連れて行く"条件"
「そうだよ、イリス。これを守ってくれないと、あたしはイリスを聖域へは連れて行けない」
とても真剣にイリスの瞳を真っ直ぐ見つめたミレイは、その条件を話していく。
「ひとつ。冒険中はあたしの指示に従う事。これはわかるよね?」
「はい。動き回ったり勝手な行動をとってしまうと、危険な状況になった時に護れなくなる場合があるから、でしょうか?」
目を細め、笑顔で答えるミレイ。賢い子だねイリスは、とミレイは思う。そうだ、この子は賢い。だからこそ、これから先の事もちゃんと理解してもらえると信じてる。
あたしはイリスを突き放すように非情な事をしなければならないけど、イリスなら乗り越えられるってあたしは信じてるから――
ミレイは条件を話していく。それはイリスにとってはやはり寝耳に水だったようだ。それでも、この条件は必須だ。イリスにとっては必ず達成しなければいけないとふたりは思っている。
「ふたつ。ホーンラビットの攻撃を、一撃は確実に防御魔法で守る事」
それを聞いたイリスはきょとんとしてしまっていた。少し考え込んでいるようで、ミレイは黙ってイリスが考えを纏めるまで待ち続けた。考え終わったイリスは、それでも疑問符が抜けていないようだった。
この条件についてイリスが質問してきた。それはそうだろう。採取するだけなのに、ホーンラビットの攻撃を防ぐのは意味が違ってくるからだ。もちろん攻撃を受けなければいいなどとイリスは思ってはいない。防御魔法が必須な事もよくわかる。
でも、攻撃を耐えうるだけの魔法を覚えるのなら、何もホーンラビットの攻撃を受けなくてもいいはず。イリスはそう思っていた。
だが、同時に何か意味があるはずだと考えてみるも、正直イリスにはよくわからなかった。どうしてもその理由がわからず、イリスはミレイに尋ねる事にしたようだ。
「えっと。森で急に魔物が飛び出してきた時の対処法を身につけなさい、という事でしょうか?」
そのイリスの考えは当たっている。いくらゴールドランク冒険者でも、いきなり飛び出してきた魔物への対処はかなり難しいと言える。ましてや護衛対象者がいるなら尚の事だ。
だが、その考えは半分しか当たっていない。なぜならミレイならば、特化した聴覚で魔物の位置をかなり正確に把握できるためだ。
魔物が飛び出てこようとしても、潜伏してる時のほんの少しの草の揺らぎひとつで、動物か魔物の判別が彼女にはできる。ミレイがいればその対処法は必要ない。
自分から冒険に出るのならば必要になるが、イリスは今回、立場的には護衛対象者になるのだから必要のないことだ。問題は別のところにある。
だけど、あたしからそれを言う事は出来ない。いや、言わない方がはっきりと自覚出来る事なんだ。イリスがその先に何を感じるのかで、今後の人生が大きく変わる事になるかもしれないのだから。
もし、もしも、イリスに生涯消えることのない傷が出来てしまったら、あたしはそれを生涯かけて癒していくから。
謝っても済む事じゃないけど、あたしはイリスに謝り続けるから。
そのミレイの只ならぬ想いを感じ取り、イリスは質問するのをやめた。これはきっととても大切な事で、それがきっと必要なんだとミレイさんは言っている気がした。
ならば私が出来る事は、それを信じて進むだけだと、イリスはそう思っているようだ。ミレイがイリスの質問に答える前に、イリスは質問を撤回するように話し出す。
「わかりました。ホーンラビットの攻撃に耐えうる力を手に入れます」
まっすぐミレイを見つめながら応えたイリスに、涙が出そうになるミレイだった。この子は質問の意図を理解する事は出来なかったというのに、それでもあたしの言った言葉が大切なものなんだと理解して、その上であたしを信じてくれた。ありがとう、イリス。
そしてミレイは最後の条件をつける。
