"大切な仲間の為に"
襲い掛かる爪撃を避けながら、イリスはそれらを切り伏せる。
その鋭い爪を、その凄まじい突進を、そのおぞましい噛み付きを、イリスは全て回避し、時には魔法で防御し、その全てにセレスティアを振るっていく。
立ち位置を変え攻勢に出るも、瞬時に反応する地底魔物に違和感を覚える。
いや、戦う前から分かっていた事だ。
これらは地上のそれと明らかに違う事など想定していた。
だが、そうではない何かを感じる。そういった存在でない事が伺える事実に、イリスは心のどこかでそれを感じ、気付き始めていた。
姿形は全てイリスが切り伏せた三匹と同じ。シルヴィアが倒した二匹とも同じ。しかし、決定的に何か違う様子に一つの疑問が生まれたイリスは、一つの仮説を立てる。
そして"潜伏"や"気配遮断"の効果を意図的に切った瞬間に、彼女はそれを確信した。
迫り来るこれらは、イリスのマナに反応し、更に凶暴化している事に。
それこそが、この広い空間を含むそれぞれの階層に、まるで設置されたかのように存在する空間の理由であり、そんな広い空間に地底魔物がいないという理由にも、掘り進めている筈なのに何故掘った後のものが存在しないのか、という理由にも繋がる。そして魔物が、こんな生物のいない世界でどうやって生きているのかですらも、全て――。
イリスはそんな思考の中、随分と戦闘で抉れた地面へとセレスティアを突き立てていく。同時に響く金属音のようなものを確認したイリスは、近付くそれらへと鋭く瞳を向け、覚悟を決めていく。
彼女に喰らい付こうとするおぞましいそれらを躱し、魔法を発動していった。
「"風よ斬り裂け"!!」
直線状に並んだ地底魔物四体を貫き、更に二十メートラ先にいる一匹を巻き込みながら進み続け、空気の刃は消えていった。
下方を含まない全方向から無慈悲に襲い掛かる存在を、まるで蹴散らす様に次々と倒していくも、その数は減る事は無いどころか、今も続々と穴から這い出て増え続ける。
並の冒険者であれば到に終わっていた。
だが彼女にはやるべき事がある。伝えなければならない想いがある。信頼してくれた仲間達が自分を待っている。心配しながらも帰りを待ってくれる仲間達がいる。自分の事を大切にしてくれる家族がいる。大切なひととの約束がある。
こんなところで眠る事など、断じて出来る訳がない。
無情にも全方向から飛び込んでくる存在。その数、目視で二十。重なっているモノを含めると二十五匹。
逃げ場がないイリスは、強烈な魔法を叩き込んでいった。
「"風の衝撃波"!!」
イリスを中心に凄まじい魔力の奔流が、襲い掛かる存在へと向けられる。
一瞬でそれらを五十メートラまで吹き飛ばした彼女だったが、間髪入れず、別のモノ達が襲い掛かる。その数十八。倒しても倒しても、休む暇さえ与えずに仕掛けてくる存在から逃げるように、唯一空いていた上空へと舞い上がる。
強化型身体能力強化魔法の効果で七メートラほど飛び上がったイリスへ追い打ちをかけるように続々と続くそれらに左手を向け、言葉を紡いでいった。
「"風の重圧"!!」
発動と同時に地面に叩き付けられていくそれらを一瞥し、周囲を取り囲み、今にも飛びかかろうとしている存在に牽制し、上空から更に魔法を発動ていく。
「"大旋風"!!」
周囲十メートラを包み込む大きな風に、動きが取れず、その場からこちらに来れないようだ。
着地したイリスは落ち着いた様子でマナポーションを飲み、一息だけ付いていく。
そのまま空瓶を捨てるのに少々抵抗を感じたイリスは、魔力を瓶に込めて正面にいたモノに投げ付けていく。直撃した瓶は粉々に砕け、その一匹は動かなくなったようだ。
* *
三層の巨大な空間の手前に来ていたシルヴィアとファルは、中の様子を探っていく。
この空間はイリスがいる四層の空間よりも少しだけ大きな空間となっているのは、
"構造解析"の効果にて理解はしていたが、実際に地底魔物の位置は分からない為、慎重にその姿を探っていく。
見たところ、何処にもいないように思えたシルヴィアだったが、ファルはハンドサインで上空にいるそれらを彼女に教えていった。
どうやら天井に張り付いているようだ。どうりで見付からないはずだと思いながらシルヴィア達は一旦退き、すぐ手前にある通路で作戦を練っていく。
流石にここまで来ると、行き止まりとなるようなものは一切ないようで、通路くらいしか話が出来る場所は無かった。
「あれは"ルーセット"と呼ばれる、コウモリ型の魔物によく似てるね」
「コウモリ、ですの?」
「洞窟に生息する魔物に形状は似ているとしか言えないけど、そうであれば眼ではなく、振動波でこちらの位置を感知して、激しく飛び回りながら攻撃をしてくる厄介な存在だと思う。あの位置でも気付かれなかったのは助かるけど、物凄く厄介だね」
