"警告"
「……そう、だったのですね……」
とても寂しげに言葉にしたイリスに答えていくネヴィア。
にわかには信じ難いだなどとはもう言えないほどの、驚愕の力を彼女は手にしてしまったのは、先程のガルド戦でも十分過ぎるほど理解できた。
あれほどの強固な完全防御など、嘗ての言の葉でできたとはとても思えない。真の言の葉であっても可能としたのかは仲間達から判断しかねるが、それを使わずに別の力で防いだという事は、確実性を選んでイリスは力を発現させたのかもしれない。
たったの一言を発するだけで、あの威力を持つ攻撃を全て無効化してしまった彼女の力に一同は驚愕するも、彼女が発動させた"願いの力"は、割と早い段階で使いこなしていたのだとイリスは言葉にした。
「この力を訓練するのに、それほど時間はかかりませんでした。
寧ろ、何ができるかという検証の方に時間を割きましたので、実際に訓練をしたのは、どれだけ力を込めるかといった加減の修練になっていたんですけどね」
そう言葉にしたイリスは、石碑に入る前となんら変わることのない笑顔を仲間達に向けて、石版に書かれていたことについての詳しい話を始めていった。
そこに書かれていた驚愕の真実。魔物という存在と、魔獣、眷属のみならず、その先へと変貌を遂げてしまう、最早、人知の及ぶところではないと断言できる出来事についても、イリスは仲間達へと包み隠すことなくしっかりと説明をしていく。
「魔物とは、この星の中心にあるという核から吸収されずに放出されてしまったマナが地表へと溢れ出し、その身体を異形の姿へと変貌させてしまった動物の成れの果てであることは、先程も説明した通りです。
それよりも更に濃密度の"どす黒いマナ"を浴びてしまった魔物は魔獣となり、人を眷属へと変えてしまう恐ろしい現象を引き起こしますが、この二つの呼び名は、エリエスフィーナ様が石版に認めたものとは少々異なっていたんです。
メルン様の時代で言われているその呼び名は大昔から伝わっているそうで、実際にどれだけ昔なのかも、何故そう呼ばれたのも、情報が途切れてしまって分からないのだそうですが、エリエスフィーナ様はそのふたつの存在を名称付けてはおらず、その先となる凶悪な存在に対して表現されていました」
石版に刻まれていた驚愕の事実。眷族と呼ばれた絶大な力を持つ存在ですらまだ初期段階であり、その状態を放置していればそう遠くない時を経て、遥かに厄介で危険な存在へと変貌を遂げてしまうのだとエリエスフィーナは警告する。
石版に記されたその名称は、変異した魔物と人を、それぞれこう表現していた。
"魔獣"と"魔人"、と。
先の魔獣は、メルン達の時代で呼ばれている存在とは大きく異なる。
それは当然だが、後者の存在にも言えることではあるのだが。
これは恐らく石版を見た者が分かり易いようにと、女神が人に寄せて考えたのだろう事は見て取れたメルンとイリスではあったが、その問題となる眷属以上の存在が出現してしまえば、世界は文字通り破滅すると、女神は確信した書き方をしていた。
それはもう、人の手に余るとかそういう存在ですらなくなり、魔人だろうが魔獣だろうがひとたび出現してしまえば、一瞬で世界が蒸発されかねない。
これらは移動すらせずに、その場でこの星そのものを破壊し得る途轍もない力を暴発させ、世界を崩壊させてしまう非常に危険な存在になると、女神は警告していた。
魔獣や眷属を放置すればするほどその危険性は高まり、たった一体のそれが出現してしまえば、直ちにエリエスフィーナが地上へと降り立ち、事態の収束を図ることになっていると石版には記されていた。
だが、事はそう単純ではないと、イリスは言葉を続けていく。
「途轍もない強さを持つと言う眷属ですらもまだ初期段階だと、エリエスフィーナ様は石版に書き残して下さいました。そしてその先の存在が出現してしまえば、この世界そのものを終焉へと導いてしまうでしょう。
ですが、それらが出現するのは、眷属が地表に溢れる"どす黒いマナ"を吸収し続けなければならない為、それなりに時間はかかるそうで、今の時代であればそれらが変異する前に、私が対処できるかもしれません。
それよりも遥かに厄介な出来事を、エリエスフィーナ様は警告されていました。
それこそが私もメルン様も、議論に議論を重ねてもその対処法を見付けられず、途方に暮れてしまったものであり、エリエスフィーナ様が"大災厄"とお言葉を残されたものとなります」
そしてイリスは、仲間達へと話していく。
一般的な価値観ではとても理解などできない、その事態を。
突如として世界に広がる、途轍もないマナの奔流を。
"大災厄"とは、コアが吸収しきれず溜まりに溜まった"どす黒いマナ"が爆発するように空へと噴き出してしまった現象だと、女神の言葉として石版に記されていた。
それは空を深い闇に塗り潰し、"漆黒の雪"を世界中へと降らせてしまったという。
