"強まるばかり"
イリスの言葉通りであれば、最短の脱出経路を通り、入り口となる場所までには残り三匹の地底魔物と当たる可能性が高いと予想していた。
この場所にいたモノと同じように動き回る事も考えられるので、戦う必要のなくなる場所まで移動する事も十分にあり得るのだが、逆に増えたり、近くまで寄って来たりする事もあるかもしれない。
今現在で確認出来る範囲で判断するなら、それは変わっていないと思われるのだが。
であれば、余計な存在が増える前に最短距離を進み、早々にこの恐ろしい場所を立ち去る事が現時点では最善だと思っていた二人だったが、イリスは黙ったまま何かを考え続けているようだ。
何かあるのかと尋ねようとする二人よりも先に、イリスは仲間達へと言葉にした。
「これ以上考えていても仕方ありませんね。まずは脱出に集中しましょう」
「そうですわね」
「うん。分かった」
恐らくイリスの考えは正しい。
こんなところで答えの出ない事を考え続けるよりも、まずはするべき事が彼女達にはあるのだから。
それに、それを知ったところで、イリス達にとっては意味があるとも思えない。
そんな事を知ったとしても、彼女の叶えたい想いを何一つとして成就させる事は出来ないし、未だ決定的とも言えるような情報が不足している現段階で、それを知る事は難しいと思えた。
何よりもそれを自身の力で知ろうとするのならば、それは一つしか方法が無いと思われるし、そんな危険過ぎる事など出来よう筈もない。
恐らくはそれを知っても推察の域を出る事は無いし、こんな事を言葉にすれば、仲間達に余計な不安や混乱を招くだけだとイリスには思えてならなかった。
それを調べる為の行動を起こしたとしても、得られる情報は確証に至らない推察のみになる可能性が高い。だが、たとえそうであったとしても、イリスの中では確かなものとして得るものはあるだろう。そう思えてならなかった。
しかしそれを知るには、イリス達は出口ではなく、逆へと向かわねばならない。
五層の先、六層でも七層でもない、更なる深部へと歩まねば手に入らないだろう。
そんな事は絶対に出来ない。興味本位で行くような場所でもないし、何よりも地底魔物の数があり得ないほど存在する場所に行くなど、命を捨てに行く様なものだ。
現実的にも戻って来れる保証など皆無と言えるほどの世界。そんな場所へと向かうなど、充填法を扱える者達を集めても、達成する事は出来ないだろう。
深呼吸で息を整えるイリスは仲間達へと、次に目指すべき場所を言葉にしていった。
「まずは三層に通ずる細い道手前にある、巨大な空間前まで行きましょう」
「そうですわね」
「うん、そうだね」
短く答えながら頷いていく二人を見ながらイリスは、不安感を必死に抑え込む。
それと同じ気持ちを感じてしまうシルヴィアは、どうしても一匹という異質な存在に危機感を募らせる。
それはあのギルアムの話を聞いたファルも同じ気持ちだった。
まるで周囲からも避けられているかのように思えてしまう薄気味悪い存在に、警戒するなという方が無理な話ではあるが、ここで考えていても仕方のない事だ。
まずは目視で確認後に、対策を練るのが妥当だと思われた。
細かな説明を話してイリス達は四層最後となる、この場所よりも遥かに大きな空間へと目指し歩いていった。
四層中央となるこの場所を越えて二十ミィルも進むと、魔物の気配を極端に感じなくなって来たようだ。
おぞましい声は時たま聞こえるものの、そのどれもがとても遠くから聞こえるものとなっているらしく、随分とまた空気が変わったようにも思えてしまう彼女達だった。
イリスの話では広範囲索敵に表示されている存在も、その場を一切動く気配を感じないらしく、他の地底魔物も、会話をしながら進んでも大丈夫だと思える距離にまで離れているそうだ。
五層の空気を微塵も感じなくなっているこの場所は、相応に安全性が少しは確保出来ているのかもしれない。そんな事さえ思えてしまうような場所となっていた。
「ですが、これで少しは一息付けますわね」
「そうだね。油断は出来ないけど、息が詰まっていたからホッとしたよ」
安堵するように深く息を吐く二人に、イリスは笑みを浮かべていく。
とは言っても、未だダンジョンを抜けた訳ではない。
気を引き締めながら警戒を緩める事なく進み続けるイリス達は、問題の存在がいると思われる空間の手前が見えて来ると、再び無言となり、歩みをゆっくりとしたものに変え、緊張した面持ちで目標となる一匹の姿を捉えようと、その場所へ向かって行く。
徐々にその空間の全貌が見えて来ると、そこは巨大な構造なのが見て取れた。
大きさとしては構造解析による効果で理解はしていたつもりだが、やはり実際に見てみるのとはまるで違う印象を受けてしまうイリス達だった。
天井が高く、空間は広く、足場もそれほど悪くはない。
寧ろ、何故この場所に地底魔物が大量にいないのかが気になってしまうシルヴィアとファルは、疑問に思っていた。
