"どうして、お礼を言うの"
アデルを優しく抱きかかえるヴァンは、ソラナの案内で彼女を寝室へと連れて行き、ベッドへ横にして毛布をかけていく。
天井に造られた大きめの窓から優しく月明かりが室内を照らし、とても幻想的な部屋となっているように思えたシルヴィアは、思わず周囲を見回してしまった。
ゆっくりと部屋を一周見終えたところで、アデルの意識が戻ったようだ。
「……ん」
「アデルさん、大丈夫ですか?」
「……イリスさん?」
「貴女はリビングルームで倒れてたのよ。
幸い、どこも怪我していなかったみたいで安心したわ」
「あら、ソラナさん。今朝ぶりですね」
「ふふっ。そんな言葉が出てくるのなら、もう大丈夫ね」
笑顔で答えるソラナは、新しい薬を届けに来たのだと言葉にした。
「今使っているお薬よりも、いいお薬になるわ。
痛み止めも入っているから、痛み出したら飲めるようにしておいたの。
貴女のことだから、どうせ聞いたって痛くないって言うに決まってるものね」
くすくすと笑いながらすみませんと答えて上半身を起こすアデルに、否定はしないのねとジトっと見つめながら言葉にしていくソラナだった。
「痛い時はそう言って貰わないと、薬師としてはお薬を考える時に大変なのよ」
「はい。すみません」
「……もう。笑顔で答えられても困っちゃうわよ。
それで、何か聞きたい事はあるかしら。
このお薬は基本、食後の三回を目処に飲むようにしてね。
それでも身体が痛むようなら、我慢しないで飲んでね」
笑顔を崩す事無くソラナの話を聞いていたアデルは、ひとつお聞きしたい事があるのですがと彼女に尋ね、何かしらとそれを笑顔で聞き返していく。
「……私は、いつまで生きる事ができますか?」
アデルの思わぬ言葉に、イリス達は心臓が飛び跳ねてしまうが、ソラナはその言葉を顔色を変えずにしっかりと聞いていた。
暫しの沈黙が訪れ、月明かりが差し込む静寂に包まれた室内に、女性の声が響いていく。
「……まぁ、倒れちゃったのなら、そう思っても仕方ないわよね」
「今回は本当に痛かったです。身の危険を感じるほどの痛みでした。
この痛みを感じたのは、足に傷を負わされた時以来です。
薄々は感じていましたが、最近急激な身体の衰えと、奥底からの強烈な鈍痛を感じますから、漠然とですがきっとそうなのだろうなと思っていました」
アデルの口から初めて"痛み"を感じたと耳にして、そう思うに至った経緯を納得してしまった彼女は、ぽつりと言葉を漏らすように話していった。
「……そうよね。自分の身体の事なんだもの、自分が一番分かってるものよね」
「はい」
短く発した言葉に彼女の意志の強さを感じたソラナは、尋ね返していく。
彼女であれば、恐らくはそう答えるであろうと安易に想像が付く答えを求めて。
「それを、本当に聞きたいの? 本心でそれを聞くことを、貴女は望んでいるの?」
「はい」
小さくも力強く答えていく彼女に、瞳を閉じながら大きくため息を吐いてしまうソラナは、その話をゆっくりとしていった。
なるべく彼女の負担にならないようにという配慮をしながら言葉にするも、話している内容がそうはさせない痛烈なものとなってしまう。
それでもと気を使う彼女に感謝をしつつ、アデルはソラナの話を静かに聞いていった。
「ありがとうございます。お話していただいて」
話を聞き終えたアデルが口にしたのは、お礼だった。
それも、いつもと全く変わらない微笑みで答えられてしまった。
その言葉にどうしていいのかと悩んでしまう彼女は、静かに尋ねていく。
「……どうして、お礼を言うの?
私は、貴女を救ってあげる事が、できないのよ?