そう話していくイリスへと、ロットが頬に汗を伝わせながら震えるような口調で尋ねていった。
「……まさか、それを浴びてしまうと、全ての人は、眷属化、してしまうのか……」
たどたどしくも呟くロットへ、イリスは彼の言葉を否定していった。
実際にその降り注ぐ漆黒の雪に触れても、眷属や魔獣になるわけではない。
だがそれは控えめに言っても、最悪というものしか思い付かないロット達だった。
「いいえ。それを浴びても眷属化することはありませんが、事態はもっと深刻だと言えてしまうんです。……その降り注ぐ黒い雪に少しでも触れてしまえば、肉体が"消滅"してしまうのだと石碑には書かれていました」
「……しょ、消滅……?」
これ以上ないほどに驚愕しながら言葉にするシルヴィア。
実際に女神が石版に記したということでしか、イリスもメルンもそれを知ることはできなかったが、恐らくだがその漆黒の雪は、超高濃度のマナを含んだ恐ろしい力の結晶体であるとメルンは推察した。それはどす黒いマナの更に悪質なものと言えた。
それにほんの僅かでも触れてしまえば、生物の器には収まり切れぬほどの力が体中に溢れ、一瞬にして肉体が耐え切れずに崩壊してしまうと思われた。
エリエスフィーナはそれを、『私が犯してしまった大罪』と石版に記しているが、実際にそれを女神たる彼女が起こしたわけではない。
どれほど昔なのかも定かではないほどの遠い時代、彼女は地上へと顕現し、頻繁に出現する、人には倒しようのない強さを持つ凶悪な魔物の対処をしていた。
だが世界のある場所から、夥しい量の黒いマナが噴出してしまった現象が起きた。
女神たる彼女ですら想定していなかったその事態は、世界中へと破滅の雪を降らし、世界に生きる多くの者はそれに触れただけで蒸発するように消えてしまった。
そしてエリエスフィーナは、空へと舞い上がり続ける黒いマナを浄化させる為だけに力を放ち、事態は終息していく事となったが、その犠牲はあまりにも多く、下手をすれば全ての生命が失われてしまいかねなかったと彼女は手記のように残していた。
「それが現在"奈落"と呼ばれている場所だと、エリエスフィーナ様は石版にお言葉を刻んでいました。私はその場所を見たことがありませんが、メルン様によると、とても人が再現できるような大きさではないそうですね。
エリエスフィーナ様は、威力が限りなく少なく抑えられた"浄化の力"を使われたそうなのですが、その威力は途轍もないもので、一歩間違えばコア自体を破壊しかねなかったとも書かれていました」
漆黒の雪の発生原因となってしまったのは彼女ではない。
あくまでも彼女は"地上に顕現"という形でそれを触発させてしまい、膨大なマナが空へと噴き出すことに繋がっただけだとイリス達は推察した。
とても多くの命が失われてしまったと、嘆く様に書かれてはいたのだが、それは遅かれ早かれ訪れる事となっていたのも、イリス達には考えられたと言葉にしていく。
そして、今度同じようなことが起これば、次はもう取り返しの付かないことになるだろうとエリエスフィーナは予測していた。
黒いマナが噴き出した際に、コア自体も随分と傷付いてしまっていたそうで、それを修復するには女神の力を使おうとも数万年という膨大な歳月が必要になるらしい。
それこそ世界を新たに創り変えた方が遥かに早いのだとも、書かれていたようだ。
コアが耐えられる保障は全くないと彼女は予測しているようで、もう一度エリエスフィーナが地上へと降り立った瞬間にコアのバランスが一気に崩れ、世界が崩壊しかねない非常に危険な状況になっているのだと、彼女は自身が地上へと顕現することは、余程のことがない限りはもうできないと石版に刻んでいた。
「……どうして女神様は、その噴き出す"どす黒いマナ"を抑える事ができないの?
この世界を創った女神様なんだから、そういった事もできるんじゃないの?」
イリスの説明を大人しく聞いていたファルだったが、どうしても気になって仕方がなかった彼女だった。
だが、そうはできない理由があるのだと、イリスはその原因となるものの存在について、とても話し難そうに答えていった。
「……いくら女神様でも、それを抑えることはできないそうです。
大きな国とその周辺規模でそれを発生させないようにすることならば、現実的には可能だと石版には記されていましたが、世界全体でそれを抑える事も、黒いマナの発生自体を完全になくすようにするのは、エリエスフィーナ様でも不可能だそうです」
女神とはいえ万能では決してない、ということなのだろう。
神であろうと、できることとできないことは確かにあるのだと、イリスとメルンは石版で思い知らされてしまった。
恐らくはそれを知る者も、この世界では二人だけだろう。
そしてイリスは、驚愕の真実を仲間達へと言葉にしていく。
それを聞いてしまった一同は、全身から身震いするほどの恐怖を感じる事となる。
「……その"どす黒いマナ"は、人が生み出し続けているものだからです……」




