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この青く美しい空の下で  作者: しんた
第十二章 一花の歌姫
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"唇が象った言葉"


 人は、何かに依存しなければ、生きてはいけないものなのかもしれない。


 何かとても大きな出来事、特に厳しい体験をした者には、それが著しく見られる傾向があるようにも思えてしまう。

 それが大切な人である者もいれば、母が命を懸けて守り通し、生き別れになってしまった親友から貰った人形である者もいる、ということなのだろうか。


 あの日から私は、大切な宝物が、より大切なものへと変わった人形を心の支えに、

これまで歩いてきた気がする。


 動き難い半身であっても、日々の暮らしが痛みの中にあっても。

 母の言葉を信じ、これまでを自分なりに、懸命に歩き続けてきたと思う。



 "いい子にしていれば、必ずいいことが起こるのよ"



 大好きな母の言葉を、はっきりと実感できるような出来事はなかったのではないかと、私はこれまでを振り返りながら考えていた。

 もしかしたら私が気付いていないだけで、もうそれが訪れていたのかもしれない。

 知らず知らずの内に、それが通り過ぎ去ってしまっていたのかもしれない。


 でも、そうであるのだとすれば、私の人生も報われているものだったのだろうか。


 痛みに耐え続けるような、本当に辛い二十七年だったけれど、痛みのない穏やかな時間は、たったの八年間だけだったけれど……。

 ……それでも私は、私なりに、頑張って来れたと思う。

 こういったことを、自分が言葉にしてはいけないものなのかもしれないけれど、それでも頑張って歩いて来られたと、私には思えてしまう。



 だから……。




 ……もう、いいのでは……ないだろうか……。



 ……こんなにも頑張ってきたのだから、もういいのではないだろうか……。

 ……私にはもう、やるべき事も……ないのでは…………ないだろうか…………。







「あ! おはよー! アデルちゃん!」

「おはよう、ブリジットちゃん。なにしてあそぼうか?」

「んー、そうだなぁ。なにがいいかなぁ」

「この子とあそぶ?」

「その子はアデルちゃんにあげた子だから、つれてこなくてもよかったのに。

 あたらしい子つくるよ? こんどはもっと、じょうずにつくれると思うんだー!」

「んー。でも、この子がいいな。だってこの子は、わたしのたからものだもの」

「あはは、ありがと、アデルちゃん。じゃあ、その子とあそぼっか!」

「うん!」


「でも、なにしようかなぁ。

 おままごとはきのうもしたし、もっとこう、"ざんしん"なのがいいね!」

「むずかしいことばしってるね、ブリジットちゃん。わたし、よくわからないや」

「そうだ! それじゃあ、この子といっしょに、おうたのお話をしよう!」

「おうたのお話?」

「うん! うたうひとはこの子で、うたうのはアデルちゃんだよ!」

「えぇ!? わたし、あんまりうたったことないよ?」

「いつもおばさんのおうたをきいてるから、だいじょうぶだよ!」

「えぇぇ……」

「それにわたし、アデルちゃんのおうた、だいすきだよ!

