"間違えていた"
高速で移動するイリスへ向けて、炎を吹き出すドレイク。
巨大な火球を飛ばすも、その威力を肌で感じた彼女が当たるはずもなく、瞬時に大きく躱していった。そうでもしなければ、爆風でダメージを受ける事になるだろう事は容易に想像が付いている。出来るだけ距離を取り、大きく立ち回るイリスだった。
避けられた事が余程苛立たしく思えたのか、続けて炎を小さく複数で吹いていく。
まるで炎の槍のようなそれは、イリスがいたはずの地面に当たると破裂したように岩を吹き飛ばし、その周囲を赤く焼き付けていった。
一瞬イリスを見失ったようで、首を回しながら探る様子を見せるドレイクに、イリスは側面から強烈な魔法を放っていく。
「"風よ吹き荒れろ"!!」
発言と同時にドレイクの全身を包み込んだ風は、うねりと共に暴風の如く巨体を切り刻んでいく。
数十という鋭い風の斬撃の中で大きな声を上げていくが、それは痛みに呻くのではなく、イリスに対して怒号を飛ばしているかのようなものだった。
怒り狂いながらこちらを射殺す様に睨み付けるその姿に、大したダメージを与えていない事を察したイリスは、信じられないといった様子で目を大きく見開いてしまった。
今のは中級攻撃魔法だ。それもマナを相応に込め、一撃で刈り取る勢いで放った。
耐えられるとはとても思えないと感じるイリスだったが、次の瞬間それを悟り、思わず独り言を呟いてしまった。
「……そうか。"魔法保護結界"を使っているんだ……。"強化型身体能力強化魔法"だけじゃなく、魔法耐性まで上げられるんだ……。ならきっと、身体能力を向上させながら
"保護結界"も使って、直接的なダメージも激減されている可能性が高い……」
それも内心では想定していたはずだった事だ。
いや、強化型身体能力強化魔法を使っている魔物がいる時点で、それを考慮していたはずだった。その技術が魔法である以上、そういった事もあるだろうと。
それこそがあの二匹目のギルアムが、まるで不死身のように立ち上がり、こちらへと向かって来た理由なのだとも思えた。
恐らくは、話に聞く眷属と呼ばれた魔獣も、同じような存在だったと推察出来る。
尤も、黒い靄など、ギルアムにもドレイクにも纏っているようには思えなかったが、
"魔法を使う"という一点において、非常に厄介な存在である事は間違いないだろう。
問題は、魔法を使う魔物は、魔獣くらいしか知らないとアルエナが言った点か。
イリスの時代では危険種と呼ばれるものとの同質の存在と思われる"妖魔"なる魔物であっても、魔法の使用は見られなかったと彼女は訝しげに言葉にしていた。
しかし、これに関しての考察は今はいいだろうと、イリスは切り捨てる。
それよりもドレイクが、あのギルアム以上に厄介な敵だと断言出来る方が問題だ。
身体能力を魔法で向上させた尾で攻撃し、マナを纏った炎をぶつけて来る。
足の遅さを補って余りある破壊力に、強大な火球を放っても尚追撃する用心深さ。
今まで出会ったどの魔物よりも遥かに知能が高く、厄介な事この上ない存在だ。
中級攻撃魔法が効かないほどの魔法耐性を見せる"魔法保護結界"の影響下にある今では、強化魔法を無効化する"解除"も、恐らくは効かないだろうと思われた。
攻撃魔法まで効き難いとなると、取れる手段は二つしかない。
それ以上の威力を持つ攻撃魔法を当て続けるか、強力な魔法剣を纏ったもので直接斬り付けるか、だ。
前者は難しい。威力を上げれば上げるだけ、魔法効果範囲も広がってしまう。
中級魔法が効き難いとなれば、その更に上となる上級魔法しかないが、これは正直なところ使いたくないし、使えるような場所でもない。
そんな事をすればダンジョンの上部を貫いて地上へと魔法が影響しかねない。中級攻撃魔法の上位止まりのもので留めなければ、色々な意味で良くないと言えるだろう。
