"寂しい気持ちを"
大樹のすぐ近くにまで来たイリス達は馬車を降り、エステルに保護魔法をしっかりとかけ、もし何かあった場合はすぐに逃げられる様にと彼女を馬車から解放しておいた。
グラディルの件もある。"保護結界"と同時に"魔法保護結界"もイリスは強くかけているので、ああいった聴覚に直接攻撃してくるようなものも防ぐ事ができるだろう。
大切なものに違いはない荷台ではあるが、エステルと比べられる様なものではない。
当然、保護魔法も保存魔法もかけてはあるが、最優先どころか"どちらを選ぶ"などという選択肢すらないイリス達にとって、彼女の安全が何よりも優先するべき事だと考えている。
荷台の中にはとても大切なものであるレスティから貰ったナイフや、フェルディナンの白の書とアルトの白の書、そしてアデルの宝物が大切に保管されているが、これらは全て強力な保存魔法がかかっているので、たとえ魔物が襲って来ようと問題がないほどの耐久性があるとイリスは確信していた。それほどの強さの魔法が込めてあるようだ。
白の書は元々強力な保存魔法がかけられているが、アデルの宝物についてはイリスが保存魔法である"保存"を強力にかけてあるので、しっかりと護ることができるだろう。
再び"索敵"と"警報"、"周囲地形構造解析"をかけ直し、周囲の魔物に注意を払うも、どうやらこの付近にその影は見えないようだ。
間近で大樹を見上げても、その全てを視野に入れることができないほどの大きさをしているのを身体で感じることができたイリス達は、圧倒されるように大樹を見つめていると、シルヴィアは小さく言葉を出していった。
「……とても大きな樹ですわね。樹齢はどれほどになるのかしら……」
「これだけ大きいとなると、数百年は生きているんじゃないかな。……俺はこういった大樹を見ると、一体どれだけの事をこの場所で見続けて来たのかと考える事があるよ」
感慨深く思えてしまうロットの言葉に、一同は思い思いに大樹を見上げていた。
風に揺られ、ざわめくように奏でられる葉の音が心地良く耳に響いてくる。
とても雄大なその佇まいに、いかに自分がちっぽけな存在であるかを窺い知れるようで、とても不思議な気持ちにさせられてしまうイリス達だった。
人の寿命は、木々と比べてしまえば短いと言えてしまうだろう。
木々達からすれば人の一生など、まるで数年ほどにしか感じられないような、とても短く、儚いものなのかもしれない。
夢を見続けている間にいつの間にか居なくなっている、そんな存在なのかもしれない。
「ふむ。俺達よりも遥かに長く生きるのだから、それだけ多くのことを記憶しているのだろうな」
「そうですわね。私達よりもずっと多くを経験しているのなら、それを聞いてみたい気もしますわね」
「あ、いいね、それ。あたしも聞いてみたいよ。
きっと全てを聞く事ができないくらい、いっぱい経験しているんだろうね」
「そんな魔法があったら素敵ですね。残念ながら、私にはできないようですけど」
とても残念だと心中で言葉にしながら、イリスは少しだけ肩を落としていた。
そんな彼女のことをあらあらといった表情で見つめていたシルヴィアは、昔の事を思い出したように話し始めていった。
「そういえば、ネヴィアは昔、お花とお話しがしてみたいですって言ってましたわね」
「そ、それは、とても幼い頃のことですよ、姉さまっ」
「あら、素敵ではないですか。私もそうできたらいいと思っていますわよ?」
久々に見るネヴィアの真っ赤な顔に、一同は微笑みながら楽しく話を続けていた。
そんな中、イリスはぽつりと呟くが、それはここにいる誰もが考えていたことのようだった。
「……きっとこの大樹は、ここに生きていた人達と、その方達がどうなったのかも知っているんでしょうね。
