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この青く美しい空の下で  作者: しんた
第十章 知識だけでも、技術だけでも
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"大きな家のような街"

 

「あら、おはようございます、イリスさん」

「おはようございます、ヘルタさん。エッカルトさんのお身体は如何ですか?」

「元気過ぎるくらいですよ。『今まで寝過ぎていたから』なんて理由で、日が出る前から調合を続けているんです」


 苦笑いをしてしまうヘルタに、イリスも同じような顔で答えていった。


「ヤロスラフ病はお薬を飲んで一晩眠れば回復しますから、起きていても問題はないのですが、それにしてもちょっとお元気過ぎですね。いい事ではあるのですが、ヘルタさんからすると心配なさってしまいますよね」

「ええ、そうなんです。エッカルトは言っても聞かない子供みたいなところがありますから、もう半ば諦めていますが……」


 頬に右手を当てて瞳を閉じながらため息を吐いてしまうヘルタは、また立ち話をしてしまっていますねと笑いながら言葉にして、イリス達を店内へ通していった。


 ニノンの人々に必要となる薬が切れかかっている為、店はまだ開業していないそうで、現在はひたすらに調合を繰り返しているそうだ。

 並の薬師であれば、大量に薬剤の調合をする事は失敗の元となるので、なるべくなら止めた方が良いのではと進言するところだが、エッカルトほどの一流薬師であれば問題はないと思われた。


 イリスの場合、薬剤調合もしっかりと出来るだろうが、大量生産となると少々話は違ってくる。

 調合の経験も知識もあるのだが、魔法薬と違い、そこまで繰り返し作り続けた訳ではないので、ひとつひとつ丁寧に作る事になるだろう。

 ここに彼とは違う経験の差として、その生産速度が変わって来ると思われた。

 休業していた薬屋の常備薬として用意するのならば、それなりの量を作らねばならないし、ニノン全体に必要となる薬をほぼ全てエッカルトのみで準備しなければならないだろう。

 先日もウッツが訪れた事もあり、早々に薬を生産しなければならないと判断したエッカルトは正しいとイリスも思っているが、それにしても少々頑張り過ぎではないだろうかと感じざるを得なかった。


 そんな事を思いながらイリス達はヘルタに連れられて、隣にある調合部屋へと入って行くと、そこにはひたすらに薬研(やげん)でごりごりと薬草を細かくしているエッカルトの姿が目に映った。

 こちらに気が付き作業を止めた彼は、イリス達に挨拶をしていく。


「これはこれは、おはようございます、イリスさん。皆さんもおはようございます」


 エッカルトに続き、挨拶をしていくイリス達。

 薬研の手も止め、イリス達と会話をしていく主人の姿に、これで少し休憩出来るかしらねと妻は思っていた。


「もうすっかりお元気そうで何よりですよ」

「いやぁ、お恥ずかしい限りですが、常備薬が少々切れてしまいましてね。

 薬屋としては明日以降に再開すると思います」

「お気持ちはとても良く分かりますが、あまり無理をなさらないで下さいね」


 ありがとうございますと元気な声で返していくエッカルトだったが、彼の瞳に映る色は調合したくて堪らないといったもののようで、そのまるで子供のようにきらきらと輝いて見えるものを見てしまったイリスは、ヘルタと同じ反応しか出来なくなってしまった。