となれば、出来る事はひとつしかないと思われた。
イリスはセレスティアの刀身に、伸ばした指先を切らないようにゆっくりと滑らせながら、魔法をじっくりと込めていく。
なぞった部分から白緑の刀身へと変わっていき、切っ先を抜けると発言していった。
「"魔法剣"――」
瞬間、イリスは駆ける。
側面からイリスの気配を察知し、ぐるりと首を回して彼女を睨み付けるも、既にイリスはその場所から移動し、死角から尾へとセレスティアを強烈に斬り付けていく。
三メートラはあろうかという長い尾が非常に厄介なものだと理解しているイリスは、腹部や頭部ではなく、真っ先に尾を狙い、斬り落とす勢いで鋭く剣を振り下ろした。
尾を斬り付ける事には成功するも、その浅い傷口に驚きを露わにしてしまい、彼女の思考は完全に凍り付いてしまう。
時間にして瞬く間と言えるその間に、ドレイクはイリスを鋭く睨み付けながら炎の衝撃波を繰り出していく。閃光のように光り輝く破滅の炎に、イリスは地面に付く事なく二十メートラという距離を飛ばされていった。
当たる瞬間、防御魔法でダメージを無効化する事は出来ているが、あまりの威力に衝撃を吸収しきれず、本人は魔法盾ごと吹き飛ばされてしまっていた。
身体を空中で立て直し着地するも、随分と地を滑らせなければ止まらない勢いだったようで、それにも驚きを隠せなかった。
いくら至近距離とはいえ、これ程の威力を放つとなると直撃すればただでは済まず、
"保護結界"ごと大ダメージを被る事になるだろう。
冷静に意識を保ちつつ、現状を確かめるかのようにセレスティアを見つめるイリス。
問題なく"魔法剣"は発動しているようで、驚愕してしまった。
これは"強化型魔法剣"ではない。この技はシルヴィア達が使っているそれとは違い、魔力を込めただけではなく、更に属性を込めたものとなる。
そこに込められたものは単純なマナとは違い、各々が持つ魔法属性に合わせて発動させたものだ。その威力も充填法のそれとは遥かに違ったものを持つ。
以前アルエナに二匹目のギルアムの件を話した際に彼女が驚いたのは、イリスの時代ではそう呼ばれているものが、彼女の知る"魔法剣"と推察しての事だった。
八百年という途方もない年月が経過したのだから、言葉の違いなどあって当たり前だと思うのが普通ではあるし、何よりも真の言の葉が効き難い魔物という、にわかには信じられないような話に驚愕し、彼女は判断を曇らせていた。
そして当のイリスにとっては、絶大な力である真の言の葉の、それも強化型魔法剣が通じなかった時点で既に異常事態だと判断していたが、この時その詳細を話していたのがレティシアであれば、判断出来ていた事だった。
彼女は魔法に疎く、レティシアや彼女の友人達ほどの強者ではない。ましてや彼女はその人生の大半を魔法に費やしてはいないのだから、知らない事の方が遥かに多い。
託された知識にも含まれていない為、この事にイリスも気付く事はなく、ここに時代の差異が知らぬところで出てしまっていた。当然これを、今のイリスは知る由もない。
"強化型"が初歩的な技術である以上、更に熟練したものが存在して当然だ。
しかしそれを知る者は、今現在の世界には、レティシアの知識を託して貰っているイリスのみであると思われた。
王位を継承している現女王エリーザベトを含む歴代のフィルベルグ王族にも、この技術は知らされていない。寧ろ強過ぎる技術となる為に、レティシアの愛娘であるフェリシアにも伝えなかった技術となっている。
それは女王から直接充填法を学び、それを高めて昇華させた"強化型身体能力強化魔法"を完成形と称したヴィオラも例外ではない。確かにあれだけ凄まじく効果を高めた身体能力強化魔法であれば、そう自負するだけの効果を出している。
しかしそれは今現在の、魔法が衰退した世界での話だ。
