"信頼感"
地底魔物がいる空間手前に印してある場所まで戻って来た彼女達は、そのまま座り込むようにしながら誰もが口を開けずにいた。
あんなものを見せられては、それも仕方がないだろうと言えてしまうほどの、異質な存在であった事はまず間違いない。
漸く口を開いた彼女達だったが、既に五ミィルが過ぎてしまうほど考え込んでしまっていたようだ。
「……なんですの、あれは……」
「……本当に、異形のモノでしたね……」
「……やばいね、あれは……。危険な存在である事は間違いないよ。そういった気配を纏ってた……」
難しい顔をしながら言葉にするファルから、会話が途切れてしまった。
考え込んでいたイリスは、少し作戦を変更しましょうと言葉にして話し始めていく。
「思っていた以上に三匹の位置が奥へと移動してしまい、距離にして右六十三メートラにいるようです。左の二匹は十八メートラですね。ここで私が先行して右の三匹に攻撃を仕掛けると、恐らく左の二匹も襲い掛かって来る事になるでしょう。
全く知らない存在相手に行き成り五匹はかなり厳しいですから、まずは近くにいる二匹に"風の囁き"を放って動きに制限を加えます。
これだけで倒せるのであれば重畳でしょうが、もし倒せないのであれば、魔法が切れる頃合いを見計らってお二人が攻撃して下さい」
「三匹の方はどうするの?」
「"風の囁き"を使用後、三匹に向かって攻撃魔法を放ち、一気に距離を詰めた私が斬ります。魔法が当たる瞬間に攻撃が出来るように調整しますので、はじめの数歩は軽めに走ると思いますが、お二人は二匹のところへ真っ直ぐ駆けて下さい。
そのままお二人は、私と三匹の地底魔物の立ち位置に警戒をしつつ、二匹の方まで距離を詰めて行って下さい」
なるほどと頷きながら納得するファル。
彼女を主軸に置きながらの作戦である事は、今までと変わらない。
全てがイリス任せの作戦となってしまっているが、ここまで辿り着くのは、彼女の力がなければ現実的に不可能だった。
そんな彼女が出した策に異論などないし、これは勝算があっての事だと思える。
イリスであれば、未知の存在を三匹も相手取っても大丈夫だろうと、ファルはとても不思議な信頼感を感じていた。
「どうですか? 行けますか?」
そう短く言葉にするイリス。
正直な所、あんなものを見てしまった後では、腰が引けてしまっても仕方がない。それだけの異質さを感じられたし、何よりも不気味な何かを感じさせられていた。
本音を言えば、ここは素通りして進みたいと思えてならないが、それは難しいだろうし、何よりもここで倒さずに進む方が遥かに厄介だとイリスは感じていた。それはまるで"ここで確実に倒した方が安全だと"心が訴えかけているかのようだった。
内心では不安を感じているイリスに、二人は答えていった。
「勿論ですわ。ここまで来たのですから、必ず外に出ましょう」
「そうだね。こっちも行けるよ。あたしに出来る精一杯をするよ」
満面の笑みで応えるイリスは、二人と戦闘の細かな作戦をしていき、再びそれが目視出来る場所まで戻って来ると、仲間達へと最終確認を目でしていった。
確認をし終えたイリスは自身に風を纏わせていき、小声で魔法を発動していく。
目標は左の二匹の地底魔物、距離十八メートラ。
「"風の囁き"」
地底魔物を包み込む穏やかな風は、次第に激しい暴風に捕らわれていく。
さながら暴風の檻のように思えるものに束縛された姿を確認し、すぐさまイリスは右の三匹に魔法を放つ。
目標は右の三匹中央、距離六十三メートラだ。
狙いを定めるように右手を出しながら、イリスは強めに言葉にしていった。
「"風よ切り裂け"!」
発言と同時に吹き荒れる強い風。すぐさまイリスは行動を起こしていった。
その場を飛び出し、三歩だけ軽く走った後、一気に加速して距離を詰める。
彼女は魔法を放った瞬間に、浅いと判断していた。
それはとても不思議な感覚で、本来であれば当たってから分かるはずの事が、魔法が手から放たれた瞬間にそれを理解したイリスは、狙った三匹中央の地底魔物へ追撃に向かう。
魔法が当たると同時にセレスティアで深く斬り上げて止めを刺し、身体を回転させながら右の一匹へ斬り付け、残った一匹を正面に見据えて通り抜けるように切り裂いていく。
セレスティアを振り払い、地面に赤い弧を描くと同時に地底魔物三匹から鮮血が噴き出し、崩れるように倒れていった。
冷静に索敵の反応が消えるのを確認するまで、その場で待機をしたイリスが仲間達に振り向いていくと、ファルの横にいるシルヴィアが突きを放っているところだった。
* *
イリスが"風よ切り裂け"を使った僅かな時間まで遡る。
魔法を使って飛び出したのを確認したシルヴィア達は、彼女とほぼ同じタイミングで飛び出し、左十八メートラにいる地底魔物へと距離を詰め、魔法の効果が切れるのを警戒しながら待っていく。
風の囁きで深く傷付けられながら、声を発していくモノ。
だがその声は苦痛に呻くようなものでは決してなく、明確な怒気と殺意を近くにいるシルヴィアとファルの二人へと向けて放っていた。
