"幻聴かしら"
とても広い空間に、女性がふたりだけでぽつんとその場に立ち竦んでいた。
二層の入り口となるこの場所から十ミィルほど進めば、二人の冒険者の元まで行けるだろう。
道は一本道。迷う事などないし、この先に地底魔物の姿は見られないと待ち人は別れ際に言っていた。問題なく安全に辿り着く事が出来るだろう。
しかしそれは出来ない。
二人は大切な人を待っているからだ。
本当に長い1アワールだった。
これほどまでに辛い時間を、彼女達は過ごした事がない。
今にも待ち人の下へと飛んで行きたい気持ちを抑えつけ、彼女達はただの一言も言葉にせずに、ひたすら待ち続けていった。
だが、無情にも過ぎ去っていく時間。壁に刻まれた五本の線。
縦に四本刻み込んだものに、一本の横線が書かれていた。
今から五十ミィルほど前からファルのダガーで付けられ続けてきたものだ。
しかし……。
「……そろそろ時間だ」
「……そう……ですか……」
そのまま無言になってしまう二人。
だが、状況は差し迫っている可能性も、まだゼロではないはずだ。
そう思いながらファルは、揺らぐ心のまま言葉にしていく。
「あたし達が取れる方法は二つ。ひとつは――」
「――いいえ。ひとつですわ」
シルヴィアの透き通るような声が、広い空間に響いていく。
いや、彼女の言った通りだと、ファルは思う。
だからそれを否定する事は無い彼女は、言葉を続ける。
彼女なら必ずそう言葉にするだろうと確信しながらも。
「……本当にいいの?」
「それ以外の選択肢など、最初から持ち合わせておりません」
はっきりと即答する彼女に向かって、小さく『そっか』と呟いた。
……そうだよね、シルヴィア。このまま帰るなんて、絶対出来ないよね。
あたしなら出来ない。これは約束だ。イリスと交わした大切な約束だ。
たった一人残しておめおめと逃げ帰るくらいなら、あたしは可能性に懸ける。
たとえどんなに僅かであっても、あたしは信じて探しに行くだけだ。
決意を改める彼女の下へ、シルヴィアの声が聞こえてくる。
「ファルさんこそ良いのですか?」
「当然だよ。あたしにもその選択肢しか持ってなかった。
……本当はシルヴィアだけでもって思っていたけど、そんなこと出来る訳なかったよね。意地悪な言い方をしてごめんね」
「構いませんわ」
満面の笑みで答えるシルヴィアに、作戦を伝えていく。
「三層には恐らく地底魔物はいないだろうけど、念の為注意しながら進もう。
まずは四層に進み、あの空間に戻る。
いなければ四層を捜索しつつ、一匹でも多く「ふぁ、ファルさん」うん?」
ファルの言葉を遮りながら言葉にするシルヴィアは、ある一点を見つめていた。
その方向に一瞬で理解が及んだ彼女は、目を大きくしながら勢いよくシルヴィアの見つめている先に視線を向けると同時に、瞳にこれでもかというほど涙を溜めてしまっていた。
二人の視線の先に歩いてくる一つの影。
暗闇で本来ならば見えるはずもない場所に、ゆっくりと歩いてくる一人の女性。
二人はその場に固まり、涙を抑えられず零してしまいながらも、こちらへと向かう女性に言葉を発しながら駆け寄っていった。
「イリスさん!!」
「イリス!!」
全力疾走でイリスに駆け寄った二人は、彼女に飛びつくかのように抱き付くも、二人ごと力なくその場に倒れ込むイリスに驚愕し、一気に青ざめてしまった。
「イリスさん!? 大丈夫ですの!? お怪我をされたのですか!?」
「怪我してるの!? ポーション無くなったの!? 飲んで!!」
「お、落ち着いて下さい、お二人ともっ。大丈夫ですからっ」
同時に言葉にされてしまい、戸惑うイリスだったが、冷静に二人を宥めていく。
少々時間はかかったが、二人を落ち着かせた苦笑いのイリスは、ファルの持っていたライフポーションとスタミナポーションを飲み干し、回復していった。
身体の痛みが徐々に無くなっていき、疲労感も随分と回復出来たようだ。
座りながら一息付けて、ここまでのあらましを二人に説明するイリス。
襲い掛かる地底魔物も全て倒し、その後に訪れた怪物の話をしていると、二人はぼんやりとした表情になりながら小さく言葉にしていった。
「…………えっと。……あれ? おかしいな。……聞き間違いかな?」