「最後の条件は、ホーンラビットの攻撃に耐えられない魔法だった場合は、聖域へは連れて行けない。これを守ってもらえるかな?」
最後の条件は2つ目のものとたいして変わらない。むしろふたつ目の条件を達成できないのなら同じ事だ。イリスにとっては。
だが、この条件の意味を、この条件に含まれた本当の意味を、後のイリスは思い知る事となる。
「わかりました。まずは防御魔法の勉強からですね。またお昼に図書館に行ってもいいかな、おばあちゃん」
前向きな言葉を笑顔で口にしたイリスに二人はズキンと胸を痛めながらも、レスティはもちろんよと答えていく。
「お昼は人がほとんど来ないから気にしなくていいわ。ゆっくりお勉強してらっしゃいな」
「ふふっ、ありがとう、おばあちゃん」
それじゃあご飯にしましょうか。ミレイさんもご一緒しましょうとレスティが言うと、ミレイはそれを断った。
「ごめんね、あたし訓練の途中だからもう少し鍛えてくるよ。それにそろそろレナードさんたちとも会わないといけないし」
「あら……。 それじゃあまたの機会にご一緒しましょうね? ……ありがとうね、ミレイさん」
「……うん。それじゃあまたね、イリス、レスティさん」
「はいっ、今度はお食事ご一緒しましょうねっ」
「あはは、そうだねー。次はきっと一緒しようねー」
そう言ってミレイはレスティ家を去っていった。笑顔のミレイを見送るイリスと、その顔にわずかに寂しさを感じるレスティ。ごめんなさい、ミレイさんにばかり辛い想いをさせてと、そう心に思うレスティであった。
食事が始まり、今日の予定を話し、仕事に向かう二人。そこにはいつもと同じ日々が戻っていた。
* *
「それで、今日はどのような本をご希望ですか?」
朝の仕事を終えてイリスは図書館へと来ていた。いつもと同じように笑顔で対応してくれるマールにイリスは冒険者カードを渡し、目的の探している本を告げる。
今回も魔法書なんです、というと若干、いやかなり驚いた顔になって、すごいですねと言ってくれた。なんだかここには魔法書しか読みに来ていない気がしてならないイリスであった。きっと気のせいだねと、若干現実逃避しつつ、探している本を聞いていく。
「防御魔法について学びたいんですけど、魔法の初歩とかになりますよね? となるとまた『基礎魔法学』でしょうか?」
うーん、と指に手を当てて考え込むマールにしばし待っているイリス。するとマールは思い出したように答えてくれた。
「そうですね。『基礎魔法学』でいいと思います。確か言の葉の後にそういった事が書いてあった気がします」
よかった、今日も無事に勉強できそうだと思ったイリスはマールにお礼を言い、魔法書の棚へと向かっていく。途中、図書館を見渡してみると、今日も人がほとんどいないようだった。恐らくこの時間帯は、どこの場所もとても暇になるのだろう。
そんなことを思っていると魔法書の棚の前まで来た。目的の本を探すも、前に調べたときと同じ場所にあった。やはり動いた形跡すらないように見える。本当に誰も読んでいないのだろうかこの類の本はと思いながらも、目的の『基礎魔法学』を持ち読書用のテーブルまで持っていく。むぅ、『傾向と対策』本と違って、やっぱり軽く感じる。いや、これって普通の重さだろうからあれが重過ぎるのか。そんなことを考えながらイリスは本をテーブルへ置いた。
今回もイリスは言の葉や防御などの文字を探していく事にした。正直全部読んでいたのでは時間がいくらあっても足りないし、精神的にぐったりするからだ。どの道、本をぺらぺら捲るだけで疲れるのだから、どうせなら楽なほうがいい、というのが本音のようではあるのだが。
やがて以前見かけた言の葉の言葉が見えてくると、その辺りから本を読み出し解読しながらメモを取っていく。
* *