どんな街で、どんな文化があって、どんな人達がどんな暮らしをしていたのか。
その全てをこの大樹は見続け、それを静かに見守り続けていたのでしょうね。
……人のいなくなってしまった街に、それでもひとりだけぽつんと残されてしまったかのような、とても寂しい気持ちをしているのかもしれませんね」
大樹の前に静かに響いていく彼女の声は、寂しさを感じさせるものでありながら、どことなく仕方のないことなのかもしれないといったものを含んでいるようにも感じられたシルヴィア達だった。
「……ここから動けずに寂しい想いをしているのかもしれないけどさ、この子は割と穏やかに、まるで眠るようにここに居続けているんじゃないかなって、あたしは思うよ。
だって、ほら。葉っぱも緑が鮮やかで、幹はその年齢を感じさせないくらい元気に見えるよ? 何百年も生きている樹なのかもしれないのに、とても若々しい。
きっとこの子は、ここにいる事を悲しむように生きているんじゃないと思えるんだ」
あたしにはそう思えるんだと静かに言葉にしていくファルに、不思議とそれが答えのように納得してしまうイリス達だった。
悲しみに暮れる日々を何十年と、もしかしたら何百年という想像も付かないほどの年月を過ごしているのであれば、きっとこの大樹は枯れてしまっていたかもしれない。
樹に人のような意思や感情があるのかは分からないが、もしそうだとすれば、きっとファルの言葉にしたように、穏やかな日々を過ごしているのではと思えてしまった。
「そういえば、声はまだ曖昧なのかな、イリス」
暫しの時間を挟み、大樹を見つめていたファルはイリスに尋ねるも、どうやら声が女性である事は分かるのだが、距離感が掴み難いと、少々不思議な言い方をしていった。
「距離感? どういうことだい、イリス」
「石碑にいる方が女性なのはアルエナ様から伺ってはいますが、その声はとても不思議な感覚で聞こえているんです。……何と言いますか、まるで反響しているような感じ、という表現が、私には一番しっくり来るでしょうか。
この街に入ってから、まるで四方八方から声が鳴り響く様に届き続けているんです。
それも残念ながら、言葉として聞き取れるようなものではないので、何をお伝えしたいのかも私には理解できないような状況で、申し訳なく思ってしまいます。
レティシア様とも、アルエナ様とも違う波長みたいに思えますし、お三方とも全く違う声の届き方となってしまっているみたいですね。
力強い声でありながらもそれを聞き取れず、こうして皆さんとお話していても何の支障もないもので、とても不思議な感覚を感じているように思えます」
「ふむ。それはやはり、石碑を創り上げたレティシア様とは違う、ということなのかもしれないな。それとも本人の強さや、魔法の属性が関係しているのか……」
「石碑の中から声を"適格者"に飛ばしてるんでしょ?
あたし達には見当が付かなくても、仕方ないんじゃないのかなぁ」
「確かにそうですよね。レティシア様も試してみてから"移入"された訳ではないみたいですし、流石に予期せぬ事が出てしまうのも仕方がない事なのかもしれませんよね」
「そうですわね。こればかりは中にいらっしゃる方に伺っても、知る事はできないのではないかしら」
一度石碑に入ってしまえば、外からの確認などできないのだろう事は、アルトの話からも推察する事ができた。
レティシアは"移入"後、魔法の力の全てを失っている。
それだけでなく、身体的にも色々と良くない影響が出てしまっていたようだ。
その新しい技術を創り上げたレティシアであっても、それだけの影響があったのだ。
他の二人も同じようなことか、もしかしたらそれ以上の影響が出ていたとしても、なんら不思議なことではないだろう。
「誰もが成したことのない、とても凄いことをされているのですものね。……あら?
