"達人の領域"
「そういえば、以前遭遇したガルド戦に、あのリオネス王はいませんでしたの?」
散策の道すがら、ふとヴァン達へ尋ねていくシルヴィア。
イリスもネヴィアも気にはなっていたが、聞く機会を逃していたことだった。
そんな彼女達に先輩達は、その時の話をしていった。
「あの場にリオネスはいなかった。正確には、その場にいられるだけの情報がなかった、と言った方が正しいだろうか」
彼の言葉に首を傾げながら、聞き返してしまうシルヴィア。
それはイリスとネヴィアも同じ気持ちだったようで、それについてロットが詳細を話してくれた。
「当初予定していたのは、情報の真意を確かめる為の調査依頼だったんだよ。
ここから二日ほど北西へ進んだ場所に、凶悪な魔物が出現した痕跡見つかったらしくて、その調査に同行したこの国の精鋭兵を含む、冒険者の中でも経験がある者達が万が一に備えて後方で待機し、斥候を入れた冒険者数チームで現地調査へ向かったんだ」
「当時はロットのチームと個人で活動をしていた俺とファル、そして斥候を五名あわせた計十五人で、その発見報告がされた地域の捜索が重点的に行なわれた。
しかし、目的の場所周辺に危険種の痕跡はあれど、その対象と思われる存在の姿は一切見られず、一旦後方に待機している者達の下へ報告するために合流しようと判断したのだが、事は既にあらぬ方向へと進んでしまっていた」
運悪く調査隊であるヴァン達とは別の地点でガルドが出現し、リシルア国精鋭兵達が交戦状態になったと、離れた場所でその知らせを受けたという。
急ぎその場に駆けつけた時は既に半壊状態だったようで、すぐさま戦闘に加わるも、未知の存在であったガルドに対し防戦一方の戦いになったと辛そうにロットは答えた。
虚を突かれた形とならなければ、もっと被害は抑えられたのではと思ってしまうが、今更それを言葉にしても仕方のない事だろうと、ロットはそれを口にはしなかった。
そんなものは言い訳に過ぎない。戦いに絶対はない。あの時こうすればもっと良くなっていたなど、その考えそのものが傲慢なことなのかもしれないと彼は思っていた。
しかし、それでも仮定の話をしたくなってしまうほど、まるで心に刻み込まれるように、彼の中では後悔の念が深く残っていた。
当然それはその場に同席し、共に戦ったヴァンとファルも同じ気持ちではあったのだが、彼は大切なパーティーメンバーをひとり失ってしまっている。
その時の彼の姿は、声などとてもかけられるようなものではなく、深い悲しみと自身に対しての苛立ちを強く感じられるロットの背中を、ただ見守ることしかできなかった彼らはその日の記憶を思い起こすも、それを言葉にすることはしかなった。
あの時の光景は、今も目に焼きついてしまっている。
もし仮に、彼と同じような気持ちになってしまったら、自分はどうするのだろうか。
怒りに我を忘れてしまうほど吼えてしまうのだろうか。
それとも悲しみに打ちひしがれながら日々を過ごすのだろうか。
今ならあの時よりはずっと、ロットの気持ちが分かる気がしたヴァンとファル。
もしイリス達の身に何かが起こり、とても悲しい事になってしまったら、きっともう武器を手にすることはできなくなってしまうのではと二人は思っていた。
それほどまでに大切に思えてしまっている仲間達と出会えたことに喜びを感じる一方で、何が何でも護り通したいと強く思えてしまう二人だった。
それはロットも、そしてイリス達にも言えることだったようで、何となくだがそれを察した彼女達は、互いを見やりながら思わず笑みがこぼれてしまった。
本当に似たもの同士が集まっているのだろうと思えた。
物事の考え方も捉え方も、性格や何に癒しを感じるかなど様々な点で似ている彼女達は、出逢うべくして出逢い、自然とチームとして行動を共にしているのかもしれない。
そんな風に思えてしまうイリス達だった。
そしてヴァンは、戦いに参加しなかったという彼の話をしていった。
「リオネスはこの国で自己鍛錬していたと、後に別の者から聞いた。
危険種出現の報告はとても曖昧で、当時は誰かがその存在を見たわけでも、ましてや倒されたと情報が入ったわけでもない。俺達も調査が向かった時も正確性を欠いた情報だったこともあり念のために調査を、という意味合いが非常に強かった。
あの男のことだ、正確な情報が出るまで訓練に励んでいたのではないだろうか」
「リオネスさんの強さであれば、もっと被害は抑えられたかもしれないし、俺達もあの闘いで目立つこともなかったかもしれないけど、変わりに同じ場所で戦ってしまえば、すぐに目を付けられていた可能性も高かったとも思えますね」
「うむ。イリスのお蔭であの男の本質が見えた気がするが、それは現在での話となる。
当時のあの男は、先日会ったばかりの状態がひたすらに続いていたからな。
正直なところ、対処法など思いつかないほど厄介な男だという認識しかなかった」
「……そうだね。あたしもあの人はすごく苦手だったよ。
人の話なんてこれっぽっちも聞かないし、傲岸不遜で自尊心の塊みたいな感じだったから、この間会った時にはものすっごく嫌な顔が自然と出ちゃってたね。
まぁ、あたしの場合は猫人種っていう点で、あの人と相性は最悪だと思うんだけど」
何よりも自由を好むファルは、何でもかんでも頭ごなしに言葉にしてくるリオネスが生理的に受け付けなかったようだ。
思えばあの時の彼女の反応を思い起こしてみると、毛嫌いしているようにしか思えなかったとイリス達には感じられた。