 そんな彼女に、ヘルタはくすりと笑いながら言葉をかけていった。


「ね? 子供みたいでしょう?」

「あはは……」

「ん? なんだい?」

「ううん、いいのよ。エッカルトはそのままでいいわ。そこも貴方の魅力の一つなのだし」


 首を傾げるエッカルトに、『どうせ言っても聞いて貰えないものね』と呟いた言葉は小さくて、彼に届く事はなかったようだ。

 尤も聞こえたとしても、納得などしないだろうとヘルタは感じていたが。


「それにしても凄い量ですわね」


 作業台に並ぶ大量の粉薬と思われるものを見つめながら、シルヴィアが言葉にする。

 一体どれだけごりごりとしていたのだろうかとイリスも思ってしまうほどの量に、苦笑いしか出なくなっていた。


「風邪薬と胃腸薬に、関節痛のお薬ですか」

「流石ですね、イリスさん。これを見ただけで判断出来るなんて」

「……私には全く見分けが付きませんわね」


 そう言葉にしたシルヴィアだったが、それは勿論ネヴィア達にも言える事でもあるのだが、調合師見習いのヘルタでさえも、その見極めはとても難しく思えていたようだ。


「正直私にも、見ただけで判断は出来ませんよ」

「流石にこれを見極めるのはちょっと難しいと思うよ。

 でもこうやって三種を並べてみると、微妙な色の違いが分かるようになるんだよ」


 エッカルトは三種の薬の入った大きめの皿を並べていくも、本当に微妙な変化しか見られない色だと思えたヘルタは、目が点になってしまう。

 そんな妻に微笑みながらエッカルトは身体で薬の入った皿を隠し、場所を入れ替えて皿に掌を向けながら、イリスにどれがどれだか分かりますかと尋ねていく。


「左から順に、関節痛のお薬、風邪薬、胃腸薬の順ですね」


 即答でもって答えたイリスに、流石ですねと笑顔で言葉にしたエッカルトは、話を続けていった。


「よくハヴェル先生とも、こうして遊びながら勉強したものだよ。

 最初は全く分からなかったけど、段々と答えられるようになってくるから、ヘルタも気にしなくていいんだよ。ゆっくり学んでいこうね」


 とても優しく言葉にする彼の姿に、逢った事の無いハヴェルの姿が見えたような気がしたイリスだった。

 エッカルトの下であればヘルタも、とても良い薬師になる事だろう。

 また一人、優秀な薬師が生まれる事になると思えたイリスは、とても嬉しく感じていた。



 そしてエッカルトとヘルタに、これからニノンを発つ事を告げていくイリス。

 二人はとても寂しそうにしながら、イリス達へと言葉にしていった。


「そうですか。もう旅立たれてしまうのですね。とても残念ではありますが」

「そうだわ! 今度ニノンにいらした時は、ご一緒にお食事をしましょう!」

「わぁ、楽しみです。またニノンを訪れたら、必ずこちらに寄らせて頂きますね」


 その時は是非、薬学のお話をしましょう。そうエッカルトは言葉にした。

 彼もまたイリスと同じように、とても良い経験をさせて貰えたと感じていた。


「皆さんの旅の無事を心より祈っております」



 *  *   



 エッカルト夫妻と別れたイリス達は、朝食を取る為にあるお店に入って行く。

 相も変わらず、とても繁盛しているようで、何とか席を確保しつつイリス達は店の主人である女性を探すも、彼女はすぐにこちらへとやって来てくれたようだ。


「いらっしゃい。何を食べるかい?」

「おはようございます、イルメラさん」


 おはようとイリスに返すイルメラは、とても元気そうで何よりだった。

 そんな彼女に、朝食を取ったらニノンを発ちますと言葉にするイリスに、イルメラは寂しそうに返していった。


「……そうかい、もう行くのか。寂しくなるねぇ……」


 言葉にならないイリスに彼女はとても明るい表情に戻し、言葉を続けていった。


「そんな顔しちゃだめだよ。あんた達は冒険者なんだから、どこに行くのも自由なんだ。またのんびりしたくなったら、何時でもニノンに戻って来るといいよ。

 あたしはこの店をこれから先もずっと続けていくから、いつでも帰っておいで。

 さあさあ! 今日こそ、ちゃんとしたのを食べていってね! これから旅立つんだったら、栄養価のあるものをしっかり取っていかないとね!」


 店内の客から強く反発の声が上がるも、イルメラは全て聞かなかった事にしながら、『何を食べるかい』とイリス達に尋ねていった。


「私は今度も、皆さんと同じものをご馳走になりたいです。お代はまた五百リルでいいでしょうか?」

「私もお願いしますわ」

「私も同じものを」

「俺もそれで頼む」

