"ただ、それだけのこと"
心地良い暖かさと、光溢れる広い空間に佇む二人の女性。
傍には美しい石版が置かれ、その内容も大凡考察することができた。
そこに書かれていたのはイリスにとっても、またメルンにとっても驚愕の事実ではあるが、問題はそれを今後にどう活かすのかということも、"願いの力"の検証と訓練を重ねる時間の合間に、二人は話し合っていった。
だが実際には、それの対処法などまるで見当も付かず、結局は女神でもなければ解決などできないのではないだろうかという結論に至ってしまう。
この"願いの力"がレティシアの創り上げた"真の言の葉"よりも遥かに強い力を持っているとしても、やはり人の身でそれをどうこうできるとは思えない、という考えに行き着いてしまっている二人だった。
イリスがここを去る期限が迫る中、"願いの力"を発現させている彼女を見ていたメルンは、ふと何かに気が付いたように言葉にしていった。
「……そろそろ時間だな。残念だが、いくら考えてもいい答えなんぞ出なかったな。
それにしても、随分安定している力だな。強く使っても、一度もマナが揺らぐことはなかったようだ。これだけ使いこなせるなら、危うい使い方もしないだろう」
「ありがとうございました、メルン様」
笑顔で答えるイリスに、アタシは横で見ていただけだよと口にするも、首をゆっくりと横に振りながら、そんな事はありませんと言葉を返していくイリスだった。
「とても的確に客観的な意見をして下さっていましたし、何よりもこの力について短期間でこれほど詳細に把握する事ができたのは、メルン様のお蔭です」
笑顔で言葉にするイリスと、少々照れるように目線を逸らすメルン。
また新たに偉大な先生が増えたことに、幸せを感じていたイリスだった。
そんなことを感じる彼女へと、メルンはどこか寂しげに言葉にしていった。
「……さて。名残惜しいが、そろそろここから出た方がいいだろうな。
ここは正直、検証もできないような世界だから、何が起こるか予測が付かない。
なるべくならこんな世界には長居しない方がいいだろうと、アタシは思うよ」
真顔で言葉にするメルンに、とても寂しい表情をしてしまうイリス。
そんな気持ちを察してか、彼女は美しい笑顔で優しく言葉をかけていった。
「そんな顔をするな。これでもこの場所は、アタシにとっては居心地がいいんだ。
それに、ずっとここで意識が続いていくわけじゃない。必要に応じて目覚め、その時を待つ存在に過ぎないんだよ。そこに苦しみや悲しみなんて感情はないんだ。
確かにアタシ達は短い生涯だったかもしれない。普通に暮らしていればもっと長生きできただろう。でもな、これをアタシ達は自らが望み、未来に託す事を選んだんだ。
レティシアの推察とは少し違っていたが、それでもこうしてお前と逢えている。
アタシ達は、アタシ達が生きていた証を残したかったわけじゃない。
未来に花開く"種"を植えたかった。……ただ、それだけのことなんだよ。
それはきっと、幸せに満ち溢れた世界になるだろうと、アタシ達には思えたんだ。
アタシ達は、世界最高の力を持つと同時に、とてもちっぽけな存在に過ぎない。
そんなアタシ達ができることは、ほんの僅かでも幸せな世界が訪れるようにと、希望を込めることだけだったんだよ」
だからそんな悲しい顔をするな。
そうメルンは優しく語りかけながらイリスを抱き寄せ、その頭を撫でていく。
あぁ、なんて愛おしいのだろうかとメルンは思いながら、言葉を続けていった。
「……本当に短い間だったが、弟子ってのはきっと、こんな感じに思える存在なんだろうな……。イリスと出逢えて、それを初めて知ったよ。ありがとう、イリス」
「こちらこそ色々とありがとうございました。メルン様にお逢いできて、心から光栄でした」
お礼を返されてしまった彼女は『そうだ』と思い出したように、抱き付いていたイリスから離れ、自慢の尻尾を彼女の顔にぽふっと当てていった。
「ほれ。約束のものだ。
こんなもので感謝の気持ちになるとは思えないが、それでも好きにしていいぞ」
「わぁ!」
瞳をきらきらを輝かせたイリスは、さらさらすべすべの尻尾に抱きつく様に触れていき、うっとしとした様子で幸せそうにしていたのをメルンは優しく見つめていた。
年齢にすれば娘になるんだろうなと考えながら、フェリシアを抱くレティシアの姿を思い起こしていた彼女は、そういった道もあったんだろうかと思ってしまったが、結局はそんな相手もいないなと、微笑みながら考えを改めてしまうメルンだった。
