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この青く美しい空の下で  作者: しんた
第十二章 一花の歌姫
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"大切なものだからこそ"


「あら、アデル。どうしたの? また眠れないの?」


 いつもと同じ優しい笑顔で語りかけてくれる母の声に私は安堵しつつ、うんと小さく答えていく。でも、それだけで心が落ち着いていく、不思議な気持ちになれる。

 いつも同じだ。どんな事でも母に話せば解決してくれる優しく、凄い母だった。


「それじゃあ、またお歌を唄ってあげるわね」


 そんな母の言葉にいつも微笑みが出てしまう、とても不思議なものだった。

 私はベッドに横になりながら、あの唄が奏でられるのを待っていた。

 この瞬間がとても好きだったのを、今でもよく憶えている。


「早く寝ないと、ブリジットちゃんを待たせちゃうものね」


 そうだねと私は微笑みながら答えていく。

 そんな私に微笑み返しながら、母はいつもの子守唄を唄ってくれた。


 優しく温かい気持ちになることのできる、とても不思議な唄。

 一度だけ母に、どこで覚えたのかを尋ねた事があるが、母はどう答えたのだろうか。

 今では霞がかったような曖昧さを感じ、それをもう思い出すことはできない。

 でも、とても大切な唄なんだと、母は言っていた気がする。



 いつもの眠れない夜を越えた私は、いつものように大切なお友達と会っていた。

 同い年のブリジットは私のとても大切な唯一の親友で、二人で毎日遊んでいる。

 残念ながら住んでいた集落にいる近い年齢の子供は私達だけで、彼女と友達になれたのも極々自然なことだったのかもしれないと、今ではそう思えてしまう。


 それだけとても小さな集落だったし、気が付くとその場所に残っていたのは中年と年配の方ばかりとなっていた。

 今にして思えば、きっと若者は、近くのアルリオンへと向かっていったのだろう。



 私達はいつものように、二人で遊んでいた。

 彼女がしてくれる話はどれもが面白くて、彼女とするお人形遊びもとても楽しくて。

 "あたらしいお話を作ったよ"と耳にするのを、毎日とても心待ちにしていて。

 "今日はお人形であそぼうか"と言葉にしてくれるのが、とても嬉しくて。


 ブリジットと母がいてくれるだけで、それだけで本当に幸せな日々だった。


 何もないこの寂しい世界で、いつ魔物が襲って来るかも分からない恐ろしい場所で。

 それでも二人がいてくれるのなら他には何もいらない、そう思うことのできる特別な人達だった。



 私は、父の顔を知らない。

 物心がついた時にはもういなかった。

 母は"遠くにいるのよ"と私に教えてくれた。


 あの頃は分からなかったが、大人になって私はそれを理解した。

 今にして思えば、部屋の一角に、不思議な形の瓶がいくつかあった。


 きっと父は、病気でこの世を去ったのだろう。

 それを知る事はもうできないけれど、きっとそうなのだろうと私は思っている。

 父の面影を知らない私を、母は父の分も、とても深く愛してくれていた。

 私を悲しませる事のないように、大切に、大切に育ててくれた。


 だからかもしれない。

 "おとうさんにあいたいよ"と母に言葉にした事がないのは。

 父には申し訳がないけれど、私は母と親友がいてくれるだけで十分だった。

 たったそれだけで、私の世界は幸せで満ち溢れていた。


 まるで光が溢れるように、その場所だけが私の唯一の居場所だった。


 ……そういえば、一度だけ母に、父がいなくても寂しくないよと答えた事がある。

 あれはたしか母に、"お父さんがいなくて寂しくないか"と尋ねられた時だったと記憶している。

 それがいつの記憶だったか私は良く憶えていないけれど、確かにそう聞かれたことだけは憶えていた。


 私はたしか、母にこう答えていたと思う。

 "おかあさんとブリジットちゃんがいてくれるから、さみしくないよ"と。

 うろ覚えだけど、それに近いものだったと、今でも記憶している。


 ……あの時の母の顔は、どんなだっただろうか。


 もう憶えてはいないけれど、笑顔でいてくれたのなら、とても嬉しく思う。

 それを確かめる事はもうできないけれど、そうであったのならと、心から想う。



 "いい子にしていれば、必ずいいことが起こるのよ"


