"支配者"
ドレイク。
それは嘗て最高峰の冒険者と呼ばれ、伝説として今も尚語り継がれるミスリルランク冒険者達が討伐したと言われる魔物の呼称。
その姿は奇怪にして異様な風体であり、今現在までに発見された危険種を含む、全ての魔物のどれにも該当しない異形の魔物として語られており、最早それは、御伽噺として世界に定着してしまっている存在のひとつになる。
眼前のそれは、リザルドに原型を残しているようにも思えなくはないが、背中に翼を持つものや、頭部に鋭い角を持つもの、体が長細い蛇のようなもの、尾に刃を持つもの、首がいくつも存在するもの、牙や爪に炎や冷気を纏うもの、体中が水晶のようなもので覆われ雷を放出ものなど、とても実際に存在したとは思えないほど異質な存在として、子供向けの絵本になっている。
彼らの英雄譚を読み聞かされた子達はいつかは自分も冒険にと、焦がれる様に冒険者を目指したがる傾向が強く、それを読み聞かせた大人達は微笑ましく子供を見つめる。
だがそんなものは、創作の英雄譚だと、誰もが口々に言う。
子供向けに脚色し、感動的に、印象的に誇張されて書かれたのだと、この世界に生きる大人達は語るだろう。
それだけ現実離れした存在であるという事だろうが、実際にそれを連想させる魔物を見た者がいるという類の書物や文献は一切残っておらず、完全に作り話だと笑う者も少なくはない。
それこそが完全に間違いであり、現実として確かに存在していたのだと、それを眼前に捉える彼女は冷や汗が止まらず眉を顰めながら、視線を逸らせずに立ち竦んでいた。
確たるものなどない。
これがドレイクである証拠など、ある訳がない。
その見た目も、その大きさも、その威圧感も。
目も前のモノが、絵本に登場したドレイクであると言い切れる確証など一切ない。
だが、それでもイリスは確信していた。
そう呼ばれるだけの存在であると。
間違いなく断言出来るほどの凄まじい存在であると。
身体の内側から、けたたましいまでの警告音が鳴り響いているかのようだった。
風体だけで威圧するかのような五メートラは確実にあるだろう巨体、見るからに生半可な攻撃は通用しなさそうな分厚く重苦しく感じる深緑の鱗、全てを切り裂くかのような爪、見ただけで戦意を喪失してしまうかのようなおぞましい牙、睨まれただけで意識を刈り取られそうになる鋭い黄色の瞳。そのどれもが異質極まりない存在だった。
これはドレイクに間違いないだけでなく、この存在がこの場所にいる事で、様々な事の辻褄が合ってしまったと感じるイリスだった。
五層の敵がイリス達の方へと向かわなかった理由も、この存在が関係しているのだろう。恐らくこれは、四層の支配者である可能性が高いと思われた。
だからこそ五層の地底魔物は、四層へと向かわなかったのだと。
先ほどの九匹も、これの存在にイリスが振り向いた瞬間、襲い掛かる事は無かった。
一瞬だけそれらに訪れた隙に、眼前のものが支配者であると感じさせてしまう。
恐らくは力で支配している為に、戸惑いを見せたのだろう。故に、今まであれほど凄まじい攻撃を繰り返していた存在が、まるで硬直するかのような躊躇いを見せた。
それだけの威圧感を、十二分に肌で感じているイリスだった。
あまりの事に、思わずぽつりと言葉が漏れてしまう。
「……迷宮の階層支配者」
その例えは当たっていると考えるイリスは、戸惑いを見せながらも必死に作戦を練っていく。流石にこんなとんでもない大物が出るとは、想定などしていなかった。
悪く考えても、地底魔物の亜種や危険種といった存在止まりだと思っていた。
"広範囲索敵"に表示された動きの遅さから、巨体である事は間違いないとは思っていたが、まさかそれがドレイクだったとは、想像だにしていなかった事だった。
だが、これが存在するという意味は、それだけではない。
伝説上の存在は、地上ではなく、地下にいるのだという可能性が出て来た。
そしてこの場所に、嘗てのミスリルランク冒険者達、つまりはレティシアの友人達が訪れていた可能性が非常に高くなった。
それがダンジョンの調査か、それともこれらの討伐かは分からないが、三層に地底魔物がいないという理由にも繋がるかもしれない。