物凄く堪能させて貰ったほくほくのイリスは、尚もうっとりとした様子を見せているが、続くメルンの真剣に語る姿に、意識を改めて彼女と向かい合わせていった。
「イリス。お前の目覚めた力は、絶大過ぎるものを秘めている。
その強さは最早アタシでは計り知れぬほど強大な、途轍もない力を持つだろう。
その程度の認識しか持てないと、その心にしっかりと留めておいた方がいい。
"想いの力"とは違い、その力はイリスの願いによって大きく左右されると推察する。
お前が軽く願ってしまったものですら発動しかねない危険な力だという事は、肝に銘じるべきだとアタシは思う。恐らく、運命すらも捻じ曲げるものとなりかねない。
だが、その力をどう使うのかは、所持している者が決めればいいことだ。
……しかしそいつは、"真の言の葉"どころではないほどに万能過ぎる力だという事を決して忘れるな。
お前ならば感情によって左右されることはないと確信しているが、それでも力の使い方を少しでも誤れば、お前を不幸のどん底に叩き落すことになるだろう」
非常に強く警告していくメルンは、だがなと言葉を続け、更に鋭い表情になりながら、強めの口調でイリスへと話していく。
「女神がそれをお前に望み、石版という形で後世に残した訳ではない事だけは確かだ。
アタシ自身がそうあって欲しいという希望も含まれているが、自分には何もできない無力感から来る謝意を含めた手記として、女神は思いの丈を石版に刻んでいた。
しかし、女神が人類に希望を託したのだとすれば、それはお前のことを限定して言っているんじゃないって事だけは、しっかりと理解した方がいい。
女神はアタシ達のような強さを持つ者達全てに、この世界の未来を託したんだ。
だからこそ"深淵"最下層なんてとんでもない場所に、石版を置いたんだろう。
お前は聡いのに、そういう所は頭が固いからな。本当にアルエナに似ているよ。
確かにお前は特別な存在だと言えるだろうし、アタシ達の強さですら軽々と凌駕する程の力を手にしてしまったが、自分を"選ばれた者"だなんて使命感を感じるなよ。
そういった素質があったのだとしても、お前が力を手にした事は偶然に過ぎない。
もしそうでなく、本当に特別な存在としてこの世界にお前を送り込んだのだとしたら、この世界に来る前に女神は必ず説明をしていたはずだとアタシは思う。
それを知ったまま黙ってお前を送り込んだんだとすれば、アタシもレティシアも、そしてアルエナも黙ってはいない。アルルじゃないが、そんな手のひらで弄ぶような奴は誰も神だと認めないどころか、アタシ達はこんな状態だろうが、如何なる手段を用いてでも、女神に反旗を翻すだろう」
怒気を含んだ言葉を女神へと向けるように、力強く発していくメルン。
彼女の中でイリスは既に、石碑に訪れた者という認識ではなくなっている。
イリスはたった一人の愛弟子であり、自身が心血を注ぎ続けた知識の全てを託すに値する存在であり、誰よりも幸せに生きて欲しいと願ってしまう存在となっている。
愛弟子を誑かす存在が目の前にいれば、メルンはその全てを迷う事なく消し炭に変えてしまうだろう。
……たとえそれが、絶大な力を所持している女神であったとしても、だ。
勝敗など関係なく、身体を抑える事などできずに歯向かってしまうだろう。
そんな大切な存在となってしまったイリスへ、メルンは言葉を続けていく。
できることなら付いていてあげたいが、この身体でそれを叶えることは不可能だ。
だからこそ彼女は、ありったけの希望を込めて、イリスへと話を続けていった。
どうかそんな選択は選ばずに、幸せな道を歩めますようにと願いを込めて。
「だが、そうでないことは、女神と直接逢ったお前が一番理解しているはずだ。
だからお前は特別であろうが、それを使命として殉ずるような事は決してするな。
お前はお前の心に従え。考えなしに行動せず熟慮し、常に最善を探って行動しろ。
……そうすればきっと、お前の望んだ未来に手が届くと、アタシは信じているよ」
優しく微笑みながら言葉にした彼女は、少々にやりとしながら話を続けていった。
「"誰もが笑って、幸せになれる世界を"望んでいるんだろう、イリスは。
……って、面白いようにあたふたしてぞ。……いや、これはこれで面白いな」
極端な反応を見せるイリスに、声を出して笑ってしまうメルンだった。
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ここまで読んで下さった方に最大の敬意と感謝を込めて、これからもマイペースではありますが、書かせていただきたいと思います。