 まるで口癖のように笑顔で繰り返し私に話してくれる、母の言葉が大好きだった。

 いい子にしていれば、本当にいいことがあるのだと、私は信じて疑わなかった。


 だから集落の壁が破壊されて魔物が襲って来た時も、私がいい子にしていなかったからなのだと本気で思った。


 大人達が慌てふためく恐慌の最中であっても、母と共に行動する事ができた。

 親友の姿が見えなかったと気が付いた時は、既に集落を出てしまった後だった。


 右も左も分からない集落の()を、ひたすら走って、走って……。

 どこに辿り着くのかもまるで見えない場所へと向かい、走り続けているようだった。



 でも――。




 ……あぁ、アルウェナ様……。

 どうしてこんな事になってしまったのでしょうか……。

 ……私は本当に"悪い子"だったのでしょうか……。



『――走りなさいアデル!! 走りなさい!!!』



 何度も繰り返し見る光景。……何度も、何度も……。

 幸せな夢の後に、必ず見させられる恐ろしい夢。


 本当に"悪い子"であったのであれば、私を罰してくだされば良かったのに……。


 そう思わない日はなかった。

 何故、女神様は、私をお召しにならなかったのだろうか……。



 涙で前が見えないまま、私は必死に走り出した。

 ……でも、私はまだ、たったの八歳で。


 這い寄るおぞましい存在から逃げる事など、できるわけもなくて……。


 急激に左ふくらはぎへと走る、火傷のような激しい熱。

 あまりの衝撃に転んでしまいながらも、現状を必死に考える。

 まるでそれは、焼かれたような激しい熱さだったと今でも思う。

 一体何が起こったのか、八歳の少女であろうと理解できた。

 続けて身体に襲い掛かる、形容し難い強烈な痛み。


 それは左ふくらはぎから全身へと駆け巡るかのような、凄まじいものだった。

 あれほどの痛みは大人になった今でも、決して忘れることはない。


 偶然通りかかった冒険者の一行に助けてもらえなければ、私は今ここにいなかった。

 ほんの少しでも遅れていたら私は助けられなかったと、彼らは言葉にしていた。



 命の恩人である彼らは既に冒険者稼業を引退し、現在はアルリオンで静かに暮らしていると、風の噂で聞いたことがある。

 誰一人として欠けることなく冒険者としての暮らしを全うしたことに、この上ない嬉しさを感じていたのを、昨日の事のように憶えている。


 ツィードに連れてきて貰えた私は、たくさんの人達の力を借りながら、ここまで頑張って来ることができた。

 テランスは、この街に来てすぐに知り合った、一つ年下の男の子だった。

 その頃からずっと心配し、面倒を見てきてくれている幼馴染のひとりとなった。

 思えばブリジットよりもずっと長く、傍にいてくれる男性となっている。

 本当にテランスは、感謝に堪えない男性(ひと)だ。



 十五歳の夏、一度様子を見に来てくれた命の恩人達は、私が元気にやっているのを目にすると、とても嬉しそうに良かったなと言って下さった。

 それも全て皆さんのお蔭ですと言葉にすると、はにかむように視線を逸らしながら、そんな大層な事はしてないぞと返されてしまい、そんな彼らの姿に、思わずこちらも微笑んでしまった。


 そして彼らは、あの時のことを話してくれた。

 私が大人になるのを待ってくれた上で、更にはしっかりと聞きたいのかと確認をするという配慮までしてくれた。



 助けてもらえたあの日、その場で私に拙い治療をしたのだと言葉にした彼らは、その足で母の確認をしてくれている。

 残念ながら帰らぬ人となってしまった事を教えてもらえたのは、私を救ってくれた日の事になるけれど、彼らはとても配慮しながら言葉にしてくれた。


 その時の彼らは、八歳の少女である私に現実を話すべきかと、相当に悩んだそうだ。

 でも、現実を知ることのないままでいれば、母を捜し歩いてしまう可能性が高いと判断した彼らは、大きな悲しみと絶望を与えてしまうかもしれないと承知の上で、母がどうなったのかをできる限り分かり易く、とても丁寧に説明してくれた。


 そして大人になった私に、母が大事そうにバッグを抱えながら、私を助けた場所とはそう遠くはない所で果てている姿を見つけたのだと教えてくれた。

 中には何枚かの着替えと保存食、そして衣服に包まるように入っていたものがあると彼らは言葉にする。


 それは、傷でうなされながらも、目が覚めた時、手にしていたあの人形。

 今は遠く離れてしまった、無事でいるかも分からない親友から貰った大切なもので、家に置き忘れてしまったと思っていた、私の宝物だった。

 心の拠り所になるかもしれないと思った彼らが、うなされていた私に持たせてくれたのだと言葉にした。


 八歳の私には、それを尋ねる事ができなかった。

 そんな余裕などなかった、という方が正しいのかもしれない。


 母が帰らず、親友もおらず、見知らぬ土地に独りきり。

 どうすればいいのか、どうしたらいいのかもまるで分からない状況で、どうして人形を持っているのかなど聞く余裕がなかったのも、仕方のない事だったのかもしれない。


 それを聞いた時の私は、それでもまだ子供で。

 大人の年齢になってはいても、その心はまだ子供のままで。

 思わず感情が抑え切れなくなったかのように、私が大切にしていた人形を取りに行かなければ、母はあんな事にならなかったかもしれないのにと、涙を流しながら震える声で言葉にしてしまっていた。


「そいつは違う。それが大切なものだからこそ、お前の母は限られた時間で取りに行き、壊れないようにと大切に衣服で包んでいたんだ。

 ……本当に大切なものだったんだろうな。

 まるで我が子を抱かかえながら護っているみたいに、俺達には見えたよ。

 だからそんな風に思うな。お前の母さんは、とても凄い事をしたんだ。

 掛け替えのない大切なものの為に命を張る事ができた母さんを、お前は誇りに思え。

 そうすればきっと、お前の母さんは笑顔で居続けてくれると、俺は思う」


 そう力強く発した命の恩人の言葉に膝を折り、杖を手放してしまう。

 大粒の涙を零し、声を出しながら母を想う私の頭を、彼は優しく強く撫でてくれた。



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