それはグラツィエッラにも当てはまることではあるのだが、彼女よりも遥かに苛立つ声の大きさで言葉にするリオネスの方が、遥かにファルにとっては嫌なのだと答えた。
「それにしても、リオネスさんを大人しくさせてしまったのには驚きだよ。
感情の抑制が苦手っていうのは俺達にも理解できていたんだけど、それ以上に感情を抑える方法なんて、まるで思い付きもしなかった」
「うむ。あれには俺も、相当驚いた。
何が起こっているのかですら理解できなかったほどに」
そんな彼らへイリスは答えていくも、明確な理由や確信など全くなく、内心では非常に焦っていたと言葉にする。
「あ、あの時は必死でしたし、あれは正直なところ偶然としか言えません。
今にもファルさんとシルヴィアさんが手を上げそうな勢いを感じていたので、あれ以上時間をかけずに取れる方法は、虚を衝くことしか思いつかなかったんです。
リオネスさんには落ち着いて貰えましたが、あれは偶然としか言えませんし、私も確信を持っていたわけではありませんから、本当に良かったと今でも思いますよ。
もし失敗してしまったらあのまま喧嘩になってしまいそうですし、ブーストを使って戦える私達と勝負をしたら、確実に今度は皆さんが標的にされていたでしょうし……」
イリスの言葉に疑問を持つシルヴィア達。
彼がイリスとの勝負の際に見せた強靭な脚力は、ブーストではないのかと彼女へと尋ねるも、あれは魔法で強化したものではないとイリスは答え、仲間達を驚かせていく。
「あれは確かにマナを使って身体能力を強化したものではありますが、その効果はとても微々たるもので、ブーストとは言えないような微弱なものだと思います。
正確なところは分かりませんが、あの脚力は持ち前のものだと私には思えます」
その言葉に信じられないと言った表情を浮かべながら、ヴァンがぽつりと独り言のように小さく言葉にしていった。
「……つ、つまりあれは……自身が持つ身体能力で実現した、ということなのか……」
「……そ、そう、なりますね……」
とても複雑な表情で答えていくイリスは、あくまでも私の推察ですからと続けていくも、あまりのことに驚きを通り越して感情を上手く表現できない仲間達だった。
「…………な、なんて、でたらめな男ですの……」
「……ブーストじゃなかったのか……リオネスさんの強さは……」
「……いくら獣人の方とはいえ、それほど人の身体は強くなれるのでしょうか……」
「そうか。ブーストじゃないとしたら、あのまま戦ってたら色々不味かったね」
割と冷静なファルは、仲間達とは別のことを考えていたが、実際にあのまま戦っていれば本気で危ない事態となっていた可能性が高いとイリスは言葉にした。
「私もリオネスさんに直接触れるまではブーストだと思っていたんですけど、力の入り方がそれとはまるで違ったので、内心では相当焦りました……」
「あー、それで"手加減ができなかった"って、あの時言ったんだね。
あたしにはあの言葉の意味が良く分からなかったけど、これで納得できたよ。
おかしいと思ったんだ。ブースト同士の戦いなら明らかに格上のイリスが、力配分を間違えるなんてことないと思ったし、技術力って意味ではあたしもある程度持ち合わせているのに、そこだけはどうしても分からなくてずっと引っかかってたんだよね」
驚き続ける仲間達をよそに話し続けるファルは、イリスの言葉を冷静に考えるも、そうであれば彼女は凄まじいことをしたのだと理解できたようだ。
「……ってことはさ、イリスはあの刹那とも言える時間の中で力の流れを見極め、対処したって事になるね。……いくら手加減ができなかったとはいえ、あれだけのことを一瞬で判断して修正した上、それを実行したことにあたしは驚きだよ……。
それって確実に、格闘術の達人と言える程の実力を持っているって事になるよ?」
「い、いえ、あれは突発的な事で、下手をしたら大怪我をさせてしまっていました。
それもまた偶然に過ぎないと私は思っていますし、意図してできた事ではないです。
怪我をしなかったのもリオネスさんが身体をしっかりと鍛えていたためでしょうから、もう一度同じような状況だったら、今度は大変なことになってしまうと思います。
偶然に偶然が重なった結果、事なきを得たとしか、私には思えませんよ……」
そう言葉にするイリスだったが、ファルは何やら考え込みながら、偶然が重なるのもまた意味のあることだと前置きをした上で言葉にしていった。
「手で触れただけで力の強さが理解できた。刹那の間に力を制限して行動に移せた。
そして、あの男を怪我させずに制することのできる力配分に成功した。
これだけ偶然が重なると、それはもう偶然じゃない。人はそれを必然と呼ぶんだよ。
紛れもなくイリスの実力だとあたしは思う。たとえそれが意図していなかった事だったとしても、潜在能力的にはそれだけのものを確実に秘めてるってことになるんだよ」
どこか嬉しそうに言葉にしていたファルだったが、彼女もまた一つの格闘術を会得した者として、素晴らしい格闘の才能を持つイリスに心を動かされていたようだ。
それは決して、常人には到達できないであろう達人の領域。
人が何十年とかけても手にできるか分からない技術をイリスは体得しかけているか、既に体得しているのではとファルには思えてしまう。
やはりイリスは、常人の何十倍も早く技術を吸収することのできる特質的な存在なのかもしれないと思いながら、シルヴィア達の母であるエリーザベトも同じような素質を持っていることを考えると、一度は直接女王陛下に謁見してみたいという好奇心に駆られてしまうファルだった。