尤も、それは単純に、食料としている岩が無くなった為、下へと降りていった可能性もあるのだが、こんな存在がいるのでは、それも低いとも言えてしまうだろう。
しかし、イリスよりも遥かに強い彼らがここに訪れたのであれば、恐らくは五層よりも遥か深部へと向かって行ったのだろう。
もしそうだとすれば、彼らもイリスと同じ疑問を持って行動をしていたと思われる。
どうやら本当に、悪い方向へと進み続けているようだ。……嫌になるほどに。
そんな推察をしていたイリスの眼前まで迫りつつあったドレイクは、その場に立ち止まりながら息を吸い込んでいくも、その赤く色付いていく口元を見た彼女は一瞬で怖気立ち、驚愕しながらも防御魔法を放っていく。
「"風の防御盾"!!」
大きく開けた口から吹き出す凄まじい勢いの無慈悲な攻撃に、イリスは防御に成功するも、驚きの表情を戻せずにいた。
考える間もなく発動させた魔法に変化が生じ、急ぎ言葉を紡ぐ。
「"前方魔法壁"!! "炎耐性増加"!!」
魔法の発動と同時に"風の防御盾"が突き破られ、新たに顕現した魔法壁に阻まれるとんでもない速さの炎が、盾に弾かれるように分断されながら後方四メートラを扇状に飲み込んでいき、思わず眉を寄せてしまうイリス。
先に使った魔法盾は、相応の強さがあった。
ギルアム程度ではびくともしないはずの強さに、マナもしっかりと込めたものとなる。それを軽々と突破するなど、とても信じられるようなものではない。
だが、この繰り出されているモノ自体は、嘗ての魔法に炎耐性増加魔法が存在するのだから、それも想定しておかねばならない事だった。
この魔法は対魔術師用の防御魔法であり、炎を吐くような存在が出るとは思えないなどと考える事自体が、そもそも間違っていたのだろう。
火属性魔法であれば、"魔法保護結界"や"魔法の壁"で事足りる。
それくらいの推察は考慮するべきだったと、イリスは自身の迂闊さを悔いてしまう。
しかし無情にも魔法壁の効果範囲外に転がっている地底魔物が、一瞬で消し炭になった事に気が付き、強制的に思考の世界から現実へと叩き戻されてしまった。
その威力も非常に恐ろしいほどのものを持つ事が見て取れる。
とてもではないが、防御魔法無しで耐えられる事など、絶対にありえないだろう。
なんて恐ろしい存在なのだろうか。
こんなものと遭遇すれば、仲間達でも倒される可能性が非常に高い。
何としても、この場で倒さねばならない。何としても。
炎耐性魔法に、どれほどの効果があるかは分からない。その見当も付かない。
試す訳にもいかない以上、当たれば負ける気で戦わなければならないだろう。
続けて息を吸い込む動作を見せるドレイクだったが、イリスはその効果範囲を冷静に見ていた。予測する範囲以上に距離を取りつつ、高速移動しながら背後に回り込んでいく。このまま防御し続けても良い事などないのだから仕方のない事ではあったのだが、それは早計だったと思い知らされる衝撃が、イリスの左腕へ痛烈に走る。
恐ろしい速度でドレイクの尾がイリスの胸部を狙い、魔法が間に合わず攻撃を許してしまう。咄嗟に彼女は左腕で防御するが、一瞬で苦悶の表情を浮かべながら、後方四十メートラまで吹き飛ばされ、凄まじい勢いのまま岩壁へと強烈に叩き付けられていく。
岩壁から引き剥がされるようにゆっくりと地面に崩れ、両膝を突きながらセレスティアで身体を支えるイリスを、赤い光が照らしていった。
視線を向けると眼前まで迫る巨大な火球。四メートラは軽くあろうかという巨大さに、イリスは動けずに必死で魔法を発動していくも、その表情は苦痛に歪んでいた。
「ろ、"強風の頑強な魔法盾"……」
イリスの発現させた魔法盾に当たり、途轍もない爆発音と共に、爆炎と熱風を周囲に撒き散らしていく。
何とか魔法で防ぐ事は出来たものの、あんなものを連発されてはどうしようもない。
魔法の効果が切れる前にライフポーションで回復を図ろうと、バッグに手を伸ばした瞬間、再び巨大な爆発が魔法盾に命中してしまう。
目を大きく見開き、信じられないといった表情を浮かべながらも、回復していく。