下へと降りて行けるような、曲がりくねっている空洞になっているみたいですよ」
穴の近くにいたネヴィアは仲間達に言葉にすると、視線が穴の先へと集まっていく。
大樹の根元にある穴は、まるで地下へと続くかのように緩やかな曲線を描きながら、その先へと続いているようにも見えた。
よく見るとそれは、自然にできたと思われる形状をしており、人為的に造られたものではない事が伺えたが、これほど見事な空洞は見た事などないとヴァンは言葉にする。
流石にエステルが通れるほどの大きさではない穴なので、連れて行くことはできないが、馬車から離しておいているので、万が一の際、彼女が逃げている間にイリスが懸け付けることができるだろう。
彼女を優しく撫でながら『いい子にして待っててね』と言葉をかけると、それを了承したかのように擦り寄ってくるエステルだった。
イリスは"構造解析"を使い、その内部構造を仲間達と共に確認していくと、どうやらこの大樹に開いた穴は多少地下へと続いていき、少々広い空間へと出るようだ。
「この先に、石碑があるかもしれませんわね」
「ふむ。こういった場所であれば、外に置くよりも安全かもしれないな」
「確かにそうだね。でもさ、この広い空間って、人の手で造られたものなのかな?」
「どうだろうね。行って確かめてみないと何とも言えないけど、大樹を傷付けてまで造ったとは正直な所、俺はあまり思いたくないなぁ」
「そうですよね。まずはその場所に行ってみましょうか。
石碑がなくとも、色々な経験ができそうな気がしますし」
「ふふっ、そうですね、イリスちゃん。
こんなに大きな木の中に入ることなんて、後にも先にもここだけかもしれませんね」
「いいね! あたしはそういう"冒険"がしたかったんだ!」
「そのお気持ち、良く分かりますわ!」
目をこれでもかと輝かせるファルとシルヴィアを、イリス達は微笑ましそうに見つめながら"暗視"を使い、空洞へと足を踏み入れていった。
警戒しつつ大樹の中に入っていくイリス達を、大人しく見送るエステルだったが、彼女達の姿が見えなくなると、付近に生えている草を美味しそうに食べ始めたようだ。
まるで螺旋階段のような空洞となっている大樹の中を、ゆっくりと歩くイリス達。
割と広い不思議な空間ではあったが、形状からすると自然にできたものと推察した。
自然とは本当に凄いものなのだなと呟くヴァンに、本当にそうですねとしみじみとイリスは答えながら進み続けていくと、目の前に開けた空間に辿り着いた。
その内部には光が差し込み、とても幻想的な世界となっているようだった。
「これは……凄いな。幹に亀裂が入り、光が差し込むようになっているのか……」
「壮観だね、これは。こんなに幻想的なものが見られるなんて、思ってなかったよ」
「本当にそうですわね。でもファルさん。これからだって沢山こういった世界を見ることができるかもしれませんわよ」
見上げながら言葉にしていくシルヴィアに、『ほんと、そうだったら嬉しいな』と、とても嬉しそうに呟くファルの声を拾ったヴァンは、本当にそうだなと心の中でそう思っていた。
そんな彼女は周囲を確認するように見渡していくと、どうやら目的のものも存在しているようで、驚きながら指で示し、イリス達へと笑顔で知らせていく。
「あ! 石碑ってあれかな!? ……っていうか、何だか凄いことになってるね……」
思わず半目になってしまうファルはそう言葉にするも、イリス達にはこれで三度目なので、慣れた様子で彼女に返していった。
「いつもあんな感じですわよ。無事に光っていますし、本物に間違いありませんわね」
「そうですね、姉様。しいて言えばこちらの石碑は、力強い赤色をしていますね」
やはり魔法属性の色に関係していそうですねと言葉にするイリスは、仲間達と共に石碑へと近付いていくと、ほんの少しだけ先を歩いていたヴァンとロットとファルの三名の足がほぼ同時にぴたりと止まり、その場から動かなくなってしまった。
どうかしましたかと尋ねようとするイリス達の耳に届いたのは、ヴァンから発せられたと思われる、思いもよらない言葉だった。
「…………最悪だ……」
先輩達の表情を確認するように視線を向けていくイリス達が目にしたのは、難しい顔をしているヴァンと、何とも微妙な顔をしているロット、そしてファルに至っては苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
一体どういう事かとイリス達三人が思っていると、石碑の方から声が聞こえてきた。
「――漸く現れたな」
その言葉で、ファルの顔に嫌悪感が強く表れていくのを、イリス達は見てしまった。




