"君は、君のまま"
「……アル、ト様? ……あの始祖様の……アルト様!?」
取り乱すように驚くファルだったが、それも仕方の無い事だろう。
その名は、今現在ではほぼ全ての冒険者達の間に浸透している、伝説のミスリルランク冒険者の一人だ。それが猫人種だったとは流石にイリスも知らない事ではあったが、ファルからすればアルトという人物は、それだけの存在などでは断じてない。
彼は数々の逸話を残し、絵本にもなって世界中の人々に知られるほど有名な人物の一人であり、猫人種の英雄にして覇闘術の創始者だ。
今も尚尊敬を憧れを抱かれている、種族で尤も敬われている人物なのだから。
それは最早、尊敬を通り越し、崇拝する者までいる始末だった。
それだけの事を成したと言われる人物ではあるが、流石にそれが全て実際にあった事なのかと疑問視する者達が多い中、猫人種の誰もが彼の存在を疑う事は無かった。
強いて言えば、適格者と呼ばれた存在であったりといった内容は、流石に眉唾だと思っていた者はとても多かったが、それは実際に言葉として残したのがアルトではなく、別の者ではないだろうかという疑問が生まれてしまったからに他ならない。
だが、どうやらそれは間違いだったようで、ご本人から"適格者"という言葉を聞かされてしまえば、疑いようもない真実となって彼女たちの前に現れてしまっている。
となれば、今まで彼女達の種族に伝わってきたその全ての伝承が、真実であった可能性も出てきてしまった。
とはいえ、その伝承の殆どが絵本にもなっている事なので、これについては世界中の子供達が目を輝かせて話してくれるような、誰もが知るほどの有名なものではあったのだが。
そんな彼女達の前に現れたアルトは、言葉にする……事は無かった。
彼はただ無言のまま、どうやら固まり続けているようだ。
「…………あの、アルト様? ……どうされたのでしょうか?」
「もしかしたら、こちらの声はアルト様へは届いていないのかもしれませんよ」
痺れを切らしたように言葉にしてしまったファルへと、イリスは返していく。
アルトがこちらではなく、少々視線が違う場所を見ているように思えたからだ。
随分と時間がかかったように思えたが、漸く動き出したアルトは、二人が思いも寄らないことを言葉にしていった。
『…………やめた』
「「は?」」
一体何をと思わず言葉にしてしまいそうになるも、そのまま固まってしまった二人をよそに、アルトは鋭い視線をやめ、口調と声色も変えていきながら話し始めた。
『……はぁ。やっぱり人間、自然体がいちばんだよねぇ。
イメージを壊しかねないから、威厳ある態度で接した方がいいと友人から薦められたけど、やっぱり僕には難しいみたいだ。ごめんね、びっくりしたよね?』
「……あ、あの、アルト様? えっと、これはその、どういう事なのでしょうか」
おずおずと言葉にするファルだったが、どうやらイリスの言った通りの存在だったようで、先程の様子とは打って変わってふにゃりとした表情をしているアルトは、申し訳なさそうなものへと顔を変えていきながら言葉にしていった。
『あぁ、そうそう、話してなかったね。
たぶん今頃、僕の言葉に返して尋ねている頃だと思うんだけど、今の僕の状態は言葉を相手に伝えるだけのものになるから、質問されても受け答えは出来ないんだよ。
残念ながら、君達の姿は僕には見えないんだ。
恐らくではあるけど、この場には二人いると想定して話を進めさせて貰うね。
後で話す事になるけど、ここに二人が入って来れたのは偶然じゃないんだよ』
その姿は威厳あるものから一気に好青年へと変貌を遂げ、ファルは憧れのアルトの理想像が崩れ去ってしまい、真っ白になりながら声にならないような音を発していた。
それを予想してなのか、ごめんねと改めて見えないファル達に謝罪をする彼は、続けて何故こんな方法を取っているのかを説明していくも、それは猫人種にとってはまさしく衝撃的な内容だったようだ。
『この本を遺したのは、ある理由からそれが最善だと僕自身が思ったからなんだ。
猫人種であれば、今もそれは変わる事無く伝わっていると僕は思う。
"来るべき時のため"、と。そしてこうも伝えてある。"適格者が現れる"と。
何十年どころか、たとえ何百年という歳月が経っていたとしても、僕達の種族ならば必ずそれを伝えいってくれると信じている。
……まぁ、胡散臭いと言う人も多くいるだろうけど、この本を"経典"と言い伝える事で、遥か先の後世にまで保存できると確信してるよ。
僕達は、誇り高き猫人種だからね。義理や忠義はしっかりと受け継がれている事は疑う余地もないだろうから、そこは心配してないんだ』
そして彼は言葉にしていく。
ファルの知らない魔法が栄えた世界の話を。
今では絶大な効果を持つ充填法の事もアルトは説明し、話を続けていった。
「僕達の生きる時代と、君がいる時代には随分と違いがあるはずだ。
それこそ、世界すら全く違うと言っていいほどの時代になっていることだろうね。
たぶん僕がこの本に想いを込めてから、最低でも百五十年以上は時が経っているのではと僕は予想している。そしてその頃にはもう、僕達の世界で使われていた言の葉は失われ、"新たな言の葉"を何の疑いも無く人々に使われている世界となっている筈だよ。