罵声を浴びせられても、文句なんて、とても言えないのに……」
悲痛な面持ちで言葉にするソラナへ、優しく微笑んでいたアデルは答えていく。
その声は恨み辛みといった負の感情など微塵もなく、ただただ感謝の気持ちしか彼女には持ち合わせていないと伺える声色だった。
「悪く思うだなんて、そんなこと、できる訳がないです。
この五年間、ソラナさんにはお世話になりっぱなしですから。
感謝こそすれど、文句なんて何一つありませんよ」
満面の笑みで答えるアデルを優しく抱きしめるソラナ。
小さく耳元で囁いたお礼の言葉にアデルは目を少しだけ大きくするも、その嬉しくも温かな響きに瞳を閉じ、幸せな余韻に浸っていった。
* *
アデルに手渡した薬の入った袋。
中には一回ごとに服用できるよう配慮された薬が、ひとつひとつ紙に包まれている。
あとは食後にこれを飲むだけでいいと言葉にしたソラナは、この薬についての説明を始めていった。
基本的にこの薬は、栄養剤である"ニコラ薬"であるため、以前から彼女が飲み続けている薬とほぼ変わらない効果を持つ。
ただし、痛み止めという一点においては、強力な素材を用いて作られたものなので、以前よりも遥かに痛みが弱まるはずだとイリスもソラナも考えていた。
当然、身体に悪影響を及ぼさないように細心の注意で調整してあるので、たとえこれを回数以上に飲んだとしても、ある程度までなら問題ないと二人は予想している。
「このお薬はかなり強めの効果を持つけれど、身体に変調は感じない程度のものだから安心して飲んで頂戴ね。痛みは随分と緩和できるはずよ。
薬の効果時間は凡そ六アワール。薬が効き始めるのに三十ミィルはかかるから注意をしてね。食後に飲めば、次の食事までは痛みがなくなる計算になるわ。
寝る前にはこっちの小さな紙包みに入っているお薬を飲めば、激しい痛みを感じて起こされることもなく、朝までぐっすりと眠れると思うわよ。
それでも痛み出したら我慢しないで薬を飲む事。一日六回くらいまでなら服用しても大丈夫だから。それ以上飲むとなると、流石に気分が悪くなると思うわ。
その場合の症状は、頭痛や吐き気、軽い眩暈、身体の気だるさ等の悪影響が出ると思うけれど、それ以上のことはないから、そういった状態になったらお薬を飲み過ぎていると思ってくれて大丈夫よ。
特に睡眠はしっかり取ること。これはお食事にも言えることなのだけれどね。
睡眠不足はお肌の大敵よ。ニキビが顔に出て欲しくないのなら、しっかり眠るのよ」
もしそれだけの薬の量を服用しなければならなくなってしまった場合は、もう少し強い薬を作るだけだから気にしなくていいわ。そうソラナはアデルに答えていく。
だがそれだけの事となれば、それはつまり、更なる悪化が見られるということに他ならない。もしそうなってしまえば、それこそ副作用などとは言っていられない状況となるだろう。
そうなれば、最悪の道へと進んでいく事になる。
身体が薬を受け付けなくなり、痛みを緩和する事も難しくなる可能性もある。
徐々に身体を蝕んでいるはずのものが、暴れだすように彼女を苦しめていくだろう。
そして今以上に強力な薬も、いずれはその効力を受け付けなくなっていき、彼女の身体は眠るための準備に入っていく事となると予想された。
そんな状況となれば、もう薬師でもどうしようもなくなってしまう。
後は彼女を見守り、傍にいて話を聞いてあげる事しかできなくなってしまうだろう。
そう遠くはない、"未来"などとも言えないようなすぐ近くの場所にまで、ゆっくりと、だが確実に迫り来る明確な、想像もできないほどの凄まじい恐怖に、彼女は耐えなければならない。
常人であれば取り乱し、恐怖し、絶望し、震え、怯え、この世を嘆き悲しみ、最悪の手段を自らで選びかねない。それほどのものを、彼女は抱えてしまっている。
今はまだ、その片鱗しか感じることはないようだが、それは確実に訪れる確定された未来だというのに、それでもアデルは笑顔で歩いていきたいと言葉にした。
何と強く気高い女性なのだろうかと、室内にいる誰もが思う。
そして願わずにはいられない。どうか彼女をお救いくださいと。
ソラナは女神アルエナへ、そしてイリス達は"天上の世界"にいる本物の女神エリエスフィーナに。思いの丈を込めて、心からの祈りを捧げていた。
どうか彼女を、お召しにならないでくださいと。
叶う事も、願いが届かない事も承知の上で、それでも祈らずにはいられなかった。
懇願するように女神に救いを求めてしまうことしか、イリス達にはできなかった。




