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この青く美しい空の下で  作者: しんた
第十三章 ごめんなさい
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"何かしらの意味が"


 自分の思考をはっきりと読み取られてしまったように感じるイリスは、言葉にしていないそれを何故彼女が知っているのかと頬を赤らめながら尋ねていくも、どうやら彼女に使った"記憶(メモリー)"の効果が予期せぬ効果をみせていたようだ。

 イリスのいた世界で使われている言語のみを渡そうとして発動したはずだったが、その想いも伝わってしまったようで、それについてメルンは笑いながら答えていった。


「それほど強い想いだったんだろうな。渡そうとするもの以外に相手へと伝わってしまうってのはそういう意味を含むんだが、まぁいいじゃないか、悪いことでもない。

 それにその考えは、アタシにとっても凄く魅力的だったよ。

 きっとあいつらもそれを聞いたら喜んで賛同くれるだろうが、そういった考えを持っているんだから余計に迂闊な行動はせず、物事を冷静に見極めていけ」


 そしてメルンは愛弟子を見つめるような優しい眼差しで、イリスへと言葉を丁寧に紡いでいった。


「イリスが笑って幸せにいられるよう、アタシは心から願っているよ」


 とても優しい言葉をかけてくれるメルンに、思わず抱きついてしまっていた。

 メルンは彼女の行動に目を丸くしてしまうも、どうやらそれも一瞬だけだったようで、微笑みながら愛おしそうにイリスを強く抱きしめていった。


 メルンだけではない。

 レティシアもアルエナも、アルルもアルトも。

 誰もが優しく、自分のいない遠い未来のことを真剣に考えてくれている。


 そしてミスリルランク冒険者の誰もが、きっとそうなのだろう。

 だからこそ彼らは"大業"を成し遂げたのだとイリスは確信していた。

 底の見えない危険な世界へ、仲間の研究の為にと足を踏み入れ、世界に新たな言の葉(ワード)を確立させてしまうほどのことまで成し遂げてしまった。

 そんな彼らと同じ"想いの力"を持つ自分を、誇らしく思うイリスだった。


 彼らの事もメルンは確実に知っている筈だが、それをイリスが聞く事はなかった。

 きっとそれはレティシアの口から聞くべきだと、彼女は思えたからだ。



 名残惜しそうに離れていく二人は、目線が合うと同時にくすりと笑い出し、メルンは両手に丁度収まるくらいの赤く輝く光を発現させ、笑顔で言葉にしていった。


「……こいつで本当に最後になってしまうな……。

 これは、アタシがその生涯をかけて手にしてきた研究の全てになるが、それも女神の残した石版の存在で、その多くが意味を成さないものとなってしまった。

 "深淵"に関しての知識も含めてあるが、今となってはもう必要ないだろう。それでも石版に刻まれた明確な"答え"と合わせていけば、補完される程度には役に立つはずだ。

 この知識をどう使うかは、イリスの自由にすればいい。

 中には危険なものも入っているが、お前なら間違った使い方なんて考えもしないだろうし、たとえ思い付いたとしても実行したりはしないのは確信できるから、アタシは安心して全てを託すことができるよ」


 声を出して笑う彼女に、それを喜んでいいのか少々複雑に思えてしまうイリス。

 そんな彼女へと知識を渡す直前にメルンは、これが渡ったらすぐに送り返すぞと言葉にし、赤い光をゆっくりと彼女の下へと進ませていった。

 首を傾げるイリスに、お前はきっと泣くだろうからなと、少々ばつが悪そうにメルンは言葉にする頃、身体に優しくメルンの知識が浸透していくのを感じたイリス。

 そしてメルンは、優しく光に包まれている愛弟子へ言葉にして、イリスを送り返すための力を発現させていった。


「それじゃあ行ってこい。あまり思い詰めるなよ、イリス」


 同時にイリスは、先程のメルンの言葉の意味を深く理解する。

 知識の中に含まれたものが彼女の身体に行き渡っていく様な感覚を感じていたが、ごく一部ではあるが、その中に含まれるひとつの知識にイリスは意識を集中してしまう。

 元居た場所へと風景が徐々に変わっていく中、イリスはとうとうそれを手にすることができたのを感じ取りながら、溢れる涙で前が見えなくなってしまったまま、メルンの下から去っていった。




 愛弟子を見送ったその世界には、メルンのみがぽつんとひとり残されていた。

 もう不要となった石版の"複製品(レプリカ)"に手をかざした彼女は、それを消していった。


 耳が痛いと感じてしまうほどの静寂に包まれた空間の中で、メルンはひとり考える。

 時間がないと言葉にしたとはいえ、人の身はそれほど長く生きる事などできない。

 今後訪れるだろう"大災厄"と言えるほどの事態も、正確にいつ起こるのかは分からないし、イリスの生きていく時代でそれが発生する可能性は、相当低いと言えるだろう。


 実際にメルンの時代から八百年間、世界には何事もなかった。

 これについて確証を持つことができるのは、そんな事態が起こってしまえば、世界はこれほどまでに穏やかでいられなかったと言えるからだ。

 大きな爪痕にしても文献にしても、それに関連する記述は一切見られなかった。

 エリエスフィーナが石版に残してまで伝えたかった"大災厄"は、起きていないと断言することができるだろう。


 それでもイリスが提唱した"頭から離れないこと"を聞いてしまったメルンは、心のどこかでそう長くはない、束の間の平和をイリスが生きるのだろうと思う一方で、凄まじい強さを持つ"願いの力"を覚醒させてしまった彼女は、それと対峙する可能性も考えられるのではとも思ってしまっていた。