当然この技術と、その使い方を知る者もまた、イリスのみだと言えるだろう。
だが、その効果は絶大だ。
恐らくではあるが、あの二匹目の異質なギルアムでさえも、これを使えば両断出来るかもしれないと思われたが、これ程の強さを秘めた技術を仲間達の前で使う事をイリスは恐れ、使う事が出来なかった。
仲間達がこの技術を悪用するなどとは微塵も思っていない。
だが、これを彼らに見せた時点で、イリスを恐れ、次第に彼女の下から離れてしまうのではないだろうかと思ってしまった。
強過ぎる力は、それだけ人を孤立させる。
これはレティシアの知識に含まれているものから導き出された言葉になる。
彼女には頼もしい友人達も、慕ってくれる部下達も大勢いた。
これは彼女の言葉ではないと断言は出来るが、そういった扱いを受けた者が、少なからず彼女の時代には存在していたという事なのだろうとイリスは感じていた。
エデルベルグのような魔法国家であれば問題ないだろう。
だがここは、この世界は、魔法が衰退した世界となっている。
そんな世界で強大過ぎる力を使ってしまえばどうなるかなど、誰にも答えられない。
今は自分を慕ってくれている者達が、ひとたび力を開放した自分を、それでも慕ってくれるとは限らないのだ。それがどうしようもなくイリスに恐怖心を与えていた。
だから彼女は使わなかった。いや、使えなかった。
あれだけ凶悪とも思える存在を前にして、弱い魔法しか使わなかった。
中級魔法に入るか入らないかという程度の微弱な魔法のみしか使えなかった。
結局使った攻撃魔法も名ばかりで攻撃力が皆無のそよ風しか、仲間の前では見せられなかった。
それも本当にギリギリの状態になってからという、非常に危険な状態になるまで使うのを躊躇い続けてしまっていた。
だが、眼前のそれは、そんな存在ではないのだと、認識を早々に改めるべきだった。
彼女はドレイクの強さを完全に見誤っていた。それにすら未だに気が付いていない。
"危険過ぎる存在"などでは断じてない。あれは"破滅を齎すモノ"だという事に。
彼女は最初から全力で潰しに掛からなければならなかった。
中級攻撃魔法の中でも上位止まりに留めなければだとか、"魔法剣"でなければだとか、上級攻撃魔法は使えないだとか。
そのどれもが彼女の甘さと覚悟の足りなさを露呈しているものであり、これまでの行動の全てが完全に間違いだったと、敵を警戒しながら見つめるイリスは、未だに気が付いていなかった。
それを思い知らされる無慈悲な光が、敵を見誤った彼女へと容赦なく襲い掛かる。
今までとは明らかに違う巨大な火球。
いや、最早これは、そんなものですらなかった。
軽く見ても、その直径は十二メートラを超している。
球体状の中央に色が濃い火球が存在しているそれは、まごう事なき破滅を導く絶望の太陽となって、全てを見誤っていたイリスを無慈悲に照らし出す。
そうだ。イリスは最初から間違えていた。
こんな存在に中級攻撃魔法まででどうにか倒そうだなどと履き違え、敵の真価を完全に見誤り、とんでもない攻撃を許してしまった挙句、この期に及んでも尚、中級防御魔法である"強風の頑強な魔法盾"を発動させるという悪手を打ってしまう彼女の結果は目に見えていた。
マナをしっかりと込めた中級防御魔法であろうとも、ドレイクの放った絶望の一撃を防ぎ切るなど不可能であり、凄まじい爆発と共に魔法盾は粉々に砕かれ、イリスは後方に激しく吹き飛ばされていく。
二度、三度、四度と地面を大きく跳ねながら壁に激突し、まるで世界が緩やかに動いているかのように、ゆっくりと地面に倒れ込み、イリスは動かなくなった。
吹き飛ばされたセレスティアが、彼女の手が届くほど近くの地面に突き刺さる。
その姿を睨み付けていたドレイクは、そう高くはない天へと向けて、凄まじい咆哮を上げていった。