こういった場所にこそ、まるでたまり場のように使われるのではないだろうかと思えてならなかったが、魔物と思われる存在が取る行動など理解出来るはずもない。考えるだけ無駄なのだろうかと思っているようだ。
だがイリスは、二人とは全く違う事を考えていた。
いや、だからこその巨大な空間であり、だからこそいないのだと、彼女はそう思わずにはいられず、同時にそれが何を意味するのかを深く考えさせられていた。
真っ先に思い付いたのは、最悪の仮説。
しかしそれであれば、全ての線を繋げてしまう事になるだろう。
悪い方へと辻褄が合いつつある現在、思考が追い付かず、戸惑いを隠せないイリスだったが、一瞬だけ瞳を閉じて深く息を整え、目標となる存在に視線を向けていく。
ここで余計な事など考える必要などなく、もしそれを取り除く事が出来ずに戦いとなれば危険極まる事となるだろう。
どうにもこのダンジョンに降りてからイリスは、とてもネガティブな考えを多くしているようだ。それもその気持ちはどんどん強まるばかりだ。
悪い方、悪い方へと思考が行き着き、それを何度も改めるも、事態は強引に引き戻されているかのように思えてならなかったが、まずは優先するべき事に集中しなければならない。
四層で相手にする最後の存在は、どうやら空間中央よりもずっと奥となる、ここより百三十メートラほど先にいるようだ。
普段であればこれだけの暗所の中で目視する事など、獣人でもなければ出来ないのだが、"暗視"の効果により、それをはっきりとした姿として認識出来ていた。
目に自信のあるファルの瞳であっても、流石にこれほど鮮明に映し出す事はない。
猫人種は獣人の中でも相当に目がいい種族だが、それすらをも軽々と超える効果を出すイリスの魔法に、ファルは驚きを隠せなかった。
尤も、彼女の瞳の持つ真価は、他の種族は勿論、同じ|猫人種であってもあり得ないと言い切れるほど、別のものを持っているのだが。
しかし、冷静に分析するだけの心持ちは、すぐに打ち砕かれる事となる。
不安の正体はこれかとシルヴィアは考えながら、目標となるそれを注視していくも、明らかに先ほどの地底魔物とは全く異質な存在に思えてならなかった。
形状は先ほどのモールと思われる存在に近い事は見て取れる。
だが問題は、その大きさと色だ。先ほど相手取った存在の軽く三倍はあろうかという大きさが、この遠く離れたと言えるだけの距離からも見て取れる。
そして何よりも、一層不気味な雰囲気で包まれている黒い皮膚。
その姿に思わず地底魔物の危険種かと思ってしまうイリス達は、極々自然な思考をしていたのかもしれない。
そんな事は、この場にいるのがたとえ魔物学者であっても、答えなど出よう筈もないだろうし、身体の色なんかで強さが変わるとも、正直なところ思えないのだが。
それでも並外れた異質さを肌でびりびりと感じるような、とんでもない存在である事だけは間違いないと言い切れるだろう。
その存在はしきりに天井を見上げるようにしながら、鼻を引く付かせているようだ。
一旦手前の空間に下がり、策を立てようとハンドサインを二人に見せ、頷いた二人と共にその場を去ろうとするイリスは、黒いモノを一瞥するも、全身におぞましい寒気と鳥肌が一瞬で立ち、血の気が一気に引いていってしまう。
思わず足元がおぼつかず、音を出しながら地面を踏みしめてしまった。
"防音空間"の効果でそれを聞かれる事は無く、黒い存在に反応は見られないが、魔法の範囲内にいる二人にはしっかりと聞こえ、一体何事かとイリスを見やるも、彼女は極度の警戒をそれへと向けながら微動だにする事無く直視していた。
二人もイリスの様子に只ならぬものを感じて警戒をしていくも、彼女は右手をセレスティアにかけていた。
遥か彼方なほどに離れたそれに視線を向けるイリスは、二人に警告を発するよりも早く、黒い存在の天井に向けて引く付かせていた鼻先がぴたりと止まり、ゆっくりとこちらへと向けられてしまった。
「――発見されました! 出ます!」
「「――ッ!?」」
イリスの言葉と同時に、黒い存在から発せられたと思われる凄まじい高音。
けたたましい耳鳴りに動きを封じられてしまったシルヴィアとファルは、思わず両手で耳を塞ぎ、瞳を閉じてしまうほどの音に意識まで刈り取られそうになってしまう。
だがそんな状況であってもイリスだけは既に行動しており、最高速度で距離を詰めながらセレスティアを抜き放ち、目にも映らない速度で地底魔物を横薙ぎで切り抜け、振り返りもう一撃、更にもう一撃と、凄まじい三連撃で一気に止めを刺す事に成功するも、周囲の空気が一瞬で変わるのを感じたイリスは、二人に大声で言葉にしていく。
「――早急に合流して下さい!! 緊急事態です!!」
彼女が発言した直後、凄まじい警報が鳴り響いていく。
後方から夥しい数の地底魔物が、こちらへと向けて今にも襲い掛かろうとしていた。