 あったかくて、とってもほんわかする!」

「ほんわかするの?」

「ほんわかするー!」

「そっか。じゃあ、うたってみようかな」

「やったぁ! アデルちゃんのおうたがきけるー!」

「でも、おかあさんのほうが、ずっとずっとじょうずだよ?」

「わたしはアデルちゃんのおうたがききたいの!」

「そうなの?」

「そうなの!」

「そっか。ありがとね、ブリジットちゃん」

「いいってことさー!」

「またへんなことばになってるよ、ブリジットちゃん」


「あ! しってる? アデルちゃん!」

「なぁに?」

「だれかのまえで、おうたをうたう人のことを、"うたひめ"ってよぶんだよ!」

「"うたひめ"? ……うたうおひめさまって、いみなのかな?」

「んー、よくわかんないけど、そうなんじゃないかなー」

「そっか。ブリジットちゃんは"ものしり"だね」

「あっはは! わたしにはなんでもわかるのさー!」

「くすくす、またへんなことばになってるよ」

「きのせいさー!」

「くすくす、もう、ブリジットちゃんってば」


「あ! そうだ! アデルちゃん! おねがいがあるんだー」

「おねがい? なぁに、ブリジットちゃん」

「うん! あのね――」






 ゆっくりと瞼を開けるアデル。

 視界はぼやけ、あまりよく見えない。


 重々しく熱を帯びた身体に、あぁ、そうか、私はまた倒れたんだと思い出していた。

 まるでベッドに沈み込むかのような感覚。動かせない身体。強く痺れる左手足。

 ソラナとイリスの調合してくれた薬が、効き難くなっているようだと感じていた。


 いや、もしかしたらもう、その効果を得られていないのかもしれない。

 それほどの強い痛みと身体の重さをアデルは感じていた。


 徐々に鮮明に輪郭が見えてくる視線の先に、微笑むように座っているひとつの人形。

 親友から貰ったもので、母がその命を賭して守りきった、とても大切な私の宝物だ。



『うん! あのね――』



 夢か(うつつ)かも定かではない記憶を手繰り寄せ、聞こえてきたのは親友の言葉。

 それはまるで、宝物の人形が話しかけているようにも、アデルには思えてしまった。



 ……あぁ……アルウェナ様……。私は……間違っていたのでしょうか……。

 私は、私のしたいようにしていれば、それで良かったのでしょうか……。

 人に聞かせられない様な拙い歌であっても、唄い続けて良かったのでしょうか……。



「おはようございます、アデルさん。今日もいいお天気ですよ」


 いつものように傍らで優しく微笑み、話しかける女性。

 ずっと傍で、見守ってくれている優しい人だ。

 彼女だけでなく、仲間である皆さんも傍にいてくれるとアデルは感じていた。

 彼らを視界に捉えることはできないけれど、その温かな気配を感じることはできた。


 もし、我侭を言っても許されるのであれば、それを言葉にしてもいいのだろうか。

 ……こんな身体の動かない私でも、それを言葉にする事は許されるのだろうか……。


 ……でも……もし、それが……許されるのであれば…………。



「…………イリスさん……」

「はい」


 優しく微笑む彼女に、私は想いを言葉に(かたど)っていく。


 それが許されるのかは、私には分からない。

 でも、そうしたいと思えてしまった自分を、もう抑える事ができなかった。

 我侭で、身勝手で、子供みたいな理屈で、本当に今更なことだけれど、それでも、

もし、それを許して貰えるのであれば、どうかそれに応えてはいただけませんか……。



「……イリスさん…………わたし……広場で……唄いたいです……。

 ……もう一度だけ……もう一度だけで、構いません……。

 ……どうか私に、力を貸して、いただけませんか?」

「はい。もちろんですよ。必ず広場で唄ってもらえるように、全力を尽くします」


 ……あぁ。なんて優しい人なのだろうかと、思わずにはいられない。

 心からの想いを告げる私に、貴女は微笑みながら、すぐに応えてくれるのですね。


 でも、きっとそう言ってくれるだろうと思っていた私は、ずるい女なのでしょうか。

 それでも貴女は、そんなことを微塵も思っていない屈託のない笑みで、優しい言葉をかけてくださるのですね……。



 貴女もこんな気持ちになっていたのかな……。

 本当に不思議な魅力を持っているのね、イリスさんは……。

 きっとアルウェナ様も、イリスさんのように慈愛に満ちた御方なのでしょうね……。



 ……ブリジット。

 ……私、もう一度だけ、頑張ってみようと思うの……。


 どうなるかなんて分からないけど、このまま眠るなんて嫌だなって思えたのよ。


 そう思わせてくれたのは貴女なんだよ、ブリジット。

 貴女の言葉が、私に勇気と覚悟を分けてくれたんだよ……。

 諦めかけていた私に、"未練"を残してくれたんだよ……。



 ……ねぇ、ブリジット……。


 ……逢いたいよ……。

 ……貴女にとても逢いたいよ……。


 もう時間がないのは、分かっているけれど。

 もう逢えないのは、分かっているけれど……。


 それでも、ブリジットに逢いたいと想ってしまう私は、我侭、なのかな……。




 視線を力なく宝物へと戻していくアデルに、優しく語りかけてきたようにも思えてしまった親友の言葉が、再び心に響いてきた。


 それはとても懐かしく、とても優しく。暖かい春の陽だまりのような記憶の中にいる彼女の幼い笑顔を思い起こしながら、どうしようもなく逢いたいと強く願う彼女は、再び頭に響いてくる彼女の温かい言葉に涙が溢れ、堪える事ができずに瞳から零れ落としてしまった。



『あのね! いつかアデルちゃんが、たくさんの人のまえでうたうのを見てみたいな!』




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