"どうしてそんな深い場所に"
その後メルンは、価値があるものであれば使わない手はないだろうということと、それによって発展したのだろうと簡単に推察し、まぁ故郷がデカくなったのはいいことだなと声を出して笑っていた。
しかし残念ながら、今はもう誰も住んでいない旨を言葉にしたイリスに、悲しむことなどなく笑顔で返していくメルンだった。
「そんなもんだ。栄枯盛衰と言うだろう?
栄えた都市であればあるほどそれを維持するのは難しいし、この辺りは少しリシルアからも離れているからな。衰退しても不思議じゃない。人なんて、そんなもんだ。
寧ろ戦争の痕跡がないんなら、それはつまり人が徐々に越していったってことだ。
なら、悲しむ必要はない。大樹も静かに暮らしているだろうからな。
しかしそうなると、逆に問題だな。廃墟になってるんじゃ、声が届かないんじゃないか?」
「え? あ、はい。確かに聞こえ難いと言いますか、聞こえたのではなく、何となくといった気配を感じただけだったのですが……。い、いえ、それよりも、今メルン様の仰った言葉の方が気になって仕方ありません!」
「うん? なんだ? 何か気になるようなことを言ったか?」
呆気に取られたような表情になってしまうメルン。
はてと考えるも、その答えはどうやら出ないようだ。
尚も考え続けている彼女に、イリスは驚いた様子で尋ねていった。
「メルン様の時代にも、リシルアが存在しているのですか?」
「……ああ、そっちの方か。確かに穏やかな街があるぞ。
尤も眷族のせいで血の気の多い奴が集まりつつある、住み難い街になっているが」
「……リシルアは、そんなに古い歴史があったのですね……」
「歴史、か……。確かにあの街ができてから二百年ほど経っているから、お前の時代ではもう建国千年にもなるのか……。改めて思うと中々に凄いな。
昨日のことのような記憶しかない今となっては、とても不思議な感覚を感じるな」
感慨深いなと言葉にする彼女に、ぽかんとしてしまっているイリスはその表情のまま、世界情勢についても話をしていき、メルンの好奇心を掻き立てていく。
そんな彼女へ、そう珍しいことでもないだろうとメルンは話していった。
「そもそもアルリオンもフィルベルグも、八百年間存在しているんだ。リシルアだって残っていたとしても不思議ではないだろう? ……エークリオってのは知らないから歴史は短いんだろうが、新しい街や国ができても別段不思議ではないな」
確かにその通りと言えるほどの時が流れていることは、間違いないだろう。
長い長い月日の中で、新しい街が生まれ、人知れずになくなってしまっているのかもしれない。そしてその全てが歴史として残されているとは限らないことに、イリスは言いようのない寂しさのようなものを感じてしまっていた。
そんな姿を目にした彼女は、イリスへと向かって優しく言葉を放っていった。
「お前は本当にアルエナ寄りの性格を持っているな。
その全てを知ることはできないだろうが、それは言っても仕方のないことだ。
……と言ったところで、そんな言葉じゃ納得なんてお前はできないんだろうな。
なら、時間が空いた時で構わないから、そういった街を調べてみたらどうだ?
その街の名を、その文化を知る事ができなくとも、"確かにその場所に存在した"と理解するだけでも十分なんじゃないか?
この石碑の場所を知るという者がリシルアにいるのならば、そいつらはこの街の関係者の末裔である可能性だってある。
……まぁ、あの街は元々"学者の街"だからな。眷属事件以降はその姿を大きく変えてしまってるだろうが、書物の類も残っているかもしれないな。
実際、リシルアはどんな国になっているんだ?」
興味本位で尋ねていくメルンにイリスは答えていくも、彼女自身あの街に言ったわけではなく、リシルアへの旅の途中でここに寄ったのだと言葉にした。
そしてその国が現在言われている評判と、仲間達の言葉を伝えていくと、大笑いしながらメルンはとても楽しそうに話していった。
「まぁ、そうなんだろうなとは思ったぞ。逆に言えばそれだけ大きな被害を被ったとも言えるんだが、まさか豪傑の国になってるとは、流石に笑いが込み上げてくるな」
「……正直なところ、共にしている仲間の三人がリシルアでは目立ってしまっているそうで、あの国に入っただけで熱烈な歓迎を受ける可能性があると言っていました」
そんなことを話すイリスへ、笑いを堪えながらもメルンは言葉にする。
「くくく。まぁ、いいじゃないか、楽しそうで。
なんなら喧嘩売ってくる奴らを全てボコボコにして、あの国が言うところの豪傑になってやれよ。その内、喧嘩を吹っかけてくる奴もいなくなるぞ」
「私としては、そういったことのないように、穏やかに過ごしたいのですが……」
「だが、もうその"王様"とやらをボコってるんだろう? 今更じゃないか?
