"この国一番の"
食後のお茶を長閑に楽しむイリス達の下へ、マルツィアがやってきたようだ。
やはりこれだけ繁盛していると、厨房から出るのも難しいのだろう。
少々呆れた様子で彼女は言葉にするも、どこか幸せそうに話していた。
「忙しいってのは嬉しいんだが、こんな時には困るもんなんだな。話もできやしない。
それで、どうだった? 満足してもらえたか?」
「はい。とっても美味しかったです」
「これほどの美味さは最早、リシルア一ではないだろうか」
「確かに凄く美味しかったですよね。
この国でこれほどの料理が食べられるとは思っていませんでした」
「美味しいお料理をいただくと、とても幸せな気持ちになります。ご馳走様でした」
「マルツィアさん、また腕を上げたんじゃない? 前よりもずっと美味しいよ」
「そうだろう、そうだろう。あっはっは!」
腰に手を当てて少々上を向きながら、豪快に高笑いをするマルツィア。
ウルバーノも仕事が一段落したようでこちらへとやって来ると、彼女はイリス達に向き直って言葉にしていった。
「まぁ冗談はさておき。
腕によりをかけたから、それなりに美味い物が出せたと思う。
正直なところ、アタシの腕はまだまだと言えるくらいなんだが、その内ほんとに獣王国一と言われるような店にしてやるさ」
きらりと光る瞳の奥には、壮大な野望が灯っているようだ。
しかしこれだけの技術があれば、そう遠くない内にそう呼ばれるかもしれない。
それほどのとても美味しい料理だったと、イリスは確信を持っていた。
「それにしてもライノスィロの肉が、あんなに柔らかくて美味しかったなんてね。
あれはもっと大味であんまり美味しくないイメージが強かったんだけど、あたしの勘違いだったんだねぇ。まさかあんなにも美味しいなんて、また食べたくなっちゃうよ」
味を思い起こすようにファルは答えていく中、シルヴィアがふと思った事をイリスに尋ねていった。彼女であればその理由も分かるだろうと、どこか確信をしながら。
「あのお肉は、どんな方法で柔らかくなっていたんですの?」
「蜂蜜ですね。お肉を蜂蜜で覆うように絡め、弱火でじっくりと焼き上げたものです。
焦げやすくなるので、火加減に気を配らなければならないのですが、とても丁寧に火を通してありました。こうするとお肉が柔らかくなるだけでなく、蜂蜜で覆ったことで肉汁も外に溢れ出すのも押さえられますので、とても美味しく仕上げる事ができます」
「……お前凄げぇな!? 料理人かよ!?」
目を丸くして言葉にする彼女は、ウチに来るかと間髪入れずに誘ってきたのだが、流石に料理店を手伝うわけには行かないイリスは、丁重にお断りをしていった。
とても残念そうなマルツィアに向けて、彼女は話していく。
「お料理屋さんをお手伝いすることはできませんが、マルツィアさんがいらっしゃればこのお店は安泰だと思います。流石はミランダさんのお弟子さんですね」
「ん? なんだ? 師匠の知り合いか? そうか。なら凄いのも納得だな」
イリスの言葉に目を見開いてしまうシルヴィア達。
流石にそれにまで連想できなかったのも、仕方がないと言えるだろう。
今回食べた料理は、そのどれもが一般的な料理店で食べられている品だった。
確かに味は絶品だったし、とても丁寧に作られただけでなく、使った素材までも吟味された料理であることはシルヴィア達でも理解できたが、あのミラベルの母の弟子だとは流石に考えが至らなかったようだ。
寧ろ、一体どこでその発想に至ったのかを尋ねてしまうファルだった。
「ミランダさんって、イリスがノルンで料理勝負をして勝ったっていう凄腕料理人のお母さんだっけ? 料理を食べただけで、どうやってそれを察することができたの?」
視線がイリスへと集中する中、彼女はこのお料理の全てにですと答えていった。
「素材の吟味や下拵え、火加減を含む調理や盛り付け、緻密なまでの繊細な味付け。
そのどれもが、一般的なお料理人が到達できる領域を遥かに超えています。