「俺も皆と同じものをお願いします」


 揺るがぬ様子を見せるイリス達に、半目になりながらイルメラは答えていった。


「あんたら、お願いだからもっとまともな料理を頼んでおくれよ……って、ああもう! 静かにしてくれ!」


 思っていた以上に大きな声が客から上がり、思わず突っ込んでしまうイルメラに、イリスは話していった。


「皆さんと同じものを頂く事で、まるでニノンの人になれたかのように感じるんです。

 この街は皆さんが支え合って生きている場所で、小さな街でありながら、街の人全てが家族として住んでいる大きな家のような街に思えます。

 そんな街の皆さんと同じ食事を取る事で、私もまるで家族の一員になれたかのように、とても嬉しく思えるんです。

 だからまた、皆さんと同じものを食べさせて下さい」


 イリスの言葉に歓声を上げる客達を一瞥しながら、イルメラは仕方ないねぇと根負けしたようだったが、その様子はイリスの言葉にとても嬉しく思っていた。


 これほどまでにニノンを好いてくれているのだから嬉しく思わない筈もないのだが、この街はイルメラ達の故郷でもあり、何も無いながらもどこか懐かしい情景を思い浮かべるような、とても不思議な気持ちを感じさせられる場所だった。


 仕方ないねぇと呟きながら厨房へと向かうイルメラは、歩きながら小さくありがとうねと言葉にするも、わいわいと食事を楽しむニノンの住民たちの喧騒に、掻き消えてしまったようだ。


 出された料理は思っていた通りに、とても美味しいものであった。

 正直なところ、これを普通に旅人にも出せばいいのではないだろうかと思えてしまうシルヴィア達だったが、実際それは少々難しいとイルメラは語る。

 何よりも、好きな物を選んで食べられないという事はとても大きいのだと言われ、納得してしまった彼女達だった。


 イルメラが言うところの、売り物にならない野菜を使った料理でこれほどの味を出せるのだから、しっかりとした素材で作ったものは、どれほどの美味となるのか興味は出て来てしまうが、やはりそれよりもイリスの言葉にしたように、街の人達と同じものを食せる事の方が魅力的に思えていたシルヴィア達だった。


 食事も終え、そろそろ行きますねと話すイリスへ、イルメラは言葉にしていった。


「もし旅先で先生に逢ったら、ニノンに一度来てくれるように頼んどいてね。

 あの人は放っとくと、何時まで経っても好き勝手しちゃう人だから、ここらで会っときたいんだよ」

「はい。分かりました。会えたらお伝えしますね」

「ありがとね」

「それではご馳走様でした」

「今度はちゃんとした料理を作ってあげるから、そっちを食べて貰うからね!」


 苦笑いをするイリスと、相も変わらず賑やかになる店内に別れを告げて、イリス達は厩舎へと向かっていった。



 *  *   



 エステルを迎えに言ったイリス達は、厩舎の方にお礼を言い、ニノンの入り口へと向かっていく。

 心なしかとても嬉しそうな様子を見せるエステルに微笑みながら街門まで来ると、ケヴィンがやって来て言葉をかけてくれた。


「なんだ、もう行くのか?」

「はい。お世話になりました」

「いや、寧ろ俺達が世話になっちまったな」


 どうやらニノンの全体にまで、エッカルトの件が伝わってしまっているようだ。


「私は私の出来る事をしただけですし、何よりも重い病気でもありませんでしたので、私は大層な事をした訳ではありませんよ」


 そう言葉にするイリスだったが、そうではないとケヴィンは断言して話を続けていった。


「お前さんが行動に起こしてくれた事が嬉しかったんだよ。

 エッカルトはこの街唯一の薬師だからな。何かあればとんでもない事になりかねない。結果的に安全だったとしても、街の大切な人物に対して動いてくれただけで、十分感謝される事なんだ」


 続けて彼は、あの小僧にも良い薬を塗ってくれたみたいだしなと、含み笑いをしながら言葉にしていった。



「それで、これからどこに向かうんだ?」

「私達はツィードを目指します」

「西か……。あの辺りから魔物が少々多く見られるから、十分気を付けろよ?」

「はい。ありがとうございます」

「また気が向いたらニノンに来るといい。この街はいつでも歓迎するぞ」


 とても良い笑顔で答える彼は仲間達に合図を送り、大きな扉を開かせていく。

 開門された街門を潜り、ニノンを出立していくイリス達は一路、西の街ツィードを目指し進んでいった。


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