それを成した偉大な五人の仲間達に続き、僕もそれを成したかったが、僕にはやるべき事が他にあった。
それがこの本を残す事と、僕の編み出した覇闘術を後世に伝える事だ。
だけど僕が同胞に教えていく覇闘術は、不完成な技術として教える事になる。
それはもう君も既に理解している事だと思うけど、この力を十全に使うには"覇"を使う事が必要不可欠になるからだ。それには"充填法"と呼ばれる魔法技術が必要となる。
俗にチャージと呼ばれたその技術は、先程君に説明した通りだ。
当然この技術は、僕達の世界では魔法技術の初歩に過ぎない。
しかしこれを使いこなせなければ、覇闘術を完成させる事は不可能なんだよ。
覇とは充填法の応用技術。僕が長年をかけて鍛錬し創り上げた、レティが編み出したものとは全く違う新技術になるから、この技術は充填法無くして完成はされないんだ。
そうなるように彼女に頼み、この"白の書"と僕達が密かに呼んでいる本に"想いの力"を込めていった。正確にはレティが作り上げた言の葉と"想いの力"の複合魔法なんだけど、結局彼女はそれに名前を付ける事はなかったみたいだね。
流石に僕一人では"白の書"に込める細かな条件までは作れないから、そこはレティにお願いしたんだけど、彼女が手伝ってくれているのだから間違いなく希望通りの書物となっているはずだから、きっと僕の言葉は無事に届いているだろうね」
そしてアルトは説明していく。
この本に隠された、彼が条件と言葉にしたものについて。
この本は、適格者と彼が呼ぶ存在をこの空間へと意識を導き、想いを伝える為に創られてたそうだ。そしてその目的は、彼の世界で使われている本来の言の葉についての知識を同胞に教え、それを彼独自に編み出した技術に応用し、マナを充填法とは違う方法で身体能力に転換するための方法を伝える為だと彼は答えた。
その全てはここから出れば学べるようにしてあると彼は話し、言葉を続けていった。
「もう既に"覇"を使ってみたと想定して話を進めるけど、この力は君が生きる時代で手に入れられる強さを遥かに凌駕している力となっているだろうから、その発動条件に制限をレティにかけて貰ったんだよ。
レティは僕の大切な友人の一人で、それは君の横にいる人が知っているだろうから省かせて貰うね。
"白の書"の空間から出た瞬間に君は、僕の積み上げてきた技術の全てを受け取る事になるだろう。覇闘術もそれで完成されるように、この本へと想いを込めた。
レティも助けれくれたし、それは間違いなく手に入るだろうけど、その力をどう使うかは君に任せたいと思うんだ。君は、君のまま、自由にこの力を使って欲しい」
彼は優しく微笑みながら、彼には見えない存在に向けて言葉を紡いでいった。
「"白の書"に込めた条件は、以下になるよ。
一つ、猫人種であること。
二つ、この"白の書"に触れていること。
三つ、しっかりと覇闘術を学んでいること。
四つ、誰かを本気で護りたいと、とても強く力を欲すること。
五つ、レティの想いを託された存在が傍にいること。
六つ、その者がこの本の解錠を試みること。
七つ、その状態で君とその者が"白の書"の傍にいること」
これについて彼は説明をしていく。
猫人種であることが必要なのは、覇闘術を学ぶのに必須となるからだ。
そもそもこの技術は、彼らの種族の身体能力を十全に使う為の技術である為、他の種族がこれを学んでも、格闘術以上のものを得る事はできないのだと彼は言葉にした。
覇闘術をしっかり学び、誰かを護りたいと本気で力を欲したファルには、その理由も理解できていた。これを使うには熟練した技術を持たなければ、たとえあの時身体が光ったとしても、地底魔物を倒せていたとは断言出来ない。
あれほどの威力を叩き出した彼女だったが、その力は鍛錬がしっかりされていたからに他ならなかった。もし他の猫人種が適格者として同じように目覚めていたとしても、あれほどの威力を出す事など到底不可能だろう。
恐らくは、最悪の結果を招いていただろう事が、想像出来てしまったファルだった。
"白の書"に触れていることが条件に入るのは、恐らく彼が設定と呼んだものに関連している事であり、十歳に触れるのがしきたりとなっている儀式そのものに意味は無く、本に直接触れされる事が本来の目的だったと彼女は思いが至っていた。
要するに年齢など関係なく、この本に触れされる為に儀式などと伝えたのだろう。
そうすることで、確実に適格者と呼ばれた存在を見つけられるようにと。
そして残りの三つの条件は、どれもがほぼ同じものだとイリスは思っていた。
この本を読めるようにしなければならないのであれば、それを使える者が傍にいるのは必要不可欠だし、その時に自身が傍にいる事も想像に難くない。
この本は大切な物として、猫人種に伝わるものなのだから。
しかし同時に彼女は、この本を読み解ける自分のような存在が、彼女達の故郷へと行かなければ意味がないのではと思ってしまうも、言葉を続けるアルトの声に耳を傾けていくイリスだった。