少々苛立ちを見せながら言葉にするファルだったが、先ほどよりは随分と落ち着きを取り戻しているようだ。必死に平常心を保とうとする彼女に、シルヴィアも自身が出来る最大の事をしなければと考えていた。
今も尚自分達の為に戦い続けている、イリスに恥じない戦いをしなければならない。
ルーセットであればファルでも戦闘経験があるし、ある程度攻撃の予想も付き易い。危険なものは噛み付きと鉤爪だとシルヴィアに伝えつつ、それ以外の攻撃にも最大限警戒をしながら戦おうと言葉にし、二人は強く頷き合っていった。
「一匹はあたしが抑えてみせる。でも、倒す事は出来ないと思うんだ。
あたしが抑え込んでいる間に、もう一匹をシルヴィアに仕留めて貰いたい。
……ごめんね、シルヴィアに負担がかかっちゃうけど、お願い出来るかな?」
申し訳なさそうに言葉にしたファルへ、勿論ですわと力強く答えていくシルヴィア。
自分の非力さと彼女の優しさに言葉に詰まりながら、小さくありがとと口にした。
二人は魔物が襲撃して来る場所まで歩いていく。
高い天井に張り付いているのであれば、こちらから攻撃を仕掛ける事は出来ない。
後手に回る事になるが、こればかりは致し方が無いだろう。
それでも襲って来ないのであれば、通り抜けて進む事も考えるべきだろう。
彼女達の目的は奴らの排除などではなく、二人が無事に脱出する事なのだから。
だがどうやらそうはさせて貰えなかったようだ。
甲高い耳障りな音を撒き散らしながら襲撃する存在に、心のどこかで安堵している二人だった。そこまでイリスに頼りきりでは、一体何のために力を付けたのか分からなくなってしまうシルヴィアと、もしそんな事になれば、本気でもう戦えなくなってしまうと感じていたファルだった。
上手くばらけてくれた地底魔物に、二人は集中しながら武器を構えていく。
様子を見る事なく一直線に突っ込み、脚に付いている強靭な鉤爪で攻撃を繰り出してくる存在に、避けるのが精一杯といった様子の彼女達。その鋭さ、攻撃角度の対応し辛さは確かにあるものの、それだけでは断じてない事がはっきりと理解出来た。
何よりも厄介なのは、鉤爪でも角度でもない。どちらも厄介である事に変わりはないが、それよりも遥かに危険だと判断したのは、その速度だ。
いくら翼がある魔物で、しかも異質な地底魔物だったとしても、飛膜を使っている以上その速さは高が知れているはずだと二人は推察していた。
それが大きな間違いだと気付いた頃には既に遅く、彼女達の周囲を凄まじい速度で取り囲うように飛び回っていた。
バサバサと苛立たしい音に腹が立つファルは、投げナイフをバッグから取り出し放っていくも当たる事は無く、更に彼女の神経を逆なでされている気分になってしまう。
襲い掛かる様子もないかと言えば決してそうではなく、死角からの攻撃に重点を置いて狙っているようだった。
その巧妙に攻撃の筋を見せない姿は非常に狡猾で、まるで連携を取っているかのようなその二匹に、ここは本当に異質な場所なのだと考えを改めさせられた。
これらは明らかな知能を持って攻撃を仕掛けて来ている。ウォルフどころではないほどの知能を。異質な事は戦う前から分かっていた。ブースト持ちである事も想定していた。そこに知能がある事に今更驚く事はなかっただろうが、これは非常に良くない状況だと理解出来た二人は焦っていた。
今更言っても遅過ぎる事だが、もっと彼女達は冷静に行動を起こすべきだった。
イリスの件も、自分達が抱えた問題も、全て悪い方向へと判断を曇らせ、慎重に策を巡らせるべきところを怠り、二層へと向かう事を優先させ過ぎてしまった。
「――ぐっ」
ファルの背後からシルヴィアのくぐもった声が、周囲を飛び回る苛立たしい音の中から拾う事が出来た。確認は出来ないが、恐らくは背中を攻撃されたのだと思われた。
だがそれを目視した瞬間に襲い掛かって来るだろう事は目に見えている為、視線を向ける事が出来ないファルは、彼女に背中を向けたまま言葉を投げかけていく。
「シルヴィア大丈夫!?」
「問題ありませんわ! 際どかったですが、鎧で事なきを得ています!」
安堵させる暇もなくファルへと迫る鋭い鉤爪が彼女の肩を掠め、傷を負わせていく。
凄まじく速く、鋭く、苛立たせる音に翻弄される彼女達。
それも上下左右に不規則的な動きを見せ、一定の間隔を掴み辛くさせている動きにファルの精神は擦り減らされていく。
……不味い、不味いっ、不味い! 防戦一方どころか、一匹を抑える事ですら出来ていない! しかもあたしは狙われているようで、その対象から外されている!
