら、本を読み進めていった。
白の書を読み終えた彼女達は、深くため息をつきながら何かを考え続けていた。
流石にファルの言葉にしたような、この書を"適格者"だと思える彼女が持ち出すようにとしたことについては書かれていなかったが、本の内容とこれまでのイリスが話したものから推察すると、まず嘘を言っているわけではないと彼女達は考えた。
ファルが自分達に事実と違うことを伝えるなど考えられないが、そう簡単には信じられないことであった以上、苦し紛れの言い訳だと思っていたパストラ達だった。
しかしそれが正しかったとなれば、話は随分と変わってくる。パストラ達の目的にも大きく関わってくる問題となってしまう以上、今後のことを考えねばならない。
白の書を静かに閉じたパストラは、イリス達に話を始めていった。
「……未だ、気持ちの整理は付きませんが、そうも言っていられませんね。
私達の目的は、ファルが持ち去ったというこの経典を持ち帰ることと、この子を故郷にいるフェリエさんの下まで連れ帰ることです。
今から丁度二ヶ月前になりますか。久しぶりに集落へと戻った私達の耳に入ったのは、皆さんも大凡お察しいただいていることと思いますが、ファルがこの経典を持ち去ってしまったという、私達にとっては信じがたい内容でした。
その真意を確かめるべく、私達はこの子を探す旅に出たのです」
「アタシ達は、確かにフェリエさんから本とファルの捜索を頼まれたけど、叱る為に探してたんじゃないんだよー。……まぁ、事と次第によっちゃ怒ってたんだけどねー」
あははと楽しげに笑う下の姉メラニアの言葉を聞いたファルは、真っ青な顔になりながらも必死で意識を保ち続けているようにイリス達には見えた。
気を失いかけている妹にくすくすと笑いながら、パストラは話を続けていく。
「とはいえ、しっかりと貴女からお話を聞くつもりでしたし、強引に連れ帰ることもしませんでしたよ。私達は誇り高き猫人種ですからね。偉大なるアルト様と同じように」
彼女の放った言葉は、以前ファルも何度か話していたものと全く同じだった。
どうやらこの言葉は彼女達だけでなく、ほぼ全ての猫人種が話しているようだ。
それだけ彼の存在が特別だという意味ではあるのだが、何よりも彼を慕い、尊敬し、自分達の種族を誇りに思い続けていることがはっきりと理解できたイリス達だった。
「でもさー。これからどうしよっか。ファルはイリスさん達と旅をしてるんでしょ?」
「そうねぇ。フェリエさんには申し訳ないけど、私はファルに会って、事の次第を聞くことと、元気なファルの姿を見たかっただけですからね。どうしましょうかね」
「それなんですが……」
二人に割って入るイリスは、今後の目的を話していく。
その内容もまた、二人にとってはかなりの衝撃的な意味を含んでいたが、少々要らぬ心配をファルへとしてしまうパストラは、軽く首を横に振りながら言葉にしていった。
「……心配しすぎるのも、良くないわね。
これまでのお話を聞くに、ファルはもう私達を遙かに凌駕している強さを手にしているとは頭では理解していても、どうしても心配してしまう気持ちが拭えないのです。
この子は私達にとって大切な家族ですし、私にとってもたった二人しかいない妹のひとりです。だからこれからどうすればいいのか、今の私にはまだ決めかねています」
「……パストラ姉……」
「……ごめんなさいね、ファル。はっきりしないお姉さんで」
「そんなことない……。ありがと。あたしのために、真剣に考えてくれて」
「あはは、変なこと言うねーファルは。妹の為に真面目に考えることなんて、お姉ちゃんなら当然のことなんだよー」
「……めらにあねえ……」
「もー、そんな顔しないのー。ほれほれ、おいでおいでー」
両手で手招きするメラニアに抱き付くファルは、小さくありがとと言葉にした。
そんな妹を優しい眼差しで見つめていた長女は、くすりと笑いながら話していく。
「ファルはいつまでも甘えんぼさんね」
「……いいんだもん。あたしが甘えるのは、二人にだけだもん」
「そんなことフェリエさんに言っちゃダメだよー? 泣いちゃうよ、フェリエさん」
「……うん」
素直に答えるファルに、イリス達はとても暖かな気持ちになっていた。
微笑ましそうに見つめるイリスにとってファル達の関係は、懐かしさと温かさを感じながらも、どこか寂しさを思わせるようなものを心に持っているようだった。
「……それにしても……」
そう言葉にしたパストラに、イリス達の視線が集まっていく。
ファルもメラニアの胸から彼女の方を見つめる。
注目の中、苦笑いが出てしまいながらも彼女は話していった。
「アルト様の印象が、この本に書かれた文章とは全く違うことに驚きを隠せません。
イリスさんを疑うようなことを言って申し訳なく思いますが、どうしても今まで想像していたお方とは、どうにも違った印象を受けてしまいますね……」
「あーそれ、アタシも思ったよー。正直かっこいいアルト様像とちょっと違ったー」
「……でも、何て言うか、とても親しみやすいお方だったよ。凄く優しいお方だった」
「あら、羨ましいわ。アルト様とお逢いできるだなんて、夢のようね」
「うん。でも、こっちのお話は伝わらなかったけどね」
偉大なるアルトから直接伺った話ができるとは夢にも思っていなかった三人は、とても楽しそうに憧れのお方のことを語り合っていった。




