"選択"を
「これ、は……」
「……厄介ですね。構造が複雑過ぎます」
イリスは落ちている木の枝を拾い、地面に洞穴の内部構造を書き始めていった。
彼女と同じく眉が寄っているシルヴィアだったが、その構造の巨大さと迷路のように入り組んだ道を魔法にて詳細確認するも、怪訝そうにしながら内部を想像していた。
洞穴入口より少々離れた場所にいる二人の場所と、要救助者の印となる小石を置いていくも、その表情は徐々に曇っていき、最終的には血の気が引いていってしまう。
ある一定の深さまで簡易的に書いた構造に、線引きをしていくイリス。
幾層にも分かれた構造となっている事は、構造解析の効果によりシルヴィアにも理解出来ていたが、魔物の詳しい情報までは知る事が出来ない。
引かれた線よりも下となる階層は、もはや危険極まる場所だと判断したようだ。
とても険しい表情のまま、シルヴィアはイリスへと言葉にしていった。
「……非常に、厄介ですわね」
「洞穴の少々奥に待機している怪我を負った二人は近いですし、周囲に魔物の気配はありませんので安全性はかなり確保出来ているとは思いますが、問題は落ちた方ですね。
現在落ちた方がいる場所は、穴から少々離れ、小道が十五メートラほど伸びた先にある、この小さな空間に待機しています。
周囲の魔物の数は夥しいですが、小部屋に近づく気配はありません。
恐らく魔物除けの薬が効いているとは思えるのですが……」
そう言葉にして考え込むイリスだったが、すぐさま話に戻っていった。
シルヴィアもまさかとは思っていた事ではあるのだが、確信を得たイリスはしっかりとした口調で、その事実を言葉にしていく。
「ここは"ダンジョン"です。構造も非常に複雑でとても迷い易く、魔物の数も正確には数えられません。それも恐らくは通常のそれとは違う、"地底魔物"だと思われます」
「…………最悪ではありませんか」
背筋が凍るような感覚の中、シルヴィアは静かに口を開いた。
"地底魔物"とは、地上よりも下に離れた場所の空間に生息する、ダンジョン固有とも言える特殊な魔物の事である。
地上にいる魔物とは違い、姿形も異質という話を聞くが、魔物について書かれた書物や文献のどれもが詳細に書かれていない為、正確な事は未だ殆どが解明されていない。
ただ一つ分かっている事は、魔物の強さが途轍もなく強いという事だ。
その存在は、地下に行けば行くほど強大になっていき、ゴールドランク冒険者であっても対応が出来ず、一瞬の内に刈り取られてしまった者もいると文献には載っていた。
百二十年ほど前に発見されたダンジョンへ、プラチナランク冒険者で組んだ調査隊を派遣するも、その半数が返って来る事が出来なかった惨事は、今も尚冒険者達の間に広まるほど余りにも有名な話として、現在に至るまで多くの者達に語り継がれている。
プラチナランク冒険者の半数を逃がす為にその身を犠牲にした英雄の名から取り、
"コルネリウス大迷宮"と呼ばれたその場所は、彼らの持ち帰った貴重な情報により、
今も尚、世界最大級のダンジョンとして認定されている。
だが、それだけの犠牲を払っても、その全貌を知る事など全く出来なかったのだが。
報告を受けたギルドは、すぐさま地下へと通ずる穴を全て塞ぎ、"地底魔物"の流出阻止に成功するも、プラチナランク冒険者達を失った影響はあまりにも大きかった。
事態を重く見たギルドは世界中に情報を提供し、懸賞金までかけて世界中に存在すると推察されたダンジョンの捜索を開始する。
発見次第に潰していく事を数十年と繰り返し、今現在ではダンジョン発見の報告は極端に減っているのだが、極稀に今回のような依頼もギルドから発注されているようだ。
突如として出現するかのように現れる洞窟や洞穴などの調査に、ギルドから派遣されたのがホルスト達なのだろう。
『洞穴の周辺調査と、簡易的な内部の構造調査』だとマルコは言っていた。
つまりこれは、『決して深追いはするな』というギルドからの指示を受けての事だと想像が付くし、洞穴調査として依頼を出していたのは、ダンジョンである確証が得られていないものだからと思えた。
恐らく彼らもそれを想定した上でギルドから依頼を受けた、ゴールドランク冒険者達の中でもかなりの熟練者の可能性が高いだろう。
となれば、穴に吸い込まれるようにと表現した事にも、想像が付いたイリスだった。