ふぅっと息をつき、ぱたんと静かに本を閉じたイリスは随分と疲れた顔をしていた。なんだろう、日に日に魔法書を読むと疲れる気がするんだけど、などと思いつつも本を持ち片付けていく。得られたものはあるんだけどすごく疲れた。もしかして私には魔法向いてないのかなと、若干へこみながらマールのもとへ向かっていく。
「あら、もうお勉強はいいんですか?」
優しい笑顔が眩しくもあの本は辛いですマールさん。などとは言えずに挨拶をするイリスであった。
「はい。随分お勉強できましたので、今日はこれで失礼しようと思います」
「ふふっ、すごいですね、イリスさんは。私ならこんなに何度も魔法書を読めないですよ」
「あはは……」
苦笑いになってしまうも、イリスは冒険者カードをマールから受け取り、また来ますねと言って図書館を出て行った。時間は大分経っていないようだが、今日は早めにお店に戻ってお仕事の合間にメモを見て復習しようと思っていた。
噴水広場まで戻ってくると、見知った背中が見えたのでイリスはその後姿に挨拶をした。
「こんにちは、レナードさん」
「お。嬢ちゃんか、散歩か?」
振り向いたレナードは笑顔でイリスに答えてくれた。顔は怖そうだが、中身はとてもいい人なのをイリスは知っている。
「私は図書館で魔法のお勉強を少々」
笑顔で答えるイリスにレナードはとても微妙な顔で返してくれた。
「まじか……。あんなの何度も読める嬢ちゃんがすげぇよ」
「あはは、さすがに私も辛くなってきましたよ」
イリスは苦笑いになりつつも笑顔で答え、それにレナードは、まぁそうだろうなぁとしみじみ話していた。
「あんなの読めるのは嬢ちゃんかハリスだけだと思うぞ」
「そ、そんなことは……。って、ハリスさんもあんな本読めるんですか?」
あ、ついあんな本って言っちゃった。書いた人ごめんなさい。悪気はないんです、たぶん。そして私には難易度が高すぎます。心の中で、見たこともない会ったこともない著者に向かって謝るイリスであった。
「あぁ、そうらしいぞ。実際どうなのかは本人に聞いてくれ。ちなみに俺にはあの本は無理だ。何が書いてあるか全くわからん」
「難しいですよね、あの本。正直なところ、私も魔法に向いてないんじゃないかって思って来ましたよ」
「いや、そうとは思わねぇな。嬢ちゃんは確実に魔術師向きだと思うぞ」
意外な言葉が飛び出すレナードに、思わず目を丸くしてしまうイリス。
「そ、そうなんでしょうか?」
「あぁ。確実に向いてるとも思うぞ。普通はあんな本読まねぇし、何よりも理解できねぇ。それをお嬢ちゃんは何度も見てるってミレイに聞いたからな。このまま進めば魔術師や魔法研究者だと思うな、俺は」
豪快に笑うレナードの発した言葉の最後に含まれた職業を聞いたイリスは、グサっと胸に刺さってしまうも、一瞬ふらっとしただけで持ち堪えたようだ。本気でその道に進んだらどうしようと内心不安に染まりなりながらも、レナードは話を変えてきた。
「そうだ、嬢ちゃん。ミレイを見てないか? 今日ギルドで会うはずなんだが、いないみたいなんだよ。あいつ一人で何も言わずにどっか外へ行くとは思えないから、またのんびり街を歩いてると思うんだが、見てないか?」
「朝お会いした時に、どこに行くかは言ってなかったんですか?」
「うん? 朝って、今日はミレイと会ってねぇぞ? 昼に会う予定だったし」
あれ?どういうことだろう、何か用事でも出来たのかな。そんな風に軽く考えたイリスはレナードに答えていった。
「私はこのままお店に戻ってお仕事をしますので、もしミレイさんと会えたらレナードさんが探してた事を伝えますね」
「いや、大丈夫だよ。どうせ大した用じゃないからな。飯食うだけだし。だから嬢ちゃんは気にしなくていいぞ」
そう言うとレナードは、すまんな、わざわざ気を使わせてと笑顔で答えてくれた。やっぱりとても優しい人だ。
はいっ、と元気に返事をして、私はそろそろ失礼しますねとレナードに挨拶をした後、店へと戻っていった。