すべてはシルヴィアを仕留める為に狙っているんだ! 彼女を倒せばすべてが終わる事を理解しているんだ! ここでも……。ここでもあたしは、何にも出来ないの!?
「ぁぐっ!」
尚も執拗にシルヴィアを狙うそれらに、ファルの血の気が一気に引いてしまう。
…………負け、る……? ……こんな……こんな、ところで?
……敵も倒せず、一匹ですら抑える事が出来ず、それでも何も出来ないの?
イリスの力になれないだけでなく、シルヴィアの助けにもなれないのあたしは……。
彼女の背後から膝を付いてしまったであろう事が伺える金属音が響き、思わずファルは彼女の名を叫び、背後を向いてしまった。
瞬間、摘み取られてしまう恐ろしい光景が彼女の脳裏に浮かぶ。だが……。
……そうか……。あたしは、そんなところを狙わなくても倒せるっていうのか……。
……そんな価値すら、ないっていうのか、あたしには……。
「………………な」
ギリっと強く歯を食いしばり、止まっていた血が再び流れ出してしまう彼女の言葉は、小さ過ぎて誰にも聞こえる事は無かったようだ。
膝を付くシルヴィアに迫る、おぞましい鉤爪。
彼女は完全に動けない。確実に首を狙い、襲い掛かっていた。
「――ふざけんな!!」
身体能力強化魔法で地底魔物との距離を一気に詰めたファルは、持っていたダガーを握り込めたまま、こぶしで殴り付ける。
シルヴィアに襲い掛かっていた存在は不意を突かれ、五十センルは優にある体を凄まじい勢いで叩き飛ばされながら、十メートラほど直線状に転がっていく。
攻撃対象をシルヴィアからファルへと変えたもう一匹は彼女に鋭く迫るも、鉤爪を避けながら身体を回転させた彼女は、その反動で地面に叩き付けるように右手の甲で殴り付け、その勢いを止める事なく更に回転させた状態で高らかに上げた右の踵を下にいるそれへと振り下ろし、転がるモノを地面に深く埋めていった。
「あたしの大切な仲間に手ぇ出してんじゃない!! そういう事はあたしを倒してからにしろ!!」
渾身の攻撃をしながら、まるで自分に怒鳴り散らしているかのような言葉を放つ彼女は、自身の右腕と右足が赤く光り輝いている事に気が付いていなかった。
続けて彼女は強い覚悟の下に静かに、そして力強く言葉にしていった。
それはまるで、無力な自分に叱りつけているようにもシルヴィアには聞こえていた。
「仲間を二人も守れないだなんて、猫人種始まって以来、最低最悪の歴史として残っちゃう。……そんな事、させない。絶対に――。
あたしも戦うんだ! 皆と一緒に! 大切な仲間の為に!!」
強く言葉にしたファルは次の瞬間、黄蘗色の光に全身が包まれていった。
その姿に驚き、目を丸くしてしまうシルヴィア。
優しい光に包まれる自身の心に、想いの一部が流れ込むのをファルは感じていた。