調理法は真似できても火加減は熟練した技術が必要ですから、食べれば分かります。
しいて言えば、お料理が運ばれてきた時点で、何となくですがそう思ってました」
どうやらイリスは、彼女がミランダの弟子だと確信があったようだ。
流石に料理を食べただけでそれを理解できるのは、世界でも限られた者だけだとも思えたが、ことイリスに限って言えば、それも当たり前だったのかもしれないと思えてしまう仲間達だった。
「ほんとに凄いねイリスは。流石"神の舌"って呼ばれるだけはあるね」
「……まじかよ……。師匠以外にも、そう呼ばれる奴が実在していたのかよ……」
「うふふ。これはイリスさんと勝負する時が近い、ということかしらっ」
とても楽しそうに話すシルヴィアだったが、残念ながらミランダはこの国にいないどころか、彼女と出会ったのも七年以上前の旅先でのことになるらしい。
当時マルツィアはただの料理好き冒険者だったが、彼女の作った料理の香りにふらりとやって来たミランダは、その香りを嗅いだだけで弟子にならないかと誘ったそうだ。
彼女からするとマルツィアの作った料理は、とても"勿体無いもの"だったらしい。
そこから徹底的に料理の基礎から応用、熟練技術まで教えてもらい、彼女の作った料理を満足そうに食べて、ミランダはまたふらりとどこかへ消えてしまったという。
「ぶっちゃけ師匠がどこにいるのか、見当も付かないな。
アタシが出逢ったのもアルバだし、もう七年も前になる。
どっかでまたアタシみたいなの見つけちゃ、楽しみながら料理を教えてんだろ。
……そうだな。師匠にはそろそろ、今のアタシの料理、食べて貰いたいな」
どこか遠くを見つめながら言葉にしていくマルツィアの表情はとても印象的で、その優しげな眼差しに、思わず微笑んでしまうイリス達だった。
「いっそ、探しに行っちゃえばいいんじゃない?
料理を誰かに教えているんなら、割とすぐ見つかるかもしれないよ?
マルツィアさんもウルバーノさんも強いんだから、できるんじゃないかな」
中々の名案だとファルは思っていたようだが、マルツィアはそれを否定していく。
「そりゃあ無理だ。店とお客を放って探したら、師匠にどやされちまう。
アタシの優先順位はお客とこの店だよ。これでも随分と顔馴染みが増えたんだ。
今更それを放っておいて師匠探しなんて、できるわけがない」
笑顔で食事をしている客達を嬉しそうに見つめながら話した彼女は、できるわけがないと再び言葉を繰り返した。
そんな彼女の横で『そうだな』と、小さくもはっきりと答えたウルバーノだった。
「ところでお二人は、どこでお知り合いになったのかしら?」
「あ、いいね! 出会いの話はあたしも聞きたい!」
「んあ? コイツとの出会いの話か?」
虚を衝かれた彼女は変な声を上げてしまうが、頬を指でぽりぽりと搔きながら、どこか照れくさそうに話をしていった。
だがどうやら彼女達が知り合ったのは、例の事件の時だったそうで、つまりはファルとも同じ日に知り合っているのだと知り、とても残念そうに肩を落とすファルだった。
「……出会いというか、"出遭い"の話だな」
「…………なんか……言ったか?」
「……いや、気のせいだろう」
ギロリと鋭く隣にいた者へと向けるマルツィアに、視線をずらしながら言葉を返すウルバーノだったが、背中には冷たい汗が伝っていた。
そんな彼へ向けた冷たい視線を戻しながら、彼女0は少しだけ笑顔で言葉にする。
「まぁ、何だかんだ言っても、面白い出逢い方ではあったな。
今でも喧嘩は絶えないが、こうやって仲良くやっているくらいだからな」
「マルツィアの料理は最高に美味いからな。まさに胃袋を掴まれたということだ」
「お、嬉しいこと言ってくれるな。あとでいいもん作ってやるよ」
「楽しみにしてる」
笑顔で話す二人に、そうなんですねと納得したイリス達はほっこりしてしまった。
出会いは最悪、今でも喧嘩は絶えない。
それでもこうやって、お互いが笑顔でいられる間柄。
素直に羨ましいと思えてしまうような、とても素敵な夫婦だった。