お前の仲間だけじゃなく、おまえ自身も厄介なことになるとアタシは思うが?」
「じ、実際に殴って倒したわけじゃありませんが、やっぱりそうなんでしょうか」
肩を落とすイリスに、楽しそうじゃないかと繰り返すメルン。
一頻り雑談を終えた二人は、先程の話へと戻していった。
「それで、どうする? このまま旅を続けるか?」
そんなことを言葉にしたメルンはこれからどうするのかをイリスへと尋ねるも、どうやらその答えは最初から決まっていたようだった。
「是非、研究をご一緒させてください。
好奇心も非常に掻き立てられますが、ダンジョン最下層など私では到達不可能でしょうから、何が書かれているのかを知るのは今をなくして実現できません。
とはいえ、私に何ができるかも分かりませんが、何かお役に立てることもあるかもしれませんし、今の時代だからこそ分かることもあるかもしれませんから」
「お前ならそう言ってくれると思ったよ」
声を上げて笑った彼女は、自身の右側に右手をかざすように地へと向けながら力を使い、大きなテーブルとその上に大きな砂時計を発現させていった。
さらさらと赤い砂が落ちていくのを確認できたイリスに、彼女は話していく。
「この砂が落ち切ったら丁度三日が経ったと思っていい。あくまでもこの世界の、だがな。あまり当てにはできないが、外での時間は恐らくゆっくりと時間が過ぎていくとレティシアは予想していたが、どこまで信じていいのかは疑問が残る。
気になるようなら一度石碑を出て、状況の整理と体調を整えて戻ってくればいい。
共に研究して貰えるのは嬉しいが、最優先はお前の健康だ。
少しでも不調を感じたら、休息を取るために石碑から出ることを約束しろ」
「はい。ありがとうございます」
「それはこちらの台詞だが、まぁいいだろう。早速始めるか」
「はい!」
いい返事だなと心で思うメルンは、弟子を持つとはこういった感覚なのだろうかと感慨にふけってしまった。
部下達を育て上げたレティシアの気持ちを思わず想像してしまうも、彼らは部下ではなく大切な仲間だと彼女が言葉にしていたのを思い出し、小さく笑ってしまった。
そんなメルンは問題のそれを、イリスと自身の間に発現させていった。
立てかけた状態だと研究し辛いので、横に寝かせた形となっているのだが、その石版に視線を向けながら言葉にしているメルンにはイリスの様子は見えていなかった。
「この石版はお前も知っているだろうが、"記憶"を使って複製しているから、限りなく現物と近いものとして創ってある。
見れば理解できるだろう? この大きさでありながら、宝石のような素材。それだけでも現実離れしていると言い切れる。
……流石にこれは、似たような色合いでしか現実世界では創ることができなかったが、この世界であればある程度自由が利く。大凡同じものだと言っていいだろう。
向きはお前が正面に見ているものと同じように、地面に突き刺さっていた。
見ての通り、石版の最上部から最下部に至るまで、びっしりと文字らしきものが刻まれている。……残念ながら今見ても、アタシには正直理解が及ばないものとなる」
"記憶"とは、物や事柄だけでなく、人の容姿に至るまで鮮明に記憶することができるようになる魔法だ。
当時の世界では、クエストと呼ばれたギルドに張り出される依頼書も、剥がしてカウンターに持って行き、受注するような登録制ではなく、このような魔法を使って記憶して依頼を遂行するのが主流となっていた。
更には"真の言の葉"による効果で、より鮮明に記憶された上に、石碑の世界では様々な融通が利くという状態を利用し、ダンジョン最下層に今も存在するという石版に限りなく近い物として、メルンはこの場に出現させていたのだが、イリスへと視線を向けていく彼女は、その異変にようやく気が付いたようだ。
「……どうした、イリス」
彼女の言葉に気が付きながらも尚、石版を見つめながら取り乱すように震えているイリスは、視線を戻さないまま震えてしまっている声で静かに、そして呟くように言葉にしていった。
「……これ、は……この、石版は…………」
言葉にしようとするも、上手く口が回らないイリス。
そんな彼女をメルンは訝しげに見つめていく。
一体何事かと尋ねようと口を開いたと同時に、文字を目で追うような仕草を見せていたイリスは、ゆっくりと言葉にしていった。
「…………この世界の"天上の管理世界"にいらっしゃる女神、エリエスフィーナ様が残した石版に間違いありません……。どうして……そんな深い場所に……」
イリスの向ける視線の先には、美しく輝くガラスの結晶のようなものでできた、
とても透明度の高く淡い水色の石版が、静かに横になっていた。