「恐らくではありますが、地面が崩落した可能性が高いです。魔物を呼び寄せる事に繋がる為、光源を使う事が出来ないような暗所での調査は、非常に困難だと言えるでしょうから、熟練者であっても分からなかったんでしょうね」
「……それで、どうしますの?」
それ以上シルヴィアは、言葉にする事が出来ずにいた。
向かう先がダンジョンともなれば、経験の浅い彼女達が要救助者の捜索に向かうのは非常に危険だし、何よりもイリスが描いた構造による下に落ちてしまった者の位置と、
構造解析による細かな情報を統合すると、かなり深い場所まで落ちてしまった事が伺えた。更には"地底魔物"の存在を考慮すると、彼女達が取るべき選択は一つしかないが、救助にも行く事が難しいこの状態で、ギルドに報告など出来なくなっている。
そんな事をしてしまえば、最悪の結末を迎えるだろう事は想像に難くないし、このままギルドに報告に向かえば、確実にこう"命令"されてしまう事になるだろう。
『最優先で穴を塞げ』と。
たとえ生存者がいる可能性を捨てきれなかったとしても、ダンジョンの下にいる者は全て、いないものとして認識されてしまう。
非情な事に思えるが、これは世界でも共通の常識とされてしまっている。
裏を返せば、それだけ"地底魔物"が危険な存在だという事になるのだろう。
つまり、並の冒険者では討伐など出来ないほどの強さだと言っている事と同義だ。
そんな状況下で、冒険者として未熟な者達が救助に向かうなど、命を捨てに行くようなものである事は言うまでもない。最悪の場合、救助に時間をかけ過ぎれば、イリス達ですらもダンジョンに閉じ込められる可能性が十分にあり得る。
寧ろ、現状で考えられる様々な事を考慮すれば、冒険者として取るべき選択は一つしかない。それが正しい事であり、考える余地すらない常識的な選択となる。
下手に突けば、"地底魔物"が地上へと溢れ出し、災厄となって周囲を襲い尽す可能性も考えられる。それも並の冒険者では倒せないほどの怪物達が、恐ろしい数で。
これはあくまで可能性ではあるのだが、この場合はそれだけで十分過ぎる事だ。
数名の命と数百、数千人の命。
ここに議論をする余地などない。
客観的な考えの前に、個人の意思や主張など出してはいけない。
その僅かな間にも、災厄が地表へと溢れ返ってしまう可能性があるのだから。
本来であれば命を比べるなどしてはいけない事だが、それでも言わざるを得ない。
そして選ばなければならない。命の選択を。
だがイリスは、その選択を言葉に出来ずにいる。
そのたった一つの選択を取る事が、イリスを蝕むように苦しめていた。
しかしチームのリーダーである以上、方針を決めねばならない。
これほど重く、苦しい選択を余儀なくされる事など今までなかった。
瞳を閉じ、あらゆる可能性を熟慮していく。
時間などない。あるのはその先となる、今後の事に割くべき時間だ。
今にも消えゆくかもしれない命を前にして、行くか行かないかという決断に、時間をかける余裕などないのだから。
それでも考えなければならない。
より良い選択を取らねば、必ず後悔する事になるのだから。
思い起こしたのは、あの日の署名。ロナルドの言葉。自身の覚悟。我儘になると決め、望んだ未来に手を伸ばし、そうありたいと願い、思い焦がれ、手にした力。純然たる決意に殉ずる強い心……。
「…………誰もが笑って、幸せになれる世界を……」
とても小さく、消え入りそうに紡いだ言葉は、誰の耳にも届かないほどの声だった。
そんなイリスの想いを受け取ったシルヴィアは、とても優しく、そして誇らしげに彼女を見つめていた。
そしてイリスは、大きな決断をする。
瞳を開け、シルヴィアに向き直った彼女は、はっきりとした口調で言葉にした。
「これより、要救助者の救助に、洞穴下層へと向かいます。救出期限は二日以内。
それまでに必ず救出し、地上へと戻ります。救出に向かう者は私ひとりです。
シルヴィアさんは入り口の奥にいるお二人を連れて、馬車に戻って下さい。
尚これは、パーティーリーダーとしての"命令"です」
そんなイリスにシルヴィアは、とても素敵な満面の笑みで答えていった。
「従えませんわ」
「シルヴィアさん!?」
あまりの事に驚愕するイリス。
彼女の言っている事は正しく、それが最善の方法なのかもしれない。ましてやシルヴィアの立場を考えれば、これが一番正しい選択だとイリスは確信していた。