「……あら奇遇ですわね、ファルさん。私にもそう聞こえましたわ。幻聴かしら?」
「ちょっとダンジョンに長く居続け過ぎたから、お互い相当疲れてるんだね」
「そうですわね。ここは、色んな意味で良くない場所という事なのでしょう」
「ですよねー。ドレイクは絵本の中の存在ですもんねっ。正直私は今でも信じられませんし、本当に良くあんなの倒せたと思いますよっ」
満面の笑みでとても楽しそうに報告を続けるイリス。
どうやら彼女はドレイク戦から、妙にテンションが高いままのようだった。
彼女の口から信じられない言葉の数々が飛び出し、何度も危ない目に遭いながらも討伐する事には成功したものの、といったところまで楽しそうな表情で言葉にしていくイリスだったが、二人は思考が追い付かず、言葉を完全に失っている状態だったようだ。
「――そこで、意識を失っちゃってたんですけど、目が覚めても魔法の効果がまだ残っている事に安堵して、すぐお二人のところに行こうとは思ったのですが、折角なのでお土産をと思いまして――」
背中に回していたバッグを正面に持ってきて、二人に見せるイリス。
「あ、このバッグもドレイクの炎に吹き飛んじゃってたんですけど、幸い肩にかけるベルトだけ切れちゃっていたので、それを結んで持って来たんですよー。保護魔法をかけていたとはいえ、ほんとに良く耐えられましたよねー。偉いバッグですっ。
まぁ、中のポーションは全部割れちゃいましたけどねっ。あははっ」
とても楽しそうに話しているイリスの言葉は止まらない。そんな彼女の言葉が頭の中に入らずも聞き続ける二人は、尚も思考が追い付かなかった。
「これがお土産です。どうですか! ドレイクの牙と爪と鱗ですよ! 凄いでしょ!」
とんでもない物を高らかに上げながら話すイリスは、とてもとても楽しそうだった。
普段は絶対使わない言い方を彼女がしている所から察すると、相当にテンションが高くなっているようだが、それに二人は気付く事なく、高く持ち上げられたモノを見つめながら、自分達は今、一体何を目にしているのか、そしてイリスが一体何を話しているのかを必死になって考えていた。
シルヴィアとファルの前に問題のそれを静かに置かれるのを、無表情のまま瞳だけで追ってしまう中、イリスは言葉を続けていった。
「流石に大きな牙はバッグに入らなかったので小さめの、五十センルくらいかな?
これを一本引き抜いて頂いちゃいましたっ。爪は大きめで強そうなものを一つ、鱗は大きくて立派で傷の付いていない綺麗なものを五枚ばかり選んで剥がしてきましたっ。
何枚かは採取に失敗してその場に捨てちゃいましたけど、まぁいいですよね。どうせあんなにいっぱい鱗付いてるんですしっ。
どうですっ? すごいでしょっ? あの伝説の"ドレイク素材"ですよっ。
触るのに緊張して、採取に時間かかっちゃいましたよっ」
瞳をこれでもかと輝かせながら言葉にしていく。
確かに御伽噺と思われた絵本の存在がいた事に、イリスであっても驚きを隠せない。
だがそれ以上に、それほどの素材となれば、その存在もまた伝説級の素材である。
それをむざむざ放置して捨て置くなど流石に出来なかったイリスだったが、たとえそうであったとしても、果たしてそんなものを持って来るのかと言われれば、恐らく誰もがあり得ないと言葉にするだろう。
それほどの存在だし、実際に出遭ってしまえば討伐など絶対に不可能だ。
世界で唯一倒せると思われたイリスのみが手にする事を許される素材、とも言えなくはないのだが、そんな事よりもまず、そんな凄まじいモノを持って来てしまっていること自体に、シルヴィアもファルも、頭の処理が完全に追い付かなくなった。
「…………ふぅ……」
「…………はぅ……」
ぱたりと同時に意識を失い、倒れ込むシルヴィアとファル。
正直よくここまで耐えたと、自分で自分を褒めてあげたくなっている事だろう。
「あれ!? シルヴィアさん!? ファルさん!? あれ!? あれ!?」
おろおろわたわたとしてしまいながら、二人の名前を強く呼び続けるイリス。
彼女達には少々刺激が強過ぎたようで、起き上がるのにはもう十ミィルほど時間がかかってしまう事となる。