その姿におぞましさと気持ち悪さが込み上げて来る彼女達だったが、徐々に弱まる魔法を見つめながら武器を構え、戦闘に備えていく。
魔法が切れると地底魔物は、そのままその場に倒れ込んでいったようだ。
強風に逆らいながら襲われ続けていた体に力を込めていた為、バランスが取れなくなって地面に倒れただけだと思われるが、あの魔法であっても、これらに致命的なダメージを与えるに至らなかった事に驚きを隠せないシルヴィアだった。
しかしこの隙を許すほど、二人は甘くはない。
躊躇う事なく倒れ込むそれに向かっていった。
右はシルヴィア、左はファルが狙っていく。
強化型魔法剣を発動させたシルヴィアは、右の地底魔物の頭部と思われる場所を強烈な突きで狙うも、もがきながら起き上がろうとしている動きで急所が逸れてしまい、致命傷を与える事が出来なかった。
それと同時にファルも左の一匹に攻撃を放っていく。
身体能力強化魔法を使いながらの速度と力を込めた、ダガーによる攻撃だ。
ここでシルヴィアは、ファルの攻撃に視線が移る。
彼女の使った魔法は確かに強化型身体能力強化魔法ではなく、身体能力強化魔法を使っていた。
シルヴィアには遠く及ばないが、それでも攻撃力も速度も、並の冒険者では絶対に出せない威力を持っていたのが一瞬で理解出来た彼女は、そんなファルと、彼女の放った攻撃に目を見張っていた。
たった一度の攻撃しか出来ない僅かな時間の中で、彼女は二度も攻撃をしていた。
ファル自身は短剣が得意ではないと言葉にしていたが、決してそんな風には思えなかった。それほどの攻撃だった。
攻撃力も、鋭さも、申し分がないほどの高威力を持ったもの。
身体能力強化魔法を使用して放った彼女の攻撃は、間違いなく一流冒険者の、それも剣士のものを遥かに凌駕していた。
そんな鋭い攻撃を当てた瞬間に、ファルは血の気が引いてしまう。
まるで攻撃の手応えを感じない分厚い皮膚に、彼女は顔を顰めていった。
正直なところ、信じられないといった気持ちで溢れていく。
今の攻撃は、当たり所が良ければホルスですら軽々と倒せると確信出来るほどの、会心の攻撃であった事は間違いない。
それを二連撃でしっかりと当てた事にも違いないと断言出来る。
なのに、目の前のそれには、それだけの攻撃が通じていない。
それも掠り傷一つ負っていないと見受けられる。
寧ろ攻撃した事で、苛立たせてしまったようで、途轍もない殺気をファルに向け、今にも飛び掛かろうとおぞましい牙を見せていた。
これに驚いたのはファルだけではなく、シルヴィアも同じ気持ちだった。
あれだけの攻撃で傷すら付けられない事に驚愕するも、思い出したかのように目の前の敵を仕留める事に集中していくが、余所見をしてしまった時間が長かった為、眼前まで物凄い速度でそれが迫っていた。
何とか回避をするも、攻撃にまで転ずる事は流石の彼女も出来なかったようだ。
だが冷静に着地する瞬間を狙い、身体を回転させながら強化型魔法剣を横薙ぎに通して攻撃する。
討伐確認にかかる僅かな時間の間に、ファルへと迫るおぞましい存在。
彼女に飛び掛かりながら、二十センルはある鋭い剣のような爪を右上から左下へと振り下ろされるも、ファルは掠る事無くすり抜けるように回避し、空を飛んでいるそれへと向き直りながら、両手でダガーを背中に突き立てていく。
体勢は少々悪いが、十分に力が込められたものであり、渾身の一撃と言えるほどのものとなっていたが、地底魔物に当たった瞬間、彼女の顔が歪んでしまった。
周囲に響く打撃音にシルヴィアも驚きを隠せなかったが、すぐさま心を落ち着かせた彼女は、ファルの攻撃で地面に叩き付けられて転がるそれに、止めとなる鋭い突きを放っていった。
怖いほどの静寂が周囲に響く空間に佇むシルヴィアとファル。
イリスが合流すると緊張の糸が切れたのか、深く息を吐く二人。
そんな姿を見つめながらも、イリスは転がるそれに"消臭"をかけていった。
こうしておけば、血の匂いで地底魔物を寄せ付ける事も軽減されるかもしれない。
安全だとは言い切れないが、危険と思われる要因はなるべく解消するべきだろう。
周囲に注意を払っていくも、どうやら離れた場所にいる敵には気付かれていないようで安堵するイリスだったが、転がるそれをずっと見続けていたファルは、ダガーに全体重を乗せ、渾身の一撃で突き立てていった。
何をとシルヴィアが驚きながら言葉に出しかけるも、辺りに打撃音のような鈍く重い音が響いていき、転がるそれに視線が集中してしまった。
「……なん……ですの、これは……」
「…………こんな事、あたしは想定していなかった……。これじゃ、あたしは……こいつらを倒せない……」
ダガーをそれから離し、驚愕しながら言葉にするファル。
これほどの恐怖を感じた事がない彼女は、身体の奥底から震えていた。
身体能力強化魔法も使い、力も最大限込めてダガーの切っ先を向けた、しかし、
持ち得る限りの力で突き立てたはずの場所には、掠り傷一つ残っていなかった。