 先程はイリスに『その役割を使命として殉ずるような事は決してするな』と言葉にした彼女ではあったが、もし本当にそうだとしたら、イリスがこの世界に、このタイミングで降り立ったことそのものに、何かしらの意味があるのではないだろうか。


 それは女神によって流れを与えられたのではなく、まるでこの世界そのものが彼女を呼び寄せたかのように、イリスを成長させていっているのではないか、などという極論まで出てきてしまっていたメルンだった。


 だが、そんなことはありえないと、彼女は頭を横に振る。

 世界に意思などはあるはずもなく、ただただマナを循環することしかしないはずだ。


 しかしそうは思っても、どこか腑に落ちないと思えてならないメルンは、急に広く、寂しく感じられた穏やかな空間でひとり、深くため息をついていく。



 本当に不思議な奴だと、彼女は心から思う。

 誰よりも聡明で、笑顔を絶やす事がなく、どこか危なっかしく、何よりも愛おしい。

 僅かとも言えるようなとても短い時間の中で、自身の心に深く印象付けられてしまった彼女のことを想い、メルンは見えない空を見上げるようにしながら、ぽつりと言葉にしていった。


「…………さて。そろそろいくか」


 彼女の身体を黄蘗色の光が包み込んでいき、徐々にその姿を輪郭すら分からない光の粒へと変えていくも、表情が見えなくなる瞬間、メルンはとても優しく微笑みながら、その場から音もなく静かに空へと溶け込むように消えていった。




   *  *   




 大樹の中で大人しくしていたエステルの耳がぴくりと動き、背後にある石碑へその視線を向けていくと、眩い光と共に彼女の大好きな存在の姿を目にする。

 然程遠くもないその場所へと歩みを進めていくエステルだったが、どうやら悲しみの中にいる彼女の姿を目にし、心配しながらも傍へゆっくりとその脚を動かしていった。


 石碑の前に帰還したイリスは、涙を流しながら、とても小さな声で呟いていく。


「…………お姉ちゃん……」


 メルンが託してくれた彼女自身の知識の中には、イリスが涙を流すには十分過ぎるほどの意味を含むものがあった。

 彼女はイリスがこうなることを予測していたのだろう。

 だからこそ自身の知識を最後に渡したのだと、イリスは感じ取っていた。


 知識に記されていた、ごく一部のメルンの推察。

 記されていたものは、マナを吸収する為の方法と、その検証記録。

 長年に渡る彼女の研究結果と、エリエスフィーナの残した石版に書かれていた内容とが合わさり、情報が統合されていくかのような不思議な感覚を体験していく。


 徐々に鮮明になるその知識は、イリスがこの旅の目的の一つとしていたものに関する"答え"だった。


 イリスはようやく手にすることができた。

 あくまでもまだ情報が所々欠落しているものではあったが、それは冷静に分析していけばすぐにでもその答えを導き出せるだろうとイリスは確証していたようだ。


 尚も涙してしまうイリスへエステルが頬を擦り寄らせ、イリスはそんな彼女を抱き寄せていった。


「……ありがとう、エステル。私は大丈夫だから……。

 …………エステル? どうしてここに?」


 いつもと変わらず、優しい瞳で見つめていたエステルに首を傾げてしまい、周囲の様子をイリスは見回していくが、大樹の中にいる筈の仲間達の姿は確認できないようだ。

 もしやと思い、とっくの昔に効果が切れてしまっている"索敵(サーチ)"を使い直していった。


「……やっぱり、みんな戦っているんだ……」


 とても複雑な表情をしてしまう彼女だったが、仲間達が危うい状況である可能性も考慮し、エステルにもうちょっとだけここで待っててねと笑顔で優しく撫でていくと、ブーストを使って彼らの下へと駆けていった。


 彼らの姿を視界に捉えると、"ガルド"と呼ばれた存在と戦っているようだった。


 その様子を見たイリスは足が途中で止まり、とても悲しい気持ちで溢れてしまう。

 ガルドと呼ばれ、忌み嫌われるように世界中の人達から恐れられてしまっている存在に、涙が込み上げてきそうになるイリスは、あの子(・・・)が何を抱え、どういう気持ちで彼らに感情をぶつけているのかを考えずにはいられなくなっていた。


 きっと石碑に行くまでは、こんなこと考えもしなかったことだろう。

 しかしイリスには、彼らが敵意を向けてしまっているあの子の為にできることはもう、その命を奪うことでしか救ってあげられないのだと悟り、どうしようもなく悲しい気持ちが抑え切れずにいた。


 命を奪うことが救いになるという、皮肉にすらならないことしか選ぶことのできない自分を情けなく思ってしまうイリス。

 だが、それ以外の方法など、現時点では存在しないのだという答えにしか辿り着くことはできなかった。


 全てはコアから吸収しきれなくなってしまったものが原因。

 しかしその対処法は未だおぼろげで、確たる解決には導かないだろう。

 だからこそイリスは悲しむ。彼を救ってあげることはできないのだと。


 ……でも、彼の魂を女神様の下へと送り届けることはできるかもしれない。


 そんな救いにもならないような事しか出来ない自分を不甲斐なく思いながら、イリスは静かに、そして何よりもとても力強く"真の言の葉ワーズ・オブ・トゥルース"を発動させていった。


「――"完全なる保護結界魔法アブサルートリィ・プロテクション・カバー"」


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