彼女はフィルベルグの第一王女殿下だ。時期女王となるやもしれない存在であり、フィルベルグ国民から愛されてやまない、国の至宝だ。
そんな彼女を死地に追いやるなど出来よう筈もない。いや、絶対に出来る訳がない。
それに、彼女にもしもの事があれば、今度こそイリスは立ち直る事が出来ないだろう。それも自分のせいでそうなってしまったのだとしたら、それこそ生きてなどいられなくなってしまう。
イリスにとってもシルヴィアという存在は、掛け替えのない大切な人なのだから。
だが、断じてそんな事は容認など出来よう筈もないシルヴィアは、断固としてイリスの"命令"を拒否していった。その表情は満面の笑みから美しい微笑みへと変わり、まるでエリーザベトを彷彿とさせる姿に、イリスはどきりとさせられてしまった。
「私はイリスさんの力になるべく冒険者になりました。その意思は本物です。
貴女は私が所属するチームのリーダーである前に、私とネヴィアのとても大切な友人です。もしこのまま貴女をたった独りで救出に向かわせてしまえば、私もネヴィアも、途轍もない後悔と罪悪感の中で生きていく事となるでしょう。それは母の言葉を借りるのであれば、『フィルベルグ王家の恥』となる愚行のひとつに他なりません。
そして現在の私は、フィルベルグ第一王女などではなく、冒険者である"ただのシルヴィア"です。命令とあらばリーダーに従わねばなりませんが、今一度よくお考え頂けないかしら」
「……で、ですが……」
言い淀むイリスにシルヴィアは、明確に言葉にしていった。
「まだ私の覚悟が伝わっていないようですので、はっきりと言葉にします。
私はこの先、どんな事があろうとも、貴女を独りで向かわせたくはありません。
それがたとえ、自分自身の命を失う事になろうとも、絶対に、です。
そんな危険な場所に大切な友人を独りで送り出すなど、出来る訳がありません。
故に私は、その"命令"には一切従いませんし、従うつもりもございません」
とても真剣に伝えるシルヴィアは、とても楽しそうな表情に変えながらイリスに話を続けていった。
「それにパーティーの方針は、『行きたい場所を皆で考えながら行動し、皆で一緒に冒険を楽しみましょう』なのですよ?
であれば、イリスさんの命令など認められずに、私は棄却致しますわ!
"リーダーの命令"だなどと似合わない事を言われて、私もネヴィアも素直に従うとお思いかしら?」
完全に思考が止まってしまっているイリスに、優しい眼差しに戻したシルヴィアは、イリスを抱きしめながら小さく言葉にする。
それはとても穏やかで、とても温かで。
たったそれだけの言葉で心が落ち着き、今まで悩み続けていたものが溶けていってしまうかのような、とても不思議な気持ちになるイリスだった。
「……どうか一人で悩まないで下さい。……どうか仲間を、友人を頼って下さい。
……どうか独りで危険な場所に行こうとしないで下さい」
これはシルヴィアのお願いだ。
それでも尚、独りで向かうと言うのであれば、もう彼女にはどうする事も出来ない。
後は彼女を信じて、ひたすらに馬車で待つより他が無くなってしまうだろう。
どうかそんな事はさせないで下さい。
そう心から願いながら、シルヴィアはイリスの返事を待っていた。
「……シルヴィアさん。……ありがとう。……ごめんなさい。私が間違ってました」
「いいのですよ。私はただ、貴女と苦楽を共に分かち合いたいだけなのですから」
シルヴィアの心に触れるかのような優しい言葉に、イリスの頬に涙が伝っていく。
……あぁ。なんて優しい人なのだろうか。
無事に帰って来れる保証などないと分かった上で、それでも彼女は"貴女といたい"と言ってくれている。
痛いほどに伝わるその優しさに、私は応える事が出来なかった。
王女だからなんて、彼女が一番辛く思える理由で悲しませ、一歩間違えば生涯残る深い傷を付けてしまうところだった。
「……シルヴィアさん」
「……はい」
彼女の顔を見つめながら、イリスは言葉を紡いでいく。
彼女が一番望んでいるであろう言葉を、とても丁寧に紡いでいく。
「……私と一緒に、救助へと向かって貰えますか?」
「ええ。勿論ですわ」
満面の笑みで静かに言葉にした彼女は、まるで女神のように美しかった。