魔法盾に変化はない。それほどマナを込めなかったが、かなり強めの盾を発現させている。早々に壊されるものなどではない事は、使ったイリスが一番理解している。
傷を回復させて冷静に周囲を見回してみると、灼熱の焦土と化しているようだった。
転がっていたはずの岩が全て消失し、奥に転がる石が真っ赤に焼けてしまっている。
直線状に転がっていた筈の多数の地底魔物は、ひとかけらも残さずに消失していた。
炎耐性を強化しているお陰で、かなり熱いと感じる程度で済んではいるが、もし耐性魔法が無ければ、これだけで大やけどですら済まないのは確実であろう事が伺えた。
徐々に爆発で舞い上がった煙が除かれていき、ドレイクの姿が見えるようになるも、どうやらあれは、その場から一切移動をしていないように見えた。
断言するのは危険だが、恐らく脚力が極端に退化しているように思える。
あれだけの巨体なのだから、移動するだけも一苦労といったところなのだろう。
しかし、移動しないのであればまだ安心、という訳では断じてないのだが。
移動速度が遅い代わりに、絶大とも言える攻撃力を持つ存在だと思われた。
それでも非常に危険な存在である事に、何ら変わりはないが。
先ほど繰り出された尾の一撃は、"保護結界"で何とか耐える事が出来たが、並の冒険者であれば、あんなもの耐えられる筈がないと言えるほどの凄まじい一撃だった。
正直なところ、魔法の効果があったイリスであっても、重傷を負う事が無くてホッとしているくらいの威力を帯びた危険な攻撃だった。
これがドレイクなのだと、イリスは恐怖しながら考える。
信じられないほどの攻撃力。並の魔物とは明らかに桁が違う。
そして何よりも、先ほどの炎は、ただの炎などでは断じてないと理解させられた。
あれには途轍もないマナが込められたものだった。
言うなれば、充填法を纏った炎と呼ぶべきだろうか。
いや、充填法とは、レティシアの時代に使われていた魔法の初歩技術だ。
これは明らかに、熟練させたものの強さを感じるほどの強さだった。
当然これは、彼女に託して貰った知識による判断で、イリス自身がそれを肌で感じた訳ではないのだが、問題はそれだけの威力を込められた力を軽々と放ってしまっているところにある。
先に使った"風の防御盾"は、それなりに強い盾であり、地底魔物程度の攻撃ではびくともしないほどの強さを含むものだった。
それを軽々と貫かれてしまうところを考慮すると、中級魔法でもなければ防ぎきれないとイリスは推察する。現に中級の中位防御魔法である"頑強な強風の魔法盾"で防ぐ事が出来たので、これを使えば攻撃を無効化する事は問題ないと思われるのだが、それよりも、こんな存在がこんな場所にいる事自体が信じられないイリスだった。
確かにここは"コルネリウス大迷宮"と呼ばれた、世界最大級のダンジョンである。
その構造も、その深さも、"構造解析"ですら見切れてしまうほどの巨大さだ。
だがここは四層だ。
たとえそれが、イリスが言うところの迷宮の階層支配者であったとしても、これだけ浅いと言えるような場所に、これ程の強さを誇る存在がいるだなど、信じられないの一言に尽きる。
炎に限っての事だけではなく、先ほどの尾の攻撃もそうだ。
魔法で威力は激減して事なきを得たが、あんなものを何度も攻撃されては身が持たない。そう遠くないうちに当たる事となり、打ち所によっては致命傷になりかねない。
あれは熟練させた強化型身体能力強化魔法で放った強化型魔法剣か、それ以上の身体能力強化魔法と魔法剣に該当すると推察した。
そんなものを腕で防御してしまったと理解したイリスは、ゾッとしてしまう。
本音で言えば、そんなものを良く耐えられたと思ってしまうほどだ。
ダンジョンでさえなければと、思わずにはいられないイリス。
こんな場所では使える魔法に制限されてしまう。
悔やんだ所でどうしようもない事とは言え、それでも思わずにはいられなかった。
多少崩落の危険性があったとしても、かなり強めの魔法で遠距離攻撃を仕掛ける方が得策かもしれない。そうイリスは思案し、魔法盾から飛び出すようにドレイクへと一気に距離を詰め、魔法を当てても影響の少ない位置まで移動していった。




